第3章2話 吹奏楽部
「それでね、月見里さんにも参加してほしいの。お願い、このとおり!」
小鳥を取り巻くアホな女生徒達のせいで、彼女は微妙に少しだけ教室で浮いた感じになってしまっていた。
しかし、そんなことは気にすることなく吹奏楽部の部長さんと自称する女子が放課後になるとやって来て、黒縁メガネを曇らせながら部活への勧誘らしきことを始めてしまう。
どうやら、近く吹奏楽部の特別演奏会があるらしいのだが、いつものマンネリなクラッシックでは見向きもされないので、ここは奮起してネットで噂の歌姫ディーヴァとコラボしたいという申し入れらしい。
ずっと拘束されてしまう部員になる訳ではないらしいので、基本的になまけものな小鳥も乗り気なようだ。
「ん~っ。ハンゾーくんったら、なんかイジワルさんなこと考えてますね?」
くりんっと振り向くなり、ジトォ~っと紅を含む玄色の瞳で覗き込んでくる彼女に、パタパタと手を振って半蔵は誤魔化すしかない。
本当に相変わらずの直感スキルだ。
「ねえねえ、そんなことより。どお、考えてくれる?」
透明人間とのやり取りを無視して、吹奏楽部の部長さんはグイグイと押しの一手のようだ。
これには流石の小鳥もたじたじになってしまって、ひとまず部室に見学にいくことになってしまう。
「わ、わかりまちた。ちょっと見てみていいですか?」
別に、ちょっと噛んでる彼女が部活をすること自体に否も無い。
だから、困った顔をしながらも少し嬉しそうに半蔵に向かって微笑みかけてくる彼女に、苦笑しながらも頷き返すのだった。
すると飛び上がって喜ぶ吹奏楽部の部長さんが、逃がさないとばかりに小鳥を手をがっしりと握ると。
「わあ~い、それじゃ早速今からでも!」
「わわわっ~、ハンゾーくん。あ~、ああ~、うわぁきゃあ~~~……」
ぴゅう~っと連れ去られて行ってしまう彼女の後を追うように、二人分の鞄を持った半蔵が誰からも気にされることなくゆっくりと教室を後にする。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「~~~~~~~~~~~~~~っ」
吹奏楽部が陣取っている第二音楽室に、ネット上で歌姫ディーヴァと呼ばれる小鳥の歌声が響く。
そのオリジナル楽曲のメロディとこの世の物ではない古代魔法言語で紡がれる歌詞が、彼女のどこまでも透き通った美声で唄われるとその場に居合わせた誰も彼もの心を打つことになってしまう。
実際、吹奏楽部の部員達数十名はみんなが滂沱の涙を流しながら、遂には拝むようにして聞き入ってしまっていた。
「すんばらしいっ、感動ぉーした! ネット動画より聞きしに勝る衝撃に、これで演奏会は大成功まちがい無しよ!」
何か変なスイッチが入ってしまったらしい部長さんが、黒縁メガネを真っ白に曇らせて興奮した様子で雄叫びを上げる。
唄い終わった歌姫ディーヴァも、周囲からの思いの外、好意的な声援に嬉しそうに顔を綻ばせる。
「え、えへへへ~。しょ、しょうでしゅかぁ~?」
カミカミになってしまっている小鳥から離れて壁際で聞いていた半蔵が、その問いかけに応えるように静かに頷き返す。
「ムッ、何かそこでしたり顔をしてウンウン頷いているのが無性にムカつくわね」
吹奏楽部員の後方で同じように聞き入っていた妹の十六夜が、わざわざに振り返ってまでそんなことを吐き捨てる。
今回の件も、急な特別演奏会の参加に演目で困っていた吹奏楽部の部長から相談されたのを、こいつがプロデュースして仕組んだ結果だったりする。
「今のは録音してあるから、耳コピでメロディを譜面に落とすのはまかせて! 後はみんな、パート別に二日で仕上げるわよっ」
「「「「「ぎゃあ~~~~っ!」」」」」
気炎を上げる部長さんの指示に、呪詛の叫びで応える部員一同。音楽のことはサッパリ分からないが、どうやら無理を通して道理を引っ込めようとしていることだけは分かった。
「しかし、吹奏楽部にボーカルがいて良いのか?」
