第5章4話 ストーカー討伐戦
「あ、あなたっ、いったい何のつもり? そんなことして、どうなるか分かってるの!」
高等部の新校舎屋上ではPVの撮影のために学園に来ていた、アイドルの白夜水月が一人で海から吹く風にピンクベージュの長髪を揺らしていた。
するといつの間にか後ろを付けて来てたらしい、黒いパーカーのフードを深くかぶった一人の男が手に、バチバチと火花を放電させたスタンガンを持って立っていて。
ハァハァハァ~と、涎を垂らした駄犬のような荒い息を吐き出しながら、黒いフードで隠れた顔の下半分に見える口を三日月のように歪ませている。
「うへへぇ~、ぼ、ボクのぉ、ミツキちゃゎあん~だぁっ。ボクだけのモノにィ、ヒヒヒヒヒッ」
黒いフードに隠れて見えないが、その下から覗く濁った瞳の眼光だけは異常にギラギラしていて、明らかに正常な精神状態の人間のそれでは決して無かった。
「わ、私はあなたのモノになどならないわっ。いいのっ、大声を出すわよ!」
普段は人が来ない屋上にあるアルミの手摺にアイドル白夜水月は背中を付けてしまって、でもキッとした視線で睨みつけながらも、膝はガクガクと震えてしまっている。
その腰まである長いピンクベージュの髪は風になびいて、大きな瞳には薄っすらと涙が浮かんでいるが、ぷっくりした唇はしっかりと歯を食いしばっているようだ。
「フヒヒヒッ、ボクのぉミツキちゃんはぁ声なんか出さないさぁ、だってそんなことしたって人が来る前に裸に剥いて写真を撮っちゃえばいいんだからさぁ?」
「ひっ……」
しかし、そのストーカーの異常な完結した思考回路には、行きつく先が破滅のエンディングしか用意されていないようだった。
失敗した。普段はマネージャーも連れずに一人でウロウロしたりしないのに、周りが学生ばかりと安心のあまり油断してしまった。
普段からも熱狂的な追っかけファンにまとわりつかれることの多い、大人気アイドルの白夜水月が己の軽はずみな行動を後悔するが既に遅い。
「い、イヤよ。私はこれから頑張ってい」
「ウヒヒヒッ、大丈夫だよぉボクがミツキちゃんの全てを知っていてあげるからさぁ、頑張んなくってもいいんだよぉねぇ?」
そう言うとパーカーのポケットからバタフライナイフを取り出して、辛抱堪らんと言ったように下半身をおっ勃てたまま、ガバッと手にしたスタンガンごと、大ファンの白夜水月に飛びかかって行く黒フードの男。
しかし、その火花を散らすスタンガンが届く寸前に、横から来た弾丸のような塊に脇腹を蹴り飛ばされると、ギャフッと情けない豚の鳴き声のような悲鳴を上げながら轟音と共に屋上の端まで転がって行ってしまう。
「チィッ、思わず汚ったねぇモン蹴っちまったじゃねーかよぉ」
「きゃあ……え?」
パンパンと向う脛に付いた埃を払うように叩きながら半蔵がボヤいていると、キョトンとした表情の女子生徒――ではない、この学園の制服とは違う学生服を着た少女が。
倒れるようにしがみついて来てそのままワイシャツをしっかりと掴んでしまうので、迷惑そうに引き剥がそうとその手を握るが、その震える指は冷たくなってしまっていて。
おでこを半蔵の胸に着けて俯いてしまっているので表情までは分からないが、小刻みに震え続ける肩を見ているとわずかに嗚咽が聞こえて来る。
そりゃあそうだ。こんな人気の無い場所で武器を持った変態野郎に襲われて。無事だったから良いような物を、一歩間違えばどうなっていたか。
だから、まあ小鳥には関係無かったみたいだからいいかと、半蔵は小さなため息をそっと吐き出す。
そうして今日も天気のいい雲ひとつ無い青空をボンヤリと見上げながら、そっとそのピンクベージュの髪を撫で続けるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
そんな訳で、密かにスマホで呼び付けた副生徒会長の十六夜に後始末を任せて、恥骨を粉砕骨折しているストーカー野郎を事件を表沙汰にしたくない学園が手配した警察に引き取らせると。
サッサと小鳥のいる高等部の旧校舎へと戻って来たのだが、何故かアイドルであるところの白夜水月が半蔵のワイシャツの裾を離そうとしない。
これには流石の半蔵も余計な事をしたと盛大に反省して、やっぱりあそこは見捨てる場面だったかと後悔していると。
「ハンゾーくん、何かまた悪いこと考えてますねぇ?」
と、紅い光を内包した玄色の瞳を細めて上目遣いで覗き込んで来る小鳥のいつもの直感スキルに、スーッと視線を逸らせる。
と、その振った視線の先にはちょっと拗ねたような顔をして、伏し目がちに半蔵を見つめるアイドル白夜水月が未だにワイシャツを握り締めたままだ。
だから、はぁ~っと大きくため息をついてから、あまり目立たないように気をつけながらも穏便に済ませるようにと、半蔵にしては珍しくできるだけ優しい声でつぶやく。
