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第十四話 愚民の声

 ホテルの前には複数の予防局と警察車両が現れ現場検証されていたが、これといって得られるものはないだろう。


 諸冨、スニッカーズには逃げられてしまったが、少なくとも彼は一般市民に危害を加えるような事はない。放置することも出来ないが、必死で追う必要もないと久我は考えていた。


 問題はミカミの方だ。今回の事、全て裏で手を引いていたのは、彼らに間違いない。だが須藤、新川、由利というプロジェクトの主導者三人が葬り去られてしまった今、ミカミインダストリーに繋がる手がかりはなくなってしまった。


 新川の残した記憶スティックだが、内部には複数の動画が納められていた。全てスニッカーズに対する人体実験の記録映像なのだろう。ざっと眺めただけでも、諸冨はその能力を検証されるため、様々な虐待を受け続けていた。須藤たちはそれを公開すると脅す事でミカミとの均衡を保とうとしたのだろうが、結局上手く行かなかった。予防局としてもこれを公開する事にメリットはなく、お蔵入りさせるしかない。


 しかし一つだけ重要な映像があった。記録の一番古いファイルに、ミカミインダストリーの重要人物と思える男が映し出されていたのだ。そう背は高くない白髪の老人で、瞳も白く濁っている。久我は一応調査部に老人の身元を探らせたが、きっと答えが出ることはないだろう。


 それより直近の問題は、今村塔子の処遇だった。


「実は、幕張が襲われて逃げてた時、新川さんからケースに入った青い結晶体を渡されていたの。何かあったら、これを素手で触るようにって」問いただした久我に対し、今村塔子はそう抗弁していた。「意味わかんない。でもそれ以上は何も教えてくれなくて、ホテルに入ってからすぐに触っちゃったの。そしたら――」


「どうして先に言わなかった」


「だって、面倒なんだもん! 何これ。関わりたくない。冗談じゃない!」


 気持ちはよくわかる。久我も最初、柚木にウェアラブル・デバイスの活用を提案された時も、半ば脅されての事だった。


「しかし、スニッカーズは結晶体を操れるようになるまで、相当無理強いされていたが。コンシェルジュは?」


「コンシェルジュ? 何それ」


「ガイド役のようなAIだ。何か、そういう存在は現れなかったか?」


「いいえ?」


「じゃあキミは、どうやってそれを使いこなせるようになった」


「全然使いこなせてなんかない。何回か思わず出来ちゃっただけで、あの時だって、あんな上手く壁が作れるだなんて思いもしなかった」


 久我は元通り結晶体の痕跡も窺えなくなった右手を改める。


「力を使わないときは消えるのか。こりゃ厄介だ。そういや諸冨は炎を発すると脂肪を消費するが、コイツは? キミは何を消費して周囲を冷やす」途端に口を噤む今村に、諭すように言う。「いいか、ウェアラブル・デバイスの事も良くわかっていないが、レリックの事は更にわかってない。弱点を晒すのは嫌かもしれんが、ちゃんと情報をもらわないと――」


「いえ、違う。そうじゃない」慌てて彼女は両手を振った。「その。わかるでしょう? 何かを冷やすってのは、エントロピーを低くすること」


「だな。周囲の運動エネルギーを奪えれば、熱が下がる」


「どうもこれは、それが出来るみたいなの。原理は良くわかんないけど、きっとそういうこと」


「しかしそれなら、奪ったエネルギーは何処にいく。異物の事は良くわかってないが、少なくともエネルギー保存則に反した動きはしないのが原則だ」黙り込む今村に、久我は首をかしげる。「どうした。わからないのか?」


 遂に彼女は、何か小声で答える。聞き返そうとした所で、諦めたように声を高めた。


「脂肪よ! 吸い取ったエネルギーは、全部脂肪になっちゃうみたいなの。どう? これで満足?」


〈赤〉は脂肪を使って、〈青〉は脂肪を作る。


「対になってるのか?」そこで久我は今村の顔写真を思い出す。「あぁ、しまった。気づくべきだった。キミの顔写真は、すらっとしてたのに。実物は、その、多少、ふっくらしていて――痩せたヤツに太ったヤツと――」


