第36話 導かれし者達は運命と対峙する
優しい朝日が差し込んでくる。
その朝日に刺激され、国王は目を開いた。
ゆっくりと身体を起こす。スライムになってからだいぶ時は経ったが、すっかりとこの身体に慣れてしまっていた。
このままスライムとして暮らすことになるのか。
老い先短い残りの人生、それもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、王はベッドから降りようとした。
「誰だ?」
だが、それを邪魔する存在がいた。
禍々しい〈黒〉をまとった少年、とでもいえばいいだろうか。
怪しい微笑みを浮かべているその姿に、王は思わず警戒心を抱いた。
『フフッ、僕の顔を忘れたのかい? お父様――』
王は一度顔をしかめさせた。
しかし、すぐにその顔は豹変する。
『あの時は悲しかったな。ホント悲しくて、悔しくて、泣いてしまったよ。でも、おかげで僕は強くなることができた。
ああ、この時この瞬間に瞳を閉じても思い出すことができるよ。あなたが母の胸を、貫く瞬間を。
母が僕を庇い、逃してくれたあの時のことを。
燃え上がる屋敷の中、あなたは叫んでいた。僕を殺すために、血眼になって探していたね。
そうだろ、お父様?』
王の顔は強張った。
その顔を見て、黒をまとった少年は笑った。
『ねぇ、お父様。今はどんな気分だい? 殺したはずの、妾の子供を目の前にして』
その言葉は楽しげ。
その言葉はどす黒い。
だからこそ、その言葉で少年は復讐を遂げた気になっていた。
「生きて、くれたのか……」
しかし、思いもしない反応を国王は示した。
その目からは優しさと嬉しさが溢れている。さらにあろうことか、国王は少年に近寄ろうとしていた。
考えもしなかった反応だ。だからこそ、少年は戸惑った。
『お前、何のつもりだ?』
「ライル、だろう? 私はずっと、探していたんだ」
『探していた、だと?』
「ああ、生きていてくれたのか。よかった、よかったよ。
お前の母、レイラが死にお前も行方知らず。生きていると信じて探していたが、手がかりは一切なかった。
だが、こうして目の前に立っている。私はもう、なんと言葉で表現すればいいかわからないよ……」
想定外の姿。
そんな国王を見て、黒をまとった少年の中で〈何か〉が歪んだ。
『うあっ』
燃え落ちる屋敷の中、国王は大好きな母を殺して笑っていた。
それは本当だろうか?
母の胸を貫き、血まみれになって笑っていた。
本当に国王だっただろうか?
『あ、ぅっ……』
崩れる屋敷の中で、叫びながら自分を探していた。
血眼になって、少年を殺そうとしていた。
必死に、必死に、必死に、少年を引き裂こうと。
しかし、それは本当に国王だっただろうか。
「どうした!? 頭が痛いのか?」
少年は気づく。
この優しさは本物だ。
少年は気づいてしまう。
自身は利用されていたのだと。
『く、そっ』
「しっかりしろ! 誰か、誰か来てくれ!」
『ダメ、だ。逃げ、ろ――』
気づいた。気づいてしまった。
だからこそ大きな後悔が襲ってくる。
少年の真の敵は、国王ではないこと。
少年は国王を殺すために、ずっと利用されていたこと。
そして、少年の記憶は都合のいいように書き換えられていること。
しかし、もう遅い。
『フッフッフッ、いい絶望ぶりですね。もぉー最高ですよ!』
何かが少年の中で蠢く。
少年は必死に抑えようとするが、制御できない。
腕が暴れ、顔が腫れ上がり、胸が膨張し、腹が押し込められる。
「ライル!」
国王は愛する息子に向けて叫んだ。
しかし、目の前にいる者はすでに人らしき姿をしていない。
胴体から伸びた対となる八つの脚。
赤く輝く瞳と、黒い眼が国王を睨みつける。
黄色い頭がぎこちなく動き、口が開くと共に歪な声が溢れた。
国王は言葉を失う。
目の前にいた少年の変貌ぶりに。
『あ、あァ――』
ライルと呼ばれた少年は、言葉にならないざらついた声を放った。
身体が震え上がってしまうほど、恐ろしい呻き声だ。
しかし、そんな恐ろしい声を聞いたにも関わらず、国王の目は鋭く輝いた。
「そうか。全てが繋がったよ。ならば、命を懸けよう」
全てが繋がった。
スライムの呪いをかけたあの魔人の正体。
魔人に利用され、国王達を襲ってきた死んだはずの少女。
そして、目の前にいる生きていた息子。
全ては国王と、その血を引く者を始末するための計画だ。
「あの男が生きていた。考えもしない力を手に入れて」
国王は問う。
今の自分に、対抗しうる力はあるのか、と。
その答えは、当然のように否定される。
だがそれでも、目の前にいる息子を助けたい。
ならば、命をとしてでもやらなければならない。
