第3章3話 出会い
「あ~、ハンゾーくんだぁ。急にいなくなったから心配したよぉ?」
吹奏楽部が練習をしている第二音楽室に戻ってみると、嬉しそうに小鳥がポフッと抱きついて来る。どうやら、初めての部活動は殊の外楽しかったようだ。
「悪い、ちょっと生徒会長のところに行ってた。もう帰れるのか?」
そう言いながら待たせてしまったのかと思い、ついいつもの癖でミルクティーカラーの髪を撫でてしまう。すると、クンクンと手のひらに鼻を近づけて。
「ん? 御雷先輩の匂いがする?」
そんなことを言い出す。直感スキルとはまた別の、女の嗅覚というやつなのか。思わず半蔵は、たじろいで半歩後ろに下がってしまう。
「ジロッ、生徒会長に何かしたんじゃないでしょうね?」
そして何故か、不機嫌そうな妹の十六夜が半眼で睨みつけてくるのだ。
「まだいたのか。副生徒会長ってのはそんなに暇なのか?」
「うぐっ。演奏会までもう日が無いから、紹介した手前心配で見ていたのよ、悪い? って言うか、今週末なんだけど?」
「へ? 三日しかないじゃないか」
「もう、各パートごとへのブレークダウンは終わって、構成を調整している所です。まあ、五分ぐらいの曲なんであっという間ですね、ふんすっ!」
いつの間にかやって来ていた部長さんが、黒縁メガネを曇らせながら鼻息も荒くドヤ顔でそんなことを言う。
てか今、透明人間の自分に向かって言ったのか? と、半蔵がギョッとしながらも周囲をキョロキョロと見回してしまう。
「部長ぉ、それじゃ私、帰りますね? ばいば~い」
そんなことをしている間に小鳥は手をブンブンと振って、帰り支度を済ませてしまっていた。
そうして腕に絡む彼女の温もりを感じながら、二人で帰ろうとすると。
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよぉ。私も、もう帰るんだから~」
慌てて鞄を持ってパタパタと駆けてくるのは、妹の十六夜なんだが。最近になって急に近くなった気がする距離感に、半蔵としては躊躇いしかない。
「……な、何よ。別にあんたに帰ろうって言ってる訳じゃなくって。そう、小鳥ちゃんと一緒に帰ろうと思ったのよ」
別にわざわざ、そんな言い訳くさいことまで言う必要は無いんだが。
それでも小鳥には嬉しかったようでギュッと妹の腕を取ると、えへへ~っと満面の笑顔を見せる。
「わ~い、今日は三人で帰ろぉ~」
だから少しだけ困ったようにして、彼女が掴んでいる反対側の腕を見ると、同じように困った顔をしてわずかに頬を染めている妹の十六夜がいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「~~~~~~~~~~」
深い森の中にある木漏れ日の差し込む空気の透き通った小さな泉に、一人の少女が唄う澄んだ歌声が響く。
ずっと昔から聞き慣れていたはずの、もう二度と聞くことができないと諦めていた、その歌声に半蔵は思わず転がるように駆け寄ってしまう。
――ああ、今日はこの夢か。
「~~~~~~~~~~、え?」
一人で唄っていたはずが、いつの間にか知らない薄汚れた男が覗き見ていれば、それは驚くというものだろう。
その少女はまだ半蔵と同じ歳ぐらいの――13か14才ぐらいで、ミルクティーカラーの長髪を風に揺らしながら、紅い瞳孔の玄色をした瞳が綺麗な。
西洋人形のような繊細に整った顔立ちの、でもどこか人懐こそうなふんわりとした雰囲気の美少女だった。
「こ、小鳥……う、小鳥……うぅ……」
「え?」
急に見知らぬ怪しい男が現れたかと思えば、ボロボロと涙を流し始めてしまうので当然のように驚きもする。
しかもそのきたならしい男は、全身が血だらけで怪我までしているようで。
お腹も空いているのか、さっきから「コトリ、コトリ」と少女の周りでさえずっている小さな鳥たちに向かって手を伸ばしている程だ。
「この小鳥たちは食べちゃダメです。代わりに私のお弁当をあげますから。それに怪我をしているようなので、泉の綺麗な水で傷口を洗ってからこのポーショわわっ!」
