第3章4話 特別演奏会
「ええっ? 異世界からの転生者――って、勇者ってこと?」
王都の冒険者ギルドの一階にあるカウンターバーの妙に高い座高の椅子に座った歌姫ディーヴァが、ビックリして驚きの声を上げててしまう。
その透き通った鈴を転がすような澄んだ声は、雑然としていたフロアに驚くほどに響き渡る。
――また、あの頃の夢だ。
周りのテーブル席には、見るからに無頼者といった風情の冒険者達が昼間っからたむろっていて、ジロッと視線だけを向けてくる。
こんな所であんなヤバそうな奴等に絡まれたりしたら敵わない、と慌てて半蔵が手を振る。
「違う、違うって。俺は唯の一般人だ。勇者召喚の儀式に巻き込まれただけの、普通の人だよ。別に特別なスキルを持っている訳でも、高位の職業って訳でも無い」
王都郊外に広がる魔の森の奥地から、助けてくれた歌姫ディーヴァに連れて帰ってもらっていた。今は依頼主のパーティーが全滅したことを報告するために、冒険者ギルドへとやって来ている。
全滅の報告自体は良くあることなのか、アッサリとしたもので。逆にこれで良いのか、と思う程で。
後で関係者から質問があるからということで、こうして何処へ行くわけにもいかずに時間を潰しているのだが。
「なあ~んだ、ビックリしたぁ。トンデモない人を助けちゃったのかと思ったよぉ~。でも、そしたらどうして一人で冒険者なんてやってるの?」
綺麗なミルクティカラーの長髪をシャランと肩から落として、コテンと小首を傾げて見せる彼女に、苦笑しながらも隠すほどのことでも無いかと説明を始める。
「召喚の魔法陣で呼ばれた勇者は、ちゃんとスキル持ちだったから王国で保護されてるよ。
だけど。偶然、巻き込まれただけの俺は特にこれと言って何ができる訳でも無かったし、空気のようにあまり人から気にされることも無かったので、そのまま王城を抜け出て来たんだ。
ああ、でもあんまり目立ちたくないから、言いふらしたりはしないでくれると嬉しい」
あのまま王城に残っても、魔神討伐に投入されて殺されるのがオチだ。しかも、大した能力も持っていないんだから、捨て駒にされて終わりの未来しか思い浮かばない。
実際、一緒に召喚された勇者達と違って、半蔵がたいしたスキルも持っていないことが確認された時の、あの王族や魔術師達の迷惑そうな顔を決して忘れることは無いだろう。
だから、そのままいつものように他人からの視線を避けるようにして、いつの間にか王城の外へと抜けだしていた。そのこと自体に、後悔は無い。
後で分ることだが、これは間違いなく正解だったのだ。何故なら、勇者と一緒に残ったもう一人の召喚者は。
「うふふ、よかった。今すぐ、王城に連れて行かないといけないかと思ったよぉ? でも、確かに私も森の奥でハンゾーくんが近づいて来るのに気がつかなかったぐらいだから、透明人間のようなのが得意なのかもね?」
「……透明人間かぁ~。それも良いかもな?」
歌姫ディーヴァのそんな何気ない一言に、この異世界に来て初めて顔を綻ばせる半蔵だった。
――そうなんだ、こうして透明人間への道を突き進むことに。
「あ、やっと笑った。やっぱり、ハンゾーくんは笑ってた方が似合うと思うよ? うふふ~」
そんなことを言われたのは初めてだったので、思わずキョトンとしてしまって。
でも、そう言って優しく微笑む歌姫ディーヴァの笑顔を見ていると、何だか自分まで嬉しくなって来るようで。
自然とお互いの顔を見合わせると、クスクスと笑い合う二人に。
周囲の無骨で粗野にしか見えない冒険者達も、いつの間にかわざと視線を逸らせていて。でも、口角はいつしか上げられているのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふぉふぉふぉ、それじゃいくぞい?」
吹奏楽部の定年が近い顧問の先生がその皺だらけの手に指揮棒を持って、フリフリと振りながらステージの上の部員達に向かって声をかける。
今日はいよいよ特別演奏会の当日で、昼過ぎから遠路はるばる会場となる港の公園傍にある県立の音楽堂に来ていた。
