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 デジタルパッドを片手に、久我は予防局の車庫に向かっていた。残り六時間。何かするにしても、綿密に調査をする時間などない。どうにかして室井を裸にし、情報を引き出すしか手はない。


 何か隙はないだろうか。そう古海から得た調査資料を眺めつつキャブコンに乗り込もうとしたところで、当の彼女が戻ってきた。セダンから降りた古海は久我を見るなり、慌てた様子で駆け寄ってくる。


「何やってんの! もう大丈夫なの?」


「何がだ」


「え? いやだって、あんな――」


「いいから、暇なら乗れ」


 そしてキャブコンに同乗した古海に一通りの状況を説明したが、彼女は漫画のように口を尖らせ、全く別のことを言った。


「久我さんね、前から思ってたけど、あんたは自分が他人にどんな影響力を持っているのか、考えなさすぎだよ」


「おまえもか。悪かったよ。忙しかったんだ」


「いやね、久我さんが死んだら悲しいとか、そういう話じゃないの。あんな状況で死なれたら、わたしが責任を問われることになんのよ。わかる? それに久我さん死んだら代わりなんていないし業務フローも訳わかんなくなるだろうし――だってのに何時間も連絡一つせずに、のうのうと牛丼を食ってたなんて」


「何で知ってる!」


「服に紅ショウガ付いてる」すぐに裾から払い落として口を拭う様を、古海は渋い顔で眺める。「で? もうそうなったら、法律とかなんとか無視して室井を襲うしかないんじゃないの? あと六時間? それしかないでしょ」


「しかしイルカの助けがなきゃ、まともにシールドを張れるかもわからん。充電の管理も出来んし、銃で蜂の巣にされたらどうなるかわからん」


「そしたら室井を殺人でしょっ引ける。万事解決じゃん?」


 あぁ、と笑いながら人差し指を向けると、彼女も同じ仕草で応じてきた。


「却下だ。他の手は?」


「さぁねぇ。一番室井の警護が手薄になるのは、娘と食事をしに行くタイミングだけど。それはそれで民間人に危害が及ぶ可能性もあるし」


「いつだ」


「週末。今日も行くんじゃない? 表参道の隠れ家的なレストラン」


 とにかくキャブコンで表参道に向かう。裏通りの住宅街には小洒落た雑貨店やバーが散在していて、問題のレストランもその中にあった。二階建ての民家を改造した作りで、植え込みの向こうは橙色の明かりに包まれている。辺りは次第に暗くなりつつあり、仕事帰りの会社員やカップル、学生グループなどが増え始めた。


 時間はまちまちで、古海もいつ室井が来るのかわからないという。久我はキャブコンの中で張り込みをしつつ作戦を考えたが、時間は刻々となくなっている。もはや強引な手段しかないように思えたが、室井を守る謎の技術がある今、それで上手く行くか確信が持てない。


 そうこうしている間に、細い路地に黒塗りのワゴンが現れた。それは店の前に停まると、中から黒服で耳にイヤホンを刺した男たちが六人現れ、店の周りを改めたり店主に話を通したりしはじめる。きっと間もなく室井が来るのだろう。


 久我はイルカを呼び出してみる。しかし既に、コンシェルジュとの通信は阻害されていた。となれば問題の技術は室井本人ではなく、あの六人のうちの誰かが手にしているのだろう。


 不意打ちで六人を倒すのは可能だろう。しかしコンシェルジュなしでは手加減も出来ないし、民間人に気を遣っている余裕もない。


 何か罠が必要だ。あるいは囮か。


 そう考えていた所で、沢山のゴミ袋を台車に積んで、よろよろと行き過ぎて行こうとする男が目にとまった。真っ黒に日に焼けていて、薄汚れた服に身を包んでいる。どこにでもいるホームレスのように見えたが、チューリップハットの下のその瞳を目にした瞬間、久我は腰を上げてキャブコンのバックハッチに手をかけた。


 男は区画をぐるりと巡り、レストランの裏手にある小さな公園に向かった。そこにも室井の手下がいて目を光らせていたが、男は気にする素振りもせず歩道に台車を置き、そろそろと路上に座り込んだ。


