2:Dive-≪3≫
≪3≫
ナタリーとヘルムートの後を追い、三人は扉を開け、建物の外へと出た。
まず初めに目に飛び込んできたのは、灰色の空。空を覆う灰色は厚く、陽を見る事は出来ない。灰色のヴェールに覆われた地上は暗く、少し冷たい風が吹き抜け、肌を刺した。建物は一面コンクリートの高い塀に囲まれ、外の様子は見えない。
ミツクニ達は建物の外に出、錆びて壊れた鉛の扉を開け、門をくぐる。すると初めて、世界が目の前に飛び込んできた。
「うっわ…」
その圧倒的光景に、ミツクニは思わず声を上げる。
まさに、近未来都市である。
ただ、その機能は失われ、都市全体が廃れていた。
人の姿は無い。背の高い建造物群はどこか見慣れぬ奇妙な形をしており、それらは遥か遠くまで至る所に建っていた。それらに巻き付いているかの如く走る電光線の表面はくすみ、光を放つ事は無い。どのような仕組みになっているのか、上空に浮いた状態で固定されている巨大なスクリーンは見事に割れ、真っ黒な闇だけを映している。信号や道路標識、店の看板も殆どが宙に浮いている。だが、それらの全てが割れ、破壊され、その意味を成していなかった。
ミツクニは己の足の下から外へ伸びる地面を見る。地面は現実世界のアスファルトではなく、何で出来ているのかは分からなかったが、やや青みを帯びた硝子のような素材で出来ていた。所々地面は穴が空いたり、ひび割れたりしている。硝子越しに下を見ると、際限なく敷き詰められた歯車や電線などと言った機械が地面から更に十メートル程下に敷き詰められているのが分かる。それらは過去にはきっと休む暇なく稼動していたのだろう。今は死んだように動かず、冷たい鈍色の鉄屑の塊と化していた。
恐らく、都市として機能していた頃はとても眩しく、華やかな街だったに違いない。
現実離れした光景を前に、ミツクニは初めて、ここが現実ではなくオンラインゲーム『コマ』の世界なのだと実感した。
ミツクニはふと後ろを振り返り、今まで自分たちが居た建物を見上げた。
所々壊れ、鉄筋が剥き出しになっている建物は病院と言うよりもただの廃ビルのように感じられる。ただ、その形はどこか奇妙で、やはり近未来都市の一部なのだと実感させられる。
白い外壁は火事にでもあったかの如く、その大部分が黒く変色していた。
「病院っつうか研究施設みてえなところだったのかもな」
ミツクニの考えを読んだかのように、同じく隣で建物を見上げるエーリクが呟くように言った。
「うわー!すっげーなこの地面!!よく割れねーなあ!!」
そう言ってはしゃぐイェンスは先程までの暗い表情はどこへやら、一転していつもの明るい表情に戻っている。
「まさにオンラインゲームって感じだぜ!あー良かった。ゲームだって分かってかえって安心したぜ、俺」
エーリクがそう言って大きな声で笑う。
ゲーマー三人は憧れであったゲームの世界を肌で感じ、体験している事に感動しはしゃぎつつ、前方を歩くナタリーとヘルムートの後を追った。
「さて、ちょっと距離があるから車で帰るわよ。乗りなさい」
そう言ってナタリーは三センチほどの長方形のリモコンを取り出し、スイッチを押した。
すると突然、目の前にタイヤのないオープンカーのような乗り物が出現する。
「おおっ!!ま、まさかこれに…!?」
ミツクニは紫色のボディのそれを見、やや興奮し気味にそう言った。
「そうよ。これがこの世界の車なの。イケてるでしょう?」
そう言ってナタリーは運転席に、ヘルムートは助手席に乗った。
三人は向かって右からミツクニ、イェンス、エーリクの順番で後部座席に乗り込む。
タイヤがないだけで、内装などは現実世界の車と変わらないように感じられる。
「さ、じゃあ行くわよ!」
全員がシートベルトを着用した事を確認し、ナタリーはキーを回しエンジンを掛ける。
するとその瞬間。
「うわっ!浮いた!この車浮いたぜ二人とも!」
イェンスが後部座席中央からエーリクを押しのけるようにして車の外を見ようと身を乗り出す。
だが、普通よりもやや頑丈な造りのシートベルトに阻まれ、腹を圧迫されたイェンスは「ぐえっ」とカエルが潰れたような声を発した。
「こら紅髪、気を付けな。身を乗り出すと危ねえぞ」
助手席に座るヘルムートが後方を振り返りながら言う。
「…ったく、オープンカーなんぞ危険なだけだろうが…」
前方に向き直りながらヘルムートが呟く。
「いいでしょ、こっちのほうが楽しいの。じゃあ皆、しっかり掴まって!!」
そう軽快に言ってナタリーはアクセルを踏む。
その瞬間、身体が後方に取り残される程の衝撃を感じ、三人は慌ててシートベルトを掴んだ。
周りの景色が怖ろしい程のスピードで流れていく。顔目掛けて吹く風に圧迫され、ミツクニは思わず横を向いた。
「ワーオ!!こいつは凄えなあ!!地面を浮いて超高速で走る車、憧れてたぜ!!ヒュー」
エーリクはそう言って両手を上に上げる。
イェンスは何かを発する事も忘れ、ひたすらきょろきょろしている。その顔はやや紅潮しており、心から楽しんでいるのだと一目で分かった。
「ナタリーさん、この車、時速何キロくらい出てるんですか?」
ミツクニはあまりの体感速度に思わずそう問う。
「ええっと…そうね、今は時速二百三十キロくらい?不思議でしょ、現実の車だったらこんなスピード、生身では耐えられないけど、まあこういう所が現実じゃない所のメリットよね」
そうこうしているうちに道路の先に、巨大な機械のゲートが見えてくる。
「いいかお前ら、あの先は『廃道202号』だ。そう強くはないが、機鬼がうじゃうじゃいるから落ちねえように気をつけな。はっはっは!」
ヘルムートが振り返りながらそう言った。
ナタリーの超高速オープンカーが迫り来ると同時に、ゲートは空中でバラバラに解体され、左右に収納されていく。
―――ゲートの開閉システムは機能しているのか。
ミツクニは茫とそのような事を思った。
ゲートが開くと、そこは高速道路のような広々とした形状の道路が広がっていた。
道路左右には廃棄となった機械の山が連なっている。そしてそれらの山の中から覗く、生物のモノと思しき足や手。
「あれが、『機鬼』―――」
ミツクニは奇妙な動きを見せるそれらを見ながら、そう呟いた。
車はそんなこともお構いなしに、道路を猛スピードで進んでいく。
「お、おい前!」
隣のイェンスが突然大声で叫ぶ。
見れば、進行方向前方に、何の生物か分からぬ奇妙な異形―――機鬼が立っていた。
そしてそれは、もう直ぐ傍まで迫ってきている。
だが、ナタリーはスピードを落とさない。否、寧ろ速度を上げているようにすら感じられる。
「ま、まさか…」
嫌な予感がしてミツクニは思わず顔を背ける。
「そう、そのまさかよ!」
そうナタリーが叫ぶのと同時に、車は突っ込む形で機鬼に衝突し、突き飛ばしていった。
車の前方にあるコンソール部分に機鬼の血と肉片がくっついている。
こちらに血が飛ばなかった事が不思議でならない。ミツクニ俯き吐き気を堪えつつ、ナタリーの型破りな性格に心底驚愕した。
***
その後も何度か機鬼を突き飛ばしながらも、二十分ほど走ったのち、目の前に先ほど見たものと同じ形状の機械の巨大ゲートが現れる。
左右に解体されていくそれを通り過ぎると、景色は先程とは打って変わり、先進的ながらも、殺伐とした景観の街並みへと変わっていく。
廃道202号でも何度か反対側から通り過ぎていく車を見かけたが、その数は数台といったところであった。
だが、ゲート内部のこの街は一転して人で溢れかえっており、栄えているのだという事が一目で分かる。
ナタリーは車の速度を落とし、路肩に止めると、三人に降りるよう促した。
「ここは随分人が多いんだな」
イェンスが行き交う人々を見ながら言う。
「ここ―――セプテム地区はこのコマ世界に来たメタラー達の拠点みたいな場所だからな。この中には機鬼はいないし、隣接した地区も比較的弱い機鬼しかいない。この地区には鍛冶屋や飯屋、服屋に居住区も何でもある。コマで生きていく為に必要なものは全てここで賄えるってわけだ」
ヘルムートは車から降り、腰に手を当て左右に回しながらそう言った。
