第2章1話 カラオケに行こう
「ハンゾーくん、最近はお友達がいっぱい増えて嬉しいです~」
そんなことを、にぱぁっと向日葵のような笑顔で言ってるのは月見里小鳥だ。
もうすっかり衣替えの季節で、涼し気な白い半袖ブラウスに紅い棒タイといつものチェック柄のプリーツスカート姿の彼女は、ミルクティカラーの長髪を海から吹く風にそよがせながら。
何故か旧校舎へ渡り廊下の上で――三階は屋根の無いコンクリート製の手摺だけの屋外となっていて、半蔵の隣にシートを敷いてペタンと座ってニコニコしながら可愛いお弁当をつついていた。
時期的には梅雨のシーズンだろうに雲ひとつ無い涼やかな青空の下で、幸せそうに小鳥が赤いタコさんウィンナーを突き刺してから、あ~ん、と口に放り込んでいる。
「そうか、それは良かったな」
そう相槌を打ちながら、半蔵は今朝、通学の途中で買って来たコンビニのツナサンドにかじりつく。
共働きでも毎朝欠かさずに手作りのお弁当を作ってくれる小鳥の母親と、最近ではちっとも顔を見ないのでどんな人達だったのか忘れてしまいそうになっている自分の両親は何が違っているのだろうか。
なんて、不毛なことをふと考えてしまい、半蔵は思わずどこまでも青い天空を仰ぎ見る。
別にそれが哀しい訳でも、辛いと思ったことも無い。どうせ家にいても妹のことしか話さない両親にとって、自分は空気のようなもので透明人間にはおあつらえ向きと言えた。
だからという訳では無いが、小鳥が箸で摘まんだ卵焼きを、あ~ん、と今度はこっちに向けて差し出して来た時には、暫く唖然としてしまったが素直にパクッと口に入れることに躊躇いは無かった。
小鳥のお母さんが作った卵焼きは、甘くない出汁巻き卵だった。そんな訳で、幼い頃から半蔵が知っている卵焼きの味というのは、甘くない出汁巻き卵が大前提になっている。
「ふふ~ん。この卵焼きは私が作ったのです~。えへん。おいしい? おいしーぃ?」
ねぇねぇ、と綺麗な紅を秘めた玄色の瞳をキラキラさせながらワイシャツの袖を引っ張るので、苦笑しながら。
「ああ、とっても美味しいよ。でも、いつもはお寝坊さんな小鳥が、今朝はよく起きれたな?」
「う……そ、それは。この間、一緒にお昼を食べた女の子達がおかずを取っ替っこしてたんだけど。みんな自分で作ったおかずをくれるんだけどね、それがおいしいの~。もう、ビックリでね~」
最近できた友達とお弁当を食べた時のことを思い出したのか、嬉しそうにほっぺを両手ではさんで幸せそうな笑顔を見せる。
「そうか、良かったな」
「それでねぇ、彼氏をゲットするには胃袋をガッチリ掴む必要があるんだって。だから、私もお母さんに教えてもらって、お料理の特訓を始めて見たのですっ。えへん。どう、エラい? エラい~?」
ふんすっ、と結構豊かな胸を張ると褒めて褒めて~と、ミルクティカラーのウサ耳をピコピコさせて見せる小鳥さん。
だから苦笑しながらも、できるだけ優しくそのサラサラの頭をゆっくりと撫でることにする。なでなで、なでなで。
「ああ、偉い、偉い。じゃあ、試作品ができたら俺も時々食べさせてくれよな」
「うんっ、わかった! うふふ~、楽しみにしててねェ~?」
嬉しそうに微笑みながらパクパクと元気にお弁当を食べる小鳥をほっこりとした気分で眺めていると、普段は誰も来ないはずの旧校舎への渡り廊下にやって来る人影が一人。
「うあぁ~~、何か口の中が砂糖でジャリジャリしちゃいそうじゃないのよ! 太ったら、どーしてくれんのよっ」
とか叫びながら金髪に染めた長髪を海風になびかせて腕組みをして仁王立ちしているのは妹の十六夜なんだが。いったい何しに来たのか。
「ええ~っと……お邪魔なようなので、これで失礼」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! あんたに話があるのよっ」
ソッポを向きながらそんなことを言うもんだから、人の気持ちに敏感な小鳥の方が気を利かせてしまう。
「そ、それじゃ、私は新しくできたお友達にお料理のレシピを教えてもらうことになってるから、先に教室に帰ってるね?」
そうして、そそくさと走り去る彼女の後姿を見送りながら、ジロッと妹を睨む。半蔵の優先順位は最上位に小鳥がいて、それ以外は例え妹だろうと二の次だ。
ここ最近は以前と比べると話をする機会も増えたかもしれないが、そんなことは今の半蔵には一切関係無い。
「そ、そんなに睨まないでよ。小鳥ちゃんのことなんだからさ」
少し殺気が込もってしまったのか、妹が半歩後ろに下がってたじろいでしまう。それでも、逆に強い意志で睨み返すようにして口を開く。
「彼女を虐めていた女の子達が大人しくなったから、今まで様子見をしていた女の子達が急に話をするようになっているみたいなんだけど。