腰の後ろにある小さな袋から小瓶を取り出しながら、少女が鈴を転がすような涼やかな声で話かけていると。
転んで膝立ちになっていた傷だらけの男が、手を伸ばしたそのままバッタリと倒れ込んでしまう。
「わわ~、こんな所で寝ちゃあ風邪を引いてしまいますよぉ~」
そんなポンコツなことを言いながらも、せっせと濡らした布切れでこ汚い男の傷口の血を拭き取っていく。
「~~~~~~~~~~」
涼やかな風と共に、いつもの彼女の歌声が聞こえて来る。忘れられようはずがない、その懐かしい歌声に思わず眠りから覚醒しながらつぶやく。
「……小鳥?」
「~~~~~~~~~~、あら? 起きましたか?」
深い深い暗闇から浮上するように重い瞼を開けると、目の前にはミルクティカラーの長髪の少女が覗き込むようにして半蔵を、その瞳孔の奥が紅い玄色の瞳で見ていた。
「……あ、小鳥……じゃない、のか?」
「ああ、小鳥たちは食べちゃダメなの。ごめんねぇ」
視点が定まるにつれて失望の色を隠しきれない半蔵に、ちっとも明後日の方向を向いたままの会話を続ける歌姫な少女は、それでも優しく微笑みながら。
気がつくと、どうやら膝枕をしてくれているらしく。ギョッとして、ガバッと最近鍛え始めた腹筋だけで飛び起きてしまう。
「うおっ、す、すまない!」
その瞬間、少女の傍に集まっていた森の小鳥たちが驚いたのか一斉に飛び立つ。
「わわっ、ビックリしたぁ。もう、元気になったようね?」
「……あ、……ああ。ポーションを使ってくれたのか。ありがとう。でも、すまない。悪いが、持ち合わせが無いんだ」
嬉しそうに元気になった半蔵のことを喜ぶ少女に、ようやく現状を理解してお礼とお詫びを言い始める。
「うふふ、構わないわ。私はいつも後方から支援ばかりだから、ほとんどポーションは使わないし。それに、あなたは助けなくちゃ、誰かにとっても怒られる気がしたのよ?」
しかし、少女はクスクスと笑うと良く分からない話をし始めて、勝手に納得してしまったようで。これが後に彼女の持つ直感スキルによるものだと知るのは、まだだいぶ先のことだ。
「でも、あなた――どうしてこんな森の奥地なんかに? 普段はあまり人の来ない場所のはずだけどなぁ」
コテンと小首を傾げて見せる少女に、苦笑しながらも自己紹介とお礼を始める。
「ああ、俺は半蔵。森には探索者役で冒険者のサポートとして入ったんだが、依頼主のパーティーが全滅してしまって。
それでここまで逃げて来たんだが、力尽きたみたいだ。だから、本当助かった。ありがとう」
すると一瞬キョトンとした少女は、嬉しそうにもう一度クスクスと笑うと。
「うふふ、私はディーヴァ。歌姫のディーヴァよ、ハンゾー。よろしくね?」
――これが、後に5年に及ぶ伝説のコンビ、歌姫ディーヴァと透明人間の半蔵との最初の出会いだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「~~~~~~~~~~」
今日の放課後は小鳥のボーカルに、即興に近い形で吹奏楽部の部員たちが楽譜に起こした各パートを合わせている。
流石は全国入賞の実力と言ったところか、昨日の今日で音楽にド素人な半蔵にはそれなりに楽曲として出来上がっているように聞こえるのだから不思議だ。
肝心の小鳥も嬉しそうにみんなとAパートだのサビだのと言いながら、一緒になって音合わせを繰り返している。
しかも、どこから聞きつけて来たのか練習をしている第二音楽教室には、音楽好きの学生達なんだろうオーディエンスがちらほらと聴きに見え始めていて。
でも、その誰もがスマホを取り出したり、動画を撮影したりはしていない。既にネットに動画を無断でアップしたカメラマンが、社会的な制裁を受けたことを知っているからだろう。
「うっひょおおおお! キタキタキタァー!」
さっきから雄叫びを上げっぱなしなのは、黒縁メガネを湧き上がるパッションで真っ白に曇らせたままの部長さんだ。
しかもあちこちのパートのアレンジにバランス調整のため口出ししていて、鬼神の如く縦横無尽に走り回っている。