ミツクニは辺りを見回す。行き交う人々は思い思いの格好をしているが、確かにどの人物も一癖も二癖もありそうな、個性的な面々ばかりである。
見た事があるような顔ぶれもあるような気もするが、ほとんどの者に見覚えは無い。
「ヘルムートさん、ここにいる人たちって皆メタラーなんですよね?でもその割に、見た事の無い顔ばかりなような…」
ミツクニがそう問うとヘルムートは「ああ」と相槌を打ち、話を続けた。
「ここにいる奴らは現実世界から来たメタラーの他に、このコマ世界で生まれたNPCもかなりいるのさ。多分人数比は半々くらいなんじゃないか?色んな店を経営してるのも彼らNPCだ。NPCだからプログラムされた事しか言わんがな!」
そう言ってヘルムートは胸ポケットから煙草を取り出し、火を付ける。
―――NPCメタラー、か。見た目の違いはないけど…
「NPCか。ますますゲームの匂いがしてきたぜ!」
エーリクは顎鬚に触れながらそう言って二カッと笑った。
「おまたせーー!」
そうこうしているうちに、気付かぬうちにどこかへ消えていたナタリーがこちらへ戻って来る。
「おいどこ行ってたんだよ?」
早く街を歩きたい衝動でうずうずしていたイェンスが口を尖らせながら言う。
「ふふ、この車汚れちゃったでしょ?だから洗車を頼んできたの」
そう言って振り返るナタリーの後ろから、強面のがっちりとした体形の男二人が現れた。
彼らの手にはバケツがぶら下がっており、中には雑巾やスポンジといった掃除用具が詰まっている。
「それじゃあ、宜しくね!」
そう言ってナタリーは彼らにウインクしてみせる。強面男二人はだらしない笑みを浮かべると、手を振るナタリーに手を振り返した。
「さ、行きましょ。私達のアジトはこっちよ!」
そう言ってナタリーは先頭に立ち、大通りを歩き始めた。
ヘルムートがその後に続く。
「…あ、思い出した」
ミツクニは彼女の後姿を見、口を開いた。
「ナタリー・オーケルベルムって確か、『魔女』って言われてるんだった」
「ああ……やっぱり」
ほぼ同時にそう口にするイェンスとエーリクであった。
大通りはとても賑やかで、様々な人々が会話したり、買物をしたりしていた。
時折旨そうな匂いが鼻を擽る。
「あー、腹減ったぜ…」
イェンスが腹部を擦りながらそう言った。
「コマ内のメシって、さすがに腹は満たせねーよな?」
イェンスの問いにミツクニは「うーん」と唸り首を傾げる。
「さすがに無理なんじゃない?食事はきっと皆、現実世界で摂ってるんだよ」
「トイレだって行かなきゃいけねえしな!生きてるんだからよ!…まあ、もしかしたら睡眠くらいは取れんのかもしれねえが」
エーリクは周りに立ち並ぶ高層ビル群を見上げながらそう言った。
こうして見ると、先程までミツクニ達が居た廃墟の街は本来、このような景観だったのではないかと思われた。
至る所に浮くスクリーンは様々な情報を流し、声がごちゃ混ぜになっている。
空には一面雲が覆っているが、街のネオンが眩しい程で、眼がくらむ。
地面はやはり青っぽい硝子のようなプレートで出来ており、下には機械がガタガタと忙しなく動いていた。
街の人々は皆がっちりと武装しているわけではなかったが、誰しもが身体のどこかに武器を持っていた。
それはナイフだったり銃だったり、人によって大きさや種類もバラバラである。
「俺達、今は『チュートリアル』中なのか?」
エーリクが不意にそう言った。
「だって武器も持ってないんだぜ。それにこの世界の事も何も知らねえしな」
確かに―――ミツクニは少し離れて前方を歩くナタリーとヘルムートの背を見て思う。
「でも、あの二人言ってたよ。『アジトにガブリエルさんがいる』って。そこで分かるんじゃない?」
「そうだといいんだが…」
そう呟くエーリクの声は人混みの喧騒に掻き消された。
暫く大通りを歩いた後、前を歩く二人は細い横道に入っていった。
途端に人影は無くなる。
横道は迷路のように入り組んでおり、なだらかな上り坂になっていた。
その坂を右に行ったり左に行ったりしながら、更に暫く上っていく。漸く突き当たりが見えたと思った其処には、コンクリートの無機質な建物が建っていた。
大きさは、二百坪ほどはあると思われる。高さは四階分くらいだろうか。門も無く、塀も庭も無いそれはパッと見、ただの長方形の箱のようにも感じられた。
「ここが私達『レジスタンス』のアジトよ!」
そう言ってナタリーは三人に微笑む。
「『レジスタンス』?」
ミツクニは思わず聞き返す。
「『抗う者』達の集まりってことさ」
「『抗う者』…?」
イェンスが確かめるように復唱する。
ヘルムートは頷き、三人の眼を見た。ぎょろりとした眼が鋭く光る。
「そうだ。―――旋律を俺達から奪った、『この世界そのもの』にさ」
ミツクニはそう話す彼の刺す様な言葉で、一気に現実へ戻った気がした。
三人はナタリーとヘルムートに付いていきながら、建物の中へと入る。
建物内部はやはりコンクリート剥き出しの、良く言えばシンプルなデザインであった。薄暗い廊下を通り抜け、突き当たりの灯りへと向かう。
「まあ、いわばギルドみたいなものだと思ってもらえればいいの。リーダーはガブリエルよ。彼の指示で、皆行動している。メンバーは…ちょうど五十人くらいってとこかしら」
貴方達を入れて―――ナタリーはそう付け加えた。
左右に伸びる階段を通り過ぎ、灯りがともる部屋へと入る。
円卓を囲み、何やら話し合っている様子の者達。皆が一斉に三人を見た。
「あー…えっと…俺はその」
「はーっはっは!如何にもレジスタンスって感じだぜ!」
「おいメシ!メシを寄越しやがれ!」
各々が一斉に口を開き、一斉に思うがままの言葉を発する。
だが三人を見つめる人々は無言で、無表情のままであった。
「なんだこいつら、黙ってこっち見やがって。NPCなんじゃねーのか?」
そう言ってイェンスが眉間に皺を寄せた時―――。
「ああ、すまないね皆!彼らが『期待の新人』だよ!!」
聞き覚えのある低い声が奥から聞こえたかと思うと、スーツの上に白衣を羽織った、独特な知的オーラを持つ男が姿を現した。
「ガブリエルさん!」
ミツクニは思わず声を上げる。
ガブリエルは手をひらひらとさせながら意味深な笑みを浮かべ口を開いた。
「やあ皆、コマ世界はどうだい?」
「リアルすぎてビックリだ」
エーリクはそう言って肩を竦めて見せる。
ミツクニは円卓を囲む者達に目線を移した。先程まで無言だった者達は、今度はひそひそとこちらを見、疑い深げに話している。
ガブリエルはそんな彼らの様子を横目で見ながら、耳打ちするように声を落とし言った。
「すまないね。皆、君たちの事を全く知らないからね。僕がずっと彼らに言って聞かせていた『世界を救う勇者たる者』候補がどんなものか、量りかねているんだろう」
「勇者…」
イェンスがどこか嬉しそうにそう呟く。
―――そう言えば以前もそんな事を言っていたな、ガブリエルさん。
伝説の勇者。コマ世界を救う者。具体的にそれはどんなものなのか。
そして、なぜガブリエルは自分たちが『勇者』だと思っているのか。
それにこの世界。ミツクニは自分たちが此処に至るまで辿ってきた道、見てきた景色を思い返す。
―――確かに此処は凄く発達した高度科学世界って感じだ。よくSFモノのゲームであるような世界そのままが広がっている。脅威となる敵もいる。けれど―――。
「ガブリエルさん、この世界の事をまだ俺達、何も知らないんです。いや、世界観とかそう言う事もなんですけど、システム的なモノというか。戦う為の武器も無いのに機鬼と戦う羽目になって…ナタリーさんとヘルムートさんの助けが無かったら、此処まできっと来れなかった。武器の召喚方法とかあるんですか?」
「そう!それだぜガブリエルさん!早く武器を使えるようになりてーんだよオレは!」
ガブリエルはふふと笑うと、円卓を囲む者達に席を外すよう促した。
皆、ミツクニ達を睨むように見ながら部屋を後にする。
全員が部屋を出、十分離れた事を確認すると、ガブリエルは円卓に座り口を開いた。
「要所に潜ませていたカメラで見ていたよ。君たちはよく戦っていた。武器が無い中で状況を判断して、攻略方法を見つけ出して見せた。『テスト』は合格だよ」
―――テスト…?
