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自分たちを狙っている組織のボスが目の前にいるというのに、最上のビルに動きはない。そう気を配る久我に対し、マックスはまるで無防備な様子だった。傍らには普段通り赤星が控えていて、彼女の代わりに周囲を警戒している。
「それで。何がどうなってる」
状況に辟易して言う久我に、マックスは車に寄りかかりながら答えた。
「どうもこうも。見てもらったままだよ。最上には、コンシェルジュとのコミュニケーションを阻害する何らかの技術がある。効果範囲はおおよそ、半径百メートル。困ったものだよ。我々のドライバーの中で一番の赤星ですら、大半の機能でコンシェルジュのサポートを受けている。それで、どうしたものかとね」
「最上と喧嘩するのは止めたらどうだ? どうせ敵わないに決まってる」
「あぁ、久我さん。悪いがそれは選択肢にないんだ」笑いながら言って、車に戻ろうとする。「わかっただろう? 彼らの妨害装置を何とかしてもらいたい。これは我々だけじゃなく、予防局にとっても大問題なはずだ」
「待てよ。もう少し何か知らないのか。探るにしても情報が必要だ」
「残念だがね。全くわからないんだ。そうした機能を持つドライバーを見つけたのか、あるいは地球の技術で開発された物なのか」
「誰が開発した」言うと、後部座席に乗り込もうとしていたマックスは動きを止めた。「ありえる可能性は二つだ。一つはクォンタム。しかしそれは考えづらい。連中の研究資料は徹底的に洗ったが、コンシェルジュ機能の理解が進んでいる様子は全くなかった。なら他に考えられるのは? 天羽の黙認を得られ、それなりに資金と技術があり、<異物>の研究を行えるのは?」
「らしくないな久我さん。あなたの長所は、単刀直入な所だ」黙ったままの久我に苦笑いし、彼女は続けた。「そして室井の弱点は、饒舌すぎることだ。知られなくても良いことまで、ペラペラと口にする。きっと情報を過多にすることで、相手を混乱させようという腹なのだろうが――」
「じゃあ本当なのか。輿水を解放した?」頷くマックス。久我は途端に、自分を抑えることが出来なくなった。「どうしてだ! ヤツは俺たちだけじゃなく、オマエにとっても敵なはずだ! それをどうして!」
「ある組織から取引を持ちかけられてね。断る理由を見つけられなかった」
「ある組織? 何者だ」
「私が見るに、国外の諜報機関だろうと思うよ。CIAなのか、人民解放軍なのか――いずれにせよ私たちとは利害関係にない」久我が発しようとした言葉を遮り、彼女は言った。「大金だったんだよ、久我さん。とてつもない大金だ。我々のような弱小組織にとっては、目も眩む程のね」
「馬鹿な。おかげで輿水を解放した場合のリスクすら見えなくなった。輿水は相変わらず最上を手駒に使おうとして、わけのわからん技術を与えられて。あんたはお手上げ。どうかしてる!」
「待ってくれ久我さん、問題の技術はPSIから供与されたものだと決まったわけではない」
「そうに決まってる!」
マックスは薄く笑みを浮かべ、ワゴン車の後部座席に腰を入れた。
「予断は禁物だと思うよ。そうだ、前に私は聞いたね。『予測システムは国際プロジェクトなのに、どうして他国の異物関連機関が関わってこないのか』と。<彼>はきっと、その筋なんじゃないかと思うんだ。私だって予測不能な駒が出てくるのは望んでいないが、お互いに縄張りが重ならない限り、平和共存出来ると考えている。どうやら向こうも、そういう考えらしい。彼らを上手く使えば、PSIが最上組へ干渉するのを止めさせる事が出来るかも――」
「妄想だ。おまえは最上の強大さを思い知るにつれ、絶望し、無謀な賭けに出ようとしてる」
「久我さんがそう考えたがる理由もわかる。予防局は<彼>と縄張り争いする立場だ。しかし我々は<異物>の謎なんて、知ったことではない。使えるものは使わなければ。それは久我さん、あなたも含めてね」
扉を閉じ、車は走り去っていく。
久我は暫く、車の流れから目を離すことが出来なかった。
間違いない。元々マックスは無謀な事を平気でしでかす女だが、事今回にしては、状況を完全に見誤っている。
天羽と輿水は何らかの利害関係が一致して、PSI社を作った。その目的は、あらゆる倫理を無視してでも<異物>の謎を解き明かすこと。しかし彼らには精鋭はいても、使い捨て出来る兵隊がいなかった。そこで最初はマックスに声をかけ、彼女が臍を曲げると最上組に乗り換えた。
その構造は変わりようがない。仮に国外の諜報機関が干渉してきても、それは天羽や輿水の問題だ。彼らにとっては木っ端のマフィアや暴力団などどうでも良く、現に輿水の解放という目的が果たされた途端、最上に得体の知れない技術が渡った。
そうした各勢力の思惑がわからないほど、マックスは馬鹿ではなかったはず。しかし彼女はあえて、その見誤りを無視しようとしている。
「あいつ、死ぬぞ」
呟いた久我に、古海は首を傾げた。
「随分、気にかけてるんですね。あの女親分のこと」
反論しかけたところでスマホが震えた。同時に古海も端末を取り出し、画面に操作を加える。二人同時ということは新しいエグゾア予報なのは間違いなかった。久我はいつも通り流し見しようとしたが、そこに現れている発生時間、発生場所を目にした途端、緊張して周囲を見渡した。
「一時間後?」古海が叫び、久我を見つめた。「なんでそんな急に。しかも場所が門前仲町? あんなゴミゴミした所でなんて――ヤバいよこれ! 避難間に合うの?」
「暇なら来い」久我は呼び止めたタクシーに乗り込み、電話帳から一つの番号を叩いた。「古海、オマエは施設部に連絡して状況を確認しろ。あまりに急なんで泡を食ってる可能性が高い。とにかく全員現場にダッシュして、発生地点から住民を避難させろと伝えろ。手続きなんてどうでもいい。ネットと電話での広報は特務班で何とかするから気にするなと」そして呼び出し音が途切れた端末に呼びかける。「柚木、見たか?」
すこしの間の後、彼は重い口ぶりで答えた。
『あぁ。これは天羽さんの最後通牒に違いないよ』
「それは後からだ。とにかく避難させないと。状況を教えろ」
『少し待ってくれ』キーの音を響かせてから、彼は続けた。『発生地点は地下鉄門前仲町駅から西に三百メートル、隅田川が東京湾に注ぐ境界付近。不味いぞ、エグゾアの半径は五十メートルと小型だが、あの辺は海抜ゼロメートル地帯だ。堤防が損壊したら大きな被害が発生するし、地下鉄に流れ込んだらどうなるか』
「それより不味い事態があるぜ」久我は端末に表示させた地図を見ながら、呟いた。「明らかにエグゾアは、この小学校の校舎を飲み込む。洒落にならんぞ」
久我の言葉に古海は怯えた瞳を向け、回線の先にいる柚木は絶句していた。




