第7章1話 七夕の朝に
あけましておめでとうございます。最終章の投稿を開始します。
「――ひゅひゅっ――ひゅひゅっ――」
広大な日本建築の御屋敷の庭園で朝日を浴びて勇者千剣破が、両手に持った自分の身長の半分以上はありそうな魔法剣を軽々と二刀流で振り回している。
既にその剣筋は一般人には視認することは出来ない程までに神速の域に達していて、白銀の剣閃を残像のように空間に残すのみである。
「――ひゅひゅっ――ふぅぅ~~」
一通りの型の鍛練が終わったのか、スチャッと腰の鞘に収めると息を整えるように深くゆっくりと深呼吸をする。
すると、今まで張りつめていた空気が一瞬にしてプチンと切れるように、急に風の音と街の雑踏が思い出したように聞こえ始める。
いつの間にか縁側に正座してジッと見つめていた、御雷家当主の老人も安心したように小さく息を吐き出す。
そうして、この世を守護する役目を背負った勇者であるはずの一人の少女は、静かに雲ひとつ無い天空を見上げると決意を込めて、小さくつぶやく。
「――よしっ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
それと同じ空を、自分の部屋のカーテンを開けた窓から見上げているのは、泣き腫らしたように目を赤くした十六夜だ。
兄から取り上げた着古しの白いワイシャツは、彼女の細い身体にはダビダブ過ぎて、袖を捲り上げてもどこかアンバランスで。
んーっ、と背伸びをしても、下着しかつけていない下半身は隠れたままだ。
そうして、スィっとその視線を真横の壁の向こう側を見つめるように向けると、わずかに眉を下げて瞳を細めながらぷっくりとした唇でそっと優しくつぶやく。
「――おはよ、お兄ちゃん」
その言葉が空中に消えると同時に、クルッと綺麗な金髪に染めた長髪をひるがえして振り返ると、颯爽とクローゼットに向かって歩き出して。
衣擦れの音を静かに響かせながらも、まるでこれから戦闘へ向かう戦士のように各種装備を身に付け始める。
◆◇◆◇◆◇◆◇
結局、昨日は小鳥を自分の部屋に返しそびれて、そのまま自分のベッドで一緒に眠ってしまったようで。
朝焼けの中、目を覚ますと半蔵の胸の中に包まるようにして丸くなって寝ている小鳥がいた。
「――はぁ~」
だからだろうか、聞こえない程に小さくため息をつきながらも、珍しくいい夢でも見たようにスッキリとした良い気分で目覚めることが出来ていた。
そう言えばディーヴァが死んだあの日以来、ずっと見続けていた悪夢を見ることが無かったのは初めての事かもしれなかった。
「――おはよ」
そうして自分の腕の中であどけない安らかな寝顔を見せている、この世で一番大切な小鳥のおでこに、そっと触れるだけの口付けをする。
ただ、その朝の挨拶が誰に向けられたものなのか。それは、半蔵自身にもよくわからなかった。
でも、もう一度鼻先を綺麗なミルクティーカラーの長髪に埋めると、お年頃の少女らしい艶やかな甘い香りに混ざってお日様の匂いがしてきて。
このまま、何もかも忘れて寝ていられたらと。そんなあり得ないことを考えてしまう程に、小さな幸せがそこにはあった。
それは五年前に異世界に召喚されてしまってから、ずっと探し求めていたはずのもので。もう、二度と手に入らないと一度は諦めたものだった。
だから、最後に。今日の七夕の夜を最後に消えてしまう前に、もう一度だけこのかけがえのない幸せに触れられたことは、本当に――。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「で、できた――のか? う~~ん……まあ、いっかぁ?」
地獄の底から響かせるような低い声で、自問の言葉を口にしていたはずなのだが。
そんな台詞の最後の一言は語尾を無駄に上げた、本人だけはこれが今流行りの可愛い喋り方だと思い込んでいる軽い口調を真似て。
コテンと可愛らしく小首を傾げてから、大賢者のエルフリーデが椅子の背もたれにのし掛かるように背伸びをする。
魔法の灯り以外は無い薄暗い高等部図書館で、結局のところ二徹してしまった長寿を誇るエルフは目の下に盛大な隈を作ったまま、それでも少しだけ満足そうに口角を上げると。
「これで、将来に返せなかったはずの借りが返せるなら、い~だろぉ?」
そんな意味の分からない予言の言霊を、無人の図書館で誰にとは無しに告げる。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「――で、でへへ~、半蔵ぉ~、これが私の歌声よぉ~――うへへ~――」
中高生から圧倒的な人気を維持し続けているアイドルらしい、可愛い部屋のベッドで抱き枕にしがみつくようにして涎を垂らしながら、ニヤニヤと寝言を言っているのは。