ミツクニは眉間に皺を寄せる。つまり―――
「つまり俺達があの建物で目覚めて、あの機鬼ヒグマに襲われたのは、あれは全てガブリエルさんの仕組んだ『テスト』だったって事ですか?」
「そうだよ」
ガブリエルはあっさりと、表情も変えずに言う。
「君たちが本当にこの世界で戦い抜けるか、『勇者』たる者としての素質があるか試していたんだ。君たちは僕が想像するよりもずっといい成果を見せてくれた。これなら十分、この世界で生きていけるだろう」
飄々とそう話すガブリエル。
ミツクニの胸に暗雲が満ちていく。それはじわりじわりとミツクニの胸を浸蝕し、負で満たしていく。
「おい、ってことはてめえ、オレ達が死にかけてんのを此処で楽しんで見てたって事か!?丸腰のオレ達にあんな…あんな化物嗾けやがって…!オレ達が死んだらどーするつもりだったんだよ!てめえ!!」
今にも殴りかかりそうな勢いのイェンスをエーリクが抑える。だがそのエーリクの表情も険しく、ガブリエルに向ける眼差しは疑心に溢れていた。
「死んだら?…まあ、その時は仕方ないと思っていたよ。この世界の勇者たる素質は無いという事だ」
まあ、死んでも現実で身体が死ぬわけじゃないし―――そう淡々と話すガブリエルの表情はどこか楽しそうですらある。
ミツクニは拳を握りしめた。
イェンスを後ろに押し退け、今度はミツクニを抑えるようにしてエーリクがガブリエルの目の前に立つ。
「おい、『身体が死ぬわけじゃない』ってどういう事だよ。―――この世界はさっきも言ったが、思った以上にリアルだ。しかもあのログイン時の激痛…身体中を刺されるような痛み。あれは針で神経を刺したんだろ」
「針…!?」
イェンスが驚いた表情でエーリクを見る。
エーリクはガブリエルを凝視したまま頷いた。
「そうだ。恐らくだが、コクーンに入った時に身体の至る所に装着したチューブやコード…あれに針が仕組んであって、ログインと共に身体との接着面から針が飛び出し、皮膚を刺すようになってる。
おいガブリエル。この世界で死んだらどうなるんだ?神経と機械を繋げてるんだぜ、そんな世界で死んじまって、身体に何の支障もないって事はねえはずだ」
エーリクの話を黙って聞いていたガブリエルは、胸の前で何度か拍手し微笑んだ。
「さすがエーリク、君はとても頭が良い。さっきカメラ越しに見ていてもそう感じたよ。
さて、質問に答えなければね。この世界の死イコール現実世界の死でない事は本当だよ。強制ログアウトするだけさ…ただし、『心は死ぬ』けどね」
「『心』……?」
ミツクニは震える声で呟くようにそう返した。
ガブリエルは頷き、話を続ける。
「そもそもこの世界では、『鋼鉄の魂』と呼ばれているモノが身体を動かす核となっており、命そのものとなっている。鋼鉄の魂とはその名の通り、その者のメタラーとしての魂の事。詳細は後で話させてもらうけれど、この世界での武器も『鋼鉄の魂を具現化したもの』だ。つまりこの世界での死とは『鋼鉄の魂を破壊される事』という事になる。そしてこの世界で鋼鉄の魂を破壊され強制ログアウトされてしまうという事は、鋼鉄の魂がない状態で現実世界に戻ってしまうという事だ。
具体的には、メタルへの情熱を失った状態になってしまうという事だね。
メタラーにとっては、メタルこそが人生であり命そのものみたいなものだろう?皆今までの人生をメタルに捧げ、支えられてきた。それを失ってしまったらどうなるか。……エーリク、君は誰よりも間近に、魂を失ってしまった人間の末路を見ているはずだよ」
ミツクニとイェンスはエーリクを見る。
エーリクはゆっくりと、震える唇で、口を開いた。
「まさか……サム……皆……エクスカリバーの…?」
ミツクニの脳裏にエクスカリバーのメンバーの姿が浮かぶ。
茫とした眼。全ての気力を失った、魂の無い抜け殻のような姿。
御名答、と言いガブリエルは再び拍手する。
「すっかり腑抜けになったエクスカリバーのメンバー。彼らはベータ版のプレイヤーだ。ベータ版だからコクーンでログインするんじゃなくて、パソコンでプレイしてたんだけどね。専用のコードと針で神経は繋ぐけど。
後で何か言われると困るから最初に言っておくけど、彼らを『コマ』に誘ったのは僕だよ。エクスカリバーの歌詞に描かれた壮大かつ勇敢な英雄の冒険譚―――僕はあれを見て、最初エクスカリバーのメンバーこそが『勇者』なのだと思っていた。
だから僕は彼らを『コマ』にログインするよう嗾けていた。
神経を繋げなければいけないから、いくらメタル界を助ける為だと言っても彼らは嫌がった。エーリク、彼らが君を無理に誘わなかったのも、彼らの優しさだよ。
だがあのミツクニとイェンスを派遣したライブの日、旋律を失った彼らは追い詰められて、コマにログインした。
だがまあ、結果は知っての通りさ。彼らは最初の研究施設廃墟で機鬼ヒグマに殺されてゲームオーバーになってしまった。残念だよ」
そう言って肩を竦めるガブリエルの表情は先程と少しも変わっていない。
寧ろ微笑んでいるようにすら見える。
「…待って下さい。エクスカリバーのメンバーが『勇者』だと思っていたなら、何故俺達を調査に加えて、わざわざエクスカリバーのライブを見せたりしたんですか?」
ミツクニはガブリエルを睨むように見、言う。
「……一種の保険だよ。もしかして彼らが『勇者』ではなく、失敗するかもしれないと何処かで思っていたからね。まあ、まさかあのライブでエクスカリバーが旋律を失うとは思っていなかったけど、君たち二人に仲間意識を持たせるには十分だろう、何かを共有するというのは。ふふ、結局エクスカリバーは『脱落』したし、結果的には良い判断だったと言える。『水明の騎士』エーリクも仲間入りしたしね。
彼らエクスカリバーが魂を失って現実世界に戻り、ベータ版は終了し正規版がリリースされた。コクーンというとんでもない機械で精神をコマ世界に直に繋ぐようになって、よりこの世界での行動はリアルになった。
君達は強い魂を持っている。僕には解るよ。メタルを愛し、全てを捧げる魂。それこそが『勇者』に一番必要なものだ。……それに」
そこまで言いかけてガブリエルは今までで一番意地の悪い、にたりとした笑みを見せた。
「君達だって憧れていたんだろう?『正義のヒーロー』『伝説の勇者』にさ」
その瞬間、ミツクニの中で何かが弾けた。
心臓から爆発した憤怒の炎が全身に駆け巡る感覚。それは血を煮え滾らせ、囂々と全身を駆け巡る。
「てめえふざけんな!!いい加減にしやがれ!!よくも…よくも俺の仲間をそんな風に捨て駒みてえに!!!」
エーリクが叫び、ガブリエルの胸倉に掴みかかった。
イェンスもその後からガブリエルに殴りかかろうとする。が、何かを察知したかのようにミツクニの方を振り向き、息を飲み叫んだ。
「ミ……ミツクニ!!燃えてる!!!」
ミツクニはイェンスが指差した、己の右腕を見た。
生きているかのように蠢く炎がミツクニの腕に纏い、赤く燃え上がっている。
腕が熱い。ミツクニは咄嗟に左腕で炎を消そうとする。
だが炎はなお一層燃え盛るばかりで、消える気配はない。
それと同時に、ミツクニの身体を駆け巡る怒りも増長し、もはや自分では抑えられぬ程の衝動へと変化していった。
「よくも…よくも…俺達を騙したな……」
「ミツクニ!」
ガブリエルの胸倉を掴んでいた手を離し、エーリクが駆け寄る。
だがミツクニの身体を支配する怒りは、全ての声を掻き消した。
炎は腕から全身に回ろうとしている。
―――怒りに飲み込まれる!
