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鋼鉄重奏ブレイヴストーム  作者: 平等院 丑造
3/23

1:Lost-≪2≫

≪2≫


ミツクニに≪新世の炎≫という肩書がつけられたのは、今から四年ほど前、メタル雑誌・楽市楽座の『新世代メタルヒーロー特集』が組まれた際の事である。

ミツクニと同世代のメタラーは技術が卓越し才能ある者が多いとの事で、その中でも特に期待されている者をピックアップする―――といった趣旨の特集であった。

メタル雑誌・楽市楽座はメタル界において世界的にもかなり影響力のある雑誌で、この雑誌に推してもらえるという事は、メタラーにとってこれ以上無い程の名誉な事である。

『歴史を継承し残しつつ新たなエッセンスを加える事で、メタル界の新たな時代を開拓したプロメテウスの柱”新世の炎”ディーン・ミツクニ・カルヴァート』

この記事が世に出た事により、ミツクニおよびプロメテウスのメタルバンドとしての地位が盤石となったのは言うまでもない。



***

「それにしても、いつ来ても新宿は分かりにくいなあ」

平日だというのに人々がごった返す駅構内をきょろきょろと見回しながら、ミツクニはぽつりとそう呟いた。

どこからこんなに人が集まるのかという程に多くの人間で溢れかえっている。祖母タケの家から新宿まではバスと電車で約二時間といったところで、確かにそれなりに離れてはいるが、それにしてもこんなにも景色は違うものだろうかと不思議に思う。

新宿の駅構内はリアルダンジョンと呼ばれるほどの複雑な構造で、方向音痴のミツクニにとっては只でさえ難易度の高いクエストだというのに、こんなにも人が多くいては更に目的地まで辿り着くのは至難の業であった。

日本語に全く苦労しないのが唯一の救いで、駅の至る所にある案内板を確認しながら、何とかミツクニは『共に行動するもう一人』との待ち合わせ場所である南口へと辿り着いた。

改札から少し離れた壁の端で待つことに決め、ミツクニはふうと一度ため息を吐くと、スマートフォンの画面に表示された時間を見た。

午前九時五十分。待ち合わせは十時だとガブリエルさんに言われたから、あと十分は猶予がある。

ミツクニの脳内に不安と緊張が過る。

ガブリエルに『もう一人と合流して調査しろ』と言われたものの、ガブリエルはそれが誰なのか、ミツクニがいくらしつこく聞いても全く教えてくれなかった。

『見れば誰か分かる』と言っていたが、果たして本当に分かるだろうか。

日本人でない事は間違いなさそうなので、それだけで少しは絞れるかもしれないが、ここ新宿は外国人もかなり多い。そして、いくらメタルオタクであるミツクニといえども、当然世界中のメタルバンドに所属しているメタラー全員を把握しているわけではない。ガブリエルは相当に人脈も広い為、メタル界の人物についてはかなり精通しているが、実はそこまで人づきあいが広い人間ではないミツクニは、その人物を見てどこのバンドの誰か分かるかとても不安だった。

ガブリエルおよび彼のバンド≪バチズモ≫は、大御所とまではいかないかもしれないが、すでにベテランの域に差し掛かっている事は間違いない。

そんな彼の紹介で派遣されてくる人物である。もしかしたらミツクニよりも相当に息の長い、ベテランメタラーである可能性が高い。そんなベテランを、もしどこの誰か分からなかったら、きっと向こうは相当に不快な思いをするだろう。

もしもそんな事になったら、ミツクニはメタル界で肩身の狭い思いをしなければいけなくなる。その人物がもしメタル界に影響力のある人物だった場合、最悪のケースとしてフェスなどにも呼んでもらえなくなる可能性すらあった。

―――まあ、それもこれも、旋律を取り戻せたら、の話だけど。

ミツクニは心の中でそう呟いた。

旋律を失ったと気付いたあの日以来、変わらず頭の中は『無音』のまま、元に戻る気配はない。

ガブリエルと電話をした後、ネットで自分の曲を検索して聴いてみたりもしたのだが、不思議な事に頭に全く入ってこない。

自分の曲と思えない、いや、それ以上にそれが『音楽』かどうかもよく分からなかった。

試しに他のバンドの曲や別ジャンルの曲を聴いてみたりもしたが、やはり全くと言っていいほど頭に入ってこない。学校で習ったクラシックの曲や流行りのポップスなどを思い出そうと思っても思い出せない。そう、ミツクニの脳内からは、完全に『音楽』そのものが失われてしまっていたのである。

そもそもいつから自分は旋律を失っていたのか?ケイトとテッドの事件があったあの日の夜、バンドで曲作りをしていたあの時、妙にいいアイデアが浮かばず、苛々した記憶がある。もしかしたら、その時にはすでに旋律を失っていたのではないか?

考えても答えが出るはずもない。

けれど不思議と心は冷静であった。ガブリエルに全てを話し、自分だけではないと分かったからだろうか。

祖母タケには心配を掛けたくなく、旋律を失ったことは言えていない。

今日は『知人が日本に来るから出迎えに行ってくる』とだけ伝え家を出た。

祖母は『ミッちゃんのお友達ならうちに来てもらってもいいよ』と言ってくれたが、血気盛んな者が多いメタル界である。祖母の家に呼んでもいいようなフレンドリーな人物が現れるなど、ミツクニには到底思えなかった。

―――行きの電車の中で『世界のメタルバンド一覧』をネットで見て復習してきたし…大丈夫だと信じよう。

そう自分に言い聞かせながらミツクニはスマートフォンの画面を見る。時間は十時を回ったところで、ちょうど改札の向こう側から、電車を降り改札を出る人々がどっと押し寄せてきた。