吹奏楽部って、結構な体力勝負の部活だったりすんだなぁ。などと、透明人間な半蔵はまるで他人事のように見ているだけだ。
だから、一番前で異世界の古代魔術言語で紡がれる詩を唄っている小鳥に向かって、一番後ろの出口の傍から外を指差す。
すると、すぐさまそれを見つけた彼女がコクッと頷くので、クルッと振り返って第二音楽室を後にする。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「という訳で雷撃魔法を応用して科学的に攻撃力を増大させたいと思います」
「「おおーっ! パチパチパチ~」」
新校舎の屋上に来てみると、昨日のように重い剣を振り回しているだけの生徒会長の千剣破がいたので、新技の開発に取り掛かることにする。
科学の何たるかを全く理解していないだろう大賢者と、高校二年生とはいえ学年トップの頭脳を持つ生徒会長な千剣破が分かっているのか分かっていないのか熱い拍手を送る。
「ようは雷撃魔法の元となっている雷ですが、いわゆる放電現象で超高電圧により加速させた電子で空気中の分子を電離させてプラズマを発生させます。
これを能動的に魔法剣を起点に発生させることで、最終的にはプラズマ砲とも呼ぶべき強力な荷電粒子エネルギーの塊を対象にぶつけて物理破壊を引き起こさせるというものになります」
「おおーっ! パチパチパチ~」
「お……お?」
やはりおりこうさんな勇者千剣破はちゃんとついて来ているようだが、600年の長きに渡る人生を経験と勘だけで生きて来たエルフな大賢者には既に理解の外になってしまったようだ。
「そ、それでっ、具体的にはどうすれば!」
漆黒の瞳をキラキラさせて拳を握り締めている勇者に、ちょっと困ったように。
「これは理論的には実現可能とは言われていますが、技術的には現在のところ実機再現されてはいません」
「えぇ~……」
ちょっと可愛く眉を下げる美少女生徒会長に、苦笑しながら半蔵がピンと人差し指を立てて見せる。
「コホン、そこで魔法の出番です。千剣破には勇者として特に雷撃魔法については天賦の才があるので、イメージと力技で何とか物にしたいと考えます」
「おぉ~」
「という訳で、まずは超高電圧の発生により電子を加速させて飛ばすところから始めましょうか? それだけでも、剣を相手に突き立てた時に与える物理衝撃は半端ないものとなるはずです」
「コクコクコク」
「んん~、私にはわっかんなぁ~い?」
昨晩からはそのまま千剣破の家にやっかいになることにしたらしいエルフリーデ先生が、子供のようにブー垂れる。
だから、お子様にはこの本でも読んで勉強しておいてくださいと、ポイッと分厚いプラズマ物理学の教科書を放り投げておく。
「ぎゃあ~、何この漢字と数式ばっかの本は~っ?」
「わっ、これがプラズマ放電?」
殆ど大学の論文のような専門書に泣きが入った大賢者を放置して、勇者は少しの物理知識と生来の直感だけであっという間にプラズマを作り出してしまっていた。
これは本格的に魔法実験をするとなると、裏の山にでも行かないと色々な意味でも危ないかも。とか、半蔵が今日も雲ひとつ無い青空を見上げながら、そんな現実的なことを考える。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ギャンッ――――」
中央一貫教育の学園の旧校舎の裏にある小山の森の、さらにその奥のうっそうと木々が生えた昼間だと言うのに薄暗い樹海に、動物の悲鳴が反響する。
熊手のような大きな鉤爪で野良犬はひと掴みにされて、あっという間にパカッと開けられた乱杭歯が覗く大きな口が丸呑みにしている。
その血管のような文様が浮かぶ漆黒の金属鎧に身を包んだ、今は魔人となって暗黒騎士に堕ちてしまった、プラチナブロンドの元聖騎士ジークリンデは。
大賢者の爆炎魔法で焼かれた身体もだいぶ復元できてきていて、野生化した小動物を捕まえるぐらいまでは回復していた。
「……う、……チハヤ。……うぅ……」
自我は既に残っていないはずの魔神の欠片の依り代となった彼女が、かつて憧れて今も忘れられるはずのない人の名を溢らす。