ミツクニがそう思った―――その瞬間。
「おらあ!しっかりしやがれ莫迦野郎!!」
背後から突如浴びせられた怒声。それと同時に頭部に走る鈍痛。
「うっ……!」
ミツクニは余りの痛みに思わず呻いた。
そうこうしているうちに身体の熱が冷めていく。
ミツクニはよろよろと後ろを振り向いた。そこには拳を握りしめ鬼の形相でこちらを見ているヘルムートの姿があった。
「ヘル…ムートさん…?」
「ったく…自分の感情も抑えられねえでどうする!」
そう言ってガブリエルはため息を吐いた。
ミツクニは己の右腕を見る。炎は何事も無かったかのように、綺麗さっぱり無くなっていた。
「さすがだよミツクニ。『ブースター』がないのに力を具現化するなんてね。まあ、不完全だけれど」
ガブリエルはそう言って髪を後ろへ払った。
ミツクニが口を開こうとしたところで、ヘルムートがミツクニを抑え前方に出る。
「おいガブリエル。騒ぎを聞きつけて入って来てみりゃ、何だこの状況は。お前、まさかこいつらに何も言ってなかったのか?」
ガブリエルは肩を竦めまあね、といい力無く笑った。
「結果は御覧の通りさ」
エーリクは俯き拳を握り、必死に怒りを抑えている。
イェンスは今にも噛み付きそうな勢いでガブリエルを睨んでいた。
ミツクニは一度息を深く吐いた。
―――頭がふらふらする。考えも纏まらない。何をどうしたらいいのか―――。
ミツクニはガブリエルに向き直り、なるべく冷静を装い言った。
「ガブリエルさん。俺達に、一度考える時間を下さい。現実世界に戻って、それから三人で話し合って、今後どうするか決めたいんです」
エーリクとイェンスがミツクニを見る。二人は少しの間を置いた後、自分自身に納得させるように頷いた。
「…そーだな。早く現実に帰りたい」
「ああ。なあ、ガブリエル。俺達をログアウトさせてくれ」
ヘルムートが三人の顔をそれぞれ見、驚いた表情で目を見開いている。
やがて一度大きくため息を吐くと、彼はガブリエルの方を見、言った。
「まさかお前、こんな大事な事も言ってねえのか?」
ガブリエルは何も言わず、肩を竦めた。
ヘルムートは呆れたというように首を左右に振る。その表情はやや困惑しているようにも見えた。
「仕方ねえな…。なあ、お前達。ログアウトしてもいい。……ただし」
ヘルムートは一度間を置くと静かな、けれどはっきりした声で言った。
「ただし、此処へは二度と帰って来れないがな」
***
三人は黙ったままヘルムートを見ていた。
やがてイェンスがゆっくりと、口を開く。
「…は?帰って来れない…って?どーいうことだ?」
「そのままの意味だよ」
ガブリエルは淡々と口にした。
「この仮想空間『コマ』はね、一度ログアウトしたらその瞬間からアクセス権限を無くしてしまうんだ。もうこの世界に戻って来られない。
自分からログアウトする場合、この世界で死んだわけじゃないから、鋼鉄の魂は失わない。今まで通り、旋律の無い状態で暮らすだけさ。
誰かが旋律をこの世界で取り戻せば、いずれ旋律も戻るだろう。けど、誰も取り戻せなかった場合。その場合は永遠に君たちは旋律を失ったままだ。
いいのかい?誰かに運命を任せても。自分で運命を決めなくていいのかい?
『勇者』が旋律を取り戻すとは書いてないけど、僕の予想だときっと旋律を取り戻せるのは『勇者』だよ。君たちが取り戻さないと、旋律は二度と返ってこないかもよ?
それでもいいなら、ログアウトしたらいい」
そこまで言ってガブリエルは普段の、掴みどころのない笑みを浮かべる。
「…そんな」
ミツクニはそう発するのが精いっぱいだった。
―――そんな。そんな事って。
「あっ!おい、じゃあてめえのスタジオで、コクーンから出てきた緑髪のポニーテールの女は!?あいつ、あっさり出て来てただろ!」
イェンスが弾かれたようにガブリエルの方を向き問う。
ガブリエルはああ、というと少し伏し目がちに言った。
「彼女は元々そういう役目だったのさ。コマがログアウトも簡単に出来て安全なのだと君たちに教える為の、ね。彼女は二度とコマには来ない」
エーリクは頭を抱えている。
その表情は今まで見た事の無い程、苦悶に満ちていた。
―――完全に騙された。
イェンスの舌打ちが部屋に響く。
三人は何も言えず、その場に立ち尽くした。
だがやがてエーリクが弾けれたように踵を返すと、走るように出口へ向かい、部屋を出て行ってしまった。
「エーリク!」
ミツクニとイェンスも咄嗟に後に続く。
「最初の難関だね、『勇者』さん達」
背後から、囁くように、けれどはっきりと、飄々とした声が聞こえ、ミツクニは背中が冷たくなるのを感じた。
「エーリク!」
エーリクを追いかけ外に出たミツクニとイェンスは、目の前の道へと出、こちらに背を向けているエーリクに声を掛けた。
エーリクは振り返らぬまま、静かに俯いている。二人は彼に駆け寄った。
「エーリク…」
イェンスが心配そうな声で呼びかける。
エーリクはそのままこちらを見ることなく、言葉を発した。
「……あいつらは大切な仲間だったのに。『勇者』だとか言って、唆して。しかも俺達まで―――!」
そこでエーリクはゆっくりと振り返った。
彼の表情からは悲しみと遣り切れなさの混じった複雑な思いが伝わってくる。
普段は自信に満ち溢れたエーリクの初めて見せる表情に、ミツクニは動揺した。
「…まさかガブリエルさんがあんな性悪だとは思わなかったぜ。オレとした事が、奴の本性を見抜けねーとは…」
イェンスはそう言って俯く。
ミツクニは彼らの立つ先に延びる坂を見た。長くクネクネと曲がりくねった下り坂は急で、何処までも続き、終着点は無いように見える。
油断すれば迷い、転がり落ちていく。
「…俺達、今まで自分で選択して此処まで来たんだと思ってた。けれど違った。全ては敷かれたレールを歩いていただけで、コマ世界に来ることはガブリエルさんの計画通りだった」
ミツクニは急勾配の坂を、バランスを崩さまいと足に力を入れながらそう呟いた。
足元のプレートから透けて見える機械の動力。その鉛色がやけに冷たく感じる。
「…俺達、どうしたらいいんだろう」
答えは返ってくることなく、ミツクニの問いは虚構の中に消えていく。
三人の間に流れる沈黙は重く、暗い。
だが始めに其れを破ったのはエーリクであった。
「…俺は許せない。俺達に全てを隠して、騙して此処に連れてきたガブリエル―――。リアルすぎて気持ちが悪いこの世界だってそうだ。まだこの世界の事を何も知らねえが、正直こんなところ、もう居たくねえ。全てを投げ出して、ログアウト出来たら―――」