素朴な疑問に思わず独り言を漏らすが、それを聞きつけた妹の十六夜がフンッと鼻で笑う。
「今回はTV局が主催で、普通の演奏会と違って演目はそれこそ何でも良かったみたいなのよ。むしろ何でも良いからこそ、今までの地味な演目では駄目だったみたいね。
まあ、これで当学園も全国ネットに放送されることになる訳で、そうなれば」
「おい、今、日本全国にテレビ放送されるって言わなかったか?」
無駄に立派なプルポーションの胸をそり返して威張っている妹に、聞き間違いかと思い問い返すが。
「なに言ってんのよ、全国TVだけじゃなくって、全世界に向けてネット同時配信に決まってるじゃない?」
フフン、と何故かドヤ顔でそんなことを言い出す妹さん。
うおっ、本気かこいつ。そんなことをすれば、どんなことになるか――分かってないんだろうなぁ。
思わずガックリと肩を落としてしまった半蔵に、さらなる爆弾を投下する。
「しかも当日は日本を代表する音楽家の先生方も立ち会っての、生放送なんだから。生よ、生ぁ!」
大事なことらしく何度も同じ単語を繰り返す妹に、目の前が真っ暗になってしまう。
電波を介したり、ネット経由であればもしかしたら――いや、既にネット動画では大騒ぎになっているように、歌姫ディーヴァである小鳥による精霊の歌声の影響は計り知れない。
「何だってそんなことに……」
「何よ知らなかったの? ここの吹奏楽部は、なんと四月の全国大会で入賞したばかりなのよ。それまで無名だった中学校でしかもそれが中高一貫の学園ってことで話題になって、それで今回の取材が来たって訳ね」
「だったら、普通にクラッシックの曲で良かったんじゃないのかよ」
「馬鹿ねぇ。だからこそ、普通じゃ駄目なんじゃないのよ」
まあ、今さら嬉しそうにしている小鳥にヤメロなんて言えるはずも無いのだ。
思わず天井を仰ぎ見て、半蔵は無い知恵を必死に振り絞る。これは600年を生きる大賢者に相談するしかないか。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「無理よ。生まれ代わりとは言え、あの歌姫ディーヴァの精霊魔法の効果を打ち消せる訳が無いじゃないのよ。あんた馬鹿じゃないのぉ?」
アッサリと一言で切って捨てるエルフな大賢者エルフリーデに、その余計な最後の一言にも我慢してプルプル震えるしかない半蔵だった。
そこは天気のいい新校舎の屋上で、勿論一般生徒は立入禁止だがそんなことは異世界の大賢者様にとってはどうでも良いことらしい。
あの後、どうやってこの世界の一般人で生徒会長な御雷千剣破を説得したのかは知らないが。
現実に目の前には、かつて異世界で勇者チハヤと呼ばれた人々の希望が剣を持って立っていた。
すると、見覚えのある魔法剣を重そうに持った勇者千剣破が、素振りをやめてそう言えばと思い出したようにつぶやく。
「その話でしたら私も聞いています。噂では、全国大会の入賞はまぐれだったのではと疑念を持った日本でも有名な音楽家の先生達が、大挙してコメンテーターとして参加することになっているとか。
それも、先生達の教え子がいる有名学校を押さえての入賞ですから無理もありません」
「おいおい、益々きな臭いんだけど? そんな全国ネットでの生放送で、公開処刑のようなことが許されるのかよ?」
どんどんヤバ気な話になって来るので、もう呆れるしかなかった。そんな物騒なことに、今の時期の小鳥を関係させる訳にはいかない。
そう半蔵が判断して口を開こうとすると、カラカラとエルフで大賢者なエルフリーデが笑い出す。
「はっははは、ハンゾーったら何を心配しているのかしらぁ? この世界のそんな逆恨みのように年端もいかない少年少女を吊るしあげようとするへっぽこ音楽家なんかに、歌姫ディーヴァがどうにかされる訳が無いじゃないのよぉ?」
「そうは言ってもだな、今の小鳥は前世の記憶が無いんだぞ? そんな専門家にあーだこーだ言われたりしたら、もしかして」