ミツクニはそれらの大群を、目を凝らしながらじっと見た。

―――ええと、少なくとも国を越えて来てる訳だし、荷物が多い人だよな。

だが、思ったよりも外国人観光客の数は多く、彼らの多くが荷物を沢山持って移動していた。

―――うーん、メタラーだから、とりあえずきっと髪が長い人だよな。ちょっと強面で、Tシャツにジーパンみたいな…。うむ…ほとんどの外国人が該当している…。

これはもしや恐れていた『見ても誰か分からない事件』になってしまうかもしれない。

ミツクニは待ち合わせ中の人々が多くいるのを良い事に、その陰に隠れるようにして立ちながら、改札を通る人物達を注意深く観察した。

「………うわっ!」

一瞬視界に入った『恐ろしいモノ』に気付き、思わず小さく声を上げる。

ミツクニは咄嗟に口を押えつつ、改札からは見えないであろう壁の影にこそこそと移動し、その『人物』を恐る恐る見た。

その人物は、肩に黒いギターケースを背負い、反対側の手には大きな赤いキャリーケースを引きずり改札に向かっている。

年は一見ミツクニと同じくらいか、少し若く見える。背はミツクニよりもやや低めの、百八十センチ前後といったところだろうか。黒いタイトなタンクトップに迷彩柄のややゆとりのあるデザインのズボンを履いている。首や手首にはシルバーのアクセサリーを付けていた。

何よりも目を引く、深紅の少しウェーブ気味の長い髪。

髪はその男の腰ほどまではあるだろうか。耳上の両サイドを編み込みにしている。血で染まったかのような赤が、フィンランド人らしい白い肌に良く映えていた。

両耳にはそれぞれ幾つかピアスを開けているのが、少し離れた場所に立つミツクニからでも良く見える。

そして、まるで周りにいる全てのものを切り裂くかのような、切れ長の、澄んだスカイブルーの眼。

明らかにただ者ではない。

「…イェンス・カルマ」

ミツクニは壁に隠れながら、その名を静かに呟く。

―――そうだ、あいつ…≪インフェルノ≫のセカンドギターのイェンス・カルマだ。この前は名前を思い出せなかったけど、今見てやっと思い出した。

ミツクニが以前出演した小規模なメタルフェスで共演し、以来すっかりファンとなったデスメタルバンド≪インフェルノ≫。

彼、イェンス・カルマはその反骨精神溢れるバンドのギタリストである。

フェスの後、プロメテウスのメンバー全員でインフェルノの楽屋を訪れた際、フロントマンのゼノ・クロウはじめ他のインフェルノメンバーとは言葉を幾つか交わしたが、イェンスとは何か話した記憶がない。

よってこれが事実上の『初対面』である。

―――あいつがガブリエルさんの言ってた『もう一人』か。

ブラジルの王道かつ正統派パワーメタルバンドであるバチズモと、フィンランドの反社会的デス/スラッシュメタルバンドであるインフェルノ。

共通点はまるでない様に感じる。ガブリエルの人脈の広さにただただ驚くしかなかった。

―――うーん、しかしライブで見る姿と驚くほど変わらないな。まあ、俺もそうかもしれないけど。

ミツクニは自分のファッションを改めて確認する。バンドTシャツにストレートジーンズ。ファッションに興味がないわけではないが、何だかんだでこういったシンプルなファッションが一番好きであった。

―――それにしても。

改札前に立ち周りを見回すイェンスの姿を観察しながら、ミツクニは考える。

―――どうやって話しかけようか。いや、普通に話しかければいいんだろうけど。

ミツクニは人知れず唸った。

どう見てもただ者ではない、獣のような雰囲気のイェンス。確かにあの手のタイプはメタラーに暫し見受けられるが、背格好が大きい見た目に反して少しシャイで引っ込み思案なところのあるミツクニが、ああいったタイプに自分から話しかけることなどはまず無かった。

そもそも、向こうはこちらの事を知らないかもしれない。プロメテウスも多少有名にはなってきたが、まだまだ『誰もが知るバンド』という訳ではないとミツクニ自身認識している。いくら同世代とはいえ、イェンスがミツクニの事を知らない可能性は十分にあった。

―――そうだ、まずはガブリエルさんに電話して、本当にイェンスで間違いないのか確認しよう。もしかするとイェンスは『もう一人』じゃなくて、偶然ただ観光に来ただけの人なのかもしれない。

どこまでも逃げ腰のミツクニであった。

ミツクニは緊張のあまり汗で濡れた手をTシャツで拭くと、スマートフォンをジーパンのポケットから取り出し、ダイアル画面を開こうと操作をする。

「えっ…電話?」

突如画面に映し出された『着信中』の文字と、登録されていない見知らぬ番号。

「誰かな…あ、もしかしてガブリエルさんかも」

ガブリエルの事だ、幾つか電話を持っているのかもしれないと思いながらもミツクニは画面上の『通話』のボタンをスライドさせてスマートフォンを耳に当てる。

「あ、もし」

「『おいてめえ、そこに居たんならならさっさと出てきやがれ』」

ミツクニが言葉を言い終わる前に、スマートフォンに当てた右耳と外気に触れている左耳の両方から、鋭いドスの聞いた声が聞こえた。

ミツクニは一瞬訳が分からず、耳からスマートフォンを離して画面を見る。

直後に訪れた悪い予感と共に、ミツクニがスマートフォンの画面から実際に声の聞こえた方に視線を移し即座に身を反らすのと、ミツクニの顔のすぐ横を鋭い拳の一発が擦り抜け、彼の背後にあった壁が鈍い音を立てたのは、ほぼ同時の事であった。

頬を掠めた風の勢いに、思わず目を見開く。ミツクニは恐る恐る、自分の横に突き刺さっている拳を見た。手首に嵌められた鎖状のシルバーアクセサリーが一突きの振動で揺れている。これが当たっていたらという想像が脳を過り、ミツクニは全身から汗が噴き出すのを感じた。

