表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/114

9

 どうにかしなければ、と沙織は考えていた。それも、今すぐに。時間は刻々となくなっていく。このまま沈黙していては、自分は父親の運命に引きずられ、そのまま彼と彼の組織の一部と化してしまう。


 どうにかしなければ。


 時間に急き立てられているのはわかっていたが、予想だにしていなかった状況に選択肢すら思い浮かばない。


 いや、予想しておくべきだったのだ。そして対策を考えておくべきだったのだ。だというのに沙織は、彼を甘く見てしまっていた。赤星の予断にひきずられてしまった。馬鹿な事だ。赤星は頭の回る有能な男だが、ある意味で世間知らずだというのは、ここ数ヶ月で十分にわかっていたというのに。


 当の彼は沙織以上に混乱した様子で、ただ硬直し、優越感に満ちた室井の顔を見つめている。


 今、この場を支配しているのは、間違いなく室井だ。


 色々と考えなければ整理できない事は山ほどあった。しかしじっくり問題を検討し、最善の解決策を編み出すような時間はない。


 もういい。自分はどうなりたいのだ? 一番邪魔なのは誰だ?


 自分は、自由になりたい。


 それに一番、邪魔なのは。


 シンプルな考えだったが、それで今、しなければならないことが明らかになった。


 沙織は席から立ち、注がれる無数の視線を無視し、棒立ちしている赤星に歩み寄る。


 そして彼の懐から拳銃を引っ張り出すと、おもむろに銃口を向け、引き金を引いた。


 強烈な破裂音に耳が潰れ、マズルフラッシュで目が眩む。


 反動で久我は身を震わせて、全身を探った。まず、自分が誰なのかわからなかった。しかしそれは見慣れた手や身体を持っていることで、久我は久我だという確信を得る。だが自分に何が起きて、今、どこにいるのかは、はっきりとしなかった。


 廃ビルの中のようだった。広いオフィスエリアのようだったが、十年以上は荒らされるままだった様子だ。塵が積もり、コンクリートはひび割れ、所々にガラクタが積まれている。その中央に錆びたローテーブルと破れたソファーがあり、久我はその上に寝かされていたらしい。


 汚れた曇りガラスの向こうからは、午後の日差しが差し込んでいる。物音がして振り向くと、崩れかかったキャビネットの向こうから、男がマグカップを二つ持って現れていた。


「赤星」


 言った久我に鋭い瞳を一瞬向けたが、すぐに彼はマグカップに注意を戻し、そろそろとこぼさないように歩いてくる。そして珈琲の入ったカップの片方をテーブルの上に置くと、向かいのソファーに座って僅かに啜った。


「クソッ、不味い」まさに苦々しく言って、更に一口啜る。「どうした。飲めよ」


「不味いが飲めと言われてもね」それでも、喉がカラカラだった。恐る恐る口にすると、確かに少しカビた味がした。「何だこりゃ。もっとマシな物はないのか」


「助けてやったってのに。贅沢言うな」


 それで事態が飲み込めてきた。注意して見ると、床が所々、円形に色が違っている。中には空中から転移したと思われる、完全に抉れただけの所もあった。


「助けた? どうせ<異物>を盗めないか様子を見に来てただけだろ」


 そうに違いない。そして恐らくエグゾア発生直後の真空に吸い込まれた久我を認め、彼がマックスを抱えたまま例の空を飛ぶ力を使い、久我を捕まえ、転移をしたのだ。


「放っといても良かったんだぜ?」


 言い放つ赤星に、久我は苦笑いする。


「止せよ。今はあんたらにとっちゃ、俺が命綱だ。俺がどうにかして室井の謎を明かさなきゃ、あんたらは最上に対して攻勢に出られない。だろう? そうだ、俺が抱えてた餓鬼はどうした」


「どうもしない。家に帰した。おまえも帰って、さっさと室井をどうにかしろ」


 それだけ言うと、赤星は黙り込み虚ろな表情で珈琲を啜る。


 この状況は、赤星にとっても不本意らしかった。マックスがいないため、久我をどう扱っていいのかわからないらしい。


 そこで久我はソファーに倒れ込み、慎重に作戦を練った。


「まぁそう言うなよ。同じ多目的型のドライバー同士、仲良くしようぜ。そうだ、おまえ、空を飛ぶだろ。あれ、どうやってるんだ? コンシェルジュに聞いても要領を得なくてな。マグレブの力を使ってるのは確かだろうと柚木は言っていたが、試しても上手く制御出来ずに墜落しちまう。他に何かコツがあるんだろ?」答えない赤星に、そのまま続ける。「教えてくれたっていいだろ。ケチだな。しかし参ったぜ。まさかあんな事態になるとは。天羽のヤツ、とうとう痺れを切らしたらしい。このままじゃ、次の予報はないな。さっさと解放しなきゃ、不意に起きたエグゾアに巻き込まれ、何十人、何百人と死んじまうかもしれない」


「俺の知った事じゃない」


「いいや、知ってもらわなきゃな。あんたらは俺の人生に干渉しすぎた。マックスは『自分らに何かを要求するなら、自分らの問題を一緒に抱える覚悟が必要だ』と言った。確かに。それは俺だけじゃない。あんたらにも言える。いいか、あんたらは俺にマーブルを渡さなきゃ、室井の謎を解き明かす事が出来ない。俺はあんたらからマーブルを貰わなきゃ、今後の活動に支障が出る。それは最上組を抑えることが出来なくなる事に繋がるかもしれん」