そこまで言ってエーリクは言葉を切った。
ミツクニは何も言えなかった。最後まで言葉を言えなかったエーリクの気持ちが痛い程分かったからである。
―――俺だって同じ気持ちだ。もう帰りたい。あんな凶暴な化物がウジャウジャいるこんな世界なんか、早く出たい。…でもこの世界から出たら、旋律は二度と戻って来ないかもしれない。いや、もしかしたらこの世界に来ている誰かが旋律を取り戻してくれるかもしれない。けれど人に運命を委ねていいのか。人生を懸けた、命そのものが懸かった選択を、他人任せにしていいのか。
ミツクニは息を深く吐いた。
―――分かっている。きっと答えは一つしかない。けれど踏み込めないのは、ここにいる皆が同じはずだ。
「…よお、莫迦ども」
不意に後ろから聞き慣れた声が聞こえ、三人は一斉に振り返る。
其処には煙草に火を付けながらコンクリートの壁に寄り掛かるヘルムートの姿があった。
「…ヘルムート」
イェンスが殆ど聞こえない程の小さな声で呟いた。
「なあ、少し仕事を手伝わないか?っつっても、無理やり連れて行くがな」
そう言ってヘルムートは自傷気味に少し笑うと、三人に向かい其々何かスティック状のものを投げた。
ミツクニは咄嗟にそれをキャッチする。手に触れた瞬間、掌から熱が逃げていくような感覚が一瞬走った。
ミツクニは不思議に思いながらも、丁度手の中に納まるほどのサイズ感のそれを眺める。
それは細長い長方形の形をしており、外装は黒い硝子のような素材で出来ていた。
内部がうっすらと透けて見える。幾つかの歯車、金色に光り螺旋状に渦巻く文字の様な電子的配列。そして中央にはひと際煌めく、赤く光る光の球体が見えた。
「それは『ブースター』ってもんだ。それがこの世界におけるお前らの『鋼鉄の魂』さ。…ほう、なかなか良い色をしている」
ヘルムートはそう言って頭上へ煙を吐いた。
ミツクニはイェンス、エーリクの手に握られているそれ―――ブースターを見る。
形は同じだが、ただ一か所だけ、中央に光る球体の色が違った。
「オレのは碧いけど、エーリクのは白銀って感じだ。ミツクニは赤いんだな。しかも、みんな球の光り方が違うような…」
イェンスはそれぞれを見比べながらそう言った。
ミツクニは改めて自らの球体に目を凝らす。確かに良く見ると、赤い光は燃え滾る様に蠢いている。イェンスの碧い光は鋭く無数に走り、エーリクの光は静かに、それでいて眩しく煌めいていた。
「それは各々を象徴する光なんだと。殆どのやつはうっすら光ってるか光ってないか、って感じで色なんぞ識別できるもんじゃねえから、まあ、ちょっと喜んでもいいんじゃないか?」
「これは何に使うんだ?ヘルムート」
エーリクが自らのブースターの白銀の光を眺めながら言う。
ヘルムートはああ、と返事をすると自らの腰に手を当てた。よく見ると、腰に巻いたベルトにはミツクニ達のモノ同様のブースターが付いている。
「これはな、こういうものだ」
そうヘルムートが言った瞬間、一瞬彼の手元が黄色く光ったかと思うと、次の瞬間には彼の半身程の長さはあるであろうライフル銃が握られていた。
全体が黒いそれは良く見ると、ストックの部位がブースターと同じく黒い硝子のような素材で出来ており、黄色く光る球体が透けて見える。
「あっ!これガブリエルさんのスタジオで画面越しに見た、壁に立てかけてあった銃だ!」
イェンスが叫ぶように言った。
確かに、昨日ガブリエルのスタジオでヘルムートとテレビ電話をした際に見た銃と同一のものに見えた。
「そう、このライフルが俺の武器だ。俺の『鋼鉄の魂』を武器として具現化したものさ。まあまあ格好良いだろ?…さて」
ヘルムートはそう言って三人に向き直った。
「お前達も見せてみな」
―――そんなこと言われてもな…。
ミツクニは手に握ったブースターを見た。少し強めに握ってみたりするが、変化する気配は全く無い。
イェンスはイェンスで両手で転がしてみたりしているが一向に変わっていない。
その時、エーリクが「ヘイ」と低い声でヘルムートに言った。
「俺達をそうやってこの世界に巻き込むつもりなんだろうが…。そう易々とその手にはもう乗らねえぜ?大体、昨日のテレビ電話だってやらせだったんだろ?俺達にこっちは安全だとか何とか言っておいて、ちっとも安全じゃねえじゃねえか。そうやってあんたもまた嘘を吐くのか?」
エーリクの声は静かだが、怒っているのは解った。
「俺ひとりだけだったらいい。けど俺はな、こいつら―――ミツクニやイェンス、大切な仲間が騙され傷つくのだけは許せねえんだよ。あんたに怒るのは間違ってるかもしれねえが、こいつらは最初から、ガブリエルを信じてここまで来たんだ。なのにその気持ちを踏みにじる様な事しやがって―――!」
ヘルムートは煙草を吸いながら黙って聞いていたが、やがて俯くと「…そうだな」と言った。
「確かにあのテレビ電話はやらせだ。そうだよ、あれはガブリエルに頼まれて、俺がお前達を騙した。お前たちをこの世界に引きずり込んで、機鬼どもと戦う戦力を補いたかったからさ」
ヘルムートの表情は影になり読めない。少し白髪交じりの長髪が風で靡き、顔を隠した。
エーリクはブースターを握る拳を握りしめた。
眼に怒りが宿っている。
「よくも―――よくもそんな抜け抜けと!」
その瞬間。
エーリクの首の中央付近が白銀に輝いた。
ミツクニとイェンスは一斉にエーリクを見る。
白銀の光は蔦の模様の如き光の線を描き、首から鎖骨へ伸びる。そうして右腕へと下っていくのが黒いワイシャツ越しに見え、袖から出た光の線はやがてブースターの握られた拳の中へと収束していった。
そして、握られた掌の中で、白銀の光がひと際強い光を放ち―――。
「…エーリク!」
ミツクニは眩しさに目を細めながら叫ぶ。
光が止み、目が慣れた時には、エーリクの手にはブースターではなく、長身の剣が握られていた。
鋭い刃は氷のように冷たく光っている。柄は金の装飾が施してあるが、その下には黒い硝子状の素材、そして白銀の光の球体が見えた。
「う…嘘だろ…」
エーリクは怒りを忘れ、己の手に握られた剣を茫然と眺める。
イェンスは目を輝かせながらエーリクの剣を見、叫んだ。
「凄えーー!エーリクの武器、凄えカッコいいじゃねーかよ!よし、オレも!」
そう言ってイェンスはむむむと言いながらブースターを握りしめるが、何も起きない。
