第5章1話 歌姫ディーヴァの愛の詩
「……ぅ……?」
「ハンゾーくんっ! ぁ……お、おはよう? もぉ~、お寝坊さんですねぇ~。うふふぅ~」
暗く深い海底からゆっくりと浮上するように覚醒すると。
すぐ傍から聞きなれた小鳥の、いつもの鈴を転がすように涼やかな――でも、今にも泣きそうな声が聞こえてきた。
「ああ、小鳥。無事でよかった。怪我は無いか? そうか、演奏会は上手く言ったんだろ? うん、よかったな。サイン会は大変だったのか? DVDたくさん売れたのなら印税もらわないとな」
だから、心配かけたことを謝る前に、唯々黙って頷くだけの彼女にあれこれと一方的に思いつくまま話しかける。
そうして暫くすると、困ったように綺麗な玄色の瞳の奥の紅をくゆらせながら微笑むので、ようやく。
「悪かったな、心配かけて」
そう、できるだけ何てこと無いとでも言うように軽い口調で謝る。
「っ! う……うん……うん、心配したんだからねぇ? もぅ、ケガしちゃダメなんだよぉ?」
そう言うと、彼女はポロポロと涙を零すと泣き笑いを始めてしまう。しまった、せっかく笑ってくれたのに。だから、もう一度だけ心の底から謝る。
「ごめん」
「……うん。ふへへぇ~、さっきまで十六夜ちゃんと御雷先輩もいたんだよ? でも学校があるからって、交代で」
辺りを見回すとそこは自分の部屋で、学園の旧校舎の裏山で倒れたはずだから運び込んでくれたらしい。しかし、まず聞かなくてはならないことがあるので、遮るように。
「あれから、何日経った?」
同時に視線だけで自分のスマホを探す。今は朝日が差し込んでいるので、少なくとも1日は経っているはずだ。
「え……と、2日? 日曜日に倒れたから、今日は火曜日だよ? いっぱい寝たからお腹すいてるよね。今、美味しいもの作るからね?」
よかった、そんなに意識を失っていたわけではないようだ。魔人には逃げらてしまったから、七夕までには見つけ出して倒さなくては。
などと、考えているうちに半蔵の意識は再び深い闇へと沈んでいく。
また眠りについてしまったその疲弊し切った様子に、普段はぽわぽわとしている小鳥が眉を下げて辛く悲しそうに俯いてしまう。
でも二日間寝ずに付きっ切りで看病していて、ようやく目覚めてくれたのだ。もう不安でしょうがないことなんか無い。そう思い直してから、自分の目の下の隈などは気にすることなく、ふんすっと立ち上がると。
「やっぱり食べ易い卵粥が良いかなぁ」
などと零しながらも、わずかに嬉しそうに微笑みを作りながら台所に向かうのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「明けまちておめでとうごじゃいましゅ。今年もよろちくお願いしましゅ」
――今になって、どうしてこの夢なのか。
半蔵が異世界に召還されて約2年半が過ぎた。今日は異世界で二度目になる年越しだ。去年は新年を迎えるにあたって、日本での年始の挨拶というのをディーヴァに教えたら嬉しそうにしていたので、今年もやってみた。
「こ、これで私も16才になりまちた。立派に成人したレデェ……げふんげふん、淑女になりましゅ」
「おお~、そう言えばそうだったか。それは、二重にめでたい。パチパチパチ」
そう言えば、この世界では16才になると成人として認められることになると聞いたことがある。正月と成人式がいっぺんに来るなんて、めでたいことこの上ない。
それで、さっきからカミカミになっているんだな。と、半蔵がウンウンと頷きながら。
「ん? じゃあ、何か特別にお祝いをした方がいいのか? この世界ではどんな」
「んん~っ! もう大人になったので、お酒も飲めるようになったのでしゅ」
とか言って、ディーヴァがドンッとワインのボトルをテーブルの上に勢いよく、腰の後ろの小さな袋から取り出して見せる。
