第3章1話 エルフリーデ先生
「ただいま紹介に預かりました、今日から副担任となったエルフリーデ=フォン・ザクセン=フェーレンシルトです。気軽にエルと呼んでくださいね」
「「「「「おおぉー!」」」」」
異世界から魔人と大賢者がやって来た、翌日の朝のHRでは中学二年生男子達の雄叫びと共に、シャンパンゴールドの髪で碧眼の外人さんがにこやかに微笑でいた。
昨晩のうちにあれこれと魔法で誤魔化してこんなことになっていた、らしい。流石は大賢者のエルフ。伊達に600年も長生きしてはいないということか。
などと、今日も梅雨のシーズンだと言うのに雲ひとつ無い青空となっている窓の外を眺めながら、ふと現実逃避をしている半蔵。
そんな彼をギロッとにこやかに睨みつける、副担任に着任したばかりのエルフリーデ先生。
「ハンゾーくん。何か?」
「「「「「……?」」」」」
ほら、透明人間な生徒を名指ししても、教室のみんながキョドってしまっているじゃないか。と、小さなため息をついていると、隣の席の小鳥が元気に手を上げる。
「はい、は~い。先生って本物のエルフさんなんですかぁ~?」
「うふふ、名前は似ていますが――まあ、それは乙女のヒ・ミ・ツです。そう言う、歌姫ディーヴァである月見里さんの唄う詩の歌詞も、実は古代魔法言語じゃないですか?」
そんな摩訶不思議な台詞をお茶目に片目を瞑って返すもんだから、担任の若い女教諭がコホンと小さく咳をする。
「そ、それでは、朝のHRはこの辺で終わりにして、一時間目は早速ですが新任のエルフリーデ先生に英語の授業をやっていただくこと――」
それまでの会話を全て無かったことにして授業を始めるのを、興味無さそうに頬杖をつくと半蔵は少し後方の席に視線をやる。
そこにはポッカリと二つの空席があって、クラスメートな二人の女生徒――ビッチーズは今日は休んでいるようだった。
まあ、鼻の骨と前歯を全部折ってやったんだから、数週間は包帯が取れずに病欠しているんだろうが。
果たして、包帯が取れても登校できるかは分からんだろうが、それでも糞ビッチ共が小鳥にしようとしたことを考えれば自業自得だ。
それよりも、昨日から探索者として探査と危険予知スキルを最大限に警戒をしているのだが、逃げられて以降の魔人の気配は見つけることができないでいた。
奴も大賢者であるエルフリーデの爆炎魔法の直撃を受けたのだから、無事なはずは無いのだが。それでも、いつ復活して襲い掛かって来るか分からないと言うのは、気持ちの良いものでは無かった。
だと言うのに、肝心の大賢者様ときたらいったい何を考えているのか、今も教壇で英語の授業をやっていたりする。
上級の翻訳スキルだとそんなこともできるのか、と思わず感心してしまう唯の透明人間な半蔵だった。
まあ、学園の敷地にはグルッと高度な魔術結界が朝登校して来たら張り巡らされていて、猫の子一匹すら入り込む余地が無いのは痩せても枯れても大賢者ということなんだろう。
「ギロリッ、ハンゾーくん。それではここを訳してくださいねぇ」
うおっ、600才の婆だから枯れてもに反応したのか。無駄に高性能な直感スキルだな。
などと半蔵が内心で悪態をついていると、補佐についていた担任の若い女教諭の方が今の指名を無かったことにして、勝手に答えを訳していってしまう。
まあ、いつものことだ。気にする程のことでも無い、はずだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「それで、その女子二人は近くの大学病院に入院しているらしいんだけど、登校して来たとしても違法ドラッグの不法所持と服用で停学処分が待ち構えているからねぇ。まあ、もう転校するんじゃないかな?」
中等部の生徒会室で今日もお手製の可愛いお弁当箱をつつきながら、副生徒会長な妹の十六夜が難しい顔をしてそんなことを言う。
今日も一人静かに旧校舎の渡り廊下で昼にしようと思っていたら、昨日の騒ぎで崩壊寸前となった旧校舎への立ち入りが完全に禁止されてしまい、おかげて渡り廊下への新校舎側の扉までが全て封鎖されてしまっていた。
鍵のかかった扉の前で暫し呆然としていると、同じく後からやって来た小鳥と妹の十六夜に引き摺られるようにして、気がつくと中等部の生徒会室へと連れて来られていた。
あんなことをしたビッチーズな女生徒二人でも、お友達として心配なのか少しだけ暗い顔を見せる小鳥が、ついでに気になっていたことを確認する。
「それじゃ、あの男子高校生三人も? 」
「あぁ~、あの三人は男性機能が完全に不能になっちゃったみたいで、かなり深刻な状況みたいだから暫くは退院して来れないだろうしぃ。
年下の女子中学生二人に売春を斡旋していたこともあって、学校側の処置も停学以上の厳しいものになるようだから、その前に自主退学するんじゃないかな?