実はこの特別演奏会そのものがTV局の主催で、県内から他にも県大会上位レベルの何校かが呼ばれていて。
そのどれもが、私立有名校で日本でも有名な音楽家の先生達が指導しているという、あの曰く付きの学校だったらしい。
そして曲順も、コメンテーターとなっている偉い音楽家の先生方の意向によって、小鳥達が最初になっていた。
普通は逆で、全国入賞校がトリだろうに。
まあ、みんなはそんなことを気にする様子もない程に、緊張しまくっているのだが。ああ、部長の黒縁メガネがヤバイ程に真っ白に曇っていて、あれじゃ前が見えないんじゃないだろうか。
これも予定ではTV局関係者だけの内輪のチケットレス演奏会だったらしいのだが、関係者が一般の関係者を呼んでネズミ講式に増えて行って。
いつのまにか、二千人程しか入らない音楽堂には満員御礼の、立見席まで用意される始末となっていた。
聞いていた話と違う目の前の大勢のオーディエンスを前に、緊張を隠し切れない小鳥は。
「ぴぃ~~っ……」
ガチガチだった。しかも、口からは何だか聞いたことの無い、高い電子音のようなものを出してしまっている。
「おい、大丈夫か? まあ、大丈夫じゃないだろうけど――そうだな、自分の中を空っぽにして、意識を外に向けて周りの精霊に話しかけて見ろ。
みんな、小鳥のことが大好きだから、すぐに集まって来て応援してくれると思うぞ?」
奥に紅を秘めた玄色の瞳をウルウルさせてしまっている、小鳥の頬にそっと触れながら。
昔に一度、あっちの世界で歌姫ディーヴァに聞いた話を思い出して口にしていた。
「うぅ……ハンゾーくんったらぁ。また、精霊さんなんて言ってェ~。コトリちゃんは小さな子供じゃないんだからあれ? あれあれ~?」
急にキョロキョロとし始める小鳥。しかし、そこへ妹の十六夜がやってきて、半蔵の腕を掴むとグイグイとステージ袖に引っ張って行ってしまう。
「ほら、あんたはいつまでこんな所にいるのよっ。ちょっと、こっちに来なさい!」
「わわ~、ちょっとぉ。そんなに、引っ張るなって~」
「それでは時間です~、3、2、―、―」
ADさんらしい若い兄ちゃんがカメラの下でパネルを片手に、最後は無言で手を振ると。アナウンサーっぽい若い女性が思いっきり作り笑いを浮かべて、アリーナ席の最前列に居並んだ日本の音楽界における大御所達に視線を向ける。
「はい、それでは演奏を始める前に、日本を代表する音楽界の先生方にコメントをいただいておきましょう」
「フンッ、儂の弟子達を差し置いて全国入賞したという実力とやらを見せてもらおうかの?」
「そうですねぇ~、まあフロックだったんでしょうけど。今日はどこまで聴かせてくれるのか。ふふん」
「お~っほほほ、そうざますよね~。後であたしの教え子達が手本を見せてくれるので心して聴くんですよ?」
初老の爺さんに、太鼓腹の中年オヤジと痩せギスの婆が、これでもかと鼻に付くようなコメントを繰り返す。
全国テレビ生放送でネット同時配信のはずだけど、大丈夫なんだろうか。などと、余計な心配を半蔵がしていると。
「それでは、どうぞ」
アナウンサーの耳障りなほど固い声が、特別演奏会の始まりを告げる。
「~~~~~~~~~~」
突然、イントロから入って、吹奏楽部だけのインストルメンタルが演奏され始める。
流石は神の楽曲とまで謳われただけのことはあるメロディラインに、ざわついていた会場が一瞬で静まり返る。
次に吹奏楽部の演奏が控え目になると、遂にはほとんど聞こえなくなってから小鳥による文字通り独唱が始まる。
そう、曲の構成としては部長が最初はインストのみ、次に独唱、最後にフルコンボのオーケストラにこだわった。
そして、歌姫ディーヴァである小鳥の神の声が紡ぎ出すその歌声に、誰もが息を呑むことになる。
彼女の唄う古代魔法言語の詩の、その歌詞の意味が分からなくとも心に響くそれは何を人々に伝えるのか。
最後に吹奏楽部が再び小鳥の歌声に合わせて壮大なフル演奏を共に始めると、圧倒された観客席の人々は遂には総立ちになってしまう。
