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 休日は十時頃まで寝て過ごすのが常だったが、普段通り七時に目が覚めてしまった。久我はカーテンの隙間から差し込む光に目を細め、ベッドから立ち上がる。


 リビングに出ると、京香がソファーに寝転びながらテレビを見ていた。良くわからないが、きっと仮面ライダーの類いだろう。アクタースーツに身を包んだ俳優が、派手な軍服の悪役と対している。


『おまえの気持ちはよくわかる。だが、もう止せ!』


 叫ぶ主人公に、仮面を着けている悪役は大げさに身振り手振りをした。


『わかるものか! だいたいおまえに何の関係がある! おまえがしゃしゃり出てこなければ、あの悪党をとうに始末できていたというのに。くだらん正義感で私の邪魔をするな! 行け、怪人どもよ!』


 群がる雑魚たちを、主人公はバッタバッタとなぎ倒していく。久我は口元を歪めながらそれを眺め、京香に尋ねた。


「この軍人は悪役じゃないのか? 別の悪党を倒そうとしてる?」


「総統はどんな手を使っても親の仇のグレーデルを倒そうとしてるんだ。でも牙竜は、そういうやり方を止めさせようとしてる」


 ふぅん、と呟きつつ頭を掻く。子供向けだというのに、随分設定が込み入っている。


「牙竜ってのは余計な事をするもんだな。仇討ちぐらい、好きにやらせてやればいいのに。無関係なんだろ?」


「私もそう思う。鬱陶しいよね」


 意外な答えに目を白黒させる。制作陣は大人も取り込もうとして話を難しくしたのだろうが、子供は更に上を行っていた。本来の顧客から見放されていては世話がない。


 久我が珈琲を煎れている間にドラマは終わり、京香は立ち上がってカーテンを開ける。曇り空が露わになった。京香はそれを見上げながら小首を傾げ、言った。


「オーケーグーグル、今日の降水確率は?」


『三十パーセントです』


「じゃあ傘いらないっか」


 スマートスピーカーからの答えを受けて、髪を結いながらパタパタと歩き回る。久我はそれをぼんやりと眺めつつ、呟いた。


「オーケーグーグル、マックスの居場所は?」


 柚木に見つけられないものを、グーグルに見つけられるはずがない。


『認識できません。別の言葉を試してください』


 当然の答えに、久我はため息を吐いた。


「すまないが、もうお手上げだ。私には彼女の居場所を見つけることは出来ない」柚木は突貫工事が進められつつある予防局の地下四階で、片足を引きずりながらも大急ぎで歩きながら言っていた。「あの新興マフィアのボスは、ネット上に痕跡を残さない手段を完璧に確立している。転移能力をフル活用し、カメラがある場所では変装しているのだろう」


「しかし手下はそうもいかないだろう。そいつらを捕まえて繋ぎを取ればいい。ヤツには貸しがある。こちらが望めば話くらいは聞いてくれるはずだ」


 柚木は溶接の火花が飛び散っている一角で立ち止まり、ようやく久我を振り向いた。


「手下と言っても、顔を知っている人物はいるのか? いないだろう。彼らは非常に周到に組織の隠蔽を図っている。見事だよ」


「褒めてる場合じゃないぜ。新型のエグゾア予測装置を作るのには、マーブルがあと二、三個いる。そう言ったのはあんただろう。そしてマーブルを確実に手にしているのは、マックスくらいしか思い当たらない。だからヤツを探す事にしたんだろう。違ったか?」


 久我の言葉を受けて、柚木は張り詰めていた息を大きく吐き出し、肩を落とした。


 現在のエグゾア予測は、軌道上にある三十三個の重力観測衛星から得られたデータを解析することにより行われている。しかしその最終段にあるアルゴリズムは、この災害予防局の初代局長であり、柚木の姉弟子である天羽の頭の中にしか存在していない。彼女がストライキを起こしてしまえばシステム全体が機能不全となる、非常に危うい状態にあったのだ。


 一方で天羽は過去の何事かにより、ビー玉大の記憶装置<マーブル>に閉じ込められ、情報生命体と化していた。それは柚木の持つ情報戦型の異物、スリー上でしか駆動出来ない。つまり柚木がその気になれば、天羽のマーブルを取り外し、休眠状態にしておくことも可能だ。しかしこれまではエグゾア予報の首根っこを掴まれているというのもあり、また柚木もそれを望まなかったというのもあり、天羽は自由にネット空間を活用出来ていた。彼女はそれを用いて予防局を非合法な面から支える活動を続けていたが、遂に柚木は倫理を無視した彼女のやり方を黙認できなくなった。柚木は天羽をネットから切り離し、予防局内にある狭いコンピュータ内に隔離した。これにより天羽はエグゾア予報を行うだけの存在となればよかったが、当然、彼女は反抗した。