でも下手をすると、三人共16才になってるらしいから書類送検もあるかも?」
どこからの情報なのか、無駄に詳しい十六夜がペラペラと余計な事までくっちゃべり始める。
そこで、最後におずおずと小鳥が言葉を飲み込むように訊ねる。
「それで、背広を着ていた大人の男の人は……やっぱり」
「ええ、怪我をした五人の学生達に確認しても、そんな人はいなかったみたいよ? やっぱり、気の所為じゃない?
まあ、あんなことがあったんだから、混乱しているんだとも思うし。もう、忘れた方がいいわよ?」
十六夜の言う通り、高校生三人の内の一人の兄弟だった社会人の男は、魔人にその存在そのものを食われてしまったらしく。
この世から、最初からいなかったことにされてしまっていた。
そういう訳で、あの下種野郎のことを覚えているのは、最後にあの場にいた小鳥と半蔵と、それから。
「やはり、魔人のスキル――というか、権能という訳ね。魔神の欠片として、勇者の存在そのものをこの世から消し去るのが目的だとすると、これ以上の脅威は無いでしょうね。
勇者がそもそも存在しないのなら、魔神は倒されることは無くなってしまうのだから」
なんてしたり顔をして、モグモグと売店の焼きそばパンを食っているのは、エルフの大賢者で副担任のエルフリーデ先生だ。
いつの間にか先に生徒会室に来て、ちゃっかり数量限定の焼きそばパンを十個も机に山積みして食っていた。
見た目には細身のこいつの胃袋は、空間魔法で異次元にでも繋がっているのだろうか。
そもそも魔神が滅亡の直前に自身の欠片を切り離してこっちの世界に送り込んだ目的が、魔神滅亡の事象と無関係なこの世界で勇者を亡き者にして、その結果として異世界で確定されてしまった魔神の滅亡を覆すことだ。
そんな大賢者にクスッと笑って、副生徒会長である十六夜が諦めたように肩を竦めて見せる。
「エルさんって、時々分からないことをいいますよねぇ? いや、もう色々あり過ぎて気にしてませんけど」
「うう……コトリちゃんは嘘なんかついてないのにぃ」
二人の謎会話なんかどうでも良いが、小鳥が悲しそうな顔をするので慌てて。
「ああ、小鳥の言うことは間違ってないぞ? 俺も確かに見たしな。でも、違法ドラッグを校内に持ち込んだり、そもそも無断で外部から立ち入って来たり、挙げ句の果てに旧校舎をぶっ壊して逃げたんだからなぁ。
まあ、警察も探しているようだけど、見つけ出すのは難しいかもな」
ちっとも悪いなんて思わないが、存在すら消えてしまった下種野郎の所為に全てしてしまうことにしてある。
当然の自業自得だ。むしろ、最後にこの世の役にたったじゃないか。地獄へ行ったんなら、片道切符も特別ディスカウント割引が利くんじゃなかろうか。
「はあ~、本当に月見里さんには重ね重ね申し訳しだいもありません。何とお詫びして良いやら……」
盛大にため息をついて、また深々と頭を下げているのは高等部からわざわざやって来た生徒会長の御雷千剣破だ。
どうやら、彼女が話をしたいと言ったので、コッソリと妹がこの場をセッティングしたらしい。
「いえいえ、勇者であるチハヤが謝る必要は微塵もありませんよ。むしろ、今回の騒動の根源である魔人を一緒に倒しに行きましょうっ、ふんす!」
何故か隣に座って、いつの間にか親し気に呼び捨てにしている馴れ馴れしい新任教師のエルフリーデ先生。
「いや、あはは。新任のエルフリーデ先生は楽しい方ですねぇ~」
だからか、意外と小さな可愛いお弁当箱をかばうように少したじろいで身を引いてしまっている千剣破に、半蔵が忠告しておいてやることにする。
「そんなこと言って、こいつを付け上がらせない方がいいぞ。放っておくと、際限なくどんどん調子に乗って終いには家にまで上がり込んで来られることになっちまうからな?」
「何てこと言うんですか! こんなに勇者チハヤへの尊敬と愛に溢れて溺れている私をつかまえてぇ。あ、チハヤ、焼きそばパンひとつ食べますぅ?」
見た目だけはハリウッド女優のような美貌で、シャンパンゴールドのショートボブをシャラッとさせて小首を傾げて見せるので、実にあざとい。
だが、騙されてはいけない。こいつは海千山千の大賢者で、齢600才を数える長寿命種族のエルフなのだ。
ボウッ
「あちちちちっ! だから学校で爆炎魔法を使うんじゃねーよっ」
ああ~、コンビニで買った昼メシのツナサンドが消し炭になってしまったじゃないか。
「フンッ、透明人間ごときが大賢者なこのエル様に楯突こうなんて598年早いのよっ」
「うわ~、エルフさんって大賢者だったんですねぇ。でも、食べ物を粗末にしたらダメですよ? はい、あ~ん」
サラサラと灰になったツナサンドを見ても動じることなく苦笑しながら、小鳥がほわほわとした口調で半蔵の口へと卵焼きを持っていく。
「あむっ、もぐもぐ。うん、んまい。
そうだぞ、この世界に対して土下座して謝れ。んでトットと魔人を倒して、サッサと異世界に帰っちまえ」
そもそも、そのためにこの世界にやってきたというのに、何でこいつはこんなところで山のような焼きそばパンなんか食っているのか。
「え~、だってぇ。ジークリンデがどこ行ったかなんて分かんないしぃ。チハヤが日常的に生活しているこの場所を基点に転移して来たみたいだから、そんなに遠くには行けないはずだしぃ。そのうち、向こうさんからやってくるでしょぉ?