「ふん、思ったよりも良い勘してんじゃねえか。このオレの拳を避けるとはな」

周りが一瞬ざわついたのをよそに、男はミツクニに顔を近付ける。刺さる様な殺気を肌に感じながら、ミツクニはゆっくりと、その男の顔を正面から見た。

まるで碧き雷光の様な、鋭い光を帯びたスカイブルーの瞳。

「”血塗られた牙(ブラッディ・ファング)”……イェンス・カルマ」

ミツクニはその瞳を見つめたまま、独り言の如く静かにそう呟いた。

イェンスはふと不敵な笑みを浮かべ壁に突き付けた拳を下ろす。

「そうだ。オレの噂は知ってんだろ、”新世の炎”さんよ」

ミツクニは何も言わず、眉間に皺を寄せた。

≪血塗られた牙(ブラッディ・ファング)≫は他でもない、この男イェンス・カルマの肩書である。

ミツクニと同様、このイェンスもまた、メタル雑誌・楽市楽座に『新世代メタルヒーロー』として選ばれた者の一人である。

『デスメタルの王者インフェルノの新たな”武器”として雷光の如き現れた猛獣”血塗られた牙(ブラッディ・ファング)”イェンス・カルマ』

ミツクニも最初、この記事を見て初めて彼イェンスの存在を知り、『猛獣』という二文字が何となく気に留まり、何かの折にマネージャーにイェンスの事を聞いてみた事があった。曰く、

『どうやら彼は、昔はフィンランドの地元で相当なワルだったらしい。何でも喧嘩では負け知らずで、イェンスが一度”牙”を剥いたら、相手の全身を血に染めるまで決して許さなかったそうだ』

自分から聞いてみたものの、自分には全く関係ない世界の話だと思っていたミツクニは当時『へえ、怖いけど流石に嘘だろう』くらいにしか思っていなかったが、今こうして目の前で本物を見てしまうと、改めて噂は本当であるらしいと実感した。

―――うーん…この状況は相当まずいぞ。一旦退却して、ガブリエルさんに真意を問いただしてからもう一度出直したいくらいだ。いや、むしろもう出直したくないな。うん、帰りたい。

しかしこいつ、俺の事を”新世の炎”と呼んでいた。という事は、俺の事知ってるって事だよな…いや待てよ、確かにフェスでは共演したが、俺たちは直接顔を合わせたわけじゃない。精々がステージ上に立つ互いを遠くから見たくらいだろう。という事は…そうだ!よし、この手を使おう!

ミツクニは覚悟を決めると、咄嗟に満面の笑みを作りイェンスの手を両手で握った。

「あーっ!やっぱりイェンス・カルマさんですよね!?俺ずっとファンだったんですー!」

「…ああ?」

イェンスは眉間に皺を寄せ、只でさえ悪い目つきを尚一層悪くしながらそう唸る。

ミツクニは動揺を胸の内に必死に隠しながら、笑顔のまま話を続けた。

「あ、俺、よくプロメテウスのミツクニ・カルヴァートに似てるって言われるんですけど、他人の空似ってやつです!ただの一メタルファンです!」

「………」

イェンスは何も言わない。

―――上手くいった。ミツクニはそう確信した。

イェンスは今、完全に俺を『ミツクニに似た別人』だと思い始めている。実際まじまじと会ったことも話したこともないし、こいつは俺の姿を詳しく知っているわけではないはずだ。よし、この勢いに任せて逃げよう。

「あ、絶妙な一突き、御馳走様でした」

じゃ、俺はこれで――――そう言ってミツクニはイェンスの手を離し、その場を後にしようと足を前に出す。


瞬間。

ぎらり―――フラッシュにも似た凄まじい光が、ミツクニの視界の端に映った。


瞬時に光を感じた方へと向き直る。光を直視した彼の榛色の眼が最初に認識したのは『眼』だった。

碧く光る眼。それが放つ鋭利な刃物のような雷光が、ミツクニの眼に焼き付く。

それと同時に迫りくる殺気。ミツクニは咄嗟に右腕を動かす。

彫られた阿修羅に、力が漲る気がした。

「…二度もさせるか!」

ミツクニはそう言い放つと同時に、自分の眼前に迫る殺気を掴み捕らえる。

視切られた事に驚愕の表情を浮かべた彼をよそに、ミツクニはそれを下に振り下ろした。

「ぐっ…!」

イェンスの口から低い唸りが漏れる。

捕らえられた獣のように逃れようとするイェンスの腕をつかむ手に一層力を入れながら、ミツクニは一度息を深く吐き口を開く。

「だーかーらー!俺はミツクニじゃないって言ってるだろうがぁあ!」

つい感情に任せて声を荒げてしまう。ミツクニは周りを見回した。完全に皆、こちらを見て何かを話している。まずい、このままだと一大事になる。

焦るミツクニをよそに、イェンスはミツクニに掴まれた腕を思い切り振りほどくと、本物の獣のように口の端から八重歯を見せながら、ミツクニに怒鳴り始めた。

「嘘つけー!阿修羅の刺青なんか入れてる男がそうそう居てたまるかぁあ!!」

確かに。ミツクニは冷水を浴びせられたような心持になる。

イェンスの怒声は止まらない。

「大体なあ、オレがてめえを間違える訳ねえんだよ!オレはこの五年間ずっと、てめえの存在を忘れた事は無かったんだからな!」

「えっ、何それ。どういう事だよ」

ミツクニは思わず問いただしてしまう。五年間ずっと、と言うのはどういう事だろうか。イェンスと共演したのはあのフェスが初めてで、それ以前に顔を合わせた記憶はない。

イェンスはそこでやっと一度息を吐くと、ミツクニに握られた右腕をくるくると回しながら、静かに語り始めた。

「五年前―――当然てめえも覚えてるはずだ。オレ達が楽市楽座で『新世代メタルヒーロー』として掲載されたあの記事を」

「ああ、お前が『血塗られた(ブラッディ・ファング)』って肩書を付けられていた、あの特集だろう?勿論知ってるし覚えてるよ」

ミツクニがそう言うとイェンスの表情が苦々しく変化した。

「そうだ。あの記事―――『新世代メタルヒーロー』として選ばれた同世代のやつらは他にも何人かいたが、オレはその中でも、てめえの事だけは決して許せなかった…!」

イェンスはそこでキッとミツクニを睨み付けると、ミツクニに指差し再び怒鳴り始める。

「あの記事!このオレよりもでかでかと写真を載せやがって!!」

「……えっ」

一瞬ミツクニは、イェンスが何を言っているのかよく分からなかった。

「あのー…まさかとは思うが、俺の写真の大きさに怒ってるのか?」

ミツクニがそう問うとイェンスはそうだ、と言い静かに俯く。

あまりの予想外の展開に絶句した。確かにあの『新世代メタルヒーロー特集』にて、ミツクニは誰よりも大きく載ってしまっていた。それによりミツクニおよプロメテウスが世界中のメタラー達にその存在を知ら占められる事となるのだが、まさかこのような弊害が生じているとは夢にも思わなかった。

