第十五話 チキンレース
「エグゾア予報?」
柚木が画面に表示させたのは、今後エグゾアの発生が予測される場所、規模、時間を記したページだった。予防局内では発表された直後にメールが届く事になっているから見る機会は少なかったが、存在自体は知っていた。
「見てくれ」と、柚木はだいたい一日に二件起きているエグゾアの履歴をスクロールしていった。「次に起こるだろうエグゾアの予報は、十機の重力観測衛星による観測データから行われる。その場所や規模などによってまちまちだが、おおよそ発生の数日前には予報が出される」
「知ってる。それが?」
柚木は黙ってリストをスクロールしていく。そして最新に近づくに従って、久我もある変化が起きているのに気がついた。
「予報が、遅れてる?」
「あぁ。二ヶ月前から徐々に遅れはじめ、先日は遂に発生の四時間前にならないと通知されない物が出てきた。このままいくと、二週間後には予報が間に合わなくなるエグゾアが出てくるだろう」
「どういうことだ。何が原因だ」
彼は意を決したように、椅子を回して久我を見つめた。
「災害予防システムの中心にあるのは、観測された重力変異のデータから、発生日時を予測するコンピュータ群だ。しかしその核心となるアルゴリズムは厳重に保護されていて、誰も触れることが出来ない。いや、正確に言えば、そのアルゴリズムは一人の人間だ」
ようやく久我は、事態を悟った。
「天羽か」
「あぁ」
「つまり災害予防システムの中心には天羽がいて、彼女が予報を出している?」
「その通り」
「しかしヤツは封印したんじゃあ」
「災害予防システムの中にね。彼女だって人が大量に死ぬのを望んではいない。だから引き続き解析処理を行ってくれるのを期待したんだが、そうは上手く事が運ばなかった。彼女は徐々に予報を遅らせ、私たちにプレッシャーをかけている。いや、私に、かな」
「――解放しろと?」
堅く頷く柚木。
久我は想像以上に事態が深刻なのを知って、頭を掻きむしった。
「何だってんだ! どうしてそんな重要なことを黙ってた!」
「キミの言うとおり、相談してどうにかなるとは思わなかった。一方キミに知らせたなら、キミも妙な重荷を背負って活動に支障がでていただろう。それは意味がないと考えた
相変わらずな言い草に腹が立ったが、罵倒した所で意味がない。久我は無理に怒りを飲み込んで、尋ねた。
「天羽とは話したのか」
「いいや。これはチキンレースだよ。ブレーキを踏んだ方が負けだ。幸い、まだ少し時間がある」
「それで、何か手は?」
突然、柚木は笑い始めた。これまでにない笑い方だ。いかにも楽しそうに、馬鹿馬鹿しそうに両手を投げ出す。
「手? 手だって? あるさ。私が彼女の抱えるアルゴリズムを再発見するのさ! そうすれば万事解決! 彼女がいなくても我々は――」
「アンタには無理だ! それはわかってるだろう! どうしてもっと早く、誰かに助けを求めなかった!」
「求めたさ! 須藤氏だよ! 私以外にあのアルゴリズムを発見できるとしたら、彼以外にいない! だがあの通りだ! どうしろって言うんだ!」
やはりそれが、柚木の弱点だ。世界は不完全な物で溢れていて、そうしたものは蓋をして見ないようにするのがいい。真に素晴らしいものだけを選び抜き、活用すればいい。
しかし実態は、そうではない。不完全な物の中にも素晴らしい原石は数多く埋もれている。それを探す努力を惜しんでいては、見落としが生じる。社員食堂だ。
久我はすぐに傍らのタブレットを取り上げ、今回の捜査資料を探した。そして目的の物を見つけ出すと、彼に突き出す。
「何だ、これは」
「例の、レリック探しに使われていた重力波探知システムの観測データだ。報告書からは漏れていたが、今村塔子が面白い事を言っていた。〈システムがエグゾアの影響を受るから、そのフィルターが必要だった〉とな」
柚木が反応するのに、数秒かかった。彼は我に返ると、タブレットを取り上げてデータを探る。
「何だって? レーザー干渉計がエグゾアに影響を受けるだなんて、聞いたことが」
「使えそうか?」
「あ、いや、わからない。しかし当の観測システムはスニッカーズに燃やされ、残っていないんじゃあ」
「三カ所とも本体は地下だ。多少壊れてるだろうが、大方残ってる。それに今村塔子もいる。彼女なら修復出来るだろう」
「解析システムは。確かそれはスニッカーズと由利氏が担当していたと」
