第19話 時を司る神〈クロス・クロノス〉
ダンジョン〈ササララ寒冷帯〉。
そのスタート地点で、マオ達は空から見下ろしているリリシアを見上げていた。
同じように勇ましく見つめるガリウス。どっしりした先が丸いハンマーを担ぎながら、ガリウスはリリシアの背中にいる〈混濁した黒い何か〉を睨んでいた。
「さぁて、カッコいいところを見せなきゃな」
ガリウスは力強く笑う。その瞬間に、リリシアは剣を振り上げた。
その切っ先はガリウスに向く。ガリウスはその仕草を見た瞬間、目を鋭くさせた。
『シシシシシシ、シねッッッ!』
刃が振り下ろされる。
直後、風を斬り裂いて斬撃が飛ぶと、瞬くにガリウスへと迫っていった。
しかし、その一撃は届かない。
ガリウスは持っていたハンマーを振り、その斬撃を弾き飛ばした。
「きゃあっ」
軌道が逸れた斬撃はマオとミーシャの横を通り過ぎていく。
そのまま雪が積もった山を斬撃が抉り取る。途端に雪が粉のように舞った。
「ちょっと先生、危ないじゃないっ」
ミーシャが堪らず文句を言い放つ。
するとガリウスは「ガッハッハッ」と笑った。
「すまんすまん。相手が相手なものだからな、細かいコントロールができん。
悪いが、もうちょっと離れててくれないか?」
ガリウスの言葉は最もだった。
相手は操られているとはいえ、学園が創立されて以来の天才と呼ばれる少女だ。
その秘めたる能力も、持ち合わせている能力も最高の逸材。そんな存在を相手にしているガリウスが、手加減をできる訳がなかった。
「でも先生――」
「なぁに、心配はいらん。愛を囁いて正気に戻してやるさ」
ミーシャの心配をよそに、ガリウスは笑った。
それは今まで見てきたカッコ悪い笑顔ではない。どこか頼りになる力強いものだった。
【ダメだ】
だが、その瞬間に何か声が聞こえた。
マオは思わず声が聞こえた方向へ目を向ける。するとそこには、リリシアを支配している〈混濁した黒い何か〉がいた。
マオは思わず怪訝な顔をする。するとその声は、助けを求めるように叫んだ。
【彼を一人にしてはいけない。絶対に、絶対にだ】
言葉の意味がわからなかった。
なぜ、敵対しているはずの存在がそんなことを言うのか。あまりにも不可思議で奇妙なことで、そのためにマオは頭を傾げてしまった。
だが、イフリートは違った。ゆっくりとマオの隣に立ち、一緒に敵対している存在を見つめていた。
【選択がやってくる。正しい選択をしなければ、全てが終わる。もうあなたを悲しませたくない。だから間違えないでくれ――】
言葉が消える。
途端に〈混濁した黒い何か〉は雄叫びを上げた。
ガリウスは自然と、ハンマーを握る力を強めた。
直後、〈混濁した黒い何か〉の背中に大きな円陣が広がった。
「あれは――」
「先生、逃げろ! あいつ、時間を止めてくる!」
ガリウスの顔が強ばる。
同時に、ルルクが慌てたように叫んだ。
「時間?」
「たぶんだけど、あいつは時間を操る。あれだけの規模になれば、たぶん止めてくる!」
時を司る者。
ガリウスはその存在が何者なのか覚えがあった。
「まさか、〈クロス・クロノス〉か」
より一層、顔が強ばる。
だが同時に、高揚したかのような笑顔を浮かべていた。
「選択って、もしかして――」
そう、声が示していた選択はこの場面だ。
これから〈混濁した黒い何か〉、いや〈クロス・クロノス〉がガリウスへ何かを仕掛ける。
それが防ぐことができなければ、マオは自身が望まない結末を迎えることになるのだ。
「マオちゃん!」
ミーシャがマオの手を掴む。
直感的に危険だと感じたのだろう。
しかし、ここで逃げてしまえば望まない〈結末〉を選ぶことになる。
「ごめん、ミーシャ」
声がくれたヒント。それを無駄にする訳にはいかなかった。
だからマオは、ミーシャの手を振り払って戦う選択をした。
「イフリート、行ける?」
イフリートは頷く。
それを見たマオは、すぐに一つのお願いをした。
「あれ、壊せる?」