「オレがメタルのギタリストだっていう土台において、誰かに劣ってるなんて一度も思ったことはねえ。それなのに、てめえの方が大きく載ってるって事は、てめえの方が優れたギタリストだって評価されてるって事だろう!?そんなの絶対に許せねえ…!オレだってギターを初めて持たせてもらってからデビューまでの五年間、手の爪が剥がれて血が滲むくらい、死ぬ気で練習してテクニックを磨いてきたんだ…!」

そう言い放つイェンスの表情は真剣そのものだった。

ミツクニは何も言い返すことが出来ない。

そもそもあの記事を書いたのはミツクニでないからして、彼がミツクニに怒り責めるのはお門違いではある。

だが、イェンスはその件で、彼のメタラーとしてのプライドが大きく傷ついたのだろう。ミツクニはその記事の写真の大きさなど今更覚えてはいなかったが、同じギタリストとして、イェンスの怒りは痛い程伝わった。

―――だからと言って、二度も殴りかかるのは間違ってるけど。

ミツクニは心の中でそう呟いた。

「オレはあの記事を見て誓った。いつか必ずてめえにオレの方がギタリストとして優れていると認めさせると!…でもそんな時、突然ギターを弾けなくなっちまった」

自信に満ち溢れたイェンスの顔が一瞬曇ったのを、ミツクニは見逃さなかった。

直前まで見せていた怒りではない、悲しみや憂いの入り混じった表情。

―――そう、まるで何かを喪失したような―――。

ミツクニの胸に緊張が走る。

「俺にとってギターを弾けないって事は腕を切られるのと同じだ。失ってしまっては何も出来ない、支えのようなものだった。おまけにそんな時に、ゼノも…」

そこまで言いイェンスは口を閉ざす。

ミツクニはネットのメタルニュースで見た『北欧デスメタル最後の砦インフェルノのゼノ・クロウ、緊急引き籠り宣言』という記事を思い出した。

記事のタイトルだけ見ると真剣みに掛けるが、おそらく現実は相当に切羽詰まった状況に陥っていたことは想像に難しくない。

ゼノ・クロウはインフェルノのリーダーでありバンドの精神的支柱である。そんな人物が突然いなくなったらどうなってしまうだろうか。おそらく、少なくともバンドとしては機能出来ないはずである。

また、確かイェンスは荒れていた時代にゼノに引き取られて以来、居候としてゼノと彼の妻に面倒を見てもらっていると、ミツクニは以前何かで聞いたことがある。

イェンスとゼノの関係を直接知っているわけではないが、インタビューなどを読んでいる限り、イェンスは少なくともゼノを信頼し慕っているように見えた。

だとすれば、ゼノがニュースで記されていたように『戦闘不能』状態に陥ってしまった事は、イェンスにとっては相当な衝撃だったに違いない。

―――そうか。イェンスは彼なりに、追い詰められて、悩んで、苦しかったのか。

ミツクニはイェンスの伏せた睫毛の影を見、そう察した。

「とにかく、オレはてめえに負けるわけにはいかねえんだ。だからせめて、拳で勝とうかと思った。だが―――」

そこまで言うとイェンスは一度言葉を止めた後、ぽそりと呟くように口を開いた。

「ゼノ以外でオレの拳を止めたやつは初めてだ」

そう言ってイェンスは少し笑って見せる。

ミツクニは暫く何も言わず、静かに腕を組んでいたが、やがて意を決し口を開いた。

「あのなイェンス。そもそも人に突然殴りかかるのはやっちゃいけない事だろ。メタラーとしてとかじゃなくて、人間としてさ」

確かにギタリストとしての誇りや旋律喪失、ゼノの事がイェンスにとってとても重要で、大切なのだという事は痛い程分かる。ミツクニもメタラーとして、また旋律を失った者として、その苦しみは身を持って知っている。

それでも、どうしてもミツクニは、これだけは言わなければと思った。

「殴られたら痛いだろ?怪我をするかもしれない。イェンスだって、いきなり人に殴りかかられたら怖いし、びっくりするだろ?」

ミツクニが必死に訴えているにも関わらず、イェンスは「そんな事ないけどなあ」と今までで一番呑気な声を出しながら髪を手櫛で梳かしている。

「そうか…。―――でもまあ、イェンスの言う事も分かるよ。」

ミツクニは手で顎に触れながら話を続ける。

「俺だってハイスクール時代、それはもう驚くほどギターが下手くそでさ、必死に練習した。世間は俺達の事を、何の苦労もなく才能ひとつでプロになったって認識してるかもしれないけど、実際はそうじゃないよな。まあ、そういう天才も中にはいるだろうけど、大体は皆それぞれが苦労してプロになってると思う。なってからも苦労の連続だし」

イェンスは黙ってミツクニの話を聞いている。

ミツクニは一度ため息を吐くと、話を続けた。

「ギタリストのテクニックの優劣って勿論あるだろうが、少なくとも俺は自分がイェンスよりも優れてるなんて一度も思った事はないよ。それは俺だってプライドがあるから負けたくないけど。でも俺、インフェルノと共演したあのフェスで、イェンスのギターを見て、本当にすげえって思ってさ。それで俺、あの日以来インフェルノのファンになったんだよ。元々インフェルノは好きなバンドだけど、イェンスのギターが何ていうか…いい意味でインフェルノの音楽に新しいエッセンスを加えていた。既に出来上がっているバンドに加入して自分の色を上手く出せるって、すごい事だと俺は思うよ。イェンスじゃなかったら、きっとインフェルノのファンはメンバー交代を認めなかったと思う」