それでも彼女のことになると極端な心配性になってしまう半蔵が、ブツブツと文句を垂れ始める。
しかし、呆れたようにアメリカンな仕草で肩を竦めてヤレヤレと首を振りながら両手を天に向けた598才のエルフが、とどめに大賢者としての見解を述べる。
「それこそ馬鹿じゃないのぉ? あの歌姫ディーヴァがその神の唄を耳にした人間ごときに、とやかく言わせるはずが無いでしょう? それは、あんたが一番良く分かっているはずよぉ?」
「う……それは、そうだが。はぁ~、分かったよ。むしろ、その凄過ぎる歌声に大騒ぎになって収拾がつかなくなる方を心配していたんだったしな。
それよりも、千剣破は剣も良いけど、最終的には二刀流だろうし。それに雷撃魔法を使えないと本来の力が」
ガックリと肩を落としながらも、なるようにしかならないかと思い直した半蔵が、勇者に向き直ってから気になっていたことを口にする。
すると、いつもはキリッとした雰囲気の生徒会長がちょっと泣きそうな顔をして、独り言のようにつぶやき始めてしまう。
「う……そんなこと言っても、今日初めて剣を持ったんだし。こんな重い物を二本もなんて……、それに魔法なんてそもそも」
「おい、こんなんで間に合うのかよ?」
ジロッと半蔵が天下の大賢者様を睨みつけると、そのエルフリーデはまた肩を竦めると手をヒラヒラとさせ始める。
「だってぇ、魔術師な私は剣の扱いなんかしらないしぃ? 魔法全般は得意分野だけど、専門は爆炎魔法で雷撃魔法はどっちかって言うと苦手な方だも~ん?」
「チッ、そうだった。お前は勇者と戦術スタイルが、全くと言っていい程に被っていないんだった。分かったよ、俺が剣術は短剣で二刀流とついでに雷撃魔法も基礎までは教えてやるよ」
600才も生きていてちっとも役に立たない駄目エルフに、昔の借りを勇者に返そうと仕方なくそんなことを言い出してしまう。
「わ~、本当ですか? ありがとうございます~、でも良かったんですか?」
「チッ、命拾いしたなっ」
嬉しそうにペッタリと寄って来て上目遣いで覗き込んで来る千剣破が邪魔になって、爆炎魔法を半蔵に発射できずに手のひらに乗せたままのエルフリーデが盛大に舌打ちをする。
「ん? ああ、俺のこの短剣の二刀流も雷撃魔法も、元々は千剣破に教えてもらったようなもんだからな。昔の恩返しをするだけだから、構わないさ」
そんな昔話をしながら、彼女の手を上から握り締めてかつて彼女に教えられたようにして、ゆっくりと剣の軌道をなぞる。
「うふふ、何だか変な感じですね。確かに半蔵さんの太刀筋は、私の身体に染み込むように良く馴染むようです」
なんて見よう見まねでやっていると、あっという間に剣術スキルを習得してしまったらしく、鑑定スキルを持っているエルフな大賢者が驚いていた。
まあ、まだ召還されていないので勇者の称号はもっていないが、元々が剣聖なんていう称号とスキルをダブルで持っていたらしいので、さもありなんということか。
ただ、まだ筋力がついて来ないようで、両刃の大剣を二本も持つのは難しいようだ。
仕方が無いので、先に雷撃魔法を手のひらに発生させて見せていると、これもパチパチと指先で突いていたかと思うと自分でも発生させられるようになっていたのは流石に半蔵も驚くしかなかった。
「それにしても、あんな荒唐無稽な話をよく信じる気になったな? 実際に召喚された俺ですら、現実を理解できるのに相当時間がかかったんだぞ?」
「え? ああ、それはですね。ん~っと、ヒ・ミ・ツ? 乙女の秘密です」
ふと改めて気になったので聞いてみた半蔵の問いに、千剣破は片目を瞑ると人差し指をピンと立ててから妖艶な微笑みを浮かべて、二度同じ単語を繰り返した。
だから唯の透明人間に過ぎない半蔵としては両手を上げて降参するしかないので、苦笑いしながらも立ち去ることにする。
「ははは、了解だ。これ以上は聴かないよ? それじゃ、小鳥の方もそろそろ終わると思うから、俺はもう行くよ」