「お? そう言えば普段はディーヴァは飲まなかったもんな?」
今日は年越しのためのちょっと良いホテルの一室なので、初めての慣れないお酒で酔いつぶれたとしても特には無いだろう。
「しょ、しょれから! 大人になったので、か、階段も登れるのでしゅ!」
顔を真っ赤にしながら、はぁ~はぁ~言ってそんなことを叫び出すので、思わず部屋を見回して階段を探してしまう。
確かに年越しと言うことでお風呂の付いた高めのホテルだが、階段まではないぞ。と半蔵が首を捻っていると。
「違ったぁ! お、大人の階段を……登って……ポンッ、ゴクゴクゴクッ、プハーァ!」
「うわっ、ディーヴァ! 急にワインをラッパ呑みなんかしたら」
ギョッとして急にそんなことをし始めた彼女から、ワインボトルを取り上げると。
「う……おっきくなったからいいんでしゅ。おっきくなったことを、するんでしゅ」
そんなことをブツブツと言いながら、ワインボトルを持ったままの半蔵に抱きついてくるディーヴァは。
潤んだ綺麗な玄色の瞳を上目遣いにして、その勇気を振り絞るように爪先立ちになると。
頬と頬をペタっと付けて、耳元に向かって甘い吐息と共に囁くのだ。
「ハンゾーくんが、大人になったお祝いをくだしゃい」
ああ、そう言うことか。
と半蔵は心の中だけで苦笑しながらも、ディーヴァが何故この日の夜にお風呂の付いたホテルにこだわったのかようやく理解していた。
前に、大きくなったら一緒にお風呂に入ろうと約束したのを忘れないでいたのだろう。そう言われてみれば、半蔵ももう今年で17才になる。
向こうの世界でも、中学二年の同じクラスの女子達の中には平気な顔でバージンを捨てたとか言ってた気がするので、遅いぐらいかもしれない。
まあ、あの小鳥は違っただろうが。
と半蔵が思わず現実逃避をしていると、ディーヴァが可愛いプクッとした唇を尖らせて直感スキルを遺憾なく発揮させる。
「むぅ~、他の女のことを考えてますね?」
「ん~、いや? それよりも一緒にお風呂に入ろうか?」
この異世界の歌姫ディーヴァと同じ歌を唄う幼馴染が決して他人ではないであろうと思い出して、嘘ではないと話を逸らす。
「ぴぃっ! しょ、しょれは、もうおっきくなったからだいじょうぶでしゅ……でも、まだいきなり明るいというのは」
まだ何だかブツブツ言ってるので、逆にちょっと屈んで耳元に口を付けて息を吹きかけるようにして囁いてやる。
「ディーヴァ、愛してるぞ」
「ふやぁあ~~っ。もう、ハンゾーくんはズルいでしゅ~。仕方ないでしゅねぇ、うふふ」
そうして、今度はディーヴァがちょっとだけ背伸びをして、屈んでいた半蔵の隙を突くようにして、唇と唇をそっと触れさせると。
「愛しています、ハンゾーくん」
そう言って、どこまでも幸せそうに微笑むのだった。
「~~~~~~~~~~」
真夜中の月光だけが差し込む窓明かりの薄暗いホテルのベッドの上で、しわくちゃになったシーツに二人一緒に包まっている。
蒼い月明りに照らされた真っ白な肌も眩しい歌姫ディーヴァがその柔らかく豊かな胸を、半蔵の筋肉質な割りには引き締まった細身の大胸筋に押し付けたまま。
意外と長い睫毛を閉じて眠る愛しい人の寝顔を覗き見ながら、小さな声で心を込めて愛の詩を唄っていた。
「あなたはあの日、この歌を知っていると言っていたけれど。これは古代魔法言語の詩で、今となっては失われた伝説なんですよ?」
唄い終わってふとそんなことをつぶやくと、そっと触れるだけの口付けをする。
「この歌を唄うのは、歌姫ディーヴァだけなんですよ? だから、あなたが寝言で呼ぶコトリという人は――きっと、私の生まれ変わりか何かなのでしょう?」
そう問いかけると、もう一度そっとその唇を触れさせる。
「でも、あなたは私の男です。例え、私の生まれ変わりであろうと決して渡したりしませんよ?」