 渋面を浮かべられ、久我はそこで言葉を切った。


 だがこのレリックの性質は、厄介極まりなかった。ウェアラブル・デバイスには、一度エネルギーが切れてしまった場合は再充電が不可能という弱点がある。今まではそれを利用して捕らえたドライバーを無力化することが出来たというのに、レリックの場合はそうはいかない。どうやって無力化すればいいのか、まだわからないのだ。


「さて、どうしたもんか」


 蝋山と古海を含めた対策会議が、予防局の方向性を決めるような場になりつつあった。蝋山は手元のタブレットを操作し、プロジェクターに映像を表示させる。


「計画通り、現状地下四階の改修を行っています。並大抵のウェアラブル・デバイスには対応出来る隔離施設になる予定ですが、完成にはまだ一月かかります」


「塔子ちゃんを閉じ込めておくっての?」と、古海。「可哀想じゃん。だいたい彼女、まず間違いなく無害だし」


「しかし彼女は色々知りすぎた。レリックを無力化出来ない以上、記憶消去も意味がない。安易に解放はできないだろう」


 久我の指摘に蝋山も続く。


「有害無害以前に、彼女はまだミカミに狙われている可能性もあります」


「こうなった以上、それはないと思うけどねぇ。今更襲ってこないって」と、古海はやたらと今村を擁護する。久我もそんな気がするが、確信はない。「それより不思議なのは、スニッカーズも塔子ちゃんも、一発でレリックに適合したってことよ。可笑しくない? ウェアラブル・デバイスって、適合する確率は相当低いんでしょ?」


 それも気になっていた。古海の言うとおりウェアラブル・デバイスは相当にえり好みが激しく、何者かが触れて発動する確率は、今のところ千分の一以下とされている。ただこれも乏しい事例の中でだ。ひょっとしたら一万分の一、十万分の一くらいかもしれない。


 しかしレリックはそうではない。諸冨一人ならたまたまとも思えるが、二人となると無視出来ない。


「レリックは、誰にでも適合する。そう考えた方がいいだろう」


 言った久我に、蝋山と古海は厳しい表情を向けた。


 そもそもレリックとは何なのだろう。釧路湿原は歴史が浅い土地だと思い込んでいたが、何メートルか掘れば一万年前の地層が現れるという。北海道支局が本格的な調査を始めてはいるが、やはりエグゾアが起きた形跡は見つかっていない。するとレリックは化石同様一万年前からそこにあったという事になるが、こんな異物、とても自然に出来たとは思えない。


 ウェアラブル・デバイスと同様にオーバーテクノロジーの産物ではあったが、レリックは単機能でコンシェルジュなし、そして恐らく、誰にでも適合する。まさにウェアラブル・デバイスの廉価版のように思えるが、一体どういう繋がりがあるのか。


 そして久我が地下四階に訪れた時、柚木は机に突っ伏していた。久我の気配を感じて身を起こしたが、表情は虚ろで血の気がない。


 何と声をかけていいか迷っている間に、柚木は眼鏡を手探りし耳にかける。


「やぁ」


 言われ、久我は更に考えつつ傍らの椅子に腰掛ける。結局無難な問いから入ることにした。


「そういやもう、眼鏡はいらないんじゃなかったのか? 五感を向上させる分のエネルギーを天羽の稼働に振り分けていたから、必要なだけだったんだろう?」


「あぁ。まぁそうなんだが、どうも落ち着かなくてね」そしてコンソールのキーを叩き、久我が提出した報告書を表示させた。「読んだよ。どうもあちこち荒くてわからない点もあったが――」