ヘルムートはやれやれと首を横に振りながら口を開いた。
「あのな赤髪…イェンスと言ったか。ただ念じるだけじゃダメなんだ。強い感情の爆発―――それが鍵になる。慣れてくりゃ無意識でも出来るようになるんだが、今は感情の昂りを意識して引き出すんだ」
「ああ…まさかヘルムート、あんたワザと俺の怒りを買う様な発言をしたのか?」
エーリクがそう問うとヘルムートはさあな、と言い煙草を口に持って行く。
―――感情の昂りか。…あ、そういえば。
ミツクニはイェンスの方を見、口を開いた。
「実はイェンス、さっき出来てたよ。廃屋で機鬼ヒグマと戦ってた時、右手から雷光が出てたもん」
イェンスが驚いたように目を見開く。
「えっ…嘘だろミツクニ!?何でさっき言ってくれなかったんだよー!」
「いや、見間違えだったら期待させちゃうかなあと思って…」
そう言いながらもミツクニは自らの右腕を見た。
先程沸き上がった炎。燃え滾る様な熱い感覚。
「そうだ刺青、さっきのあの感覚を思い起こせ」
―――さっきのあの『炎』。煮える様な、あの―――。
ミツクニは目を閉じる。腕が徐々に熱くなり―――。
「うおおおおあああ!!オレは実物だってイケメンなんだああああ!!!」
突然隣に立つイェンスが叫びはじめ、ミツクニは驚きのあまり目を開け数歩退いた。
見ると、イェンスの腕から雷光が鋭く走り、手に握られたブースターに収束している。
「イ、イェンス…」
イェンスの感情の単純さに驚きつつも、ミツクニは彼の拳から放たれる雷光に目を逸らす。
光が収まり、目が元に戻ったころには、何とイェンスの右腕はマシンガンへと姿を変えていた。
否、肘から指先に掛けて銃がくっついている、と言った方が正しいのかも知れない。
機関部がそのままブースターになっているらしい。碧い球体が内部で輝いている。
引き金や銃把は見当たらない。どのように操作するのかミツクニには見当もつかなかった。
「うわっ!なにこれカッコいーじゃねーか!!でもどーやって打ちまくりゃいーんだ?トリガーが無いぜ」
「そりゃ融合型タイプだな。恐らくトリガーはお前の腕そのもの…まあ、あとで実践あるのみだな」
―――あとは俺だけか。
ミツクニは再び右腕を見た。
腕全体を覆う、阿修羅の刺青。天上の神に常に挑み戦い、運命に抗う三面六臂の神。
―――あの感じ―――煮え滾る炎、焚ける怒り―――
腕が熱くなる。ゆっくりと、ゆっくりと阿修羅に意識を集中させ、感情を練り上げていく―――。
不意に、ミツクニは右腕を何かが纏わりついているような感覚が走り目を開いた。
先程と同じ、生きているかのような炎。それは蛇か、龍かの如く、ブースターの握られたミツクニの拳へと下り、集まっていく。
一瞬、ミツクニの目の前が赤き炎に包まれた。
―――これは…!?
炎の向こう側に、巨大な、見た事も無い何かが立っている。
ミツクニはそれをゆっくりと見上げた。
黒い巨大な影。それは何を発するでも無く、ただそこに立っている。
やがて、炎と共にそれは、散る様に消えていった―――。
目の前に先ほどまでの風景が戻り、ミツクニはふうと一度息を吐いた。
右手に先程までとは違う、重い鉛のような感覚を感じ、ミツクニはゆっくりと己の右手を見る。
そこには、細い刃、柄に変化したブースターに赤い柄糸を施した、炎そのもののような雰囲気を纏った刀が握られていた。
「おお…ジャパニーズビューティー……」
エーリクが感心したかのようにそう漏らす。
「ミツクニ、スゲーじゃん!サムライだ!!」
イェンスはそう言って食い入るように刀を凝視した。
「それがお前らの『鋼鉄の魂』だ。今の感覚をよく覚えておけ。…さて、じゃあ早速仕事に向かうとするか!お前ら、付いてきな!」
そう言って坂を下るヘルムート。
ミツクニは他の二人と共に彼に付いていきながら、先程見た、炎の中の異形の姿を思い出していた。
***
ヘルムートに付いていき歩く事二十分。先程入ってきた機械のゲートを通り、ヘルムートとミツクニ達三人は廃道202号へと来ていた。
「いやいや、ここさっき通ってきたばっかりのとこじゃねーかよ!ここ、機鬼たくさんいるんだろ!?」
イェンスが珍しくまともな突っ込みを入れている事にミツクニは感心する。
ヘルムートは煙草を咥えながら笑った。
「おう、その通りだよ。だって仕事だからな。いいか、俺達の仕事は『狩り』だ。依頼に従って機鬼どもを狩って、やつらの死骸から使える部分を奪う。もっと危険な任務もあるが―――まあこの世界のメタラー共通の仕事はそれだな。依頼は主に街のNPCから受ける」
「へえ、いかにもゲームって感じですね。っていうか俺達、武器はありますけど防具とか全く持ってないんですけど…」
ミツクニは自らの服を見ながらそう言った。
Tシャツにジーパンといういつもお馴染みのファッション。機鬼の強大な攻撃から身を守ってくれそうなものは一つたりとも身に着けていない。
「ああ、そういえば言い忘れてたか。この世界は不思議な事に、鎧とかそう言ったものはないんだ。いわゆるアクセサリー類がステータスとリンクしている。で、コマ世界に来た当初は現実世界で身に着けていたアクセサリーがそのまま補装具として登録されている。例えばイェンス、お前の付けているそのシルバーのブレスレット…それは防御力を高める。エーリクの付けているネックレスは攻撃力を高める。ミツクニ、お前が足首に付けているそれは行動速度を高める」
「えっ!この、お祖母ちゃんから貰ったミサンガが!?」
ミツクニは自らの足首に付いている鮮やかな色のミサンガを見た。
これは今回ミツクニが日本へ休暇に来た初日、祖母タケがミツクニにと作ってくれたもので、ミツクニは大切に足に着ける事にしたのである。
「補装具は種類によってステータスが分類されているんだ。まあ、それは後々覚えていくといい。さて、じゃあ早速機鬼を狩るぞ!」
そう言ってヘルムートは自らのライフル銃を肩に担いだ。
「えっ!何ていうか…戦いの練習とか、チュートリアル的なものはないんですか?」
ミツクニはややへっぴり腰になりながらそう問う。
ヘルムートは煙草を足でもみ消しながら笑う。
「あるわけないだろう。この世界は実践あるのみさ。まあ、この辺りはそう強い機鬼はいないからな」
「おいおい、ヘルムート。俺達まだこの世界で戦うって決めた訳じゃねえんだが―――」
エーリクがそう言いかけた時だった。
「エーリク、後ろだ!」
イェンスがそう叫ぶのと、エーリクの背後から五十センチはあろう、蜂型の機鬼が出現するのとはほぼ同時であった。