そう言い切ると、今度は濃厚に舌を差し入れてなぶるようにずっと唇を離すことはなかった。
「エ・イヴィーアン、それが私の真銘です。あなたの女の名ですよ。亡くなった両親からはイヴと呼ばれていましたけどね。空を飛ぶ鳥を意味するのだそうです」
そうして言葉にならない愛の詩が紡がれる。半蔵の魂に深く刻むように、永遠の愛を唄う。
――ああ、知ってるよ。だって、あの世界で唯一人どこまでも愛した女だったのだから。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「お兄ちゃんっ!」
「半蔵さんっ!」
夕方になって空が茜色に染まった頃。もう一度、というか今度こそキッチリとベッドで目が覚めてから。
紅い光を秘めた玄色の瞳を細くして優しく微笑む、小鳥が温め直してくれた卵粥を。
「あ~ん?」
と彼女が手ずからウサギの絵がついたレンゲで食べさせてくれていると。
学園から帰って来たらしい妹の十六夜と高等部の生徒会長である千剣破が、大声で叫びながら部屋に飛び込んで来た。
「って、もう元気にしてるじゃないのよ!」
「よ、よかったぁ~。一時はどうなることかと」
入って来るなリご挨拶な妹と、ホッとした様子の勇者千剣破はベッドサイドに思い思いに座り込んでしまう。
「もぐもぐ、ごっくん。悪かったな、心配かけたようで」
ずっと入れ代わり立ち代わりでこの二日間は様子を見に来てくれていたらしいので、半蔵が素直にお詫びを申し上げると。
「なっ、わ、私の心配を返しなさいよねっ!」
「本当に、私の所為で怪我をさせてしまって。すみませんでした」
やっぱり心配だけはしてくれていたようで、どうしちゃったんだ妹よ。と言いうか、返す利息の方が高そうだな。
それから、千剣破はしょんぼりしてしまって、いつもの颯爽としたカリスマ生徒会長の面影はどこにも無い。
だから、ここは誠心誠意に。
「じゃあ、十六夜には今度、美味しいモンでも奢るからさ。それで勘弁してくれ。
それから千剣破は――そうだな、何か美味いもんでも奢ってくれ。それで、チャラだ」
そう、頭を掻きながら苦笑と共に言い訳のようなことを口にすると。
一瞬だけ、キョトンとした妹はすぐさま顔を真っ赤にすると、ソッポを向いてパタパタと手を振って見せる。
同じく一瞬、綺麗な黒い瞳を見開いた千剣破は、手の甲で口元を隠すとクスクスと笑うのだった。
「ま、まぁ~、それじゃあ仕方ない。今回はそれで勘弁してやるとするか?」
「うふふ、分かりました。それでは今度みんなで美味しい物でも食べに行くことにしましょうか?」
「ふんっ、しくじったお間抜けな透明人間が一緒というのが気に食わんが、まあ勇者チハヤと美味しいものが食べれるというのであれば吝かではないなぁ?」
するとそれまで黙っていた、呼んでもいないのについて来ていたエルフの大賢者が腕組みをしながらウンウンと偉そうに頷いている。
中途半端に語尾が上がっているところが、無性にムカつくのは何故だ? とか、半蔵がエルフリーデを睨みつけていると。
「はい、あ~ん。わ~い、じゃあ今度の休みにみんなで行こうねぇ? えへへ~、久しぶりにハンゾーくんとデートだぁ」
なんて、ニパァ~っと向日葵のような笑顔で、レンゲを片手に万歳しながら小鳥が言うもんだから。
「ふひっ、で、デートだなんてっ。わ、私はお兄ちゃんの立場を立ててあげようと……デキた女だしぃ?」
「まあ、それではトリプルデートですね? それは楽しみです、うふふ~」
鼻から変な音が漏れたが、妹よ。さっきからお兄ちゃんと呼ばれることに違和感が半端ないんだが。
それから、千剣破さん。トリプルデートというのはカップルが三組必要な気がするのは気のせいでしょうか。
とか、どうでも良いことをモグモグと口を動かしながら、寝起きの半蔵は悟りの境地でボンヤリと考えているのだった。




