第1章3話 御雷生徒会長
「で、何か申し開くことは?」
朝っぱらから中等部の教室にやって来て、女子中学生に手を出そうとした挙げ句、一人で転んで大怪我をしてしまった残念な高等部の先輩はどうでも良いんだが。
せっかくの昼休みに、何で自分が中等部の校舎の三階にある生徒会室に呼び付けられて正座させられているのか、半蔵にはちっとも分からなかった。
それに目の前でパイプ椅子に座って長い脚を組んで座っているのは、双子の妹の十六夜な訳で。
黒タイツのスカートの奥が見えてしまいそうで、お兄さんとしては気が気では無かったりする。
「ハンゾーくんも、ほら。私を助けようとして、思わず殺っちゃった訳でェ~。何と言いうか、不可抗力?」
妹の隣りに座ってオロオロしているのは、今回の被害者であるところの小鳥さんだ。それよりも、何か物騒な漢字と難しい単語を無理して使っているけど大丈夫なんだろうか、などと半蔵が余計な心配していると。
「ジロッ、ハンゾーくん。何か失礼なこと考えてますね?」
おおぅ、流石は直感スキル持ちの小鳥さんです。
ズダンッ
と、床を踏み抜かんばかりに上履きの踵を床に打ち付けて見せたのは、妹の十六夜で。
「私の話を聞いてんの?」
「端から聞くつもりは無いが? 誰か来たみたいだから、そろそろ失礼させてもらうことにするぞ」
今は生徒会室に三人だけだから構わないが、これに一般人が混じると透明人間な半蔵としては話がややこしくなってしまう。
だから、早々に退散することにしたのだが。近づいて来ている気配は――まさか。
「何を偉そうに言ってんのよ、そんなこと許される訳がな」
「霧隠さん、ごめんなさいねっ!」
妹の怒髪天を突いたような台詞を遮るようにして生徒会室に飛び込んで来たのは、烏の濡れ羽色をした長髪をサラサラと後ろに流した高等部の生徒会長だ。
彼女は今も戦後に残された財閥系複合企業体の会長のお孫さんという良家のご令嬢であるだけでなく、色んな意味で――本物の勇者だった。
だからこそ、こんな形で出会いたくは無かったというのが半蔵の本音だ。
「って、あら? こちらの方は?」
生徒会室には副生徒会長である妹以外にも人がいることに気がついたらしい高等部生徒会長は、黒髪ストレートの凄い美人が飛び込んで来てビックリしてしまっている小鳥に目で挨拶をすると。
「え、ああ。今回、被害にあわれた月見里小鳥さんです」
「始めまして、高等部生徒会長の御雷ちはやです。――っと、それからそちらの方は?」
彼女は半蔵をしっかりと直視して来ていて、少しも視線を逸らすつもりが無いようだ。だから、仕方なく自ら名乗りを上げることにする。
「始めまして――になるのかな。霧隠半蔵だ。妹と紛らわしいので、半蔵でいい」
「まあ、霧隠副生徒会長のお兄さんでしたか。でも、年下の殿方にそのような言い方をされるのは初めてです。そうですね、であれば私もちはやと」
暫し考え込むようにしてから、彼女はわずかに漆黒の瞳を細くすると三才年上の余裕を見せるつもりなのか妖艶に微笑んで見せた。
「そうか、じゃあ千剣破で。透明人間の俺を認識できるとは、流石は勇者だ」
「あら、普通の方なら千早と呼びそうですが――私の漢字の真銘を当てた方は本当に初めてです。うふふ、何だか新鮮な気分ですね。
それに、半蔵さんは透明人間なんですね? でも、女子更衣室に入って来ては駄目ですよ?」
その細い人差し指を顎にそっと当てると、クスクスと悪戯っぽく微笑んでそんなことを言い出す生徒会長の千剣破。
「ああ、分かった。千剣破が使っている時には入らないようにするよ」
「何言ってんのよ! 御雷生徒会長が入っていようが、入って無かろうが、何時だろうと入っちゃダメにきまってんじゃないのよっ」
ウキーッ、と突然のように怒り出す短気な妹の十六夜。
それから何故か目を見開くと、でもちょっとテレテレしながらも半蔵の大胸筋にワイシャツの上から細い指で『の』の字を書き始める小鳥さん。
「ええ~、でもぉ~、ハンゾーくんが~、どうしてもって言うなら~、私は~、きゃぁ~、どうしましょう~」
「それで、高等部の生徒会長である千剣破がわざわざ何でこんな所まで?」
取り敢えず妄想を暴走させている小鳥は放っておくとして、生徒会長の要件を聞くことにする。
「ああ、そうでした。今回は男子高校生が年下の女子中学生に手を上げるなどという、犯罪紛いのことが行われたと聞いて急いで駆けつけたのですが。その様子では、怪我だけは無いようで安心しました。
勿論、心に傷を負っておられることも考慮して、高等部生徒会としては万全の態勢で補償を」