「五月蠅い黙れ。さっさと帰れ」


「そういや、ウチの調査部の資料にあったな。おまえ、マックスの守り役だったんだってな。つまりヤツが旗揚げする前からの付き合いって事か。どうしてそこまでする? そのままやってりゃ、今頃室井の親衛隊長にでもなれてたのかもしれんのに。それがこんな腐りかけたビルに隠れ住んで、カビ臭い珈琲で我慢するような生活を」


「この珈琲はたまたまだ。普段から飲んでる訳じゃない」


「洒落たスーツや高級車は手に入れられても、ふらっとコンビニに行くような事は出来ない生活ってのもな。どっちが幸せなんだか。だいたいおまえは、本気で最上組をどうにか出来ると思ってるのか? それとも不可能だとわかった上で、マックスと心中するつもりなのか? ボスの親父さんの仇討ちだなんて事に一生を捧げて、満足なのか」


 ようやく、赤星は久我に目を向けた。


「何も知らん癖に。マックスが何を想い、何故戦っているのか、おまえは少しも理解していない。あの人は立場上、様々な出来事に翻弄されざるを得なかった。だから今はただ、自分の人生を掌握したいだけなんだ」


 ふむ、と唸りつつ、久我は背を起こして彼を見つめた。


「それは想像もしていなかったが、言われてみれば少しは理解出来るかもな。俺だってこんな状況、微塵も望んでない。だが色々なしがらみがあって、ここに流されてきた。確かに状況は掌握したい。しかしだからといって、死んだり殺したり戦ったりって選択肢は、出来れば避けたい。おまえらにはそういう考えが足りてないように思えるんだが」


「避けた結果が、今の状況だ。マックスと最上は、決して並び立てない」


「マックスが死ぬか、室井が死ぬか?」珈琲を口にした時以上に苦い顔をする赤星を見て、久我は言葉を探った。「おまえだってボスに死なれるのは嫌だろう。これだけ散々尽くしてきたんだ。俺だってマックスには生きていて貰いたい。不思議か? いや、確かに傍若無人で好き勝手に他人を使おうとするクソみたいなヤツだが、面白い可能性を秘めたヤツなのは確かだ。互いにこんな立場になきゃ、いい飲み友だちになれたような気がする」


 赤星は考え込むように虚ろな表情をして、不味い珈琲を再び口にした。


「そう、この状況がクソなだけなんだ。それさえどうにか出来れば、沙織お嬢様も――」


 沙織、という名前を耳にした瞬間、あの夢とも現実とも思えるイメージが蘇っていた。


 沙織お嬢様。


「おまえもいた」当惑し、思わず口にしていた。「焦っていた。何かしなきゃと。それで拳銃を持っていた。そして誰かに銃口を向けて――」


 眉間に皺を寄せる赤星。その時、乾いた破裂音が響いた。閃光と共にマックスが現れ、ソファーに座る久我を認めて笑みを浮かべる。


「あぁ、久我さん目が覚めたか。良かった。赤星、お送りしろ」


 赤星は何か反論しかけたが、諦めたように言葉を飲み込むと、立ち上がって久我を促す。


「それだけか?」


 尋ねる久我に、マックスは何か疲れた様子で首を捻った。


「何がだい」


「いや、助けてやったんだ、恩に着ろと散々言われると思ってたんでな」


「それがわかっていれば十分だよ。私も忙しい。さっさと帰って室井の事を調べてくれ」


 それだけ言うと彼女は大きなため息と共に椅子に座り込み、両手で顔を覆う。仕方がなく久我は立ち上がり、暗く埃っぽい廊下を通って外に出る。廃ビルは見覚えのある通りに面していた。いつの間にか深く帽子を被り車に乗り込もうとしていた赤星を、久我は引き留める。


「いい。大丈夫だ」


「好きにしろ。そうだ、ここを調べるような真似をして時間を浪費するなよ。どうせすぐに引き払う。マックスの言ったとおり、さっさと室井をどうにかしろ」


「わかってるって」そう久我は地下鉄のある方向に足を向けかけたが、すぐに振り向いた。「マックス、あいつどうしたんだ。今にも死にそうな様子だったが」


 一瞬、赤星は硬直する。そして何度か躊躇った後、久我に歩み寄って小声で言った。


「ここのところ、酷い頭痛がするらしい」


「頭痛?」


「<転移>した後は、特に。何かわからないか」


 彼女の目に寄生した<シャード>と呼ばれる異物の影響だろうか。


「それで、ヤツは焦ってるのか? 身動き出来るうちに、最上を潰そうと?」顔を落とすだけの赤星に、久我は続けた。「悪いが、マックスの力については俺たちも殆ど理解出来ていない。ウェアラブル・デバイス以上にな。それでも検査させてもらえれば、何かわかるかもしれん。一度予防局に――」


「無理に決まってんだろ」即座に彼は背を向けてビルに戻りかけたが、一瞬だけ振り向き、久我に指を突きつけた。「おい、今のは忘れろ。でないと無理にでも記憶を消す」


 そういうことにしておきたいのだろう。赤星は特に久我の答えも待たず、そのまま廃ビルの中に戻っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