異世界に来る前
いつもありがとうございます。今回少し長めですがよろしくお願いします。
「あと一週間」
壁にかけているカレンダーに向かい、今日の日付にバツ印をつける。日にちを確認した美琴はテーブルの上のお酒を取り、ベランダへ移動する。
「今日は新月かぁ」
最近夜空を見るのが日課になってしまった。別に夜空が好きというわけではない。美琴はお酒を一口飲みながら、一年前のことを思い出す。
ちょうど一年前の夏、赤い満月が夜空を飾った日、この家に一人の男が突然現れた。血まみれで床に倒れていたその男は金髪、碧眼でゲームに出てきそうな防具をその身にまとっていた。突然現れた男に警戒したもの看護師だった美琴は怪我人を放っておけるわけもなく、世話をした。意識を取り戻した男との話から異世界人ということが判明。本当なら頭大丈夫かと疑うところだが、あの時の美琴はなんとなくその運命に身を任せてしまったのだ。そして異世界、ラインティアに帰るまで異世界人、ジルヴェスターと生活を送ることになった。
「まさかその異世界人に恋するとは思わなかったけど」
思い出しながら美琴は苦笑する。一緒に生活をともにするにつれ美琴はジルヴェスターに魅かれてしまった。口が悪いけど実は優しい異世界人との生活は楽しかった。
「色々大変なこともあったなぁ」
美琴の辛い過去を逆手にジルヴェスターを取られそうになったり、異世界からジルヴェスターの命を狙ってきた男に殺されそうにもなった。約一か月という短い期間が人生の中で一番濃い思い出になるとは思わなかった。
「約束までもうちょっと」
ジルヴェスターが恋人の証としてくれた指輪を撫でながら、帰るときに約束してくれたことを思い出す。一年後にまた迎えに来てくれるという約束。その日数まであと一週間。満月の夜に来て、満月の夜に帰っていったから、何となく満月の日にまた来てくれるのではないかと最近夜空を眺めている。だけど、満月まであと二週間。もし、満月の日にまた来るとしたら先はまだ長い。
「私も魔法が使えたらなぁ」
指輪を見ながらそう思う。異世界では、魔法式を頭に浮かべて指輪に填められた魔法石に魔力をこめ、指を鳴らすことで魔法が発動できるという。魔法式はわからないものの試しにパチンと指を鳴らしてみる。
「起きるわけないよね」
音だけが響きそれ以上のことは何も起こらない。当たり前のことだが、どこか何かを期待した美琴は少し残念そうに残りのお酒を飲み干した。
「あれ?」
景色が一瞬回った。軽い音を立てて落ちた缶を拾おうとするとまた景色が回る。飲みすぎただろうかと目元を抑え眩暈をやり過ごそうとする。
「疲れでも出たかな」
眩暈で動けなくなる前にベッドに行こうと歩みを進める。一歩進むごとにひどくなる眩暈とそれに伴う吐き気に気分が悪くなる。どうにか寝室についた頃には目を開けていられる状態ではなかった。
「っつ!」
ベッドに倒れこむように横になった美琴は呼吸を整え、頭の中に当てはまる病気を思い浮かべる。とりあえず、手や足に麻痺などは出てないから頭ではないはずだ。耳が原因ならひとまずやり過ごすしかないとそのままの体制で眠りにつく。どうか、次に目が覚めた時は眩暈が治ってますようにという祈りとともに。
「そして、次に目が覚めたらさっきのあの場所だった」
ここに来る前までの記憶。美琴にはそれしか残っていない。だけど、目の前のシャルは違うと、記憶が消されたという。
「ここに来るまでの記憶は前聞いた時と間違いないよ。ただ、その後があるんだ。ミコっちゃんがこの世界に初めて足をつけたのは、ここからかなり離れた戦場でだ」
「……戦場?」
「そう! で、そこで傷ついた俺を助けてくれて、俺の住む街で三日間過ごしてる。ミコっちゃんがどうしても会いたい人がいるっていうから恩返しに二日前ラインティアに送り届けて俺たちは別れたってわけ」
何かの物語を聞いているかのようだ。まるで想像のつかない話に実は嘘なのではと疑ってしまう。事実証拠がないのだ。
「あっ、今俺のこと疑ってるでしょ?」
「かなり……」
疑いの眼差しでシャルを見つめる美琴にシャルは頬を引きつらせる。シャルは困ったように頭を掻きながら何か考えるそぶりを見せた後、何か閃いたかのように手を打った。
「ねぇ、ミコっちゃん。指輪はどうしたのかなー?」
シャルの言葉に目を見開きあるはずの左薬指にサッと手を当てる。いつもつけているその場所に指輪の感覚がないことに青ざめる。異世界に来たことに驚き過ぎて、今まで気が付かなかったのだ。
「ちょっ! どこ行くの!?」
もしかしたら、さっきの街で落としてしまったのかもしれないと慌てて立ち上がる美琴にシャルは制止の声をかける。