唯々我を忘れて、祈るように涙を浮かべながら聞き入ってしまうのだった。
「~~~~…………」
楽曲の演奏が終わっても、シーンと静まり返った会場には物音ひとつ無く。
拍手すら起こらないことに、不安そうな顔を見せる小鳥と、対照的にやり切った満足そうな顔をしている吹奏楽部の部員達。
仕方が無いので舞台袖から半蔵が一人、パチパチパチと厳かに手を打ち鳴らすと、それに気がついた小鳥が嬉しそうに頬を綻ばせて振り返る。
と我に返った会場のオーディエンスから、割れるような拍手がスタンディングオベーションと共に届けられる。
そして、ようやく仕事を思い出したアナウンサーが、音楽界の重鎮三人にコメントを貰おうと視線を向ける。
しかし、滂沱の涙を流して目を見開いて口をポカンと開けたままの、そのあまりの姿に声をかけるのを躊躇ってしまう。
ふと、半蔵が舞台袖から天井から吊られている照明を見上げると、空中には彼にも分かる程の色々に煌く精霊達が集まって来ていて。
そのあまりの神々しい光景に、その場に居合わせた誰もが言葉を失う。
「わわっ」
いつの間にか小鳥の周りに集まっていた精霊達の、その奏でるような様々な色に彩られた光の乱舞に天界の景色を見るのだった。
「あちゃ~、歌姫ディーヴァが全力を出せば、ああなるのは当然じゃないのよぉ?」
そんな呆れたと言わんばかりの、大賢者エルフリーデの含蓄のあるご指摘に肩を落とす半蔵に。
「わわっ、本当に精霊が集まって来るんですねェ~。流石は半蔵さんですぅ」
なんて、嬉しそうに囁いて来るのは勇者で生徒会長な千剣破だ。
お前達まで来ていたのか。などと振り返って睨んで現実逃避をしていても仕方が無いので、とにかく小鳥を回収しようと一歩踏み出すが。
「ちょっとっ! あんたがまた何かやったっての?」
ガオーッ、と気炎を上げながらワイシャツの襟を締め上げて来るのは妹の十六夜だ。
いいから、邪魔すんじゃねーよ。と半蔵がそれを振り解こうとするが、それよりも早くにピョ~ンと小鳥が飛んで逃げて来る。
「わ~ん、コトリちゃんもビックリ~! 精霊さんがいっぱいだぁ~」
そのまま精霊達を引き連れて舞台袖にやって来てしまったので、そこはもう混沌のような有様になってしまっていた。
唯一の救いは、舞台から逃れたのでTVカメラから逃げられたことぐらいだろう。
それに、透明人間である半蔵の傍にいる彼女を、発見できる人間は限られている。このまま、逃げるか。などと、物騒なことを考えていると。
舞台の上に取り残される形となった吹奏楽部の部員たちは、舞台につめかけてしまったオーディエンスに取り囲まれて大変なことになっていた。
ああ、部長さんの黒縁メガネが真っ白に曇るだけでなく、余りの熱量にヒビが入ってしまっているぞ。と、他人事のように、横目で眺めているだけの半蔵だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「~~~~~~~~~~」
県立音楽堂からの帰りの大型バスの中では、何故か吹奏楽部の部員たちによる大カラオケ大会が開催されていた。
この観光バスは人数も多かったことから主催のTV局がチャーターしてくれたもので、ご丁寧にカラオケ装置が標準装備されていたのだ。
最初は真っ赤になって辞退していた小鳥も、最後は押し切られる形で持ち歌の――と言っても、いつもの古代魔法言語の楽曲なのだが、の何とメドレーをアカペラで披露していた。
おかげで、夕方の高速を走る観光バスの周囲は辺りから集まった精霊達に取り囲まれて、光溢れる凄いことになってしまっていた。
その晩のネット上で『光速バス現る!』というタイトルの動画が祭りになるのだが、そんなことは知る由も無い呑気な小鳥達だった。
「はあ~、まったく。あれ、どうすんのよ?」
会場を脱出するときから機嫌の悪い、中等部の副生徒会長である妹の十六夜がブスッとした顔をしたままで半蔵を睨みつけて来る。
あの後、会場の控室にまで興奮した観客が押し寄せて来たので、出待ちされては敵わんと。
半蔵が透明人間のスキルを全開にして迷彩、潜伏、隠蔽、隠密で小鳥だけでなく、吹奏楽部の部員たちもまとめて逃がしてしまっていた。