イェンスは驚いたように目を見開き、ミツクニを見ている。

「旋律を失ってしまったことは本当につらいけれど、きっと解決策が見つかるって俺は信じてる。俺達、一緒に調査してみようよ。で、旋律を取り戻してギターを元通り弾けるようになった時。その時には改めて、ギターバトルしよう」

ミツクニはそう言ってイェンスに笑い掛けた。

イェンスは照れくさそうに俯き気味に横を見、首の後ろを手で擦る。

「―――その時は絶対容赦しねー…」

彼はぽそりとそう言うと、ふと思い立ったように目を見開き、不敵な笑みを浮かべミツクニに向き直った。

「だがこれでオレが大人しく仲間になったと思うなよ!」

「えっ、まだ何かあるのか?」

ひとしきり話終え、すっかり安心しきっていたミツクニはイェンスが先ほどミツクニに掴まれた方とは反対側である左手の感覚を確かめる様に動かしているのを見、咄嗟に身構える。

―――まさか、まだ拳で戦うつもりなのか…!?

だとしたら今まで話してきたことは何だったのかとミツクニは内心思った。

イェンスはそんなミツクニの心境を知る由もなく、元通りの『血塗られた(ブラッディ・ファング)』の獣性溢れる表情に戻っている。

「オレには喧嘩で無敗というプライドもあるんだ。拳でも負けるわけにはいかねえ」

「嘘だろ…いや、もう喧嘩は俺、負けでいいから!イェンスの勝ちでいいよ!」

ミツクニはそう言って制するが、目の前の獣がそれを大人しく聞き入れるはずはなかった。

「…貴様の運命は、原初の星が生まれたその時から決まっている。我が左腕が憤怒の爆炎を放つ時。それが貴様の最期となる―――」

若干口調も変わり、妙に格好つけてそう言い放つと、イェンスは左手に力を込めた。

ミツクニは思わず身を屈めたが、イェンスの放った言葉を脳内で反復し思わず目を見開く。

―――ん?あれ…この台詞…まさか!

ミツクニは今にもこちらに殴りかかる勢いのイェンスに向き直る。

「おい!それってもしかして『ネオジェネ』!?なあ、『ネオジェネ』だろ!?」

嬉しさのあまりミツクニの顔が綻ぶ。

イェンスは拳に力を入れたまま固まっていたが、やがて溢れる様な笑顔でミツクニに歩み寄った。

「ま、まさか…『ネオジェネ』を知ってるのか…!?」

ミツクニは思わずイェンスの肩を叩きながら、顔を紅潮させ口を開く。

「もちろん知ってるよー!!『ネオジェネ』は今まで発売された作品どれもプレイしてるからな!それ、初代ネオジェネでラスボス『原初の聖王』が主人公ハデスに言った台詞だろ!?あれ、痺れるよなあー!」

イェンスはそれを聞くと、ミツクニの手を両手で握りしめた。

「そうだよ…そうなんだよ……!まさかこんなところでネオジェネ信者に出会えるなんて…すげぇ、夢みたいだ…!」

『ネオ・ジェネシス』―――通称ネオジェネとは、日本のゲーム会社が発売しているファンタジーRPGである。日本ではRPGといえばネオジェネとゲーマーは皆口を揃えて言う程の人気作品で、初代から現在に至るまで実に二十一作ものシリーズを出している。

海外にも売り出してはいるのだが、その独特の世界観とシステムの複雑さが原因なのか、日本ほどの人気は無い。一部の熱狂的なファンが数少ないながら存在しているのみである。よってこうして『ネオジェネ信者同士』が出会う事は、彼らにとっては奇跡そのものなのである。

相当なゲーマーであるミツクニは、他のメンバーに止められ泣く泣く諦めはしたが、このネオジェネを題材に曲を作ろうと何度か本気で目論んだほど、ネオジェネを本気で愛していた。

「オレ、『原初の聖王』が大好きでさ…!髪を深紅に染めてるのも、『聖王』がこの色だったからなんだ」

イェンスは握りしめていた手を解き、はにかみながらそう言うと、今までで一番の笑顔を見せる。

笑うととても愛嬌のある男である事にミツクニは初めて気付き、少し驚いた。

―――狼が中型犬くらいにはなったかな。

口調も心なしか穏やかになったし―――ミツクニは心の中でそう呟くと、中型犬というのが我ながら言い当て妙である事に気付き自分で自分に感心した。

「…うん、決めたぜミツクニ」

ミツクニの心の呟きを知らないイェンスは、そう言うと不敵ながら清々しい笑みを浮かべる。

彼が続きを言おうと、口を開きかけたその瞬間だった。

「あっ!やっと来た!!」

何処からともなく大声で誰かがそう言うのが聞こえ、ミツクニとイェンスは同時に辺りを見回した。

いつからだったのだろう。気がつけば、二人から半径五メートル程離れ、多くの通行人が如何にも恐ろしいと言った表情で二人を見、何やら話をしたりスマートフォンを向けたりしていた。

