6月13日 春見舞歌
6月13日
いつの間に眠っていたのだろうか。
目を開くと、ぼんやりとした視界に4日目の病院の天井画入ってきた。
ベットの横の時計が指すのは5時23分。
そろそろ、二人が来てくれる。
舞歌は起き上がって軽く伸びをした。
すうっと吸った空気には、お母さんが持ってきてくれた花の柔らかな香りが混ざっている。
ベットの横のサイドテーブルには、看護師さんが淹れてくれた紅茶が飲みかけのまま置いてあった。
眠りにつく前に飲んでいた時はまだ暑いくらいだったのに、いつの間にかすっかり冷たくなっていた。
紅茶の入ったカップに伸ばした自分の指が、昨日までよりも一層細く白くなっていることに恐怖を覚え、思わず手を引いた。
大丈夫、いつものことでしょ。
あたたかな薄いオレンジの光に包まれた舞歌一人のための病室は、相も変わらず広すぎた。
肺に空いている穴のせいでたまに起こる発作は、舞歌にとってはもう小さいころからずっと付き合ってきたことであって、みんなが騒ぐほどのことじゃない。
それなのに、これまで舞歌の周りにいた人は、みんな舞歌を最優先に扱ってくれて、優しすぎるほど優しくて、舞歌はつらいことや悲しいことは何も知らされずに生きてきた。
でも、それって、誰も私に本当の心を見せてくれない、ってことなんでしょ?
一人ぼっちの病室で、舞歌はよくそんなことを考えていた。
せっかく中学生になったのだからと入った部活でも、舞歌一人だけ別メニューを与えられ試合にも結局一回も出させてもらえなかった。
病院で暇な時間は多いのに、これといった趣味もなかった。
心から楽しいと思えるものに出会えないまま過ごしていた中学校生活。
その最後の年に、あの二人に出会って。
大げさじゃなく、人生が変わった。
多趣味な翼と、一つのことに打ち込む幸菜。
二人は性格も真逆そうなのになぜか息ぴったりで。
あぁ、楽しそうだな、と思った時には二人に近づきたくて必死だった。
これまで味わったことがなかった「我武者羅」という感覚は、想像よりもずっと心地よいものだった。
二人と過ごすうちに、自分が心から好きだといえるものにも出会えた。
それは、もとは翼が大好きだった歌手の相方で、今では舞歌の生きがいにもなっている人だった。
二人は、舞歌を特別扱いなんてしなくて。
でも、あふれんばかりの愛情で包み込んでくれていた。
明るくて人見知りもしないで、誰とでもすぐに仲良くなれるうえに頭も良い、なのに本当の気持ちが見えない翼と、内向的で人と関わりたがらなくて成績はひどくて絵しか取り柄がないと自嘲している、だけど周りの人たちみんなに異常なくらい愛されている幸菜と。
意見が割れるとすぐに喧嘩になって暴走しがちな二人の間は、はじめは大変だったど今では毎日本当に楽しい。
二人とも、というか今では三人とも、お互いに何かあると真剣に悩むし、心から喜ぶし、本気で怒る。
幸菜のことを悪く言ったクラスメイトに翼が殴り込みに行き、その翼を煙たがる上級生には舞歌が折り合いをつけに行った。
翼も幸菜も、簡単に言えば不器用なのだ。
舞歌はそんな二人の後処理に回って、たまには二人のことも叱って。
これまで広く感じた病室も、二人が来た時には賑やかすぎるくらいで狭く感じる。
だから、と舞歌は自分の細い指を見つめる。
「ここで終わるわけがないじゃん」
呟いたとき、病室の向こうに人の気配を感じた。
「春見さーん、お客さんですよ」
看護師さんの声と二人の笑い声に耳を澄まし、舞歌はふっと笑いを漏らす。
「はーい」
病室のドアが、ゆっくりと開く。