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「東京って嫌いなんです」と、今村塔子は段ボールの山を崩しつつ言った。「信号ばかりで、バイク乗ってても全然楽しくない。駐車場も馬鹿高いし、悪戯されるし、盗まれるし――」
「ならどうして受けた。社宅は大久保、勤務地は四谷だと言っただろう」
冷蔵庫の位置を直しつつ言った久我に、今村は難しそうに丸い顔を歪める。
「そりゃ、公務員って立場は魅力的ですからねぇ。派遣だかなんだかわかんないような状態、いつまでも続けていたくなかったし。それにどうせ、断ってたら面倒な事になってたんでしょう?」
「どういう意味だ」
「辺りを凍らせられるようなXメンみたいな力を持った女、普通に放置しておいてくれるわけがないでしょ」
確かに、彼女が断った場合の対処は考えていなかったが、相当に面倒な事になったのは間違いないだろう。しかしそれはおくびにも出さず、久我は隣の食器棚の調整に取りかかった。
「言うほど予防局は整った組織じゃない。ドライバー含め、能力者を完璧に監視なんて出来てないんだ。そもそもオタクのレリックがなんなのか、<異物>と何か関係がある物なのか、柚木も未だに良くわかっていないらしいし」
そこで今村は自分の右の手のひらに目を落とし、次いで久我の右手を覆うフィンガーレスグローブを眺めた。
「そうなんだ。知らないんだ」
曖昧な言葉に、久我は手を止めて尋ねる。
「なんだそれ」
「いえね、あれから予防局で、私のレリックを一通り調べてデータを取ったじゃないですか。組織構造やら何から。それを見返していて気づいたんですよ。明らかにレリックと<異物>には、構造的に共通した部分がある」
当惑し、今村を見つめる。
「そうなのか? 柚木はそんなこと、一言も」
「忙しくてまだ、そこまで見れてないのかも。じゃなきゃ、知ってて隠してるとか」
今更それはないと信じたい。
「恐らく前者だろう。ヤツは今、新型予測装置にかかりきりだし。それで、共通した部分って?」
「なんていうか、構造のアーキテクチャが似てるんです。レースマシンを見て、その外観が空力的にどういう目的を持って作られたのかわからなくても、デザインから制作者を想像できたりしますよね。そんな感じ。<異物>もレリックも、明らかに共通したパターンがあります」
彼女は優秀な技術者だとは思っていたが、それはあくまで実務的な面で、こうした研究に近い分野の力も持っているとは知らなかった。
「すごいな。ひょっとしたら、それは大発見かもしれない。で? そこからわかることは?」
「さぁ。ただレリックの方が原始的なのは確かですね。昔の2ストエンジンみたい。比べて<異物>は、電子制御やハイブリッド機構が山盛りの4ストエンジンって感じ」
同じ工学系同士ということで、例えがわかりやすい。久我は、ふむ、と唸って顎を撫でた。
「つまりレリックは、何世代も前の古い<異物>ってことなのか」
「多分。久我さんのがバージョン6なんでしょ? 柚木さんはバージョン3。その系統を今の<異物>ラインと定義するなら、レリックは恐らくバージョン1以前の物。Windowsですらない、MS-DOSや組み込みファイルシステムよりもっと古い。紙テープで動いていた頃のコンピュータくらいの差があると思う」
「そこから今の<異物>に、進化していった」
「多分」呟き、再び段ボールの中身に意識を戻しつつ、今村は尋ねた。「そこから何か、わかります?」
「さっぱりだ。だが後で柚木に話しておこう」
<異物>に関わる歴史というのは、久我も詳しく知らない。それを一番よく知っているのは柚木だろうが、どうもそこには彼の個人的な問題があるのを感じ、強いて問い質そうとはしなかった。彼が<先生>と呼ぶ恩師、姉弟子の天羽、そして婚約者であった織原。きっとその辺で、色々と面倒な事があったのだろう。
しかし今となっては、洗いざらい、全て聞いておく必要があるかも知れない。