「てめえら何見てやがる!撮ってんじゃねぇぞ!!」

中型犬から狼に戻ったイェンスが群衆に向かってそう怒鳴り散らすのをミツクニは必死に止める。

「イェンスやめろって!今暴れるのはさすがに―――」

ミツクニがそう言いかけた時だった。

「お巡りさん、あの人たちです!!」

「こらー!そこの刺青と赤髪の男二人!!今すぐ喧嘩をやめなさい!!」

叫ぶようなやりとりが遠くから聞こえ、ミツクニはイェンスを抑えながら声のした方を見た。

群衆をかき分け、警察二人がこちらに走って来ている。彼らのターゲットはどう考えてもミツクニとイェンスである事は、もはや明確であった。

恐らく、パンチ等含め二人のやり取りを見ていた群衆の誰かが警察を呼んだのだろう。

―――やばいぞ、これは捕まったら最悪逮捕―――。

ミツクニは一瞬でそう悟るとイェンスの腕を引っ掴み、一目散に改札へと走った。

「え!?ミツクニ、何す―――」

「イェンス!ICカード出せ!」

何が起こっているのか理解できていないイェンスが何か言うのを遮り、ミツクニは走りながらそう叫ぶ。

イェンスは何が何だか分からないまま、財布をズボンのポケットから出した。

ミツクニはジーパンのポケットからICカードケースを取り出す。

背後から迫りくる気配を感じながら、群衆の中を切り抜ける様にミツクニは走った。

ミツクニの勢いに圧倒され群衆は恐れおののき、自ら退いてゆく。その様子はある意味、モーセが海を割り道を作った様に似ていなくもなかった。

目の前に改札が迫る。ミツクニはICカードケースを持つ手を伸ばした。

「イェンス、抜けるぞ!!」

ミツクニがそう叫ぶのと、彼の手に握られたICカードが改札の読み取り部分にタッチされ改札が開くのとは、ほぼ同時であった。

そしてミツクニが開かれた改札を通り抜けた瞬間、イェンスの姿を感知し改札が閉まりかける。

「離せミツクニ!」

ミツクニは瞬時にイェンスの腕を離した。イェンスは手が離れたと同時にその勢いでスライディングし締まる改札の下を通り抜けつつ、腕を上に伸ばし読み取り部分にICカードをタッチする。そして改札が再び開いたと同時に足の裏に力を入れ、地面を思い切り蹴ると、スライディングの勢いのまま減速することなく立ち上がりダッシュで改札を抜けた。