「だって! あれは! っつ! とりあえず探さなきゃ!」
あの指輪はジルヴェスターから貰った大切な物だ。けれど、それだけではない。この世界で失くしてはいけない物なのだ。
「落ち着いてって!」
「離して! 探しに行かなきゃ!」
扉を開こうとした瞬間、後ろから抱きかかえられる。腕の中で暴れてみるものの大人と子供、ましてや男に女の力ではビクともしない。
「大丈夫だって! ほら、ここ!」
片腕で抱き上げられ、もう片方の手で首元を触られる。何をと思ってその手を見るとそこにはチェーンにつけられた指輪があった。
「指……輪」
「これが証拠。ここにつけた記憶。ミコっちゃんにはある?」
指輪があったことへの安心感で脱力した美琴はシャルの問いに首を横に振る。大切にいつも左薬指につけていたのだ。チェーンにつけて首にぶら下げたことなんて一度もない。
「でしょ。これは少しでも目を触れさせないように俺がつけたの。見た瞬間、これがクロノスクリスタルってわかったからね。今のこの世界ではそれは戦いの火種になってしまうしね」
指輪に填められているのは、夕日を閉じ込めたようなオレンジの結晶クロノスクリスタル。強力な魔力が込められている魔石だ。それは、美琴も教えられていた。元の世界では何も発揮しないそれは、この世界ではとんでもない価値となることも知っていた。
「その鎖にはクロノスクリスタルの魔力を抑えこむ魔法をかけてる。だから、その状態だとただの石ってわけ。オレンジの石なんて沢山あるし、その状態だとクロノスクリスタルってバレないとは思うけど、用心はしてね」
美琴を抱きかかえたままソファに座ったシャルは美琴の頭を撫でる。
「少しは信じてくれた?」
「うん」
美琴が頷くと上から小さいため息が聞こえた。まだどこか釈然としないところはあるが、ここまで美琴の知らないことがあれば頷くしかない。
「問題なのは、俺が知らない二日間だね。二日前ラインティアで別れたってサラッと言ったけど実はラインティアの王城前までミコっちゃんを送ってる。もちろん大人の姿のミコっちゃんをね」
「えっ? 私、大人の姿だったの?」
初めから子供の姿だと思っていた美琴は抱えているシャルを振り返る。
「そうそう。だから、さっきその姿のミコっちゃんに会った時はさぁ、何しちゃったのかなぁ? って思ったわけ」
「だから、あの時驚いて……」
美琴を全身眺めていた理由はそれかと納得する。まぁ、普通に考えて二日前まで大人の姿をした知り合いがなぜか子供の姿で現れたのだ。誰でも不思議に思うに決まっている。
「王城前までっていうのはどうして?」
確かに会いたい相手は王に仕えていると言っていた。だから、王城なのだろうが、王城前までという言葉に美琴は引っかかった。
「ミコっちゃんが、この先は一人で行くからって言い張ったからね。心配だから、一応夜までは王城前で待ってたんだけど、戻ってくる気配もないから会いたい相手に会えたんだと思って、俺はそのまま帰ったわけ。それなのに、記憶を失くして帰って来るとは俺も予想外」
本当に何があったのやらとため息をついてくるシャルに美琴の方が知りたいと同じようにため息をつく。それに、あと一歩で会いたい相手に会うことができたのに会えなかったことが悔しくてならない。
「ねぇ、人の記憶って魔法で消せるの?」
「できないことはないけどねー。結構高位魔法だから、できる人は限られてくる……かも……」
「どうしたの?」
歯切れの悪い言葉に美琴は不思議そうにシャルを見る。だが、シャルは美琴と目を合わせようとせず、いやいや、まさかとブツブツ何か言っていた。何をそんなにブツブツ言っているのかと思っているとヘラっとした顔でなんでもないと言ってくる。
「いやいや、すごく気になるんですけど! おもわせっぶりはよくないと思います!」
「いや、ちょっとした可能性が浮かんだだけだから。けど、それはおかしいと思ったから気にしないで。いや、そんなむくれた顔されても俺、困るんだけど」
ますます気になる言い回しにムスッとした顔でシャルを見る。わからないことだらけなのだ、ちょっとした可能性でも気になるのは仕方ない。ジーッとシャルを見つめているとしばらくしてシャルは降参というように手を挙げる。
「言ってもいいけど、俺の言うこと気にしないでよ?」
「気にしないようにする!」
任せてという美琴に俺知らないからねというとシャルは言いにくそうに口を開いた。
やってきたのは異世界人の内容が含まれておりますが、なんの話?とわからなくてもこの先に支障はあまりありませんのでご安心ください。なるべくわかりやすいようには努めますのでよろしくお願いします。