鍛練場
皆さん我が家では今更インフルエンザが流行っています。
皆様も油断せずにお気をつけてください
3話 鍛練場
ヒルは走っていったフレデリカを呼び止めることもできずに暫く手を前に出したまま立ち尽くした後、何しに行ったんだろ?と疑問に思いつつも鍛練場へと向かう。
鍛練場は剥き出しの土の周りに高い塀が丸く取り囲む形になっておりその外側は客席が並べられていて修行の場と言うよりコロシアムに近い作りだ。
鍛練場の塀で囲まれた中央付近には模擬戦に熱中する者、半裸で足元に汗の水溜りを作り、ひたすらに空気を切りながら素振りをする者、端の方ではフードを被った怪しげな集団が地面に杖で何かを書いて一斉に呪文を唱えていたりと一日見ていても飽きないような光景が広がっていた。
それらを見慣れているヒルはそそくさといつもの安物の防具に着替え柔軟体操を終えると鞘を着けたまま鉈を右手で持つ。
ゆっくりと上段から降り下ろす、数回やって感覚を掴むと今度は左手で同じ動作を繰り返す。
実戦では負傷し常に利き手が使えるとは限らない、そうなった時のために左手でも右手で扱うのと変わらない感覚を養えるようにこの訓練方法を取り入れている。勿論そうならない様に籠手は少し良い防具を使って対策はしたあるがそれでも、もしもの時に備えてきたい。
ヒルはそう考えている。
十全に、入念に、素振りを終えると次に訓練に入る。
今まで経験した戦闘を…主に対人戦を思い出しながら、先輩やギルドでの注意喚起の内容を思い出しながら、自分の頭の中で状況を想像し…目の前に相手を思い描きその相手の攻撃を避わし、いなし、受け流しながらカウンターで頭部に鉈を食い込ませる。
次の相手は二人、挟撃されないようにどのように立ち回るか考え、その行動で相手がどんな行動を取るかシュミレートする。
しかしヒルは途中で動きを止めてしまう。
「うーん…しっくり来ないなぁ、違和感がある」
額から汗を流し自身の訓練に否定的な感想を持つ。と言うのも相手を目の前に想像しながら鉈を振ってみても相手がそう動いてくれると思えなくなったのだ。
ヒルは実践経験が少ないと自覚している、そんな自分に虚像の相手と戦うなどと言う高度な事が出来るのか?
猪や兎ならともかくも人なら尚更。
先輩から教えて貰ったイメージトレーニングと言う訓練だがまだ自分には早かったなとヒルは自己完結した。
そうなるとやはり基礎を固めておくべきだと考えたヒルはまた、初めから素振りを繰り返す。
するとそこへズン…と地面が低く揺れる大きな足音が近付いてきた。
「そこのおっきい兄ちゃん、少し良いかい?」
おっきい兄ちゃんと言われすぐに自分の事だと理解したヒルは素振りを中断し後ろを振り返ると田舎のジュガルガンでは珍しい女性がいた。
その女性は男の中で大柄の部類に入るヒルを目線ひとつだが上から見下ろしている。
癖の強い赤髪は肩甲骨まで隠れるまで伸びて、防護性よりも機動性を重視した作りの防具は所々小麦色に焼けた肌を露出している。
ヒルを真っ直ぐ見つめる大きい瞳の瞳孔は横に横に広がった長方形の形をしていた。
そして何よりも特徴的なのは両側から生え前に突き出た大きな赤髪と同じ色の角だろう。
太く頑丈そうなそれは人の腹筋ぐらいはら容易く抉れるだろう、とヒルは直感した。
「…やっぱり珍しいかいこれ?」
女性は苦笑し、角を指差す。ヒルは自身が不躾に人の体の一部を凝視していたと自覚し後ろに二歩下がり腰を直角に曲げた。
「す、すいませんでした!亜人の方とお話しするのはあまりなくて…その、怖かったとかそう言うのじゃなくて!!」
ヒルは深く己を恥じた、顔に傷があり体格が大きいだけで周りが勝手に恐がり孤立していた苦しみは良く知っている。
ただ立っているだけで恐がられて皆隠れてしまう。…あの頃には戻りたくない。
だから自分は見た目だけでその人の事を判断しないように心掛けてきた。
にも関わらずただ初めて見ただけの角や目をうっかり凝視してしまった。
自分を避けてきた他の人達のような目を自分はしていたのかもしれない。
目の前の女性は何を感じたのだろうか?傷付けてしまったのかもしれない、それが堪らなく許せなかった。
「…ダッハッハッハッハッ!」
いくらか間空いた後、女性は腹を抱えて豪快に笑う。
ヒルは理解が追い付かず腰を曲げたまま顔をゆっくり上げて地面に踞りながら笑い転げる女性を見ていた。
「ヒィー…腹いてぇ、お前良い奴過ぎるだろぉオーホッホ…」
次第に笑いが収まってきたのか涙目に成りつつも立ち上がって背筋を伸ばしてヒルを見据える。
「いやぁ、お前みたいなの初めてだわ。いやな?あたいみたいなのが近くに来ると大抵の奴は逃げるからさぁ。ほら、角生えてるのなんてここいらじゃ見かけないだろ?」
「あっそれ分かります。回りの人は勝手に避けていくんですよね」
大柄体格あるあるにヒルは思わず食い付き自然と腰が伸びた。
だが、相手が爆笑すると言う形で有耶無耶になった謝罪は忘れておらずまた折り見て改めて謝罪するつもりだ。
「おっ!お前もその口か!確かに人の中じゃ結構大きめだもんな。…でも分かんねぇなぁ、可愛い顔してんのに?」
「か、カワ!?」