「早く知らせたくてな。暫定版と思ってくれ」


「なるほど」


 待ち受けたが、柚木の言葉は続かない。相当に頭が回っていない様子だった。久我は痺れを切らし、何度か指を鳴らして注意を引いた。


「おい。大丈夫か?」


「あ。あぁ。それでこのミカミインダストリーという企業だが、何かわかったのかな」


「いや。何も。だがこいつらはクォンタムの比じゃない。早いところ手を打たないと不味いぞ」


「あぁ。それはわかってる。しかしこのスニッカーズという男性だが。彼は放置していていいのか? どうもキミは無害だと考えているようだが、それには賛成できない。どうして警察に彼の存在を隠している」


 きっと柚木ならば、こだわると思っていた。


「無害とは言わない。だが物には優先順位というものがある。ヤツはミカミを追ってる。無関係な一般市民を害する恐れはない」


「どうしてそう断言できる。そもそも元々の彼は無害な人物だったというが、レリックを移植されて人が変わったようじゃないか。もう何人も殺している。大切な人を殺されたとか、そういう状況ならわからないでもないが。とても普通の人間が、多少痛めつけられたからといって、そこまで変わるとは思えない。レリックがドライバーの脳に影響を及ぼしている可能性も――」


 久我は何度も頭を振り、ついに我慢できず遮った。


「前からそうだが、オタクは人生をドラマチックに考えすぎなんだ。普通のヤツらには、重大イベントなんて存在しない。毎日、日々起きている些細な事の積み重ねの方が重要なんだ。大抵のヤツはそれを抱え込みながらも何とか爆発させずに生きていくが、それに何か衝撃が加われば、ぽんと表に出てくる。ヤツにとっては、それがレリックの移植と苛烈な拷問だったというだけだ。身内の死なんて必要ない」


「しかし」


「いいや、こればかりは譲れない。ヤツは捕らえる。そのうちな。しかし今は、後回しだ。警察にも伝えん」


 困惑したように柚木は久我を見つめた。


「どうした久我くん。彼を庇っているのか?」


 渋々、久我は認めた。


「あぁ。だってそうだろう。ヤツは今、誰も信じられなくなってる。誰にも頼れず、得体の知れない組織に追われ、死にかけてる。可哀想だろう。どうしてオレたちまでヤツを追い詰める必要がある」


「彼は我々に悪意がない事は、盗聴で知っていたはずだ。ならば我々に保護を求めればいいだけだ。違うか? つまり彼には何かしら疚しいところがあって――」


「ハッ、呆れたね。その口で言うか」


「何だって?」


「状況は同じだ。アンタは周りに仲間が沢山いるってのに、一人で抱え込んでここに引きこもってる」


「それとこれとは話が」


「いいや、同じだね。アンタは恐れてるんだ。オレたちが裏切らないかと。抱え込んだ秘密が暴露されないかと。つまりオレたちを信用していないんだ。ヤツと同じだ」


「そんなことはない。ただ私は、きみたちに無駄な重荷は背負わせたくないと」


「誰が無駄だと決めた。アンタが抱えてる問題を解決出来なくても、オレたちに影響は一切ないのか? ならいいさ。好きにすればいい。だがそれによってオレたちが大迷惑を被るのなら、オレたちにも知っておく権利がある。例えオレたちが無能で、役に立てなくてもな」久我は両手を投げ出し、ため息を吐いた。「いつも同じ議論の繰り返しだ。いい加減にしようぜ。事態はもう、とっくにアンタ一人の問題じゃあなくなってる。知らずにいた方がいい? それって専制君主の台詞と同じだぞ。わかってるのか。アンタは超有能な独裁者か? 違うと思うなら、愚民の声も聞け。でないと重要な何かを見落とす事になるぞ」


 ついに柚木は黙り込んだ。


 きっと彼は、その明晰な頭脳で今の会話を検証しているのだろう。だが何処にも反論の余地がないと悟ったのか、彼は小さく息を吐き、コンソールを操作した。

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