「え~っと、そろそろPVとやらの撮影も始まると思うから、その手を離してくれるとあっ……」
「うっ……やだ。こわいし……私のこときらい?」
しかし、人気アイドルはまるで子供のような反応で、まだわずかに震える声でそんなことを言い出してしまい。
まあ、こんな仕事をしていれば変なことを考えるファンがいることも覚悟していはいるし、アイドルとして人気が出て来た白夜水月も、怖い目にあったことは今までも一度や二度ではない。
でも、あそこまで貞操どころか命の危機まで感じたことは無かった。だからだろうか、吊り橋効果だと分かってはいても今はこの手を離す気には到底なれなかったのだ。
それにしても今はまだ、半蔵の透明人間の影響でアイドルも周りの視線を集めていないようだが、元々が相当なカリスマ性を持った少女のようで。
消えかけの半蔵の特製などあっという間にキャンセル無効化されてしまいそうで、あまりうかうかしている時間は無さそうなんだが。
「あんた、何、水月ちゃんを泣かせてんのよ? 人にあんなこと押し付けておいて、私の水月ちゃんに変なことしたら唯じゃ済まさないわよ?」
もしかしなくても、妹の十六夜はアイドル白夜水月の大ファンのようだった。
しかも、『私の水月ちゃん』ってさっきボコったストーカーと同じようなこと言ってるし。
こいつ、それで音楽家の婆の言いなりになってでも、この仕事を取って来たんだな。と、ほぼ正解を当ててしまった半蔵だが、こんな人が多い場所で暴れる訳にもいかないので黙っていると。
「ふ、ふんっだ。あのストーカーは常習犯だったらしいから、助かったわ。水月ちゃんを助けてくれて、ありがとうね」
まるで自分のことのようにお礼を言い出す妹に、半蔵は思わず綺麗な青空を見上げて魔人でも降って来ないか確認してしまう。大丈夫、何も振って来る様子は無い。
「うふふ~、半蔵さんったら。と~っても、おモテになって羨ましい限りで、思わず妬いちゃいそうですね~?」
そんなふと気を抜いた瞬間に、索敵を突破して来た勇者な千剣破にゼロ距離まで詰められてしまっていた。流石に、こういった勇者特有のスキルには敵わない。
「何だよ、千剣破までPV撮影に参加するのか――ん?」
「ムッ、半蔵。水月。み・つ・き。ミツキ」
すると苦笑しながら生徒会長に話しかけていた半蔵を遮るようにして、ワイシャツを握り締めていたアイドルがとうとう腕に抱き付いてきてしまい。
そして何故か頬を膨らませながらも、自分自身の名前を連呼し始めるので。
「ん~?」
「うふふ~、半蔵さん。私ってば、敵認定されたようですよ?」
アイドルの名前は何度も聞いたがと半蔵が思わず首を捻っていると、勇者が縁起でもない台詞を口にする。
そして、さらに声を荒げてアイドルは抱きついた腕に、その豊かな双丘で挟んでグイグイ引っ張りながら名前を呼び続けるので。
「んん~っ、半蔵っ。水月っ!」
「わ、わかったよ、み、水月?」
訳も分からず仕方なく彼女の名前を呼ぶと、一瞬だけ綺麗で大きな瞳を見開くと嬉しそうに相好を崩して顔を近づけて微笑んで来る。
「え、えへへ~、半蔵ぉ~」
「ええ~っ! ってことは、コトリちゃんは恋敵としても見られていないと言うことぉ? ガァーン……」
そうしていると、ようやく自分の立場が危ういことに今頃気がついたとばかりに、小鳥が目を見開くとガックシと肩を落とす。
そのあまりにしょんぼりした様子に、この混沌な状況の原因となっている腕に張り付いたアイドルを放り出してやろうかと半蔵が本気で考えていると。
そこへ、無駄に高い声をキンキンさせながら痩せギスの音楽家の婆がやって来て、大声で喚き散らしながら手を伸ばして来る。
「こんな所にいたっ。ほら、水月も撮影をするからあっちに行ってスタンバって。それから、そこの、そうあなた、さっさと来てあのインチキ臭い妖精とやらを出しなさぎゃっ、ぎゃあああああああ!」
乱暴に小鳥の腕を掴もうとするので、スッと後ろ脚を引っかけてやると盛大にぶっ転んでしまい、あろうことか音楽家の命である両手の指をグォキッと凄い破砕音をさせて、まとめて何本も突き指してしまったようだ。
「わわっ、お婆ちゃんが大変なことにっ?」
「わ~、大先生。大丈夫ですかぁ? 自分の生徒でも無いのに乱暴なことなんかするから、天罰が下ったのですよぉ?」
襲われそうになっていた小鳥はとっさのことで何が起きたのか分からなかったみたいでビックリしているようだが、アイドルの水月は半蔵が完全に視認できているので、一部始終を見ていたようだ。
「はあ~ぁ。お兄ちゃん、またやってるしぃ?」
「半蔵さんったら、もう。仕方ないですねェ?」
すると、妹と勇者には呆れるように二人そろって大きなため息をつかれてしまった。
いや、だって小鳥の腕を引き摺られて怪我でもしたら、どうすんだよ? 危ないだろ? 演奏家の婆なら、指の保険ぐらいには入ってんだろ? てか、そもそも自業自得の単なる自爆だろ?