背後からの声が少し遠くなる。

「ミツクニ、どうする!?」

尚も減速することなく走り、下り方向のホームへ続く階段を下る二人。ミツクニは後ろを振り向きつつ叫ぶようにイェンスに返す。

「多分、すぐ改札を抜けてまた追ってくると思う!だからこのまま…」

階段を下りきりホームが見えてくる。停車している電車がミツクニの視界に入ってきた。

その瞬間、ホームにアナウンスが響き渡る。

『快速急行本厚木行き、間もなく―――』

それと同時に、後ろから警察の声が再び迫ってきた。

「ミツクニ!」

イェンスが叫ぶ。ミツクニは再びイェンスの腕を掴むと、振り向きながら叫んだ。

「行くぞイェンス!」

電車のドアが閉まりかける。ミツクニは走る足に力を込め、勢いよく跳んだ。

二人の身体が宙を舞い、閉まりかけるドアを擦り抜ける。

「うわっ!!」

二人の身体が叩き付けられるように電車の床に落下した。と同時に、ドアは閉まり電車は走り始める。周りの乗客がややざわつきながら二人から離れていく。

電車の窓から追いかけてくる警察の姿を確認しつつ、ミツクニはふうとため息を吐いた。

「あー…良かった。捕まってたら流石にやばかったよ。父さんと母さんに怒られるところだった…」

イェンスはそれを聞くと吹き出し、ミツクニの肩を叩きながら笑って言った。

「ミツクニお前…ほんとぶっ飛んでんな!最高にクレイジーだぜ!色んな修羅場を潜り抜けてきたが、こんな経験は初めてだ!はっはっはっ!!」

イェンスはひとしきり笑うと、キャリーケースとギターケースが壊れていないかチェックし始める。

彼が大荷物にも関わらずミツクニと同様のペースで走っていた事に、ミツクニは今更ながら気付いた。

―――さすが猛獣。

ミツクニは息ひとつ上がっていないイェンスを見ながら、心の中でそう呟いた。



***

「オ祖母チャン、ゴチソウサマデシタ!」

イェンスは笑顔でそう言うと両手を合わせお辞儀をした。

それを見て祖母タケは嬉しそうに微笑む。

「”イっちゃん”はお行儀がいいねえ。ミッちゃん、良いお友達がいて良かったねえ。これでちょっとは元気が戻ったかね?」

祖母タケはそう言うと食器を片付けようと立ち上がった。

ミツクニは言葉を誤魔化す様に急ぎ立ち上がると、祖母の手から食器を取り言う。

「いいよお祖母ちゃん、俺洗うから。ゆっくりしててよ」

それを見、イェンスも勢いよく立ち上がった。

「ミツクニ、オレもやる!」

祖母タケは二人の様子に嬉しそうに微笑みながら言った。

「そうかい?ありがとうねミッちゃん、イっちゃん」


祖母タケが茶の間でテレビを見ているのを後ろで感じながら、ミツクニは食器を丁寧に洗っていく。

手に掛かる水が冷たくて気持ちがいい。こうして皿を一枚一枚洗い流していると、蒸すような夏の暑さを忘れられそうだった。

横で皿を拭いていたイェンスが一歩ミツクニに近付き、ひそひそと声を落として話しかけてくる。

「なあミツクニ、さっきお祖母ちゃんが言ってた『元気が戻った』ってどういう意味だよ?”旋律”の事か?」

ミツクニは言葉を濁す様に「あー…」と唸り、口ごもりながら言った。

「うーん…いや、まあ、それだけじゃないけど」

「えっ!他にも何かあったのか!?なになに?まさか失恋とか?…ってそんな在り来たりな理由なわけねえか」

そう言ってイェンスはあっはっはと笑う。ミツクニは複雑な面持ちで、無言のまま皿の泡を流した。

「…えっ!ま、まさか図星だったり…!?」

何も返答が無い事に気付きイェンスはミツクニの顔を少し不安げな表情を浮かべ覗き込んだ。

ミツクニは「まあ、そうだな」とだけ言うと、最後に残った皿を洗い流し水道の水を止めた。手をふきんで拭き、手から水気が無くなると、途端に茹だる様な暑さが身体を襲う。

「あぁ…えっと…何っていうか…うん、ごめん」

イェンスはミツクニの後ろで口ごもりながらそういうと申し訳なさそうに俯きながら、食器棚の中の同じ皿を探しつつ、そこへ拭いた皿を戻していく。

ミツクニはその様子を見、一度小さく息を吐くと、拭かれた皿をイェンスと共に食器棚へ戻しながら「いいって」と言い笑い掛ける。

「っていうか、イェンスは何も悪くないだろ?気にしなくていいって」

そう言ったものの、あの日の記憶と共に忘れかけていた痛みが蘇り、ミツクニの胸に針が刺さったかのようなチクリとした感覚が走った。

二人は最後の皿を戻し終え、茶の間に戻る。

祖母タケと三人でテレビを見ながら暫く会話を楽しみ、すっかり夜も更けた頃、「そろそろ寝ようかね」と言って祖母タケが立ち上がったのを合図に、三人の歓談はお開きとなった。

戸締りを確認し、祖母タケに「おやすみ」と伝えると、二人は窓から見える中庭を眺めながら、仄暗く長い廊下を並びながら歩いた。

中庭は広く、一見すれば無造作だが、そこには飾らぬ美しさがある。

地面にはオオバコやクモキリソウ、トキワハゼといった草々が青青と生えている。

辺りに生える木々には木槿や百日紅といった季節の花が色づき、それらが月光に照らされ、まるでそれ自体が仄かに光っているようにすら見えた。

「しかし広いよなあ、この屋敷。ミツクニのお祖母ちゃん、ここに一人で住んでるんだろ?」

イェンスが庭の草花の美しさに目を細めながら言う。

「ああ。けど週に四日くらいはお手伝いさんが来てるよ。八年前にお祖父ちゃんが亡くなった時、俺の母さんの妹―――叔母さんが一緒に暮らそうって言ったんだけど、お祖母ちゃん、ここに住みたいって言って聞かなくてさ。

元々お祖母ちゃんの家系は武士の家系で、大正時代に俺の曾祖父さんが骨董品事業に成功した時に、この屋敷を建てたらしい。お祖母ちゃんは長女で、他に男兄弟も居なかったからこの家を継いだんだってさ。だからお祖父ちゃんは婿養子に入ったって事になる。今その事業は叔母さん夫婦が引き継いでやっているよ。俺の母さんが父さんと結婚してアメリカに行っちゃったからね」

長い廊下を抜け、突き当たりの階段に差し掛かると、ミツクニはスイッチを押し電気を付けた。

橙色の灯りが少し急な、木の階段を照らす。

「そっかあ、そういえばミツクニはアメリカ人と日本人のハーフなんだよな。見た目もかなり日本人寄りだし、日本語もペラペラだからいまいちハーフっぽくないけど。名前も、ファーストネームの”ディーン”じゃなくてミドルネームの”ミツクニ”で浸透してるしな」

ミツクニに続き階段を登りながらイェンスが言った。

「”ミツクニ”は実はお祖母ちゃんが付けてくれた名前なんだよ。ええと、俺詳しくは知らないんだけど、確か江戸時代の将軍『イエヤス・トクガワ』の孫で、名君として知られてる人から取ったとかって聞いたよ。日本でも相当有名人で、ドラマ化もしていて超ロングヒット作品だとか何とか…」

ミツクニは階段を昇り切ると、廊下の突き当たりにある部屋の襖を開けた。

元母の部屋であり、現在はミツクニの寝泊まり部屋となっている部屋である。

ミツクニは入ってすぐの壁にある、電気のスイッチを押した。白熱球の光が部屋全体を照らした。

部屋は十二畳ほどの広さはある。部屋には現在、横並びに布団が二枚引かれている。

ミツクニはそれを見、部屋の背後にいるイェンスの方を振り向いた。

「なあイェンス、本当に同じ部屋で寝るのか?隣に叔母さんが使ってた空き部屋もあるから、そっちに寝てもいいのに…」

イェンスはミツクニの背後を擦り抜け部屋に入ると、布団に飛び込むように寝転がった。そしてすぐに起き上がると、胡坐をかきミツクニを見上げる。

「嫌だ。オレ、まだミツクニの事あんまり知らねーし。せっかくお祖母ちゃんが泊まっていいって言ってくれたわけだし、今夜は色々聞き出すって決めたんだ」

そう言って不敵な笑みを浮かべるイェンス。

ミツクニは力無くはは、と笑うと、自分の布団の上に胡坐をかき、右肘をその上に立て、手に顎を乗せた。

「色々って?例えば?」

「へへっ、やっぱりまずはさ…聞かせろよ、お前の”初体験”!!」

そう言うイェンスの目は爛々と輝いている。

今夜は眠らせてもらえそうにないなとミツクニは内心思った。



***

「へー、じゃあミツクニのメタルデビューはハイスクール時代に行った『バーニング・デス』の北米ツアーだったわけだな」

イェンスは目を輝かせそう言った。

「そうなんだよ。いやあ、あれは凄い衝撃だった。当時は俺もメタルに全然詳しくなかったから、彼らが『メタル五騎士』って呼ばれる程の伝説のバンドだって知らなくてさ。バーニング・デスのライブに行ったのはあれが最初で最後だったわけだけど、あの衝撃は今でも忘れられないな。―――イェンスはやっぱり『インフェルノ』か?」

「そうだ。ゼノに初めて連れて行って貰ったメタルのライブがインフェルノだった。ライブハウスの二階に席を用意してくれてさ、ゼノが『そこで観とけ』って…。あの衝撃―――あの瞬間、オレもああなりたいって、心からそう思った。オレもあんな衝撃を生み出したいって」