「ライル、待っていろ。すぐに助けよう!」
年老いた、しかもスライムの身体で国王は戦いに挑む。
勝てる見込みなど、一切ない戦いに。
『ア、アァ――
ダリアン、お嬢、様――
ルル、ク――
み、ん、な――』
醜い笑い声が響き渡る中で、どす黒い何かに少年の意識は飲み込まれていく。
楽しかった思い出。
悲しかった出来事。
喧嘩して怒ったこと。
笑いあった日々。
忘れることができなかった憎しみ。
そして、ロイドとして暮らした時間。
しかし、今の少年にはどれが本当の大切なものだったのか、わからなかった。
◆◇◆◇◆◇
「ニッヒッヒッヒッ」
揺れる馬車の中、ミーシャは上機嫌に笑っていた。
その隣に座るルルクは、ちょっとだけ面倒臭そうな顔をしていた。
「なんだよ?」
「なんだよって、何よ。アンタはリボンテイルに助けられた!」
「それが?」
「もぉー、鈍い男ね! これでリボンテイルが悪い奴じゃないって証拠になったでしょ!」
「あのね。確かに助けてもらったけど、犯人じゃないって証拠にはならないからね。現に僕の魔術書も、ミーシャのお金も戻ってきてないでしょ?」
「そ、それはっ! でも、正義の味方だって証明されたもん!」
ルルクはため息を吐いた。
おそらくああ言えばこう言うという状況になる。つまり永遠と終わらない口論だ。
それを考えると、ルルクは思わず頭を抱えてしまった。
そんなルルクを見て、マオは同調したかのように笑っていた。
「まあ、リボンテイルさんのおかげで助かったのは確かかな」
「ほらぁ! マオちゃんもこう言っているじゃん!」
「もうそれでいいよ」
ガックリと頭を落とすルルク。そんなルルクを見て、ダリアンがクスクスと笑っていた。
「ま、リボンテイルよりもマオと私のほうがすごいけどねっ」
「何をぉー!」
「私達は最短時間で霊薬〈フェニクル〉を作り上げたもの! リボンテイルにこんな芸当、できるかしら?」
「で、できるもん! その、ノウハウを盗めば!」
「ミーシャ、元も子もないよそれ」
「ロイドでも、そんなことしないわね。というかあいつ、どこに言ったのよ!」
笑い合うミーシャ達。
マオはすっかりと溶け込んだダリアンを見て、嬉しさのあまりについつい微笑んでしまった。
そんなマオを見たアイザックは、優しい笑顔を浮かべる。
「どうしましたか?」
「いや、なんでもないさ。ただ、楽しいなと思ってな」
アイザックは視線を前に向ける。
そんなアイザックの優しい顔を見て、マオは笑った。
「ねぇ、先生。聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「なんだ?」
「どうして先生は、私を弟子にしてくれたんですか?」
マオの問いかけ。それはずっと抱いていた疑問だった。
ぶつけられたアイザックは、一度馬車の天井を見つめる。
いつかは話さなければならないこと。その時が来たかもしれない。
そう感じ、アイザックは口を開こうとした。
だが、その瞬間に馬車が留まった。
「あれ、もう着いたのかな?」
「いや、もう少しかかるはずだが……」
アイザックが扉を開き、外を眺めようとした瞬間だった。
突然馬車が揺れた。
「わぁー!」
「きゃー!」
悲鳴が上がると共に、馬車が真横になる。
馬が悲鳴を上げると、扉が開いた。
傾いているためか、マオ達は落ちそうになった。
「うおっ」
「先生!」
放り出されそうになるアイザック。どうにか扉の取手を掴み、どうにかこうにか落下を防いだ。
安心したアイザックは視線を前に向ける。直後、我が目を疑った。
「なんだ、あれは――」
目に入ってきたのは、蜘蛛の糸で覆われた城下町。
全てが不気味な白で覆われていた。
アイザックは言葉を失う。一体何が起きて、こんな光景が広がっているのかわからなかった。
『ヒーッヒッヒッヒッ、ようこそ我がお城へ』
マオの顔が強ばる。
それが何を意味するのか声は理解しつつ叫んだ。
『いいですねいいですね、久々に見ましたよ!
ですが、まだ足りない。あなたはもっと歪まなきゃいけないんだ。
マオ・リーゼンフェルトよ。決着をつけようじゃないか。
私が用意した、最高で最悪の舞台で!』
マオの顔は、怒りで染まっていた。
それはアイザックですら見たこともない表情だった。
だが、そんなマオの手をルルクが握る。
「大丈夫。僕達がいる」
その行動にはどんな意味があっただろうか。
少なくとも、失いかけていたマオの冷静さを繋いでくれた。
だからこそ、マオは感謝しつつまっすぐと前を見る。
「行こう、みんなっ」
マオ、そして国の命運もかかったピエロ魔人との最終決戦が始まる。