余りに真摯な姿勢で真面目に小鳥の心配をしてくれるので、やっぱり勇者な千剣破の生き方には半蔵も苦笑するしかなくて。
「それじゃあ、今回の件に絡めて報告したいことがあるので、臨時の職員会議を開催して生徒会をオブザーバーとして出席させてくれ。中等部からも、何人か関係者を出席させるようにするから」
「了解よ。先生達の都合を調整する必要があるけど、先生方としても今回のことは表沙汰にはしたくはないはずだから、明後日の放課後には何とかして見せるわ」
ふんすっと、流石は高校二年生というボリューム感のある胸をバインと張って見せる生徒会長の千剣破。
「チッ、また何か企んでるわね? でも分かってると思うけど、いじめ問題は親が出て来るとモンスターペアレントとか言って厄介よ?」
舌打ちをしながらも、ある程度は事の経緯を知っているらしい妹の十六夜がジロッと睨みつけて来る。
「親の出る幕なんか作ってやらないさ」
そう吐き捨ててから半蔵は横を向いて、肝心の主役のはずの小鳥さんの様子を見てみるのだが。
「でへへ~、そんなぁ~、ハンゾーくんったら~、しょうがないなぁ~」
とか言いながら、妄想の海にどっぷりと浸かって忙しそうにしているようだったのでそのまま放置することにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「クソッ、あのビッチめ! 『黒い十字架』から声をかけてもらって、それを足蹴にするなんてっ。何様のつもりなの?」
「そうよそうよ、媚びでも売ってるつもりかしら? 私達ですらサインをいただいて、握手するのが精一杯だってのに!」
「しかも、ボーカルの我らが王子様に怪我をさせるなんて、このまま唯じゃ済ませないわよ!」
昼休みが終わって半蔵が周囲の視線を躱すようにそっと教室に帰って来ると、やっぱり窓際後方席ではいじめっ子の女生徒三人組がまなじりを上げて怒り狂っていた。
それにしても、あの長身ロン毛のイケメンは王子様なんて呼ばれてんのか――ププッ、などと思わず吹き出してしまったのは半蔵だ。
はあ~、まあ一気に片付けてしまうか――などと、苦笑を堪えながら透明人間がすぐ横で腕組みをして考え事をしているなんて気づくはずも無い、遂に虐めることに容赦が無くなってしまった女生徒三人組だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「それで、問題の根底にあったのがこのネット動画で」
あれから高等部生徒会長である千剣破が指定した二日が経過して、予定通り放課後に緊急職員会議が開催されていた。
中等部と高等部の生徒会からも一部の一般生徒を含めて何人かが、当日の経緯と証言を兼ねてオブザーバーとして出席している。
前方だけ室内灯を暗くした大会議室では、月見里小鳥が海の見える公園の丘の上で歌を唄う動画が再生されている。
その心に染み渡るような楽曲のメロディーと聴いたことの無い言語で詩われる歌詞に、会場の誰もが聞き入ってしまっていた。
「この動画を盗み撮りしたスタジオ会社は既にネット上で特定されており、犯人のカメラマンの個人情報に至っては銀行口座に至るまでが拡散しています。
どうやら、アクセス成金となったのもつかの間で、結局は会社は解雇、既にカード類も利用停止、資産も差し押さえ、奥さんとお子さんからは離縁されて、家からも追い出されたようです」
そう言って、動画が終わったプロジェクターに一人の男の顔写真が目の部分だけを黒塗りにして表示される。
「次に当校の生徒である『黒い十字架』というバンドの、リーダーでメインボーカルの――少年Aとここでは呼称します。彼は許可なく中等部の教室に侵入して、三才も年下の中学二年生の被害者である女生徒に手を上げるという犯罪行為に至っています。
その末に、本人は足を滑らせて自ら転倒して腕を骨折と脱臼、前歯を二本欠損するという天罰としか言いようの無い怪我を負っており。
全治して以前のように楽器が弾けるようになるには半年から一年以上が必要になるだろうとの診断です。
また、所属事務所からは契約解除を通告されており、バンドは活動停止で事実上の解散となっています。
現在も本人は隠れるように入院していますが、これとは別に自宅謹慎もしくは停学などの学園としての処置が必要になるでしょう」
同じように学生証から切り出されたと思われる顔写真が、目の部分を黒く塗られて表示される。
「さらには――」
これで終わりかと全員が思ったところで、前方のスクリーンには動画が再生され始める。
