第18話 燃え上がれガリウス
マオは息を切らしながら走った。
イフリートはそんなマオを心配げに見つめながら追いかける。
腕の中にいるリリシアが少し苦しげに唸った。マオは思わず足を止め、息を切らしながらイフリートにリリシアの容態が見やすくなるように「屈んで」とお願いした。
「リリシアさん……」
マオは頭を覆っているブーケを取ろうとする。
だがイフリートが手首を掴み、首を振ってマオの行動を止めた。
マオはイフリートの行動を見て、右手を引っ込める。
イフリートが止めなければならないほど、このブーケは危険なのだ。
「何かできないのかな?」
具体的な要因はわからないが、リリシアは確実に弱っている。
おそらくこのブーケがリリシアの力を奪っているのだが、根本的な解決方法が思いつかなかった。
「考えている暇はないかも」
マオはイフリートを見る。
イフリートもマオと同じ考えなのか、小さく頷いていた。
このままではリリシアは確実に死ぬ。それをどうにかするためにも、別行動をしているみんなと合流しなければならない。
「行こう」
目指すはスタート地点。そこならルルクが確実にいる。
マオはイフリートと共に、三つ先にあるスタート地点へ駆けていった。
◆◇◆◇◆◇◆
「ねぇ、先生。まだ鍵を開けられないの?」
「少し静かにしろ! 集中できん!」
ルルクはとても苦笑いをしていた。
リリシアが瞬間的に駆けていったことで判明したトラップ。
それにかかったガリウスは、ミーシャと一緒に閉じ込めてくれた檻の鍵を解錠しようとしていた。
しかし、寒さもあってかガリウスは一つも解錠できていない。さらにミーシャが茶々を入れるので、作業が一向に進んでいなかった。
「このままじゃあ負けちゃうよぉー?」
「黙れと言っているだろ! 解錠できんわ!」
「さっきから一つも解錠できてないじゃん!」
苛ついているのか、ガリウスもミーシャもいがみ合っていた。
そんな中、冷たい風が吹き抜ける。途端にガリウス達は「へくちっ」とくしゃみをしてしまった。
「寒っ! もぉー、最悪だよぉー」
「こっちのセリフだわ! にしても、寒いな」
「マオちゃん帰ってこないかな。またぎゅーっとしたい」
「いいな。今度は俺もやろう」
「先生はダメです。ホントに犯罪者になっちゃう」
ガリウスは途端に黙り込んだ。
どこかショックを受けているようにも見えたが、ミーシャは気にしていない様子だった。
ルルクは何気なくガリウスの顔に目を向ける。するとちょっとだけ目から涙を流していた。
「みんなぁー」
ルルクがどうしようもないダメダメコンビを眺めている時だった。
声が聞こえて振り返ると、そこにはマオの姿があった。その近くには妙な格好で浮いているリリシアの姿もある。
ルルクはガリウス達に目を向けた。だがトラップ解除に夢中なのか、気づいていない様子である。
「ったく、いいのか悪いのか」
ルルクはガリウス達に何も告げず、マオの元へと駆けていく。
一体どうして精霊を使っているのか気になりつつも、ルルクは声をかける。
「どうしたんだよ?」
マオはルルクと合流すると同時に、膝に手をつけた。
ずっと走りっぱなしだったのか、呼吸が整う気配がない。
「その、リリシア、さんが――」
「落ち着いてからでいいよ。ほら、ゆっくり深呼吸して」
「そんな、暇ない、から。早く、しないと――」
マオの言葉にルルクは顔を強張らせた。
視線を浮いているリリシアへ向ける。するとその頭には奇妙なブーケがあった。
まるで顔を隠すように覆われている。ルルクが思わずそのブーケを取ろうとした瞬間、何かに腕を掴まれた。
「ごめん、イフリートがダメだって」
「イフリート? もしかして、四大精霊のイフリート?」
「よくわからないけど、とにかくダメだって」
ルルクはマオの言葉を聞き、改めて強い決意をした顔をする。
リリシアに何が起きたかわからない。しかし、このブーケが根本的な原因だと気づいた。
「マオ、このブーケに触らせてくれ」
「でも――」
「構造解析をかじったことがある。もしかしたら、リリシアさんを助けることができるかもしれない」
マオは一度不安そうな顔をした。
だがルルクの勇ましい表情を見て、信じる決意を固める。
マオはイフリートへ顔を向ける。するとその顔を見たイフリートは、ルルクの右手をゆっくりと離した。
感触がなくなったことを確認したルルクは、一度だけ小さく息を吸った。
ゆっくりと、ガラス細工を取り扱うようにリリシアの頭を覆うブーケに手を伸ばす。
「よしっ」
静かに目を瞑り、意識をブーケへと集中させる。
途端にルルクの精神を何かが襲った。
それはあまりにも濁った黒い〈何か〉だ。