そんなことをしていたからか、それともコケた婆が五月蝿く泣き喚くからか、いつの間にか周りの視線がこっちに集まっていて。
「あれ? あれあれ? ピトッ……」
周囲のギョッとしたような視線から逃げるように半蔵の腕を抱いたまま、背中にくっつくように隠れてしまう大人気アイドルな白夜水月に。
「ええ~っ、誰あれ?」
「なになに~、彼氏ぃ?」
「マジかよ、あんなイケてない奴に!」
「ウソだろ、冴えないヤツなんかにぃ」
「ぎゃ~、変なヘタレに負けたぁ」
どうやら、心配していた通り彼女のカリスマ性が勝ってしまって、透明人間である半蔵の各種スキルが無効化されて、その存在が白日の下にさらされてしまっているようだ。
ガックリとしながらも、一応抗議だけはしてみることにする半蔵だったが。
「おぉぅ、勘弁してくれよぉ。なあ水月、俺は目立ちたく無いんだが?」
「ええ? だって、私の彼氏ならどうしても目立っちゃうと思うよ?」
キョトンとして何その当たり前なこと言って、とでも良いたげに抱き付いた背中から上目遣いで覗き込んでくるアイドルさん。
ちょっと待て。いつからお前の彼氏になったんだ? しかも、その決定事項のような言い方は、どこからそんな自信が湧いてくるのか。などと、半蔵が何て言い返してやろうか考えている間にも。
「ええ~っ、既に呼び捨てぇ?」
「なになに~、公認彼氏ぃ確定~?」
「マジかよ、あんな目付きの悪い奴なんかに!」
「ウソだろ、冴えない貧乏人なんかにぃ」
「ぎゃ~、三枚目に負けたぁ」
そのやり取りに、過敏に反応してしまうアイドルを一目見ようと集まっていた男女生徒達。
そして、見えないはずのミルクティーカラーの長いウサ耳をピンとさせた小鳥さんまでもが、反対の腕にしがみつくと豊かな胸を押し付けるようにしてグイグイ引っ張り始めてしまう。
「ぎゃあ~っ、ハンゾーくんはあげましぇ~ん!」
「ちょ、あんたっ、私の水月ちゃんから離れなさいよ!」
「あはは~、これは透明人間も形無しですねぇ?」
おまけに十六夜はウッキーッと騒ぎに混じって喚き出すし、千剣破は達観したようにフルフルと首を振るだけで。
嘘だろぉ~、と昭和初期のレトロな旧校舎の天井を見上げながら半蔵は泣きそうになっていた。
そんな混沌のような状況にあって、アイドルな水月がハッと何かに気がついたようで、自分とは反対側の腕にぶら下がっている小鳥を指差すと。
「あーっ、あなたがネットで歌姫ディーヴァって呼ばれている娘ねっ!」
「ぴぃっ?」
涙目になって最後は半蔵の腕に噛みついていた小鳥も、ようやく口を離してキョトンとする。
いくら防御系スキルがあるとはいえ、噛まれれば痛いんですよ、小鳥さん。
すると、マジもんのアイドルである白夜水月が、フフンッとその綺麗なプロポーションの胸を張って、ガオーッと吼える。
「丁度いいわっ、本物のアイドルが歌姫ディーヴァと半蔵を賭けて歌で勝負よっ!」
「ええーっ! わ、わかりまちたっ、ハンゾーくんは誰にも渡しまちぇん~!」
何が彼女の琴線に触れたのか、同じように小さい身長の割には見事に盛り上がった双丘をポンッと張って見せて、フンッと反り返って見せる歌姫ディーヴァさん。
「よぉーしっ! その賭けは私、この副生徒会長である十六夜が取り仕切るわよ! 二人の歌声を部分的にPVに入れ込んでネット投票にかけて、その投票数で勝敗を決めるわ!」
そこで何故か歌姫ディーヴァの自称マネージャーであるはずの十六夜が、ギャースっと気炎を上げてそんなことを言い出す。
結局、このPV撮影風景がドキュメンタリータッチのまま野外ライブのCMとしてTV全国放送とネット配信されることになる。
野外ライブの特設HPではPVアクセスカウンターと共にネット投票カウンターが回り続けることになって、ちょっとした社会現象にまでなってしまう。なんでこうなった?