「それはわからんが、今村塔子がシステム制御用のプログラムコード一式を持っている。オタクなら、それを見れば再構築出来るんじゃないか?」
柚木は血相を変え、椅子から立ち上がった。
「彼女に会わせてくれ。今すぐ」
はたして二週間で、何とかなる話だろうか。
酷な作業になるかもしれない。だが今村塔子を予防局に引き抜けるならば好都合だ。監視をするにも、保護をするにも、これ以上にない解決策のように思えた。
◇ ◇ ◇
この時期の横須賀は、秦にとって最悪だった。寒いし、潮風がきつい。足腰が痛む。それでも苦労して車から降りると、傍らの何気ない建屋に足を踏み入れた。
会議室では三人の男女が待っていた。窓から差し込む夕日を背にしていて、顔はよく見えない。秦はいつも通り歩み出ると、後ろ手に手を組んで彼らを眺めた。
彼らは名乗らず、秦に太陽を浴びせることで一方的に見透かしているつもりだろうが、事実は真逆だった。彼らの意図は見え透いていて、底が浅く、一人では何も考えられない連中ばかりだった。
「あれだけの予算を費やしておいて、たった四つか。割に合う仕事だったのかな」
傲慢な男の声に、優しく応じる。
「それはもう。これまでに我々が確認できていたのは、断片が一つだけでした。今回は完全体もある。十分な成果です」
「レリックは本当に役に立つの?」今度は攻撃的な女性の声。「それならウェアラブル・デバイスの確保に予算を向けていた方が良かったんじゃあ」
「繰り返しになりますが、ウェアラブル・デバイスと呼ばれる物は強力すぎる。それに誰にでも懐くわけじゃない。兵士には過ぎた代物です。レリックの方が、よほど使える。違いますかな?」
「しかし予防局と衝突したそうじゃないか」と、また別の男。「我々は外交問題になるのは望んでいない。最初は問題ないよう手を打つという話だったが?」
「それがどうも局内でクーデターが起きたようで、協力者と連絡が取れなくなってしまったのです」
「例の、天羽とかいう女か」
「えぇ。それで少し不測の事態が生じましたが、痕跡は全て抹消しました。私たちや、貴方たちDIA(アメリカ国防情報局)にたどり着かれることは、まずないかと」
沈黙に続いて、リーダー格の男が声を発した。
「DIA? 誰がそんなことを言った」
「いえいえ。ただの想像ですよ」
「余計な詮索はしない方が身のためだな、お互いのために。とにかく秦さん、仕事はまだ終わっていない。レリックの詳細な情報を提供してくれるという話だったよな?」
「それはもう。現状、全てのレリックについて性能を確認している所です。結果は追って」
秦が踵を返した所で、女が呼び止めた。
「待って。それは?」
「あぁ、忘れてた。どうも最近は忘れっぽくて困る。お土産ですよ」
秦は机に歩み寄って、手にしていたアタッシュケースを開いて見せた。
赤、青、緑、透明、白、黒。
六本のレリックが現れ、彼らは目を見張った。
「そちらはそちらで調べられたいだろうと思って。おっと、下手に扱わない方が良いかと。何しろ赤以外は、どんな物か全くわかっていません」
それでは、と言い残し、施設を出る。
そして車に戻った所で、携帯のアプリを起動させた。すぐにアタッシュケースに仕込んでいた盗聴装置と繋がる。
『あの男は何者だ。信用出来るのか』
『誰も信用なんかしていない。しかし結果を出してくれているのは事実だ』
『下手なことをしないよう、監視していた方がいいんじゃ?』
『いい。好きにやらせろ。どうせ中国か韓国のスパイ崩れだ。上手く利用すればいい』
秦は鼻で笑い、アプリを閉じた。
「何も知らん馬鹿どもが。目先のことしか考えておらん」秦は運転手に促し、車を走らせた。まだまだ、やるべき事が山ほどある。「まずは、予防局を少し抑えないとな」
天羽が使えなくなったのは痛い。互いに信用していなかったとはいえ、話のわかる有能な女性だった。
何か上手い手を考えなければ。
しかし秦には、それを考えつく自信があった。これまでもあらゆる物を利用し、生き延びてきた。これからもそれを続けるだけだ。携帯を操作し、一つの番号を呼び出す。
相手はすぐに出た。
「あぁ、輿水さん。PSIは心配していたんですよ。まずは無事に稼働できて良かった。いえいえ、何も企んでなどいません。それはマックスと名乗る連中から貴方を引き取るのには、多少出費もありましたが、そんなのは些細なものです。ところで少しお話が出来ますかな。天羽さんの件で」