ヒルは戸惑った。可愛いと言われた事は幾度とある、しかしそれは自分の事を知ってくれている相手からのみだ。
初対面の相手から可愛いと言われたのはこれが初めてだ。
それは嬉しいことでもあるが慣れないことで混乱してしまう。
その反応を相手は別の意味の驚愕に捉えてしまう。
「あー…男に可愛いなんてのは…おかしいよな、すまんかった」
今度は女性が頭を下げ始めた。
ヒルは本来謝るべき相手に謝られ更に困惑し慌てて弁明を始めるが。
「いやいや!そんな謝らないでください!どちらかと言うと嬉しかったですし…えっ!…いや違っうんです!…いや違わないんですけど!……えーと、えー……あれぇ?!」
可愛いと言われて嬉しいのは間違いではない。
しかしそれは自分の事を『怖い』以外の印象を持たれたから嬉しいのであって決して自分が可愛いと思われたいからではない。
なのにヒル自身が発した言葉はそのようにも聞こえてしまう。
それを否定しようにも上手い言葉が見付からずヒルは珍しく取り乱してしまった。
「ダッハッハッ!分かった!分かった!お前の言いたいことは分かったから取り合えず落ち着け!」
手を擦り付けるような力強さでガシガシと頭を撫でられたヒルは目の前が少しクラクラするがようやく落ち着きを取り戻した。
「うぅ…すいません、取り乱しました。」
「良いって良いって、そう言えばまだ名乗ってなかったな。あたいはジェシカ、ミノーモスって種族で戦闘職やってる」
「ぼ…自分はヒルですジェシカさんと同じ戦闘職をやらせてもらってます。」
ヒルは赤面涙目でジェシカを見上げながらも精一杯堂々とした自己紹介を心掛けたがジェシカにニヤリと笑われ失敗したと悟る。
ヒルは何故か幼い女の子には好かれる、少女と呼ばれる歳の子でも手品を少しすれば打ち解けられる変な特技を持っている。
それ故誤解されることもあるがジェシカと言う存在は新鮮でこのやり取りもとても楽しんでいた。
「んで、ヒルに模擬戦頼もうかと思ったんだが…今は不味いか?」
ジェシカが頭を振って回りを見渡すのに吊られてヒルも左右に頭を振り回りを見ると鍛練場に居るほぼすべての冒険者達が二人の事を口を半開きにしながら見つめていた。
特にヒルに対する目線がやや強い、それは先程のヒルの態度のせいだろう、他冒険者のヒルへの評価は概ね冷静、無口、真面目の三拍子で先程の様な年相応の反応を見るのは彼等は初めてであり予想していなかった。
この日を境にたまたまこの場にいた女性冒険者の中からヒルの『ギャップ萌え』にやられた者達がこっそりファンクラブを作ったとか作らなかったとか。
ともかく、回りの目線を独占させながら何か出来るほどジェシカもヒルも目立ちたがりではない。
「少し場所を移さないか?」
「んん…そうですね、じゃあホールに行きましょうか?」
「ホールかぁ?どうせならパブに行かないか?お前と色々話してぇし」
「あぁすいません。もう少ししたら知り合いが来るんです、急に鍛練場から居なくなったら心配すると思うんで」
「そうか…じゃあそいつも呼んでパブ行くぞ!」
「えぇ?でも…」
「別に良いじゃねぇか!そいつが来たら誘おうぜ!ダメだったら諦めるからよ!」
「うわ!ちょっ!ジェシカさん!」
ジェシカはヒルの首に腕を回し逃がさんと言わんばかりにガッチリとホールドする。ヒルも抜け出そうと抵抗してみるが種族の差なのか割りと細いジェシカの二の腕から逃れられなかった。
そして左頬に直接伝わる鍛えられつつも女性らしい柔らかさと弾力がある感触と甘い香りに更に慌てた。
ヒルの慌てた具合と赤くなる顔を眺めるジェシカは悪戯を思い付いた子供のような無邪気な笑顔でヒルに言う。
「ジェシカだ」
「え?」
「ヒル。あたいはね、気に入った奴からは気を使われたくないんだよ。だから敬語も無しだ。良いね?」
「でもジェシカさん…」
「ジェ・シ・カ!言うこと聞かねえ奴はこうだ!!」
ジェシカは右腕に力を込めてヒルの頭を締め付ける。
勿論ヒルに痛みが無いように手加減をしているが純情なヒルには刺激が強すぎた。
ヒルはその見た目と寡黙なイメージからフレデリカ以外の異性との交流は極端に少ない、ましてスキンシップなどフレデリカや母親以来記憶に無かった。
その結果。
「………」
「あれ?ヒル?」
予想にもしない強烈な刺激でヒルの頭は思考を放棄、抜け出そうと抵抗していた腕はダランと力が抜けて糸が切れた人形のようだ。
この症状は純情で真面目な男性に多く過剰な女性ホルモンを受けると脳内で処理仕切れず一時的に脳の活動を限定して女性ホルモンの刺激を耐えようとしている防衛本能だ。
「……ジェシカさ、ジェシカ…言うと通りにするから止めて…」
「あ、あぁ…その…すまなかった」
ヒルが絞り出した切実な願いにジェシカは即座にヒルを開放する。謝罪の言葉は小さかったがヒルには伝わっていたようで 大丈夫だよ。と言いながらフラフラとした足取りで鍛練場の出口にヒルは歩いて向かう。
少し間が空いたあと、ジェシカはその後ろを小走りで走っていく。
一部始終を見ていた隅っこのローブ集団はサバトを掲げ聞き慣れない言葉を発していたが回りを被う黒い雰囲気が何らかの呪詛であることは察せられた。
ここまで読んでいただきありがとうございます‼




