表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/114

第十話 謎の老人

「ストップ! ストーップ!」


 とても由利らしくない、興奮した声だった。諸冨はその理由がわからず、汗を拭いつつスコップをおろす。振り返ると由利は、重機が掘り起こした穴の中に飛び込んでいた。三メートルくらいの深さがある。由利はその底にしゃがみ込み、スコップで慎重にあたりの土を除けていく。


 まもなく諸冨も、彼が興奮している原因を目にとらえた。泥炭の中にあるそれは日の光を浴びてキラリと輝き、虹色の反射光を放っている。


「諸冨君、やったぞ! ついに見つけた! これで我々は――」


 我々は、何だというのだろう。


 そう諸冨は待ち構えたが、すぐに由利は自らの失言に気づいたように、頭を振り、普段の堅い表情に戻りつつ手招きした。


「何をしている諸冨君。すぐにあれを」


 言われ、諸冨はぬかるんだ地面に捕らわれた長靴を苦労して引き上げ、乗ってきたRV車に戻った。トランクから強化樹脂製の収納ボックスを引っ張り出しつつ、辺りを見渡す。


 何もない。北海道の大自然だ。これだけ開けているのに携帯の電波も辛うじて入るか入らないかという状態だし、人工物なんて一切ない。


 諸冨は未だに、どうして自分がここに来て、建設業者に口止め料も含んだ大金を支払い、湿原の真ん中にトラックとユンボを駆り出させたのか、よくわかっていなかった。


 いや、なんとなくはわかる。須藤博士の考案した新型レーザー干渉計が、ここに重力波の発生源を見いだしたからだ。しかしレーザー干渉計とは、本来ブラックホールの衝突とか、そんな壮大な重力イベントを探し出すものだ。こんな地球上の狭い一点を指し示すものではない。だから計測を始めて間もなく現れたデータを見たとき、諸冨はすぐにエラーだと思い削除しようとすらしていた。だが由利はそれを押し留めると、深刻な面持ちでデータ一式を確保し、あちこちに送って返答を待った。


『このプロジェクト、何か変よ』


 見た目は小柄で痩せた少女のようだが、口を開けば鋭い事ばかり言う不思議な女性、今村塔子の台詞が蘇ってきた。


 確かに諸冨も、妙なプロジェクトだと思っていた。だが新川も由利も諸冨にとってみれば大先輩だし、その上にいるという須藤博士は神様と言っていい。そんな彼らに実力を認められ、プロジェクトに加えてもらえたのだ。下手なことを言ってコテンパンに叩かれ、見捨てられられてしまう方が怖かった。


 しかし、よくわからない。諸冨は今村の作ったレーザー干渉計を制御し、そこで得られたデータを取り込むプログラムを作りはしたが、それを解析する部分は由利が担当していて、諸冨にとっては完全なブラックボックスだ。どういう処理の結果、北海道の釧路なんて所の座標が得られたのか、さっぱりわからない。


「由利さん、どういうことです?」ついに諸冨は、いらいらと貧乏揺すりをしつつ返答を待つ由利に尋ねていた。「あり得ないですよ。地球上から発せられた重力波だなんて。これって一体、何の装置なんです?」


 苛立った視線を向けられ、諸冨はすぐに俯いた。由利はいつもこんな具合だし、諸冨も彼が怖かった。


 世の中、怖い物だらけだ。由利からの評価を考えるのも怖ければ、不意に研究室から投げ出されて路上を彷徨うような将来を考えるのも怖い。


 だから諸冨は口を噤んで、言われるままに仕事を続けた。


 強化樹脂製のボックスを抱えて重機が掘った穴の縁に寄ると、柄にロープを結わえ付けて中に落とす。それを受け取った由利はボックスを開き、内部に輝く物体を収め始めた。それは何かの結晶体のようだった。石英のように六角柱が群晶となっていたが、光を浴びる度に虹色に輝きを変える。よくよく観察すると、それは内部に流動体が封じ込められているようにも見えた。最初は半透明の液体が揺らいでいるようだったが、次第に鮮やかな赤に、そして緑に、色を変える。


 由利はそれをゴム製の火ばさみで掴み、ボックスに入れる。しかし群晶は本当に僅かな衝撃を受けて、不思議な音を立てつつ、六つに割れてしまった。


 一瞬由利は、取り返しの出来ないことをしてしまったかのように、硬直する。やがて気を取り直して身を起こすと、火ばさみで六つの結晶体をつついた。


 最初はくるくると色彩を変えていた結晶体だったが、今では六つがそれぞれ、独自の色を保つようになっていた。赤、青、緑、白、黒、そして透明。大きさはどれも三センチほどだろうか。


「やはり、こういう物なんだ」


 由利は自分に言い聞かせるよう呟くと、慎重に蓋を閉じ、諸冨に引き上げるよう指示した。


 それからも諸冨は、由利と共に発掘の旅を続けた。装置は市街地の座標を指し示す事もあったがそれは避け、山形、兵庫、島根などの山間地に向かう。その全てで同様の群晶が見つかり、はやり触れた途端に六つに分かれてしまった。