それは、スマホで撮ったと思われる画質で――目を覆いたくなるような、シャーペンやノートなど筆記類がトイレや溜池に沈んている映像から始まり、上履きが泥水のバケツに沈んている、下駄箱に泥が溢れている、机に筆舌に尽くしがたい落書きがされている、遂には黒板に同様の落書きがされてそれがSNSや学園の裏サイトで拡散していく様子が映し出されていく。
それを最後尾の席で顔を真っ青にしながらプルプルと震えて見ているのは、実行犯であるところのいじめっ子の女生徒三人組だ。
自分達が何故、こんな職員会議に呼ばれたのか最初は理解できていなかったが、今は十分に心に刻む程にハッキリと自覚させられていた。
そうして全ての映像の再生が終了したところで、校長先生や教頭先生を始め全教諭から怒号が飛び交う。
唯一人、アラフォーの中年女教諭だけが紫色に変色した唇を噛み締めて俯いたまま、真っ青を通り越して白くなった顔に脂汗を盛大に垂れ流したまま黙って座っていた。
暫くして、静かになった頃に学園理事長から担任の女性教諭に説明するよう指示がでるが、その頃にはすっかり五十代後半に見間違える程までに老け込んでしまった老害の女は口を開くこともできくなっていた。
すると、オブザーバーで招聘されていた教育委員会の担当者が埒が明かないと判断したのか、本件を『虐め』と断定して調査報告するように指示するに至ってしまう。
これでようやく終わったかと、半蔵は気配を消したまま動画を再生していたPCの横にイヤホンマイクを置いて離れると、担任の中年女教諭の後ろにそっと立って耳元で何事かを囁く。
その瞬間、ビクッと身震いをした彼女はとうとうボロボロと泣き出し始めてしまう。
その様子にギョッとした校長はじめ全教諭が再びガヤガヤと騒ぎ始めるのを、横目で見ながら半蔵は今度はいじめっ子の女生徒三人組の後ろに立つと同じように小さな声でつぶやく。
「お前達のしたことは、全てネットにアップして拡散済だ。未来永劫、その罪が全世界のネットワーク上から消えることは無いと思い知れ。
どこに隠れようが、例え名前を変えようが、お前達にリンクされた情報としていつまでも自動配信され続けるから楽しみにしていろ」
「「「ひっいい!」」」
ビクッとして三人が後ろを振り返るが透明人間である半蔵の姿を捉えることができるはずもなく、そのまま椅子に崩れ落ちるように座り込んで足元から生温かい湯気を上げ始めてしまうのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ところで、小鳥ちゃんはどうしたの?」
全てが終わって中等部の生徒会室に戻って来た妹の十六夜が不思議そうに聞いてくるので、半蔵が欠伸をしながら夕陽に染まった窓の外を眺める。
「ああ、まだ教室につっぷして寝てるんじゃないか? 昨日の晩は遅くまで起きていたから」
「あんたっ、小鳥ちゃんに変なことしたんじゃないでしょうね?」
ウッキーッと眉毛を吊り上げるので、呆れたように欠伸を噛み殺しながら、夕陽が差し込む窓の外へ視線を向けたままつぶやく。
「んん? あぁ~、昨日の晩は、これからの中学二年生の夏に向けて納涼な肝試しネタをエンドレスで延々と」
「ひっ!」
ガタッとパイプ椅子を震わせると、ズルズルと沈み込むように下がって行ってしまう妹の十六夜さん。ああ、そう言えばコイツ、怖いのまるで駄目だったっけか、と思い出した半蔵は。
「それから、さっきの職員会議で使った映像だけど、HDDからは消しておいたから。マスターデータもバラバラに分解して、俺じゃなきゃ再構成できないようになっているからさ」
そう言ってワザと話題を変えてやると、一転して真面目な顔になった妹は小首を傾げる。
「え? ネットにアップしたって言ってなかった?」
「ん? ああ、教諭はともかく中坊の悪戯にいちいち目くじら立ててたらやってられないだろ?
それにあんなものがネット上を彷徨っていたら、小鳥の目に留まることもあるかもしれないじゃないか。
何もしらないあいつに、そんなもの見せる訳にはいかないに決まってるだろ?」
そう言い放つと、さあ小鳥が起きる頃だから教室に戻るとするか、と立ち上がってから黙ったまま音も無くスゥ~っと生徒会室から消えるのだった。
そうなのだ、小鳥のことが最優先だ。
他の老害の婆教諭やビッチ女生徒三人や、その他の糞カメラマンに阿保ボーカル達なんてどうでもいい。
そんな余計な名前も覚えていない立ち絵も無いような雑魚キャラ等のことなんか、考えてられる程に今の半蔵には余裕は無い。
だから、早く帰るのだ。小鳥の傍に一刻も早く。目を覚ましたあいつが、寂しくて泣いたりしないように。
何を犠牲にしても透明人間の霧隠半蔵は、月見里小鳥をその命の全てを懸けて守るのだ。
そう、かつて遥か彼方で約束したのだから。