 久我は室井の手下に気取られぬよう、公園のベンチに座ってスマホを弄りつつ、背後に話しかけた。


「諸冨、こんな所で何をやってる」


 諸冨真央、スニッカーズと呼ばれる火炎使いだ。先の事件で久我は彼を半ば見逃したが、偶然でこんな所で出会うはずがない。


 あれから彼の物と思える火災は起きていなかったが、少し身を隠す必要性を感じていたのだろう。痩せ細って骨と皮ばかりになりかけていた彼は、多少脂肪を取り戻していた。酷い臭いが漂ってきたが、以前よりは健康そうに見える。


 当のスニッカーズは、久我の登場を予期していたのかいなかったのか、特に驚いた様子もなく背後に声を発した。


「何でもいいだろ。あんたに関係はない」


「それが関係あるんだな。わかるだろ」


「知るか。予防局の実験台になんて、なるつもりはない」


「だから、そんなつもりはないと言っただろう。現に今村塔子は予防局の局員になった。実験台になんてしてないし、こないだ引っ越しの手伝いまでしてやった」


 僅かに身じろぎする音が聞こえたが、その声から緊張は解けなかった。


「彼女に何かしたら、予防局も全部灰にしてやる。わかってるな」


「だからそんなつもりはないと――」そこでようやく、久我は彼がここにいる意味を悟った。「予防局も、と言ったな。まさかミカミインダストリーが絡んでるのか? 最上組に?」


 ミカミインダストリーは数人の科学者を極秘で雇い、新型のレーダー干渉計を開発させた。それは国内に埋もれている<レリック>と呼ばれる異物を探し当てられる物で、結果として彼らは複数のレリックを手にしたと思われる。しかし実験台とした一人の科学者、諸冨が脱走し関係拠点を襲いはじめたことから、ミカミはプロジェクトの清算を決断したらしい。全ての関係者を葬り、手がかりの一切は失われた。


 かに、思われた。しかしあれからも諸冨は痕跡を執拗に辿り、最上組に行き着いたのだろう。自分を実験台にしたミカミに、復讐するために。


「そうか。最上の持つアレは、レリックだったのか。それだと全て話が通る」黙り込んだままの諸冨に、久我は続けた。「全ては裏で、ミカミが糸を引いていた。目的は、発掘したレリックの性能を試すため。そういうことか。連中は何者だ。少しはわかったのか」


「わかっていたとしても、言うつもりはない」


「そう言うなよ。協力出来るところは協力しようぜ。妙だと思わなかったか? そんな格好のホームレスなんて、職質の絶好の相手だ。本気でおまえ捕まえようと思ってたら、速攻で捕まってたはず。違うか? しかし捕まっていない。理由はな、俺が上司に睨まれても、おまえを庇ってやってるからだ」


 諸冨は舌打ちし、大きくため息を吐いた。


「何が狙いだ」


「おまえと同じだ。ミカミをどうにかしたい。ついでに言えば、今は最上に渡ったレリックをどうにかしたい。おまえの火炎能力は、あの阻害技術に影響を受けないのか? あれは一体、どういう代物だ」


 つかの間の沈黙の後、仕方がなさそうに彼は口を開いた。


「レリックは六種類ある。赤、青、緑、透明、白、黒。最上に渡ったのは<白>。象徴するのは<反結合>。バベルの塔だ」


「異物間の疎通を阻害する?」


「恐らく。俺が知ってるのはそこまでだ。俺の<赤>に何の影響があるのかわからんが、今のところ別に異常はない」


 レリックは久我たちの持つウェアラブル・デバイスと違って単純な作りらしい。だとすれば、コンシェルジュとの疎通を阻害される以上の何かを警戒する必要はなさそうだ。


「それで、おまえは室井をどうするつもりだった」


「別に? ただ行動を追っていただけだ。いずれミカミと接触するはずだと睨んでな」


 久我は少し思案し、ベンチに両手をつき、背をそらせた。


「それを一手、進めてみるつもりはないか?」

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