チクタク、チクタクと音が響く。一体何の音なのかわからず、ルルクはさらに奥へ足を踏み入れた。
『来るな』
拒絶するような声が響く。しかし、ルルクは一歩ずつ踏み出した。
どんどんと奥へ進んでいく。
そこでルルクは、二つの存在を目にした。
『見たなっ!』
両手を縛られ、吊るされているリリシア。そのリリシアの身体を絡め取るように抱きしめている〈混濁した黒い何か〉がいた。
『出ていけ!』
ルルクに対して、〈混濁した黒い何か〉が声を荒げた。
途端にルルクの意識が途切れる。
直後、ルルクとマオ、そしてイフリートがリリシアから弾き飛ばされてしまった。
「うわっ」
「きゃあっ」
それぞれが倒れる中、リリシアの身体が宙に浮き始める。
ゆっくりと、見下ろすように、マオ達を眺めていた。
「うぅ、痛い」
マオは涙を目に浮かべながら起き上がる。
ルルクも同時に身体を起こし、リリシアへ目を向けた。
するとその背中には、先ほど見た〈混濁した黒い何か〉がいた。
まるで霧がかったように身体が揺らめいている。
『俺の、モノっ』
それは主張するかのように何かを叫んだ。
途端にリリシアの手に、黒い霧が集まってくる。
それは剣へと変わっていき、完全に形が作られると同時に一つのシンボルが輝き弾けた。
「時計?」
ルルクは思わず顔を強張らせる。
途端に、リリシアの背中を覆うように現れた〈混濁した黒い何か〉が雄叫びを上げた。
『奪うウバうウバウッッッ! ジャマするナ!』
リリシアは声に呼応するかのように剣を振り上げる。
狙いをマオに定め、そのまま力の限り振り下ろした。
途端に斬撃が空を切り裂いて飛ぶ。
反射的にルルクが「マオッ」と叫んだ。
イフリートもまたマオを守ろうと間に割って入る。
だが、斬撃はイフリートの腕を斬り飛ばした。
「イフリート!」
身を挺した守ったおかげか、斬撃は軌道を変えてどこかへと飛んでいった。
だがイフリートのダメージが大きい。苦悶の表情で、斬り落とされた右腕を抑えている。
マオが思わず駆け寄ろうとした。
だがその瞬間にリリシアは、もう一度剣を高々に掲げた。
「くそっ」
ルルクは咄嗟に持っていた魔術書を開く。
その瞬間、〈混濁した黒い何か〉の目が輝いた。
途端にルルクの動きが鈍くなった。
おかしなことに、魔術の発動も遅くなる。
「まさか、これは――」
ルルクは敵が何者なのかに気づく。
その瞬間、リリシアは再びマオを攻撃した。
飛ばされた斬撃。それは圧倒的なスピードで駆け抜けようとしているのに、ルルクの目にはなぜかスローモーションとなって映っていた。
このままではマオが危ない。
しかし、ルルクにかけられた状態異常が邪魔をする。
「マオォォォォォ!」
ルルクは走った。
少しでもマオを助ける可能性を掴むために、必死に足を動かした。
だが、どんなに身体を動かしてもマオの元へ辿り着かない。
迫る斬撃。それがマオの身体を真っ二つにしようとしていた。
もうダメだ、と思ったその瞬間にルルクの隣を何かが駆け抜けていった。
「マオちゃん!」
斬撃がマオの身体を斬り裂こうとした寸前、ミーシャが身体を押し倒した。
ルルクが思わず「ミーシャ」と名前を叫ぶと、ミーシャはすぐに身体を起こす。
その姿に胸を撫で下ろすルルク。しかし、まだ安心はできない。
『ジャマ邪魔じゃま、すすすスルナ!』
リリシアがまるで関節部分が錆びついてしまったかのように、ぎこちなく身体を動かす。
リリシアを操る〈混濁した黒い何か〉もまた、壊れたかのように言葉を吐き出していた。
『おれ俺オレ、これこれオレののの、モノノノッッッ』
まるで怒り狂っているかのように、〈混濁した黒い何か〉は叫んでいた。
だが、それを真っ向から否定する者が現れる。
「オレのもの? バカ言うな。その子は、お前のものじゃない」
ゆっくりと、勇ましい目つきで、そのドワーフは見上げる。
支配されたリリシアを助けるために、どこから取り出したかわからないハンマーを担いでいた。
「その子は、俺のもの。俺の、将来のお嫁さんだ!」
ガリウスは勇ましく大声を放つ。
勇敢な笑みを浮かべ、リリシアを支配する〈混濁した黒い何か〉を見つめていた。
その顔つきは、身にまとっている雰囲気は、放たれる言葉は――
いやその全てが、今まで見せていたガリウスのものとは違った。
「ガリウスさん」
マオが思わず名前を呼んでしまう。
するとガリウスは、安心させるようにニッと笑顔を浮かべた。
「下がっててくれ、マオちゃん。ちょっと派手に暴れちゃうからよ」
それは、とても頼もしい言葉だった。
始まろうとする激突。支配されたリリシアを助けるために、ガリウスが立ち上がる。