結局、TV局主催の特別演奏会は最初からの異常な興奮状態の中で続けられることになったようなのだが。
後から出て来る他の三校は可哀想なことに、その熱狂的なまでの熱気の中での演奏を強いられることとなり、普段通りの実力を発揮することもできず。
これには、教えを垂れている日本の音楽界で最高権威の先生方としても、言葉も無かったらしい。
主催のTV局もこれ以上は塩を塗る必要はないと考えたのか、いい絵が撮れたから満足したのか、特に双方からコメントを取ることもせずに生放送を終了させることにしたようだ。
ただ、同時ネット配信されていた方はその影響もあってか特に酷かったようで、怒涛のような書き込みで大荒れに荒れたらしく、最後は書き込み制限がかけられたらしかった。
「そんなこと言ったって、なぁ?」
「そうですねぇ、あの状況ではあれが最善の策だったとは思いますが。まあ、学園側としてはもう少しTVに映りたかった、というのはあるとは思いますが」
フンフンと頷きながらも、バスの通路の反対側から思案顔をして見せているのは、高等部の生徒会長である千剣破だ。
すると、それ見たことかと斜め後ろの席からパシパシと肩を叩いてくるのは、機嫌が悪いままの妹の十六夜だったりする。
「そうよ、だってあれだけ頑張ったんだからさぁ。もうちょっと、こう全国のお茶の間のみなさまに我が校の夢と希望に溢れる校風と可愛い制服を」
「頑張ったのはお前じゃないだろうに?」
訳の分からない妹の台詞を遮るように、少しだけ後ろを振り返りながら半蔵が横目で睨みつけてやると、急にソッポを向いて頬を染めるとアタフタと言い訳を始める妹さん。
「わ、私だってちょっちゅはガンバったんだからね? 今回の歌姫ディーヴァと吹奏楽部の夢のコラボをプロデュースとかぁ」
「だったら、お前が一人で残ってインタビューを受けてくりゃ良かったじゃないかよ? 何だって一緒になって帰って来てるんだよ」
呆れたようにそう言い切ってやると、急にビビったのかソッポを向いて涙目で抗議し始める。
「びぃ~。あんな所に一人で残されたら、どんな目に合うか分かんないじゃないのよ!」
「そんなこと言ったって、なぁ。分かってると思うが、怪我人が出てからじゃ遅いんだからな?
この俺が小鳥が怪我する可能性があるようなことを、わずかでも許すとでも思っているのか?」
はぁ~、とため息をついて手のひらをヒラヒラとさせる半蔵に、万が一にもそんなことはあり得ないと理解してしまっている十六夜が、とうとう頬を膨らませて拗ねてしまう。
「ううぅ~、だってだってぇ。小鳥ちゃんばっか、ズルィ~」
「うふふ、小鳥さんは半蔵さんにとっても大切にされているのですねぇ?」
可愛い中等部の後輩である副生徒会長がかわいそうになったのか、助けるように生徒会長の千剣破がコロコロと笑う。
すると、何が気に食わないのか鼻息荒く妹の十六夜が吐き捨てる。
「フンッ、半蔵が過保護なだけよっ!」
「はははっ、ハンゾーの場合はちょっと普通と違って異常だからなぁ?」
エルフな大賢者が何を達観しているのか、カラカラと笑いながらも素知らぬ顔をして半蔵をディスって来ていた。
そこへようやく、オリジナルメドレーをソロで唄い終えた小鳥が帰って来る。
「わわっ、コトリちゃんが唄っている間になんだか大変なことにっ」
「ははは~。まあ、放っておけばいいさ。それよりも、小鳥は楽しかったか?」
席まで帰って来ると何故かそのままストンと半蔵の膝の上に座って、嬉しそうに向日葵のような笑顔で微笑む。
「うんっ、すっごく楽しかったよ? また、ボーカル付きで演奏会に出る時には一緒にやろうって誘われちゃったぁ~。えへへ~」
ついこの前までの一ヵ月の間にクラスで虐められていた少女は、クラス以外にも他の学年にすら沢山の友達ができたようで。
まるで今がこの世界で一番幸せだなんだとでも言うように、膝の上からとっても嬉しそうに上目遣いで微笑みかけてくる。
「それはよかったな?」
「うん! ハンゾーくん、ありがとっ」