エーリクは振り返り剣を構える。だが敵は既にエーリクの眼前へと迫っていた。
蜂型機鬼の針がエーリクの眼を捉える―――。
「動きが遅いな」
ヘルムートがそう言うのと同時に響く銃声。
蜂型機鬼は声も無く、地面へと墜落した。
エーリクは二、三歩退き、その亡骸を見る。機械の羽はぴくぴくと二、三回動くと、やがて完全に停止した。
「こいつの羽は貴重なんだ。装飾品として人気だから高く売れるのさ。お前ら、ラッキーだったな」
そう言ってヘルムートはしゃがみ込むと、機鬼の亡骸に生えた羽の根元を掴み、引っ張り取った。
「で、獲得したこうしてブースターに翳すと―――」
ライフル銃のブースター部位に翳された羽は、光に包まれたかと思うと、ブースターの中に吸収されるように消えていった。
「便利だろ。ブースターは物の保管も出来るんだ。引き出したいときは、ブースターに触れながら引き出したい物を思い浮かべればいい。さあ、狩りを続けるぞ!」
そう言ってヘルムートは鼻歌を歌いながら先へ歩いて行ってしまう。
ミツクニ達は彼の後に続いた。
「なあ、オレのマシンガンはどうやって操作したらいいんだよ?」
イェンスがヘルムートの背中に投げかける。
ヘルムートは周りに気を配りながらああ、と相槌を打った。
「それはな、至って簡単だ。さっきみたいに力を放出させるだけさ。
お前さんの武器は恐らく『エネルギー依存タイプ』の武器だ。魂のエネルギーを使って引き金を引き、弾を撃つ。充填が要らないから便利だが、エネルギーも消耗する。後先考えず打ちまくると疲労し易いから気を付けろ」
イェンスは目を輝かせ話を聞いている。
「おお!ますます気に入ったぜ!……ん?あれは…」
そう言ってイェンスは道の端に積まれた廃棄された機械の山の一つを指差した。
ミツクニは目を凝らす。よく見ると、山がカタカタと動いているように見えた。
「早速お出ましだな!おいお前ら、三人で退治してみな!」
ヘルムートがそう言って後ろへ下がったのと同時に、機械の山を吹き飛ばし、牛型の機鬼が現れる。
「熊に蜂に牛か…ここは動物園かよ」
エーリクがそう呟く。
「エーリク、蜂は動物園にいないと思うよ」
ミツクニはそう突っ込みながらも刀を構えた。
刀など振るった事は一度も無い。と言うよりもそもそも持った事も無い。
構えがこれでいいのかすら分からぬまま、ミツクニはそれでも刀を持つ手に力を入れた。
牛型機鬼は三人の姿を捕らえると、腹に響くような重い雄叫びを上げ、こちらへ走ってきた。
「思ったよりも早いぜ、あの牛!」
エーリクが叫ぶ。確かに牛型機鬼は巨体をものともせず、既にすぐ傍まで走って来ていた。
「―――オレに任せろ!」
イェンスが右腕を構える。右眼から右腕へ、碧き雷光が走る。
マシンガンに電流が走り、銃口が碧く光った。
「喰らいやがれ…って、うわっ!!」
凄まじい銃声と共に、イェンスが後方二メートルほど吹っ飛んでいく。
弾は牛型機鬼に当たることなく、方々へ散る様に乱射された。
ミツクニとエーリクは思わず身を屈める。
「おいイェンス!どうした?大丈夫か!?」
エーリクが叫ぶように後方のイェンスに問う。
イェンスは地面に仰向けになったまま、「無理」と一言発した。
「凄えパワーだった…マシンガンってこんな感じなのか」
「力をコントロールしないからだ!喧嘩の時みたいに、ただ暴れりゃいいってもんじゃねえんだぞ、『血塗られた牙(ブラッディ・ファング)』!」
ヘルムートが後方でそう叫ぶのが聞こえた。
「ミツクニ!来るぞ!!」
機鬼は既にすぐ傍まで来ている。
―――躊躇してる場合じゃないか。
ミツクニは刀に力を込めた。エーリクも隣で剣を構えている。
先に動いたのはエーリクだった。
「剣なんか使った事ねえんだぜ!でもやるしかねえよなあ!」
そう言いながらエーリクは剣を振り上げる。
その瞬間、エーリクの剣の刃の部分がぐにゃりと蠢き、水の螺旋へと変化した。
それは自らが輝いているように、煌めいている。
「エーリク、それ…」
ミツクニがそう言いかけた声は機鬼の雄叫びによって掻き消される。
自らの剣の変化に全く気付いていないエーリクはそのまま機鬼へ向かって剣を振り下ろした。
水の剣の切っ先が牛の顔面に命中し、それと同時に、水が氷へと姿を変える。氷の剣は牛型機鬼の顔を切ると同時に、半分ほど凍らせた。
「うわっ!!ワーオ、何だこれ!!」
そこでようやく自らの剣の変化に気付いたエーリクは驚きの声を上げる。
氷は再び水へと姿を変え、刃へと姿を戻した。
「ほう、珍しいな。それは『魔法剣』―――魔法により敵を断つ、といったところか」
ヘルムートがそう言うと、エーリクは再度「ワーオ」と感激の声を上げた。
「魔法剣士って事か?いいじゃねえか」
牛型機鬼は動きを止め、身を震わせている。
その目がミツクニを捉えた。殺気に満ちた目は怖ろしく暗い色をしている。
―――おい待て待て、俺!?斬ったの、エーリクだけど!?
だが機鬼はミツクニの心の叫びを知ることなく、今までで一番大きな雄叫びをあげると、ミツクニ目掛けて突進してきた。
「…やるしかないか!」
ミツクニは刀を構え直す。
―――闘牛の要領で、ぎりぎりで避けて後ろから斬る!
ミツクニは頭の中でそう計算した。
右腕の阿修羅に力を込める―――
その瞬間、ミツクニの眼前が再び、炎に包まれた。
囂々と燃え盛る、炎の壁。熱く煮え滾る様な憤怒の血潮を感じる。
そうしてまた姿を現す、黒い巨大な影。
それはミツクニを静かに見下ろし、一度頷くと、ミツクニの右腕に、凄まじい痛みを伴い入っていった―――。
ミツクニは眼を見開いた。
頭が熱い。思考は無のまま、本能だけで動いていた。
敵が止まって見える。
身体の中から爆発するかのような凄まじい衝動。ミツクニは右足を思い切り蹴り上げ、上空へと跳ぶ。
機鬼の身体が足の下に見える。
ミツクニは燃え盛るかの如き熱を孕んだ刀を振り上げると、牛型機鬼の胴体目掛けて思い切り振り下ろした。
熱い血が身体中に飛び散る。
機鬼の眼がこちらを見たまま、動かない。其の暗い瞳は、間違いなく恐怖の色を湛えていた。
ミツクニは刀を見た。血に濡れ、ギトギトと光る刃。
そしてそこに映った己の顔は―――
笑っていた。
ミツクニの脳内に、一気に恐怖が押し寄せる。
身体の熱が一気に下がっていく。それと共に手足に刺す様な冷たさを感じた。
ミツクニは弾かれた様に刀を捨てる。
―――今、俺は一体何を…!?
