10
まずは最上組の持つ謎の力について柚木に尋ねようと予防局に戻ったが、居並ぶ局員たちに幽霊でも見たかのようなリアクションをされ、ようやく事態を悟った。どうやら死んだと思われていたらしい。確かに状況としては、崩れ落ちてきたマンションに押しつぶされたようにしか見えなかったろう。柚木も現場に向かって救出作業の陣頭指揮を執っているという。
連絡を受け、すぐに彼は予防局に戻ってきた。最初は酷く安堵した表情を浮かべていたが、それはすぐに苦々しいものに変わってくる。
「無事なら無事と連絡してもらわなければ。マンションの瓦礫を撤去するために軍の協力と特機のレンタルを依頼してしまった」
「いや、悪い。っていうか気を失っていたんだ。仕方がないだろう」
「どれくらい気を失っていた。端末は持っていなかったのか。散々鳴らしたんだぞ」
この調子では、腹が減ったので帰りがてら牛丼を食べてきたとも言えない。久我は通路の真ん中から柚木を促し、地下四階に通じるエレベータに向かいつつ話を変えた。
「それより今は最上の件だ。古海から話は聞いただろう」
「私にも古海女史にも、そんな余裕はなかったね」
臍を曲げている柚木を宥めつつ、地下四階に設えられている彼のコンソール前に腰を落ち着ける。そして最上組の持つ『コンシェルジュとの通信を遮断する技術』について説明したが、彼の表情は一向に晴れなかった。くたびれた様子で椅子に背を倒し、眼鏡を外して目頭を押さえる。
「厄介だな。そんなものが存在していては、我々が最上組を抑えることも出来なくなる」
「その通り。マックスだけの問題じゃない。それで、何か心当たりは」
「きみは私が何か隠し事をしているんじゃないかと疑っているのは知っている。しかしこれは断言する。そのような働きをする技術やウェアラブル・デバイスの存在を、私は知らない」
「天羽なら?」
「逆に、知っている可能性は高いように思える。しかし彼女が口を割るとは思えないね」
「だが、とても放置できん。それに室井が抱えている物が何なのかわからなければ、マックスからマーブルを手に入れることも出来ない」
「状況は理解しているよ。別に試すのは構わないが、天羽さんから情報を引き出せるとは思えない」
「ならヤツの記憶を探るとか出来ないのか? 相手はビー玉、情報の塊だろう。おまえのスリーでなら――」
「ヒトの記憶というのは、そう簡単な代物じゃあない。我々のウェアラブル・デバイスもヒトの記憶を吸い出す事は出来るが、その中身を見ることは出来ない」
ふと、再びあの『沙織お嬢様』の記憶が蘇ってくる。久我は眉間に皺を寄せつつ、何かを指し示しているように思える事象をつなぎ合わせるキーを探した。
「そう、なのか? 試したことはなかったが、きっとウェアラブル・デバイスで他人の記憶を吸い出した後、エネルギーに変換する前なら、その中身を見ることが出来るんじゃないかと思い込んでいたんだが」
「出来ない。というか、やり方がわからないんだ。私も何度かその方法をスリーに尋ねたが、完璧に理解不能だった。だが『脳は化学的な作用によって動く単なる記憶装置ではなく、実際は我々が未だに把握できていない量子的な作用が働いており、それこそが意識の本質なのだ』とする仮説がある。量子脳仮説というんだが、知っているか?」
「俺が知るわけがないだろう」
「だろうね。だが私はその仮説が正しいのではないかと思っている。脳が単なる化学的なハードディスクなのであれば、その閲覧も可能だ。しかし量子が関わっているとしたならば、どうすればそのデータを読み込めば良いのかわからない。我々の科学技術では、未だに量子の世界は未解明だ。そしてきみも経験したことがあると思うが、ウェアラブル・デバイスを操るには『理解』が必要だ。そして我々が理解出来ていない科学技術に基づく機能については、それをを『利用』することは出来ても、『応用』することは出来ない」
確かに、と納得する。久我が原理を理解出来ないため活用出来ていない機能が無数にあると聞いている。多目的型でさえそれなのだ、情報戦型のスリーは、より高度な知識が要求されるに違いない。
そう唸る久我に対し、柚木は完璧な無表情を向けた。機密に近い領域の話をするときの、彼の癖だ。
