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第十一話 脱出

 何か酷い夢を見ていた気がする。だが思い出せなかった。ただ暑くて、気怠くて、目を開けたくなかった。それでも身体中の筋肉が強ばっていて、時折痙攣を起こす。その痛みで朧気ながら目を覚ましはしたが、すぐに気を失う。


 何度それを繰り返しただろうか。ようやく身体中の熱が失せて心地よい感覚で目を開く。しかしすぐに、自分は拘束されている事に気づいた。手首足首の脂肪には金属の枷が食い込んでいて、手術台のようなものに寝かせられている。


 一瞬、何が起きているのかわからなかった。混乱して身をよじり、汗が額から目に流れ込む。


 まず最初に気づいたのは、右手に妙な違和感があることだった。縛り付けている枷の中で、無理に手首を回す。見た目は特に異常はなかったが、握りしめて指先で探ると、堅い何かが埋め込まれている感触がする。


 次いで気づいたのは、周囲の光景だった。


 見覚えがある。ここは横須賀の施設だ。左腕には点滴の針が差し込まれていて、頭には電極のような物が付いている。繋がっている装置が、何か警報のような音を立てていた。なんとか外そうと足掻いてみたが、無駄だった。


「おい、誰か」


 叫ぼうとしたが、喉がカラカラだった。咳き込んでいると、隣の部屋から白衣姿の男が現れる。由利だ。彼は微妙な表情を浮かべながらこちらを眺めると、歩み寄ってきて水差しを口に近づける。


 冷ややかな水の感触で、多少頭が冴えてきた。そして記憶も蘇ってくる。


「由利さん、これって」


 言葉が浮かばず、ただ呟く。彼は頭を振りつつため息を吐いて、諸冨の身を囲んでいる装置類を確かめ始めた。


「キミは運が悪かった」


 運が、悪かった?


 理解出来ずにいる間に、彼は諸冨の右手を探りつつ続ける。


「とにかく抵抗しないでもらいたい。そうすればお互い、無事に解放される」


「無事に、解放?」何もかも馬鹿馬鹿しく聞こえてならない。「どうなってるんです? オレは何をされたんです?」


「それより右手に意識を集中しろ。そこにある何かを感じてみろ」


「な、何の話です? それって一体――」


 由利はサイドテーブルから何かの装置を取り上げ、諸冨の右腕に突きつけた。途端に強烈な痛みが走る。スタンガンだ。動転して叫び声を上げ続けていると、痙攣する右手の内部から何かが浮かび上がってくる。


 どうなってる? 一体何が?


 止まらない電気ショックの痛みに脂汗を浮かべ、叫び続けている間に、手のひらには赤い結晶体が現れていた。


「なんだこれ! 何なの!」


 唐突に電気ショックが強められた。痛みに叫んだ瞬間、目の前がオレンジ色に染まった。炎だ。結晶体から炎がほとばしり、強烈な熱と、身体から何かが吸い取られるような寒さを感じる。


 ようやく由利は、スタンガンを諸冨の腕から離す。途端に炎も止まった。


 とにかく痛みを忘れようと喘ぐ諸冨を、由利はしげしげと観察する。


「いいじゃない」そしてブースから去りつつ、言った。「これが慣れるのに最適な方法らしくてね。恨まないでくれよ。私も必死なんだ」


 それから由利は度々現れては、諸冨に耐えがたい痛みを与え続けた。こちらの問いには何も答えず、ただ電気ショックを与えては炎を放出させる。だが慣れとは恐ろしいもので、諸冨があまり痛みを感じなくなってくると、また別の痛みを与えてきた。殴りつけ、指を万力で捻りあげ、針を爪の間に突き刺す。最初諸冨はその間隔と痛みの強度から、彼が何をしようとしているのか推理しようとしていた。しかし繰り返される痛みに次第に思考が鈍ってきて、ただ悲しさと苛立ちばかり感じるようになってきた。


 確かに自分が消えた所で、誰も探しはしない。両親は既になく、親類づきあいなんて皆無だ。ネットにはそこそこ友人はいたが、互いに本名も知らなければ職業さえ知らない。急に音信不通になったからといって、気にかけてくれるはずもない。


 どうしてこんなことになってしまったんだろう、と考えると、涙が止まらなかった。どうしてこんな、誰にも気をかけてもらえず、孤独なまま拷問され続けなければならないのだろう。


 自分はただ、誰にも迷惑はかけまいとしてきた。結果としてそれは自分に親切にしてくれた人々から、自ら遠ざかることにも繋がった。自分は多少コンピュータに詳しいだけで、それ以外はただのデブで無能な中年になりかけてる。そんな自分を、誰が喜んで近づけたがる?