かえって素行の良くない噂の女の子達が、面白半分で彼女にちょっかいをかけて来ているみたいなのよ。
それで、心配で……小鳥ちゃんは人を疑うことをしないから」
それ以上詳しいことは言わなかったが、実際の所はもっと詳細までを掴んでいるのだろう。それでも、扱いが難しい問題だから言葉を濁すしか無いようだ。
「その女達のことなら、俺も把握している。今、背後関係を洗っているところだ。だから余計な心配しないで、俺を小鳥から引き離すような馬鹿な真似はするな」
「くっ……分かっているんなら良いのよ。余計なお世話で悪かったわねっ!」
風紀委員ならともかく、生徒会では手が出し難いんだろう。だから悔しそうに吐き捨てると、踵を返して立ち去ろうとするので。
「ああ、小鳥の心配してくれたのは感謝してる。ありがとな」
そう後ろ姿に向かって投げかけると、妹の十六夜は振り返ることなくドンドンッと足を踏み鳴らしながら足早に立ち去ってしまう。
だから、はあ~と小さくため息をついてから、半蔵も足音すら立てずに駆け足で小鳥の後を追うように自分の教室へと向かう。
◆◇◆◇◆◇◆◇
教室に戻ると最初に目に飛び込んで来たのは、二人の女生徒に囲まれている小鳥の姿だった。
どうやら聞こえて来る内容からすると今日の放課後、一緒にカラオケに行く約束をしているようだ。
そう言えば半蔵はもちろんだが、彼女も確かカラオケには行ったことが無いような気がする。
何故なら、小鳥の唄う歌はそのどれもがオリジナル曲で、しかも歌詞はこの世界に無い言語で詩われると来ている。
だからだろうか、初めてのカラオケに嬉しそうに笑う彼女の横顔を見ていると、行ける所まで付き合ってやるかと半蔵は腹をくくる。
何も無ければ、それに越したことは無いのだから。
しかし、自分もこれは一人カラオケでエンドレスなリサイタルの練習でもすることも考えておかなければならないか――いや、透明人間にそれは無理だな。
その無謀な試みを忘れ去るように思わず視線を逸らせると、教室の窓際の後方の席に暗い顔をして座っているのはいじめっ子の女生徒三人組だ。
以前の威勢のいい馬鹿笑いは鳴りを潜めてしまって、ジッと机を見つめていてまるでお通夜のようだ。
辛気臭いこと、この上ない。
まあ、それも仕方が無いか。予想通りあれから、彼女達の両親が学校に抗議に来たらしい。
学校側は全く取り合わなかったようだが、逆切れした親達は終いには「虐められる女の子側にも、問題があるんじゃないのか?」と口走ったらしい。
まったく、度し難い。どうしたら、そんな台詞が出て来るのか。結局は、その両親達こそが女生徒三人から逃げ場を奪い、追い詰めてしまう結果となってしまったようだ。
幸い、学校側が小鳥のことを親達には話していないのと、女生徒達も何故か伝えていないようなので、今のところ月見里家には何の影響も出てはいない。
ただ、調べればすぐに分かることなので、万が一にも女生徒三人組の親の一人でも月見里家に手を出すようなら。
社会的に完璧なまでに抹殺してやる準備は、既に準備万端で出来ている。何時でもバッチ来いだ。
いや、むしろせっかく準備したのにお見せできないのは勿体ないので、是非ともやって来てほしいものだ。
勿論、あの家族には指一本触れさせるつもりは無いので、近づいて来た瞬間に殲滅してやるつもりなのでお楽しみに。
なんて、半蔵が碌でも無いことを考えていると。
「ハンゾーくん、何かすっごく悪い顔してるけど……また、ロクでも無いこと考えてない?」
小鳥がやって来て可愛い唇をへの字にしてそんなことを言うので、すっかりバレているのだった。
流石は直感スキル持ち。侮り難し。
「顔が悪くて悪かったな。それよりも、どうしたんだ?」
「ああっ、……実は今日の放課後にカラオケに行かないかと誘われまして~。私、他人の曲は唄えないので一度は断ったんだけど」
てへへ~、と少しだけ照れるように、でも嬉しそうにそんなことを言うもんだから。
「分かったよ。行っておいで。ああ、俺も後で勝手に参加するかもだから、気にしないでね? そう言えば、一緒に行くっていう友達は?」
「ああ、今トイレに――って、ハンゾーくんには関係無いじゃない!」
ポロっといらんことを言ってしまう小鳥は放っておいて、半蔵も手をヒラヒラと振って。
「じゃあ、俺も昼休みが終わる前にトイレ行って来る」
「い、いちいち報告しなくて、良いです!」
そんなことでも顔を赤くして、プンスカ怒る純情な彼女。
◆◇◆◇◆◇◆◇
廊下を男子トイレに向かって歩いていても、誰からも見向きもされない。そのまま隣の女子トイレを通り過ぎようとしていると、半開きの扉の向こうから女生徒の声が聞こえて来る。
別に女子トイレを覗く趣味は無いが、さっきまで小鳥と話をしていた女生徒の声だったので扉の前で立ち止まってみるのだが。