池のように、足元を赤く染める血。
綺麗に切断された牛型機鬼の胴体。
ミツクニはそれから目を離せぬまま、震える手で口を押さえた。
「―――ミツクニ、圧巻だったぜ…!」
数秒置いて、エーリクとイェンスが駆け寄る。
「何だよミツクニー!剣道でもやってたのか?凄かったぜ!なんか阿修羅そのものって感じだったぜ。っていうか…ミツクニじゃないみたいだった」
二人の後ろからヘルムートが近づいてくる。その顔は今までに無い程、険しい。
「ヘルムートさん…」
ミツクニは縋る様に呟いた。
ヘルムートは煙草に火を付け、深く吸うと、溜息の如く長く息を吐く。
「…お前さんも、早いとこ力を制御する術を学ばねえとな。でないと―――」
ヘルムートはそう言いかけたが、首を左右に振り、背を向けてしまう。
ミツクニは冷たくなった手で、震えを何とか抑えながら、血で汚れた刀を拾った。
***
その後は驚くほど何も起きなかった。
ミツクニはあの強大な力が嘘かのように上手く刀が振るえず、何度も尻もちをついた。他の二人も同様で、相変わらずイェンスはマシンガンを乱射しながら後方に吹っ飛び、エーリクは自らの剣が凍らせた地面をつるつると滑りながら転がっていった。
そのたびにヘルムートに怒鳴られつつアドバイスを貰い、何とか機鬼をもう一体狩った頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「も、もう無理…。っていうかオレ、腹がもう…減りすぎて……」
イェンスはそう言い残したかと思うと、地面へ倒れていった。
「お、おい嘘だろ!イェンスーー!!」
「俺達へとへとだってのに…誰もお前を担いで帰れねえぞ!イェンス!」
エーリクがそう呼びかけるが、青白い顔をして気絶しているイェンスはもはや呼びかけに応じない。
「…置いていくか?」
ヘルムートは咥え煙草のまま、真顔でそう言った。
仕方なくミツクニはイェンスをおぶりながら、二人の後を付いていく。
イェンスは思ったより軽い。
―――やっぱりお腹減ってたんだな。こんなに軽くなって…
そう考えると少し可哀想だなと思ったミツクニであった。
ゲートを潜り、街へ戻ると、街はネオンが煌めき、一段と活気づいていた。
何処からともなく食べ物の食欲をそそる匂いも漂ってくる。
「―――食いもん!!」
ミツクニの背で、突如イェンスがそう叫んだ。
ミツクニは驚きのあまり、イェンスを落としそうになる。
だがイェンスは何処にそんな力が残っていたのか、凄まじい腕力と脚力でミツクニの背に張り付き、落下を免れた。
一瞬喉を圧迫されたミツクニは「ぐえっ」と叫ぶ。
「何だよイェンス。起きたのか。じゃあ自分で歩きなさいよ」
「嫌だ。このまま連れてってくれよ。さ、歩けミツクニ!」
そう言ってイェンスはカラカラと笑うと、ミツクニの鎖骨辺りをぺしぺしと叩いた。
―――中型犬め。
ミツクニは心の中でそう毒づいた。
ヘルムートが向かったのは和風の居酒屋だった。
橙色の温かい光に照らされた店内は決して広くは無かったが、如何にも人情味溢れるといったところで、外の近未来都市とは異なる趣を醸し出している。
どうやら彼は常連らしく、店主と二、三言葉を楽し気に交わすと、店の最奥のテーブル席へと三人を座らせる。
「ここの料理は旨いぞ。安いしな。ってなわけで、今日は奢ってやるからたらふく食べな」
ヘルムートにそう言われた三人は遠慮なく、テーブルに溢れるほどの量の料理を注文した。
「うう…旨いよう……この唐揚げ、最高だぜ。白米が何杯でもいける。ゲーム内でこんなに旨い料理が食べれるなんて…」
そう言ってイェンスは山盛りあった筈の鶏のから揚げを怖ろしい程のペースで平らげていく。
「イェンス、そんな大食いだったっけ?本当にお腹すいてたんだね」
ミツクニは彼の隣でその食いっぷりに感心しつつ、八宝菜を口に運んでいく。
「マシンガンを打つのにエネルギーを消耗するからな。今後もっと強くなりてえなら、とりあえずイェンスは体力を付けねえとな」
そう言ってヘルムートは笑う。
「うーん、そういうもんなのかなー。オレ、結構体力はあると思うんだけど」
イェンスはそう言ってから店員に七杯目の白米おかわりを注文した。
「とにかく筋肉が無さすぎるぜ!俺みたいに全体をバランスよく鍛えねえとな!はーっはっは!」
エーリクは自らの上腕二頭筋を自慢しながらそう言った。
―――良かった。エーリクも少しは元気になったみたいだな。
ミツクニはエーリクの筋肉の煌めきを間近で見ながらそう感じた。
「今日一日はどうだった?」
食後、ヘルムートは煙草を吹かしながら三人にそう問うた。
「まあ、前半は色々あったが…廃道でのトレーニングは楽しかった…かもな」
エーリクがやや言葉を濁しながら、複雑な面持ちでそう言い、少し微笑む。
「そーだな。トレーニングは楽しかったぜ。もっと強くなりてえって思う。…これが普通のゲームだったら、もっと楽しい気持ちでそう思えただろうけど」
イェンスは自らの右腕に触れながら言う。あんな大振りな武器を軽々と装着していたとは思えぬ、細く白い腕がそこにあった。
「そうですね…確かに、もっと純粋に、ゲームとして楽しめたらもっとこの世界の事も好きになれるんでしょうけど」
ミツクニは今日一日の出来事を思い返す。
研究施設廃屋、機鬼、ガブリエル、炎の中の巨体。
血と炎に支配された、己でない己。
現実離れした、現実味のありすぎる世界。
どう処理していいのか、ミツクニは未だ解らないでいた。
―――ここに、留まるべきなのか。それとも、離れるべきなのか。
其れさえもまだ答えは出ない。
ミツクニの考えを読んだかのように、ヘルムートは煙を宙に向かい吐きながら口を開いた。
「此処の直ぐ傍に俺が倉庫として借りてるマンションの一部屋がある。決して住み心地が良いとは言えないが、三人で寝泊まりするくらいなら出来るはずだ。人数分の布団もあった筈だしな。そこで暫く寝泊まりするといい」
「…そんな、悪いですよ。それに俺達まだ、こんな中途半端な気持ちでいるのに―――」
ミツクニはそう言ってイェンスとエーリクを見た。彼らもまた複雑な面持ちで、テーブルを見、俯いている。
「気にしなくていい。お前らにはこれから毎日機鬼を狩って貰って、宿代を渡して貰うからな」
「えっ!ま、毎日!?」
三人は驚きのあまり声を上げる。
「ま、まじか…体力が……」
イェンスは既に青白い顔に変化している。
ヘルムートは当然というように真顔で三人の顔を凝視し言った。
「当たり前だろ。金は貰う。俺のコーチング代も込みだからな、覚悟しておけ。この世界はそう甘くねえんだ。
…暫くそうやって腕を上げながら、コマ世界を見てみるといい。狩りを重ねれば、ここの人々やその暮らし方、戦い、それから景色、歴史、情勢なんかも必然と学べるはずだ。
ガブリエルがあんな態度を取った理由も、恐らく解るだろう。
数日そうやって暮らしてみて、全てを知ったうえで、それでもこの世界が嫌で、ガブリエルのした事も許せないというのなら、その時にこの世界からログアウトすればいい。
そうなったら、お前たちは『世界を救済する勇者』じゃないという事だ。旋律を取り戻すのは他の誰かに任せればいい。だがな」
そこまで言ってヘルムートは煙草の火を消し、いつになく真面目な表情で再度口を開いた。
「俺は少なくとも今現在、ガブリエルのように手放しで、お前達を『勇者』だと信じている訳じゃない。というよりも、何でお前達を勇者だと思っているのか俺には解らない。だからお前たちが旋律を取り戻してくれるなんて思ってない。
そもそも、『勇者が旋律を取り戻す』なんて伝説はないからな。『勇者が世界を救う』って伝説があるだけだ。それを誇大解釈してる奴らがいるだけの事さ。世界を救うという意味が旋律を取り戻す事とイコールだとは限らない。
だからこそ俺は、自分が失った旋律は自分で取り戻すという考えの下で、ここに残って戦っている。自分の運命を他人に決められるなんざ嫌だからな。
この世界にいる全員がそう言う考えではないだろうが、レジスタンスメンバーの全員が同じ考えだと俺は思っている。
それでもお前達の面倒を見ようと俺が思うのは、ガブリエルがお前達を信じているからだ。重い責務を背負えとは今は言わないが、そういう背景もあるんだって事を忘れるな」
三人に重い沈黙が流れる。
誰もヘルムートに意見出来る者は、いなかった。
ヘルムートは少しの間を置いて再び煙草に火を付けると、ふと笑い、言う。
「まあ、そう思い詰めんなって。今日ここに来たばっかりの奴らに何かを思い悩む資格なんざ無えよ。今日はゆっくり休んで、明日からの特訓に備える事だ」
ミツクニは水の入ったグラス越しに映る己を見た。
グラスについた水滴の所為か、仄かに暗い照明の所為なのか。
己を見つめ返すその表情は、いつになく曇っているように見えた。