「はい、ありがとうございました。最後にひとつお聞きしても良いですか?」
すると、気のせいか名残惜しそうに千剣破が長い睫毛を伏せながらも、わざわざにそんな前置きをする。
だから、さして警戒もせずにアッサリと普通に返してしまう。
「ん? 俺が答えられることなら、な?」
「それでは、半蔵さんは実際のところは私よりも年上の、何才になるのでしょうか?」
ビクッと半蔵の頬が引きつるように笑顔が固まると、吹奏楽部が練習をしている第二音楽室のある方向をまるで透視でもするように見ながら。
「あっちの世界に行ってから5年が経っているから、もう19才になるかな。来年はこっちでも成人か。ああ、これは小鳥にだけは言わないでほしいんだが。あいつが気にすると思うから、さ。ははは……」
「す、すみません。余計なことをお聞きしてしまいました。それでは、向こうの世界では私も?」
急にしおらしくなってしまった勇者は、それでも気を取り直したように茶目っ気のある漆黒の瞳をクリクリさせると、そんなことを聞いてくる。
「ひとつじゃ無いんだな。まあ、いいけど。そうだな、俺はあまり一緒にいなかったけど、向こうの千剣破はもう20才を過ぎていたから――イイ女になっていたぞ?」
「そうですか、それでちょっと安心しました。例え志半ばで倒れたとしても、イイ女で逝けたのなら少しは――っう、す、すみませんっ」
そう言って、綺麗な漆黒の瞳から涙をツイッと零すと反対を向いてしまった。
だから、仕方ないので後ろからその烏の濡れ羽色をした長い髪を半蔵はそっと黙って撫でるのだった。
すると、さっきまで黙って見ていた大賢者のエルフが不機嫌そうに口出ししてくる。
「おい、透明人間風情が。私が尊敬し愛してやまない大切なチハヤに勝手に触るんじゃない」
向こうの世界のお貴族様だった頃の癖が抜けないのか、その相変わらず上から目線の高飛車な物言いに、スッと千剣破の前に出ると。
「それじゃ、小鳥の所に俺は行くな?」
「……うん。泣いたりしてごめんね、ありがとう」
そうして大賢者を無視してそのまま立ち去ろうとすると、それが気に食わなかったのかイラついた様子で屋上の階段の扉の前に立ち塞がると突っかかってくる。
「おい、透明人間。私の話を聞いているのか?」
だから小鳥の所に急ぐ半蔵も、ついムカっとして言い返してしまう。
「五月蝿ぇーなぁ。千剣破をこれから殺すだけのために、異世界召還しようとしているヤツの言うことなんか聞く気はねぇよ」
「うっ……それは仕方なく」
急にたじろいで碧眼の視線を彷徨わせ始めるエルフな大賢者の傍を通り過ぎながら、吐き捨てるように言い放つ。
「フンッ、それもこれも異世界人であるお前達の勝手な都合だ。どうせ千剣破には拒否しても召還魔法を回避することはできない、とか言って無理やり納得させたんだろうに何をほざいてんだ。
だったら、何でこいつが泣くんだよ? 今見て分かるとおり、ちっとも納得なんてできてねぇじゃねーかよ。
いいか、よく聞けよ。ふざけたお前達、異世界人の代わりに生贄にされて殺される16才の女の子に、俺が何を言おうが勝手だ。お前の方こそ口出しするんじゃねぇ!」
千剣破と共に異世界召還に巻き込まれて、5年もの歳月を死ぬ思いで生き抜いて帰還した半蔵にとっては他人事では決してない。
しかも3才も年下の女の子が死ぬためだけに送り出されるというのに、避けることが出来ないと分かってはいても、見て見ぬふりをすることに心苦しく無い訳がない。
むしろ、自分だけは生き残って帰ってきた負い目もある。
だから、つい言ってしまうのだ。
「千剣破、一緒に何か考えよう。今回は、今までとは違うんだ。こっちの世界で準備ができる。千剣破が生きて還ってこれる方法を考えよう、な?」
「……っ、はひっ!」
そうして、綺麗な漆黒の瞳から涙を流し続ける少女の烏の濡れ羽色をした長い黒髪をゆっくりと撫で続けるのだった。