やっぱり、廊下を行く誰からも見咎められることは無い。いや、だって明らかに怪しいはずなのだが。
なんて、いつもの自問自答を繰り返していると、聴覚強化スキルの所為か女生徒二人の会話が筒抜けで。
「でも、あんたの彼氏って、最後にいく前に喉の奥に思いっ切り突っ込んでくるんだもん」
「あ~、あれねェ。先輩だっていつまでも、いかないからこっちの体力が持たないわよ」
「そういえば、この間の売りをしたオッサン金払い良かったよね」
「エンコーね。マジでまた来てくんないかなぁ。今月、金欠なんだよね~」
いくら精神年齢が自分よりも五才年下のガキとは言え、反吐が出そうだ。こいつら、本気で糞ビッチじゃねぇかよ。
こいつらに比べれば、いじめっ子の女生徒三人組なんか可愛いもんだぜ。
大切な小鳥に変な病気がうつるから、近づくんじゃねーよ。とか、半蔵が思わず悪態をつきそうになっていると、
「でもさぁ、あのバカっぽい子がうまく乗ってくれたから、今日は助かったわぁ」
「そうそう、私達だけだとあの三人のエロ先輩の相手は疲れるからねェ」
決まった、コロス。
半蔵の中では死刑判決がアッサリと可決されてしまっていたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「あ、あの……私、ちょっとお花を摘みに」
そんなことをアタフタと言いながら、カラオケボックスの部屋から出て行ってしまったのは小鳥のだ。
結局、友達の女生徒二人と入ったカラオケには、彼女にはあらかじめ知らされていなかった三人の高校二年生が後からやって来て。
我が物顔で彼女の両隣にドッカリと挟み込むように座り込んでしまい、逃げ場を塞がれてオロオロしている内に身体を触られそうになったので、脱兎の如く逃げ出したという訳だ。
小鳥なのに、ウサギとはこれ如何に。
彼女が出て行くと、残りの女生徒二人と男子高校生三人が入り乱れて絡み始めてしまう。すると辛抱堪らんのか、男の一人が鼻息も荒く呻くように叫ぶ。
「この後はホテルを予約してあっからよ!」
とか言ってるので、流石に防犯カメラのあるここで本番をやるつもりは無いようだ。
結局は学校の鞄があるのでこの部屋に帰って来るしか無いと高をくくっていたからか、アッサリと彼女を逃がしたのは失敗だ。
入れ違いで部屋に入って来た透明人間な半蔵が、さっきから誰も歌わないからとせっかくだから正義のヒーローのアニソンを一人リサイタルしているというのに、誰も聞いてくれていないのでそろそろ切れそうになっていた。
「しゃーないから、小鳥が帰って来る前に片付けるとすっか」
ちょっと乱暴にそうつぶやくが、必死に絡み合っているサル共の耳に届くことは無く。次の瞬間、身体強化された格闘術で底上げされた右フックが五人の男女の顎を綺麗に撃ち抜く。
頭蓋骨を揺らされた五匹のサルは、衣服を乱したままでその場で重なるように崩れ落ちてしまう。どいつもこいつも、気が早いことにパンツを半分下ろしてしまっている。
「ま、素人さんだから、暫くは起きれないだろ?」
半蔵がそうつぶやいても誰も返事を返すものがいないので、仕方なく残されていた小鳥の鞄を引っ掴むとサッサと部屋を出て行くことにする。
「わっ、ハンゾーくん! ビックリしたぁ~、どうしたの? あ、そう言えば、後で来るって言ってたねぇ」
ちょうど部屋から出たところで、トイレから帰って来たらしい小鳥とバッタリ会ってしまったので。
「ああ、丁度良かった。部屋に行ったらお友達は急用が出来たとか言って、帰るとこだったから鞄は預かって来たぞ」
「わわっ、あ、ありがと。た、たすかったよ~、ハンゾーくん。あの部屋には帰りにくかったんだよぉ、えへへ~」
ちょっと頬を染めながらミルクティカラーの頭をポリポリと掻くので、はあ~っと大きなため息をついて。
「お前、友達を選べとまでは言わないが、流石に変な男達には付いて行くんじゃないぞ?」
「にゃっ、にゃにを言ってるでしゅか! お、男の人にゃんかに付いて行ったりしゅる訳ないじゃないでしゅかっ」
ブンブンと力一杯に両手と首を振りながら、ダダダッと後ずさってしまうポンコツさん。
「はいはい、それじゃ帰ろうか?」
「むー、ハンゾーくんにせっかく来てもらったのに、一曲も唄えていないのは何か納得いかないので。
帰りにちょっとだけ、海の見える公園の丘の上に寄ってもいいですか?」
プクッと頬を膨らませると、ツーンとソッポを向いて人差し指をフリフリさせながらそんなことを言い出すので。
「くすくす、はいはい。それじゃ、海の見える公園でも、どこへでもお供しますよ?」
「む~、何だか無性にポカポカしたくなります~」
さらに頬をプゥーっと膨らませて、本当にポカポカと半蔵の引き締まった大胸筋を叩き始める残念小鳥さん。