あ~、それから私はもうあっちの世界には帰れないしぃ~?」
そんな呑気なことを語尾を上げながら言うのでイライラしていると、最後に爆弾発言をかましてくれるので思わずギョッとした半蔵が問いただす。
「おい、帰れないってどういうことだよ。こっちに居座るつもりか? お前なんかに永住ビザなんか出すつもりは無いから、本気で用が済んだら帰れよなっ」
「え~、だってぇ。こっちの世界に来る魔力は魔神から取り出した魔石を使ったんだけどぉ、もう残ってないしぃ? 異世界を行き来できるような、そんな膨大な魔力が、そこらへんにホイホイ落ちてるわけないしぃ」
アメリカンな仕草で何でも無いことのようにヒョイと肩を竦めて見せる大賢者のエルフは、それでもわずかに碧眼を細めると寂しそうに微笑んで見せる。
だから、半蔵もムスッとして言い返してしまう。
「何だよ。もともと、片道切符だったってのかよ?」
「だって、しょうがないじゃないのよぉ。私の尊敬する愛して止まない勇者チハヤを、あんな出来損ないの魔人なんかに殺らせるわけにはいかないじゃない?」
最後だけは語尾を上げることも無く、異世界で魔術師の最高峰と畏敬の念を込めて呼ばれた大賢者らしく威厳を持って言い放つエルフリーデだった。
だからなのか、そんなにちっとも世話になった覚えも無かったが、異世界に囚われて生まれ故郷に帰還できない辛さは身に染みて分かってしまっていたので。
仕方ないとでも言ったふうにワザと大きなため息をつくと、少し不貞腐れて乱暴な口調で半蔵がつぶやく。
「千剣破が殺されて困るのは、俺も同じだ。何より小鳥のいるこの世界で、あんなクソ魔人なんかに勝手させておけるか。
ってわけで、まあ。しゃあないから、俺も手伝ってやるさ」
「もう~、ハンゾーくんはテレ屋さんなんだからぁ。素直に助けてあげるって言えば良いのにぃ。
はい、あ~ん。今日はツナサンドがお亡くなりになったから、特別に卵焼きをふたっつあげますよ~」
ふふふ、と笑いながらふわふわとした口調でそんなことを言う小鳥さん。パクッと口に入れたタ卵焼きは、やっぱり彼女の出汁巻き卵の味がしてとっても美味しかった。
「うん、うまい。ありがとな、小鳥」
「ふ、ふ~んだ、別に透明人間ごときに手伝ってもらわなくっても。この大賢者様がいれば、あ~んなポンコツ魔人なんかあっという間にポイッなんだからぁ?」
少しだけ向こうの世界を思い出したのか碧眼を光らせながらも、ツーンといった風にソッポを向いてしまう。
こっちも素直になれない、半世紀以上を優に生きている598才なはずのエフルさん。
「あの~、さっきから私の名前が飛び交っているようなんですが、気のせいだったりしませんよねぇ? しかも私が死ぬとか、物騒極まりない単語が漏れ聞こえて来てしまって嫌な予感しかしないんですけど」
とうとう我慢できなくなったのか、恐る恐るといった風に手を上げて聞いてくる勇者な生徒会長の千剣破。
「いや~ん、気のせいなんかじゃないわよぉ? チハヤはこれから異世界に行って、魔神をたおす勇者さんなんだからねぇ?」
「…………え?」
その荒唐無稽な台詞に、暫くフリーズしてしまう16才になったばかりの千剣破。
「あ~、やっぱりなんだぁ~?」
意外と冷静に、でもほわほわとした口調でウンウンと頷きながらも、デザートのウサギにカットされたリンゴを頬張っている小鳥さん。
「ええーっ、ってそんなアッサリと! って言うか、あんたまで何で普通に聞いてんのよ? おっかしいでしょ~がぁ!」
余りの出来事にすっかり置いてきぼりだった妹の十六夜が、遂に辛抱堪まらずにガオーッと吼えて半蔵のワイシャツの襟首を掴むとガクガクと揺すり始める。
「おおぅ、卵焼きが喉につっかえるからやめろ」
「わわっ、ハンゾーくんが大変なことにぃ!」
こうして有耶無耶の内に生徒会長である御雷千剣破は勇者として、ひとまずこの世界で魔人と戦うことになってしまうのだった。
「って、そんなの聞いてませんよぉ~!」