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 周囲から『バカ』とか『アホ』と呼ばれる連中と一緒にいるのは楽しい。沙織はその理由を考えた事があるが、結局は普通の連中と違った考え方が、予想外で面白いのだろう。かつてベルクソンは言っていた。笑いとは、ちぐはぐな行動に対する社会的な制裁なのだと。そういう意味では無意識に笑いを取れる彼らは社会から疎外されている連中で、だからこそ沙織に対しても、考えなしに普通に接してこれるのだ。


「やめとけって。あれは最上組の親分の娘だぞ」


「マジで!」


 今日もまた、そんな声が聞こえてきた。沙織は親のことなんて知ったことではないし、ただただ毎日、面白おかしく自由に生きたいだけだ。だから毎日、誰が誰かわからなくなるような混雑したクラブに来ているというのに。


 頭のいい、空気の読めるヤツは嫌いだ。


 唐突に苛立ちに襲われ、振り返って怒鳴りつけようとした時だ。既に声の主は黒スーツの男に胸ぐらを捕まれ、遠くへ追い立てられていた。


 彼はため息を吐きつつ振り向き、沙織に懇願の表情を浮かべて見せる。


「お嬢さん、困るんですよ。こう毎回逃げられては、あぁいう連中から守ることも出来ない」


「うるせー。ついてくんな」


 大音量のクラブミュージックが流れ、誰も彼もがトランスしたように身体を揺らす。そのうねりの中に身を紛らせていこうとしたが、彼はすぐさま沙織の手首を掴み引き寄せた。


「今は、そういう状況じゃないんです。特に不味い状況で」


「あたしが知るかよ」


 手を振りほどこうとした時、ふと周囲から他人の熱気が離れていることに気がついた。


 輪が出来ている。その中心にいたのは沙織ではなく、小洒落たグレースーツに身を包んでいる眼鏡の男だった。


「おやおや、沙織お嬢様。こんな所にお忍びで来られるとは、危ないにも程がある」


 頭のいい、空気の読めるヤツ。


 沙織は見知った人物の中で、この男ほど生理的に気分が悪くなる男はいなかった。いつも四、五人の黒服を引き連れ、自分が圧倒的な優位にあるという自信に満ちた笑みを絶やさない。


 話すのも嫌で黙り込んでいると、沙織の手首を掴んでいる男が前に出た。


「室井さんこそ、こんな所で何を?」


「赤星」室井は呟き、赤星にも嘲笑を向けた。「駄目だろ、お守りのオマエがいながら、こんな所に来させるなんて。掠われでもしたらどうする」


「掠われるって、誰にです」


 硬い表情で問い返す赤星に、室井は高い声で笑った。


「チャイナや、ロシアや、連合とか。いろいろいるだろ。会長が一番大切にしてるのはお嬢さんなんだから。ちゃんとお守りしなきゃ駄目だろ。わかるか?」


「そりゃ、それが俺の役割ですから。それじゃ、失礼します」


 赤星は軽く頭を下げ、沙織の手首を握る手に力を込め、出口へと無理矢理引っ張っていく。楽しい気分をぶち壊され沙織は散々に抵抗したが、身長が三十センチ以上も違う相手だ。結局は路上に引っ張り出される。すぐに彼は左右を見渡しタクシーを探したが、通りかかるのは全て賃走中だった。それもあってか苛立たしく舌打ちする。


「クソ、あの野郎、白々しい事を言いやがる」


 それは室井は気に入らない男だったが、組でも有数の実力者だと聞いている。それを相手に、下っ端の一人に過ぎない赤星が暴言を吐くなんて。


「なによ。どういうこと」


「どうもここのところ、室井さんの動きが怪しいんです。公然と会長に刃向かうことが多くなっていて。あの店だって元々は直系の縄張りなはずなのに、まるで自分の物のように仕切ってた。一体どうなってんだ」再び舌打ちし、彼は鋭い目で沙織を見下ろした。「いいですか。今は誰が敵で誰が味方か、さっぱりわからない状況なんです。だからどうか、勝手に俺の目の届かない所に行かないでください」


 ショックを受けるなり不安を覚えるなりしなければならなかったのだろうが、沙織が赤星の言葉から受けたのは、相も変わらず苛立ちだけだった。


「知るかよ。勘弁してよもう」


 呟く沙織の手首を、赤星は決して離そうとしなかった。

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