そう言ってイェンスは懐かしむように伏し目がちにふと笑う。

結局二人は小一時間程、互いのメタル”初体験”について語っていた。

決して易しい一日では無かったが、こうしてメタルの話をしていると疲れや時間の流れを忘れられるから不思議だと、ミツクニは不意に思った。

「―――ギター弾きたいな」

不意に浮かんだ言葉が、口を衝いて出てしまう。

こんなにも熱く語り合っても、好きなバンドの曲のメロディーは全く思い出せず、ギターの弾き方も思い出せない。脳内で絶えず流れていた旋律は無音の空白に全てを掻き消され、そこからは何も再生されず、何も生まれない。

この漂白の浸蝕が永遠に続くかもしれないと考えると、心臓が押し潰されそうだった。

「…今から二週間前の朝の事だ。」

不意にイェンスが、ぽつり、と語り始めた。

「オレ、いつも通りゼノと一緒にゼノの家の隣にあるスタジオに行こうと思って、リビングでゼノを待ってた。いつもならゼノがオレより遅く起きるなんて有り得ないのに、その日ゼノは自分の部屋の扉を閉ざして、部屋から出る気配は無かった。奥さんのアメリアさんが先にスタジオに行ってろって言ったから、オレ、そのまま家を出たんだ。それでスタジオに着いて、誰もいなかったから取り敢えずギターの練習をしようかなと思って弾こうとしたら―――」

そこまで言ってイェンスは口を閉ざし、自分の右の手のひらを見る。

手が僅かに震えているのをミツクニは見逃さなかった。

「ギターも弾けない、自分たちの曲を聴いても何の曲かも分からない。本当に怖くて、オレはスタジオを飛び出してゼノの家に帰った。そうしたらゼノとアメリアさんが、リビングのソファに座ってた。二人は真っ青な顔でオレを見てた。ゼノの横に、折れたギターが転がってた。

ゼノは何も言わず、自分の部屋にもう一度入っていった。扉を閉める時、一度だけ振り返って、折れたギターを見た。

あの眼―――あの時ギターを見たゼノの眼は、暗くて底が見えなかった。あの眼を見て、オレは、俺の身に起こった事がそのままゼノの身にも起こったんだって悟った」

―――そうか。

ミツクニはメタルニュースに載っていたゼノの記事を思い出す。

―――ゼノの『引き籠り宣言』は解離性旋律健忘症が原因だったのか。それに、やっぱり…。

ミツクニはイェンスを見た。

厳しい表情で俯くイェンスのスカイブルーの瞳は、とても透き通っているが、何処か影を帯びているように見える。

決して口には出さないが、心中はとても辛く恐怖で溢れているのだろう。

―――だって、俺がそうだから。

「ゼノが部屋から出てこなくなって、他のメンバーとも全く連絡が取れない。自分に何が起こってるのかも分からないし怖かったけど、ただでさえゼノの事でいっぱいいっぱいなアメリアさんにこれ以上負担を掛けさせたくなくて、オレは自分の事を誰にも言えなかった。他に信頼出来るやつも居なかったから、自分の状況を知られるのも嫌でさ。でもそんな時、ガブリエルさんから連絡があった。あの人と話した事は一度も無かったけど、あの人と話してたら、何かオレ、自分の中で溜め込んでたものが解けていって…。心が少し軽くなったよ。それで解離性旋律健忘症の事や怪奇事件の事を聞いた。ガブリエルさんに調査の手伝いを頼まれた時は、アメリアさんを残していく事が不安でどうしようか悩んだんだけど、話を聞いてたアメリアさんが行ってこいって言って抱きしめてくれたんだ。だから日本に渡る事を決めた」

まあ、一緒に調査するやつがまさか長年ライバル視してたミツクニだとは思わなかったけど―――イェンスはそう言ってミツクニに少し笑って見せた。

つまりガブリエルはミツクニに調査を依頼した時と同様、協力者がどこの誰かは教えなかった訳である。性悪だとミツクニは内心思った。

「でも、きっかけは何であれ、イェンスと知り合えて俺は良かったと思ってるよ。こんなに趣味が合うとは思わなかったし。旋律を失う事は本当に辛い事だけど、そこは唯一良かったところかもな」

この事件がなかったらイェンスと一生打ち解けられなかったかもしれないし―――とミツクニは付け加えた。

「ゼノの事、本当に辛かったよな。同時に失いすぎた。けど、俺達は必ず旋律を取り戻す。そうだろ?今は正直先が見えなくて不安もあるけど、それでも進んでいくしかないんだ。それに少なくとも俺は一人じゃないって分かった。イェンスが居るからな。『命ある限り、共に戦おう』ってやつだよ」

ミツクニがそう言うとイェンスは一瞬驚いた顔をした後、笑いながら噴き出した。

「それ、『ネオジェネⅢ』だろ!?主人公ハデスが最終決戦前に仲間たちに言うやつ!それを言っちまうのは恥ずかしいぜ流石に!!」

そういってイェンスは腹を抱えて笑った。

「え!?嘘だろ!?自分だって駅のど真ん中で『憤怒の爆炎を…』とか言ってたくせに!?」

とは言え、そう指摘されると途端に恥ずかしくなるミツクニであった。

「はははっ!それは恰好良いからいいんだよ!……でもさ」

イェンスはそこまで言いミツクニから目を反らし横を向くと、照れくさそうに深紅の髪の毛先を弄りながらぽつりと言った。

「何か…そーいうの、ちょっと嬉しいかも…なんて」

そう言ってイェンスはミツクニに背中を向けてしまう。

―――うーん、ネオジェネの台詞で恥ずかしいものとそうじゃないものの違いが分からない…。

イェンスの背中を見ながら、そんな事を考えるミツクニであった。

イェンスは暫く後ろを向いていたが、やがて振り向きながらぽそりと口を開いた。

「…宜しくな、ミツクニ」

そう言ってイェンスは普段の、自信に満ち溢れた笑顔を見せる。

ミツクニはそれを見、自然と胸に温かな力が宿るのを感じた。

「ああ、こちらこそ!」


蝉が遠くで啼いている。

暗い夜の世界を、月の碧い光が静かに照らしていた。


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