第1話 トトリカ魔術学園の錬金術師
グー、すぴぃー、と心地いい寝息が響き渡る。少女は心地よく眠っている黒スライムを一度だけ見つめて笑った後、窓を開いた。
空気が入れ替わると共に、風が頬を撫でて吹き抜けていく。少女はいつものように青みがかかった髪を結び直し、ポニーテールにした後に顔を上げた。
「よし、やるぞぉー!」
丈夫な革でできたワークブーツのつま先で、トントンと床を叩く。
白いブラウスの襟元で結んだ青いリボンと、揺れる紺色のプリーツスカート。それらを隠すように作業用のエプロンで身を包むと、少女はグッと左右の拳を握った。
そんな少女を見つめる〈精霊達〉がいた。全部で四体もいるそれらが心配そうに見つめていると、少女はニコッと微笑み返す。
「大丈夫だよ。寝ているけど、先生もいるし」
そういって少女は、部屋の奥に置かれた大釜の中に顔を覗かせる。グツグツと煮立っている中身を見て、準備が整っていることを確認した。
抽出した薬草の液体が入った試験管と、ちょっと怪しい色をした薬液。この時のために、準備に準備を重ねてきたことを思い出すと、少女はつい涙ぐんだ。
「ダンジョン、大変だったなぁー」
みんなの協力があって、どうにか漕ぎつけた錬成。絶対に失敗しないためにも、少女は入念な準備をしてきたのだ。
これ以上迷惑はかけられない。そんな思いを抱きながら、少女は〈霊薬フェニクル〉の生成に挑む。
「えっとまずは、薬草と満腹草と――」
少女は調合レシピを見ながら進めていく。
霊薬フェニクル。理論は完成しているが、誰も生成に成功しなかったアイテムだ。
もしこの生成に成功すれば、莫大な資金が手に入る。そうすれば研究費に困ることはなくなるうえに、少女が抱くささやかな恩返しもできるのだ。
「よし、あとはグルグルぅーっと」
少女は一つの杖を手に取る。その先端には蝶々を模ったかわいらしいデザインが施されたヘッドが取り付けられていた。
それを慎重に大釜の中へと入れる。ゆっくりと大釜の中をかき混ぜると、すぐに煮立っている液体の色が変わり始めた。
それはサファイアかと思わせるような美しい色合いだった。少女は少しだけ手を止め、額から出た汗を拭い取る。
「いい感じ。あとは、間接材をっと」
手にしたのは、〈乾燥した薬草〉だった。しかし、そのアイテムはどこか妙な臭いがする。
その臭いを嗅いだ少女は、一瞬だけ顔が曇った。試しにノームに嗅がせてみると、途端に咳き込み元気よく振っていた尻尾が萎れてしまった。
「うーん」
明らかに危険な素材アイテム。だが、ここまできて作業を止めることができない。
少女は仕方なく大釜の中へと放り込むと、途端に煮立っている液体がドス黒く変色する。少女は一瞬、かき混ぜるか躊躇った。
その戸惑いが、少女を助けることとなる。
「えっ?」
突然、煮立っている液体が光り輝いた。
それを見たウンディーネが少女の盾になるように抱きしめる。
爆発した瞬間にイフリートとシルフィールが爆風を遮るように割って入ると、途端に熱風はガラスをぶち破って外へと出ていった。
「うきゃ!」
だが、想像以上の威力だったのか少女は腰を打った。
あまりの痛さに顔を歪めていると、ウンディーネが心配そうに見つめている。
少女は「大丈夫」と声をかけて立ち上がった。思い出したかのように大釜に目を向けると、大釜からは真っ黒な煙が噴き出しているのが目に入った。
「わぁぁぁぁぁ!」
少女は思わず叫ぶ。途端にノームが大釜に被さり、砂を出して鎮火を始めた。
慌てながらカーテンを開き、太陽の光を入れる。壊れた窓も全開にし、空気を入れ替えた。
「ハァ……」
少し落ち着いてから少女は落ち込んだ。
せっかく入念に準備してきたのに、大失敗してしまったのだ。
しかも大爆発のせいで部屋はグチャグチャだ。
「やっぱり間接材が悪かったのかな?」
とても嫌な臭いがした〈乾燥した薬草〉を思い出す。
もしもっと状態がよければ、研究は成功していたかもしれない。
「おい、マオ」
少女がガックリと肩を落としていると、誰かが声をかけてきた。
目を向けるとそこには、真っ黒なスライムが怒って少女を見つめている。
「あ、アイザック先生。起きたんですか」
「危うく死にかけたぞ! 錬成にはもっと細心の注意を払えって言ってるだろ!」
「ご、ごめんなさい!」
マオはスライムに叱られて身体を縮こまらせた。
そんなマオを見て、黒いスライムことアイザックはやれやれと身体を振り、息を吐いた。
「ケガはないか?」
「は、はい。みんなのおかげでどうにか」
「そうか。いつも言っているが、仮説を立ててから錬成を行うように。わかったな?」
「はい!」
アイザックから注意を受け、マオは素直に返事した。
精霊達はその姿に胸を撫で下ろしたかのように安堵し、微笑んでいた。
『ワン』
だが、ノームだけは違った。
ノームが叫び声に気づき、顔を向ける。するとガツガツという音が聞こえた。
「え? 何?」
全員が固唾を飲んで見つめる。
恐る恐る音がするアイテムボックスに近づいてみた。ゆっくりとアイテムボックスの中に目を向けてみると、そこにはドロドロとした何かがいた。
マオは小さく悲鳴を上げてしまう。その声に気づいたのか、奇妙な何かはギョロリとした一つ目を向けた。
『キエー!』
「きゃあぁああぁぁぁぁぁ!!!」
大きく身体を開き、飛びかかってくる何か。
マオが反射的に叫ぶと同時に、シルフィールが割って入る。そしてシルフィールが何かに触れると同時に、バラバラにされて部屋中に飛び散ったのだった。