だがそれには、久我にも覚悟が必要だ。他人の問題に首を突っ込むということは、それを一緒に抱え込むのと一緒だ。面倒だからと知らぬふりが出来なくなる。それでも今の状況を考えると、そうは言っていられなくなってきた。既に久我と柚木は一蓮托生になりつつあるし、それを厭う気持ちもあまりない。最初は胡散臭くて融通の利かないオッサンだとしか思わなかったが、今では彼の生き方、考え方に好感も持ち始めている。確かに同意出来ない部分も多々あったが、それは久我が好ましく思っている彼の人格の発露だった。そうとなれば受け入れるより他にない。
とりあえず今の騒動が終わったら、一度じっくり話し合おう。
今村の部屋を辞して、新宿の雑踏を歩きつつそう考えていた時だ。不意に背後の足音に殺気を感じ、無意識に振り向こうとする。
「そのまま歩け」
聞き覚えのある男の声に、久我は無理に足を前に出した。
「そこを左に」
言われるがまま、裏路地委入っていく。そして人影が全くないビルとビルの細い谷間に導かれると、男は久我の肩を掴んで振り向かせた。
「一体何のつもりだ。あんな目立つ事は止してくれ」
パーカーのフードを跳ね上げ整った髪型を露わにし言ったのは、マックスの側近、赤星だった。
普段の彼はブランド物のスーツを身にまとっていたが、今日は編み上げのブーツにカーゴパンツ、腰まですっぽり包むパーカーといった出で立ちだった。久我はそれを眺めて苦笑しつつ、応じる。
「仕方がないだろう。いつもそっちから勝手に来るばかりで、連絡先も教えてくれないもんでね」
赤星は舌打ちしつつ、ガラケーを取り出して久我に渡す。
「何か用があるなら、これを使え」
「前々から思ってたんだが、電話番号教えてくれるだけじゃ駄目なのか? どうして秘密組織ってのは、こうやって携帯を渡してくるんだ」
「この番号からしか着信を受けないようにするためだ。それにあんたのスマホがウィルスにやられていて、誰かに盗み聞きされていたらどうする」そういうことか、と納得する久我に、赤星はあからさまにため息を吐いてみせる。「もっともあんたの場合、その相手は柚木だろうがな。あんたも困るだろう、上司に勝手なことをしてるのを知れたら」
「状況が変わってね。これは柚木公認だ」
意外そうな様子だった。苛立った表情を潜め、楽しげに言う。
「そうか。なら話す前から終わってるな。とてもあんなヤツが、俺たちの出す条件を飲むとは思えない」
「そう言うなよ先生。まずは話を聞いてからでもいいんじゃないか?」
「さぁ、どうしようかな」
パン、という風船が破裂するような音に続いて背後から響いてきたのは、これも聞き覚えのある声だった。振り向くとアスファルトの一部がコンクリートに変わっていて、中央に一人の女が立っていた。
彼女はやや小太り気味な身体を上等なスーツに包み、茶色いトレンチコートを羽織っている。いかにもマフィアの女親分といった出で立ちで、久我は忌々しく思いながらも声をかける。
「ようマックス。元気か? あれからどうだ」
「元気だよ久我さん。色々と実のある取引が出来てる」
円の中から、一歩歩み出てくる。彼女の顔に光が差し、瞳に刻まれた電子基板のような模様が透けて見えた。相変わらず自信に満ちていて、怖い物知らずといった表情だ。しかしそれは虚像に近いと、久我は知っている。
「どうだかな。PSIに喧嘩を売って、もう後ろ盾なんて何もない状態だろ。最上を潰そうと幾ら必死に<異物>を集めたって、そう簡単に適合者が見つかる訳でもない。ドライバーは何人になった? 四、五人か?」
「こちらも状況が変わってね。今はそれどころじゃないんだ」引っかかる台詞に探りを入れようとしたが、それを口にする前に彼女は尋ねてきた。「で? 何の用だい久我さん。私みたいな小悪党の力が必要だなんて、余程追い詰められてるようだけど」
久我は言葉に詰まり、しばし考える。だが接触があまりにも唐突すぎた。策を巡らす余裕もなく、率直にこちらの状況を説明する。別に私利私欲が目的ではない。マーブルが必要なのは不特定多数の人命を守るためという大義名分がある。
だがそれが通じない相手だというのも、久我は薄々想像していた。
「それが私に、何の関係がある」
マックスの答えに、久我は渋面を浮かべるしかなかった。