 あれは一体、何なのだろう。


 当然諸冨は不思議に思ったが、ボックスは由利が身を離さず持ち帰り、横須賀にある急造らしい研究所に収めてしまう。


 これは困った。何か面倒なことに巻き込まれている気がする。


 さすがに諸冨も鷹揚に構えてはいられなくなった。由利や新川は明らかに事を秘密裏に動かそうとしている。この調子では、何かあった時にスケープゴートにされてしまいかねない。


 少しでも情報を探ろうと、諸冨は地方で仕入れた土産物に小型マイクを仕掛け、新川と今村の机に置いてくる。しかし新川はすぐにそれを捨ててしまうらしく、オンラインになるのは今村の物だけだ。そして彼女も諸冨同様何も知らされていないようで、これといった声は拾えない。


 次第に諸冨は幕張に行くことは少なくなり、横須賀での作業が増えてきた。ここで諸冨は、よくわからない分析作業の補助をさせられた。元々情報科学が専門だ。あまりこうした実験器具は使ったことがなく、言われるがままに操作し、出てきた値を提出する事しか出来ない。結晶体の組成を調べようとしているのだと思うが、由利は相変わらず寡黙で要領を得ない。


 いい加減に、新しいプロジェクトに異動させてもらうよう頼むべきだろうか。


 そう考え始めた頃、横須賀に見知らぬ男が現れた。


 初老の男だった。皺の浮いた白い肌に、白髪頭。そして瞳は少し乳白色に濁っていて、軽い白内障を患っているようだった。黒のスーツ、黒のコートに身を包んでいて、皮の手袋をはめた手を寒そうに摺り合わせながら歩み寄ってくる。


「これはこれは、由利さん」と、彼を認めるなり声をかけた。「首尾は順調ですかな」


 彼には黒服の男、二人が付き従っていた。胸は厚く、耳にはイヤホンを刺し、屈強なボディーガードなのは確かだった。怯えた表情で一同を眺めた由利は、ようやく老人が片手を差し出していたのに気づき、慌てて右手を差し出す。


「これは、秦さん、こんなところまでわざわざ、どうして」


 秦と呼ばれた老人は笑みを浮かべつつ、施設の様子を検分しはじめた。元はただの倉庫だ。そこが簡単に改装され、幾つかの分析装置とコンピュータが置かれている。奥の方にはガラス壁で隔離されたエリアがあって、幾つかの大柄な装置らしきものにビニールシートが被せられている。結晶体の格納場所もそこにあって、場違いとも思える最新式の金庫に格納されていた。


 それらを一つ一つ眺め、硬直している諸冨の横顔にも白濁した目を送り、最後には試験台に乗せられた、赤く濁る結晶体を覗き込んだ。


「素晴らしい。もう四つもレリックを発見したとは。我々の数十年に及ぶ成果を遙かに上回る。須藤博士を信じて良かったですよ」


 由利は顔を青白くする。


 隠していたんだ、と諸冨は直感した。


 しかし、何故? この老人は、この奇妙なプロジェクトの出資者なのか?


「いや、報告が遅れたのは、申し訳――」由利は混乱し、両手を振り回しながら抗弁する。「ですがこれは、時間をかけて分析するべきです。未知の物体なんです。下手に触ると、取り返しの付かないことに」


 秦は笑い声を上げた。


「今、我々が知りたいのは、投資にみあった対価が得られたのかどうかです。でしょう? 由利さん。これは確かにレリックなのか? 違うなら違うで、その時に調べればいい。違いますかな? 簡単なお話だ。元々、そういう筋書きだったはず」


 ここにいちゃ、いけない。


 諸冨の警戒心が、ずっと叫び続けていた。


 これまでずっと隠されていたはずの秘密を、諸冨は意図せず聞いてしまっている。その内容は理解出来ないが、恐ろしい何かを端々に感じさせる。いますぐここを立ち去って知らないふりをするのが一番だ。


 そう思いはしたが、足腰が硬直して動かなかった。異常に汗が噴き出してきて、これでは老人の注意を引いてしまう。


「おや、彼は何か感づいたようだ」


 楽しげに白濁した瞳を向けられた瞬間、諸冨は逃げようとした。しかし全身が強ばっていて、椅子から転げ落ちるのがせいぜいだった。朦朧としたまま、隣の部屋に通じる扉に手を伸ばす。しかし瞬く間に黒服の男たちに組み伏され、うつ伏せのまま動けなくなった。


「秦さん、止してください! 彼はただの研究員――」


 由利は叫んだが、老人は試験台にある赤い結晶体を革手袋でつまみ上げると、諸冨の拘束された右手の掌に、そっと置いた。


「須藤さんに聞いていますよ。予め良い検体になりそうな人物をメンバーに選んでいると。両親はなく、独身で、不意に消息を絶っても誰も気づかない人物。でしょう?」


 須藤博士が? 初めから自分は、何かの実験台にされるために選ばれたというのか? だとすると自分だけでなく、今村塔子も同じ目に――


 頭が回ったのは、そこまでだった。右手に激痛が走り、諸冨は悲鳴を上げた。これまでに感じたどんな痛みをも上回る。まるでバーナーで焼かれているようだった。見ると赤い結晶体は、諸冨の手を溶かすように沈み込んでいる。皮が、肉が燻り、白煙がたちのぼる。瞬く間に右手全体が熱せられた金属のように赤く光り出し、それは右腕全体、そして全身へと広がっていく。


 そこで諸冨は、気を失った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