「現状から考えて、天羽さんの利用を考えるのは無駄だと思う。それよりも気にかかるのは、マックスから輿水を買い取った男の存在だ」
「何者だ。心当たりがあるのか」
「残念ながら私が担当していた、国際協力の表舞台に出てくる類いの人物ではないと思う。マックスの言うとおり、CIAやKGBの類いだろう。実は天羽さんを切ることで生じるだろう不安要素の中で、一番心配していたのがそれなんだ。この領域について、私は全く何も把握していない。彼らが何のために動き、何を目的としているのか。その内容如何では、状況は更に悪くなる」
「相変わらずクソみたいな状況だな」
吐き捨てた久我に、柚木は躊躇なく頷いた。
「あぁ。恐らく我々が天羽さんを封印したことで、そうした連中が動き始めているんだろうと思う。最上の持つ謎の技術についても、他に提供可能な組織は思い当たらない。彼らから渡ったのは、まず間違いないだろう。だが、こう考えてみてくれ。我々でさえ知り得なかった異物関連技術を、市井の暴力団に渡す。その目的は? CIAのような諜報機関が、最上組のような犯罪組織に、対ウェアラブル・デバイスに特化しているとしか思えない技術を渡す理由とは?」
柚木が何を言わんとしているのかわからず、久我は首を捻りながら表面上の回答をした。
「ドライバーからの攻撃に、どの程度有効かを実地で試験したいからか?」
「あぁ。そうした実験場とするには、最上とマックスの争いは理想的だ。多少の犠牲が出ても抗争で片付けられ、一人や二人いなくなっても、誰も気にしない。ここまでしているんだ、彼らは市民に被害が出て公的機関の捜査が始まるような事にならないよう、細心の注意を払っているはず。つまり我々としては、この問題に積極的に関与する理由は見当たらない、ということだ」
更にわからなくなってきた。久我は柚木の無表情を、まじまじと見つめる。
「わからん。新型のエグゾア予報装置にマーブルが必要なんじゃなかったのか。そして今、マーブルはマックスから得るしかない」
ようやく柚木は堅い顔を緩め、小さく息を吐いた。
「無理だ。時間切れだよ」
「何?」
「もう忘れたのか。数時間前、きみは確実に死ぬところだった。きみだけじゃない、小学生の男児もだ。次はない。もう天羽さんを解放するより他に、手はないよ」
「待て、待て待て」
ほぼ本能で反論した。本能だったが、数秒でそれは体系化されていく。
「待て。それは下策だ。逆に考えろ。『自分が解放されたいからと、俺や餓鬼が死んでも構わないと思うような人間を、野放しにしていいのか』?」
「思わないよ。だから彼女を封印したんだ。しかし今となっては、早まったとしか思えない。彼女の抱えるアルゴリズムもわからなければ、彼女が抑えていた組織への対抗策もない。我々は明らかに準備不足なまま、虎の尾を踏んでしまったんだよ」
「いいや、それは拒否する」
断言した久我に、柚木は力のない笑みを浮かべた。
「また面白い事を言う。論理的な反論ではなく、拒否か。つまりきみも、この考えが正しいとわかっている」
「いいや、わからん。世の中には、条理で正しいとわかっている事でも、譲っちゃいけない場面がある」
「つまりきみは、こう言いたいのか。何十人、何百人、何千人死んだとしても、天羽さんは解放してはいけないと」
「天羽を解放すれば、より多くの犠牲が出る。それも目に見えない形でな。知らず知らずの間に、一人、また一人と実験台にされ、わけのわからん計画の犠牲になるんだ」
しかし久我としても、予測出来なかったエグゾアが発生したために、何千人も犠牲になるような出来事の引き金を引く決断が出来るほど、強くはなかった。すぐに迷いが生まれ、言葉を継ぐ。
「待て。一日だ。あと一日、時間をくれ。それまでに最上の裏を探り、マックスからマーブルを手に入れる」
柚木は再び無表情に戻り、数秒、久我を見つめる。
「わかっていると思うが、私には決定権がない」言いながら、椅子を立つ。「天羽さんと話してみるよ。今は彼女に従うより他に手はない。可能な限り時間は稼いでみるが、何かするなら大至急で頼むよ」
そして彼は片足を引きずりながら、天羽のマーブルが保管されている隔壁の奥へと向かった。