スマホの目覚ましを無意識のうちに止めてしまった、白夜水月の残念な姿だったりする。
「~~~~~~~~~~~~」
その時、朝の静寂を打ち破るように流れて来たのは、スマホの着メロで水月のリリースしたばかりの新譜CDのタイトル曲だ。
「うきゃあ! え? いえ! 大丈夫ですよ、寝てませんって、本当ですよ? やだなぁ~、野外ライブの当日にお寝坊なんかしませんって、あはは~?」
ガバッと、起きてスマホを耳に押し当てた大人気アイドルは、持ち前の演技力を総動員して電話の向こう側で全てお見通しの担当マネージャーに、寝ぼけた頭で言い訳とも誤魔化しともつかない台詞を並べ立てる。
何だか、さっきまで良い夢を見ていたはずなんだが。そんなことも、もうすっかり忘れてしまている自分に気づいてすらいなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「じゃあ気をつけてな」
「……ぷう」
今回の野外ライブ開場への当日の移動については、今回は学園がわざわざに大型バスをチャーターしてくれたらしく、午前中から学園前に集合して出発準備をしている。
のだが、今日は半蔵がついて来ないと、この時になって初めて聞かされた小鳥が、バスの乗車口で頬を膨らませて駄々をこねていた。
「ほら、みんなが待ってるぞ。それに、ほら、用事が早く済んだら俺もすぐに駆け付けるからさ、な?」
何とか説得しようと、半蔵が口から出まかせを並べ立てるが、見えないミルクティーカラーの長いウサ耳を横にフルフルと振りながら、頑としてその場を動こうとしない。
「……ハンゾーくんがいないと唄えないぃ」
遂にそんなことまで言い出す歌姫ディーヴァに、困り果てた半蔵からはとうとう守れない約束までが口をついて出てくる。
「わ、分かった。分かったから。先に行って、最後の音合わせと準備をしておいてくれ。小鳥の出る開演時間までには必ず行くから。約束するから」
もう、彼女を危険な学園の傍から引き離すためには形振りを構っていられなかった。
後で恨まれようが、例え嘘つきと憎まれようが、この世で一番大切な小鳥の身の安全に勝る物など何も無かった。
「……ホントぉ?」
「ほ、本当だよ、俺がこれまで小鳥に嘘なんかついたことあったか? あ、あったかも知れないけどさ、今度は本当だって、本気で信じてくれよ?」
可愛い頬を膨らませたままで上目遣いに睨んでくるという必殺技に耐えながら。
完全に浮気がバレたダメ亭主のような情けない嘘八百を並べたてる半蔵に、大型バスの中から吹奏楽部員達と見送りの学校関係者達からの冷たい視線が突き刺さる。
既に透明人間としてのスキルは、その効果を失くし始めてしまっているようだった。
「……ウソじゃなぁい?」
「うんうんうん」
「ほ、ほら、お兄ちゃんもこう言ってるんだから、小鳥ちゃんもバスに乗って。もう、時間無いよぉ?」
わずかに口調が柔らかくなったところで、必死に頷く兄を押し退けるようにして、自称マネージャーの十六夜が小鳥の小さな身体をグイグイとバスへと押し込む。
「わ、わわわ~ぁ。十六夜ちゃ~ん、ちょっと待ってェ~。ハンゾーくぅ~ん、ウソついたらハリセンボンなんだからねぇ~?」
とか情けない声を上げながらも、大型バスの最前列に座らせられた歌姫ディーヴァがブンブンと手を振ってくるのを、出来るだけ哀しそうでない顔をつくって見送る。
最後にはバスが出て大通りを遠くに見えなくなるまでジッと見守り、そして小鳥は最後尾の窓にへばりつくようにして手を振り続けていた。
「それでは、行きましょう」
完全にバスが見えなくなって暫くしてから、後ろから高等部生徒会長でもある勇者千剣破が優しい声をかけてくる。
しかし、半蔵はそれでも振り向くことが出来ずに、真っ直ぐにバスが見えなくなった大通りを見つめ続けたままで擦れた声を返してくる。
「……ああ、行こう」
そうしてようやく振り向くと半蔵は誰とも視線を合わせないようにしながら、その脚を決意と共に踏み締めるように学園の校門へと歩き出す。
◆◇◆◇◆◇◆◇
学園の高等部旧校舎の裏山に続く林の入り口には、一足先に来ていた大賢者のエルフリーデが地面に杭のようなものを打ち込みながらブツブツと呪文をつぶやいていた。
「やっと行ったのか。こっちも粗方、罠の準備は出来たぞ」
そうして颯爽と自慢の炎龍の外皮を使用した最高位装備であるローブとマントをひるがえすと、スレンダーな割にはボリュームのある胸を反り返して見せる。
しかし、そのハリウッド女優のような綺麗な顔には化粧で隠し切れない程の目の下の隈が浮き出ていて、ニヤ~と笑ったドヤ顔が無駄に迫力があって何か怖い。
「そうか、千剣破の方はどうだ?」