 一月ほど前より、エグゾア予報を行う時間を、次第に遅らせはじめたのだ。


 予報が間にあわなければ住民の避難が遅れ、膨大な犠牲者を出すことになる。そうしたくなければ自分を解放しろ。そういう脅迫だった。


 柚木と久我は辛うじて新しいエグゾア予報の手法を発見出来たが、それを構築するのには時間が必要だ。急ピッチで進めてはいるが、少なくともあと一週間はかかる。加えてそのコアコンピュータには膨大な処理能力が必要となり、どうしても数個のマーブルが必要不可欠だという結論に達していた。


「マーブルは、一人の人間の完全なる情報を記憶できるほどの、巨大な記憶装置だ」柚木はここ数日の徹夜作業に疲れた様子で、頭を振りつつ呟いた。「レーザー干渉計を用いた新しい予測システムにも、膨大な記憶領域が必要だ。記憶するだけならば汎用のストレージシステムでも事足りるが、高速な入出力も必要になる。それはマーブルでなければ不可能だ。私のスリーには四つのマーブルが装着されている。一つは天羽さんだから利用出来ない。残る三つは既にシステムに組み込み済みだ。しかしどうしても、あと二、三個は必要なんだ。どうにかして手に入れてもらわなければ、膨大な人命が失われる事になる」


「そりゃあ何回も聞いた。しかし、何度も調べたが予防局内にはマーブルの元になる<レッド>の異物はない。他にレッドを持ってるのは、悔しいがマックス以外には思い当たらない。そういう結論だ」


「ならばどうにかして、彼女と連絡を取らなければ。もし追加のマーブルを手に入れる目算が立たなければ、別の手も考えねばならない」


「別の手? そんなのがあるのか」


 それならそうと、と苦情を入れかけた久我に、柚木は時に見せる何の感情も感じさせない表情を向けた。


「天羽さんを解放する。他の手とは、それだよ」


 そのまま柚木は背を向け、去って行く。


 天羽の解放がどういう結果を招くのか、久我には正確には予測出来ていない。しかし予防局が思い通りに動かないからと、柚木の身体を乗っ取り、久我を殺そうとした女性だ。ろくな事にならないのは確かだ。


 だが一方で、マックスも厄介な相手だ。彼女は日本最大の暴力団である最上組を潰すことしか頭にない。最上組の構成員は二万人とも言われる。一方のマックスの組織は、多く見積もってもせいぜい百人程度だろう。正面からぶつかって勝てる相手ではない。だから彼女は世界中から幾多の異物をかき集め、即席の軍隊を作ろうとしている。その中には幾つかマーブルの元になるレッドの異物が存在していることは彼女も公言していた事で、そこに心配はない。


 問題は、仮にマックスを見つけ出せたとして、彼女から見返りとして何を求められるかということだ。


「事は切迫している。何を求められるにせよ、最終的な判断はきみに一任するよ」


 久我の問いに、柚木はそう答えていた。最初は厄介を押しつけられた気分だったが、すぐに考えは変わってくる。柚木はこれまで重要な問題があることすら久我に隠し、決断も常に自分で行っていた。その権限を委任されたのだ、信頼の証と捉えるならば、より慎重に決断しなければならない。


 しかし彼女を、どうやって見つけ出したものか。これまで久我がマックスと会うことが出来たのは、常に彼女の意志だった。久我の力が必要な時だけ勝手に現れ、勝手に巻き込み、利益を得て去って行く。マックスと違い、こちらは単なる公務員だ。何処にいるかくらいは簡単に知れてしまうし、ひょっとしたら見張りを付けられているのかもしれない。捕まえるのは容易だろう。


 そこに久我は思いが至り、ソファーから立ち上がるとドラフティングテープを手に取った。次いで窓に歩み寄ると、Mの字にテープを貼り付ける。映画やドラマで居所の知れない相手を呼び出す際の、定番の手だ。


「一度やってみたかった」


 満足して呟いていると、京香が塾の道具を手にリビングを出ようとしていた。


「お父さん、今日は普通にお休みなの?」


「休みだが、ちょっと出なきゃならなくてな。夕方には帰るから、寿司でも買ってくる」


 お寿司! と喜びながら出て行く京香を見送り、久我も身支度を調え始めた。先の事件で出会い、公社のエンジニアとして引き抜いた今村塔子の引っ越しを手伝う約束だったのだ。

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