イフリートは少し難しい顔をした。
右腕を失い、体力も減っている。万全ならまだしも、傷ついた状態では完全破壊は難しかった。
それを感じ取ったマオは、次なるお願いをする。
「じゃあ、発動を遅らせることができる?」
その言葉に、イフリートは力強く頷いた。
マオは考える。発動時間に猶予ができれば、まだ最悪な結末を回避する可能性はある。
だが、マオとイフリートだけでは完全に回避することはできない。
「ルルク君、攻撃魔術を使える?」
マオは叫ぶ。
思いもしない言葉に、ルルクは思わず戸惑った顔をした。
しかし、マオは躊躇いなく指示を飛ばす。
「リリシアさんじゃない! 後ろにいるあれを攻撃するのっ」
「でも、あいつに攻撃なんて――」
「ああいうのは、基本的に魔術攻撃しか効かない。でも逆を言えば、魔術攻撃ができれば決定打になるの!」
その言葉は、とても腑に落ちるものだった。
ルルクはすぐさま持っていた魔術書を開く。そして本の内容を読み込み始めた。
「ミーシャちゃん、魔術使える!?」
呆然としているミーシャに、マオは大きな声で訊ねる。
するとミーシャも戸惑った顔をして質問に答えた。
「う、ううん。攻撃に使える魔術は一つも――」
「じゃあ、先生の傍にいて。合図を送ったら、一斉攻撃だよ!」
ミーシャはマオの言葉に従い、ガリウスの元へと駆けていく。
それを見たマオは、待機していたイフリートへお願いをした。
『――――』
イフリートは力強く雄叫びを上げる。
そしてマオのお願いに答えるかのように、〈混濁した黒い何か〉に飛びかかった。
リリシアがイフリートの攻撃を止めようと剣を振るう。
イフリートは咄嗟に左の拳を突き出した。
しかし攻撃虚しく、刃はイフリートの胸を貫いてしまった。
だが、その瞬間にイフリートは笑った。
『――――』
突き出された刃。その刀身が、煙を上げていた。
目を向けると、あるはずの刀身がない。
ドロドロに溶けており、それはもう剣として機能していなかった。
リリシアの攻撃の手が緩むと同時に、イフリートは〈混濁した黒い何か〉へ突撃した。
すると慌てたのか、クロス・クロノスは迎撃態勢を取った。
『奴を撃ち落とせ!』
一瞬の注意の移り。
ルルクはその一瞬を見逃さなかった。
発動した魔術は、光の矢となって飛んだ。
それは風を置いていく速さで飛び、〈クロス・クロノス〉の頭を撃ち抜いた。
『オォオオオォォォォッッッ』
思いもしないことに〈クロス・クロノス〉は叫んだ。
反射的にルルクを睨みつけると、その瞬間にイフリートが割って入った。
そして、固く握られた左の拳を頭へと振り落とされる。
力強く叩き込まれた拳を受けた〈クロス・クロノス〉。勢いのまま雪が積もった地面へ叩きつけられると、〈クロス・クロノス〉は痛そうな顔をして起き上がった。
その身体からは〈黒い何か〉は消えており、揺らめいていた身体もハッキリと現れていた。
マオはそれを見て、待機していたガリウス達に叫ぶ。
「ミーシャちゃん、ガリウスさん。今だよ!」
ガリウスとミーシャが駆ける。
直後に、〈クロス・クロノス〉は二人を迎撃しようと身構えた。
「させない!」
マオはその瞬間に、余っていた〈フロストスノーボム〉を投げた。
それは見事に命中し、〈クロス・クロノス〉の身体を凍てつかせていく。
動きが鈍ると共に、ミーシャが木剣を顎に叩き込んだ。
身体が浮かび上がると共に、ガリウスが脳天を叩き割るようにハンマーを振った。
まるでぶち抜くように、力強く振り切られる。
その威力はすさまじく、〈クロス・クロノス〉はあっという間にぶっ飛ばされていった。
「イフリート!」
イフリートは空から突撃する。
発動させようとしていた〈魔法〉と止めるために。
マオ達を助けるために。
その拳を固く握って、神である〈クロス・クロノス〉の腹部へ突き出した。
途端に大きな火柱が立ち昇る。
それはあまりにも美しく、あまりにも力強い真っ赤な炎だった。