半蔵が真っ直ぐに裏山の天辺を睨みつけたままで、振り向くことなく聞いてくるので。
その後ろに半歩だけ下がって、やっぱり裏山のさらに奥を見通るように睨んだままの勇者千剣破も、かつて自分が異世界で愛用していたはずの軽金属鎧を着て左右の腰に魔法剣を下げて。
「いつでも」
決意を込めた低い声で静かに返事を返す。
「よし、それじゃ手はず通りに俺が奴をおびき寄せて来るから――え?」
腰の後ろの小さな袋から二本の黒短剣を取り出して、右手にカルンウェナンを左手に三十日月宗近を握り締めた半蔵が、その脚を一歩踏み出そうとしたところ。
目の前の裏山につながる雑木林から異様な気配が立ち昇り、その数がどんどん増えて行くのに愕然としてしまう。
「ど、どういうことだ? 魔神の欠片はひとつじゃなかったのか?」
純戦闘職でも高位魔術師でも無い唯の透明人間でしかない半蔵が、ギョッとして何が起きているのか理解できずにいると。
その後ろから落ち着いた声で、エルフとして長寿を誇り大賢者とまで呼ばれたエルフリーデが、面白く無さそうにフンッと鼻を鳴らす。
「どうやら、この世界に転移して来て依り代としていたジークリンデの身体が、ようやく魔神の欠片に馴染んで来たということかしら?」
「どう言うこと?」
それを聞いていた勇者千剣破が、目の前の林からやって来る膨大な数の魔力を見据えたままで、静かに聞き返す。
すると敬愛する勇者からの質問に、素直に考えうる情報の全てをスラスラと答え始める大賢者。
「はっ、恐らくはこれまでの様に生まれたての子供のような頭脳カラッポの魔神の欠片とは違い、多少の知恵を付けたジークリンデの脳筋をフル活用して、自身の魔力を分け与えた眷属を作り出したのでしょう」
「おいおい、ジークリンデみたいのが何匹もいたら俺達三人だけじゃあ」
その大賢者らしい、恐らくは間違いでは無いはずの推測に思わずギョッとして半蔵が、この前の魔人となったジークリンデとの死闘を思い出してしまう。
それをやはり鼻で笑うようにして、気高きエルフがわざとらしく大袈裟に首を振って見せる。
「ふんっ、人の話をよく話を聞け。これだから透明人間は」
「どう言うことなの?」
少しだけイラっとしたのか、固い声で勇者千剣破が遮るようにしてもう一度聞き返すと、サラッと手のひらを返すように、敬愛して止まない勇者には素直に答え始める。
「はっ、先程も申しました通り、奴は魔神の欠片としての自身の限られた魔力を、作り出した眷属に分配しているものと考えられます。つまり、奴自身は弱体化しているとみて間違いありません」
「それじゃあ!」
魔神の欠片として引き継いだ魔力ですら擦り減らしている、今の状態であればいかに魔人ジークリンデと言えど一点突破で倒し切ることも可能なはずだ。
「だからお前はアホだと言うんだ。魔神の欠片としての、その魔力の殆どを注ぎ込んだ眷属だぞ? その数だけで数百を超えるだろうから、奴本体を見つけ出す前に、あっという間に数の暴力で磨り潰されるのがオチだな?」
しかし、そんな非戦闘職の透明人間の浅はかな考えなど、木っ端微塵に吹き飛ばしてしまう大賢者の罵声に、ガックリと肩を落とすしかない。
ところが、勇者千剣破だけはその漆黒の瞳の奥を輝かせながら、口角を上げてこれで勝ったとでも言わんばかりに微笑んで見せる。
「了解です。それでは私とエルで眷属は何百、何千いようが相手をしますので、半蔵さんは斥候として魔力が低下して索敵能力なども劣化しているはずの魔人を見つけ出して来てください」
「……え? それって、千剣破が囮になるってことじゃ」
その明晰な頭脳から弾き出されたシンプル過ぎる作戦を、スラスラと何の躊躇いも無く澄んだ声で命令していく勇者千剣破に、愕然として言葉を詰まらせながらも問い返すしかなかった。
すると思わず振り向いた半蔵に、ようやく柔らかいお年頃の乙女らしい表情を浮かべて漆黒の瞳を細めると優しく微笑むと。
「ええ、ですから私が力尽きる前に早く見つけて来てくださいね?」
そんなことを言ってのけるのだった。
これには流石に半蔵も何事かを言い返そうとするが、いつもは敬愛する千剣破を最優先にする大賢者のエルフリーデが黙して語ろうとしないのに気づく。
だから仕方なくもう一度だけ、その綺麗な漆黒の瞳の奥を覗き込むようにしてから、息がかかる程の距離で囁くようにつぶやく。
「分かった。必ず最速で見つけ出して来てやるから。だから、絶対に無理は」
「ええ、お帰りをお待ちしております。半蔵さん、ご武運を」
そう言うと、ドレスアーマーと言うのだろうか、白銀のその軽金属鎧の下に着込んだ純白のフレアスカートの裾を細い指先で摘まむと、後ろに下げた脚を折って見事なカーテシーを披露するのだった。