 そう、ただ自分は誰にも迷惑をかけず、静かに生きてきただけだっていうのに。


 それなのにどうして、こんな目に遭わなければならない?


 諸冨自身を形作っていたプログラムが書き換わるのに、そう時間はかからなかった。


 何なんだ? このロボットのようなオッサンは、他人を痛めつけるのを何とも思わないのか? サイコパスなのか? 研究所は何を考えてるんだ? 研究員が一人行方不明になっているというのに、誰も何もしないのか? 警察は? あれだけ税金を払っていたというのに、こんな異常な連中をどうして野放しにしている? あいつも、こいつも、以前助けてやったってのに、どうしてたまに連絡してきて気にかけようとしない? どうして皆、デブだというだけで他人をからかい、無抵抗だからというだけで調子に乗って挑発する? ふざけてる。馬鹿げてる。世の中腐ってる。おかしい。あり得ない。


 いや、正確に言えば、そのプログラムはずっと稼働し続けていた。だが平穏な日常に覆い隠されてきたのだ。


 この世界は、全て、間違っている。


 だれしも一度は抱いたことのある感情だろう。


 ただ諸冨は、真にそれを最重要に考えなければならない所にたまたま追い込まれ、かつ、それを実行に移せるだけの力を得てしまっただけだ。


 憎しみがある。


 力がある。


 それは人を簡単に、変える。


 その変化に由利は気づいていない様子だった。彼が秦という老人に指示されていたのは、結晶体が問題なく稼働し続け、異常が起きないの確かめることだったのだろう。ただただ定期的に諸冨を痛めつけ、炎が発せられる事を確認するだけ。


 だから彼は、炎を発する度に、諸冨の脂肪が消費されることに気づかなかった。次第に手枷が緩くなっていることも、諸冨が自在に炎を発せられるようになっていて、それを隠している事にも気づかなかった。


 そしてある日、諸冨は十分に手枷が緩んでいることを確かめると、力を込めて右手を引き抜いた。


 拷問のおかげで、痛みには鈍くなっていた。皮が破れ血が出たが、それでも右手は自由になる。あとは簡単だった。炎を発して残りの枷を焼き切ると、手術台から床に崩れ落ちる。


 相当足腰が弱っていた。それでもなんとか立ち上がり、壁に保たれながら出口に向かう。


 扉を開けた途端、黒服の男が目に入った。彼は表情を驚かせ懐に手を突っ込んだが、諸冨は躊躇なく右手を突き出す。放たれた炎は瞬く間に男を包み込み、黒焦げにし、灰にした。


 諸冨は空気の中に舞い散った灰を眺めつつ、少し思った。


 人を、殺した。


 僅かに罪悪感は感じたが、それよりも数十日の拷問によって培われた怒りの方が簡単に上回った。諸冨は更に数人を灰にすると、最後には施錠された扉を溶かし、外に出た。


 自由だ。


 夜空を見上げ、それを感じる。


 諸冨は身体的な自由と同時に、組織や、社会や、法律からの自由も感じていた。黒服の男たちが使っていたらしい車に乗り込み、行き先を考える。


 一番に現れたのは、今村塔子の顔だった。彼女はこの数年の中でも、諸冨を馬鹿にせず、ただ普通に、本当に普通に接してくれた、ただ一人の人間だった。


 彼女は無事だろうか。彼女もまた、連中にこんな目に遭わされてはいないだろうか。


 そうだ、彼女を守るためにも、自分をこんな目に遭わせた奴らを一掃しなければ。


 現れたリストの先頭は、須藤以外になかった。次は由利。それに新川。このプロジェクト全体を潰さなければ駄目だ。あとはあの得体の知れない、秦という老人。


 こんなことを許していては。こんなことをする連中を野放しにしていてはいけない。


 全員、全員燃やし尽くさなければ、この世界は今村塔子という奇跡すら存在できない、闇に包まれてしまう。


 それは意味のない世界だと、諸冨は信じるようになっていた。

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