第八話 襲撃
噂はされていたが、まさか本当に受賞するとは思ってもみなかった。だから今村がそのニュースに接したのは、新川が慌ただしく今村の作業場に駆け込んできた時だった。彼は額に汗を浮かべ、辺りの非常駐や非常勤の人員から隠すよう、唇の端を震わせながら囁いた。
「今村さん、大至急、プロジェクト資料を処分して」
急にそんなことを言われても、理解不能だ。それで硬直したままの今村に苛立った様子で、新川は携帯の画面を突き出す。
須藤が燃えていた。全国中継されてしまったその映像は瞬く間にネット上で拡散していて、一種のトレンドになっている。
今村はそれを見ても、何とも反応できなかった。あっという間に目映い炎に飲まれてしまっているからグロテスクな所もなく、須藤博士という人が自分にどういう関係があるのかもわかっていない。だから呆然と眺めていると、新川は興奮した様子で肩を揺さぶる。
「聞いてる? とにかく全部の資料を集めて」
「ど、どうしたんです、一体」
「いいから。詳しく説明してる時間がないから。とにかく私は地下の資料を処分するから、キミは上を」
「そう言われても。処分って? 何を処分すればいいんです?」
「全部だよ! すぐにミカミの連中も気づくはずだ。その前に逃げないと」
「ミカミ? 逃げる? 一体何が――」
その時、悲鳴が上がった。扉から四人の警備員が入っている。普段彼らは腰に警棒をぶら下げているだけだったが、今は映画で見るような機関銃を携えている。
リーダーらしき男は新川を見つけると、携帯を取り出して通信を始めた。
「確保。それで?」回答を受けて、頷く。「了解。新川、今村。二人はこい」そしてメンバーに指示する。「全員の携帯、私物は全て回収。誓約書にサインさせて解放。急げ」
「待ってくれ。彼女は無関係だ。彼女はほぼワーカーで、何も」
新川は慌ててリーダーに懇願したが、彼は聞く耳を持たなかった。すぐに二人は急き立てられ、会議室の一つに押し込まれる。そして新川は椅子に座らされると、銃口を突きつけられた。
「待ってくれ、私は何も――」
「記録は何処にある」
鋭くリーダーに言われ、口ごもる新川。途端、彼は銃で殴られた。うめく新川の髪を掴み、リーダーは重ねて尋ねる。
「記録は、何処だ」
「待ってくれ。記録って何だ」
「横須賀の実験記録映像が消えている。おまえだろう」
「知らない。私じゃない。それは由利さんが」再び殴られたが、彼は頭を振りながらわめき声を上げるばかりだった。「本当に、私じゃないんだ! 本当に知らない!」
三度リーダーが拳銃を振り上げた所で、何か通信が入ったらしい。彼は渋い表情でそれに応じる。何か異常事態が発生したようだ。最後に舌打ちすると、全員を促して外に出る。
扉が固く閉じると、新川は放心して椅子に倒れ込んだ。
携帯も何もかも没収されてしまった。外がどうなっているのか、調べようがない。
ひょっとして、このまま殺されてしまうのか?
冗談のような考えの現実味が増してきて、今村は声を震わせながら新川に尋ねた。
「何が、どうなってるんです? これって一体――私たち、どうなるんです? 映像って何なんです?」
彼は何度か頭を振りつつ、殴られ赤くなっている頬を押さえた。
「キミは知らない方がいい。その方が助かる可能性が高くなる」
「助かる? 殺されるっていうんですか?」
「わからない。まさか、こんなことになるなんて」
それを言いたいのは、こっちの方だ。
次第に恐怖よりも苛立ちが先立ってきて、強い口調で新川に詰め寄った。
「冗談じゃないですよ! 一体、このプロジェクトは何なんです? 色々不思議だった。予算にしろ、あの警備にしろ――何なんですミカミって。彼らのこと?」
不承不承、新川は頷いた。
「あぁ。ミカミインダストリー。彼らが出資者だ。わかるだろう? このご時世、とても国からの予算だけじゃ、こんなプロジェクトは出来ない。しかし色々と事情があってね。なるべく他の人を巻き込みたくなかった。あまり事情を説明出来ず、申し訳なかったと思う」
「今更そんなこと」十分巻き込まれている。「じゃあ須藤博士も、彼らに殺されたんですか? 何か、やらかしちゃって?」
「それはないと思うが――」
「そうだ! 諸冨さんは? 無事なんですか? それに由利さんは?」
「彼は」口ごもり、「恐らく二人も拘束されてるんじゃないかと」
「何処で? ここのところあの二人、何処で何をしてたんです?」
答えがない。
大嘘だ。
今村は確信を抱いた。そこで怒りに任せて新川を罵倒する言葉を発しようとした、その時だ。会議室の外から、断続的な銃声が響いてきた。
何事かと、新川も立ち上がる。銃声は止まず、次いでガラスの割れる音、男の悲痛な叫び声も届いてくる。
五分ほどだろうか。それがようやく収まったかと思うと、今度は何か、焦げ臭い匂いがしてきた。
燃えている? 燃やされている?
不意に火だるまになった須藤の映像が蘇ってきた。今村は我慢がならなくなり、扉にとりついて叫ぶ。
「ねぇ! 何が起きてるの? ちょっと!」
「今村さん」
怯えた様子の新川に咎められたが、もはや彼の言うことを聞く気にはなれなかった。扉を何度叩いただろう。不意に天井の照明が消えて、真っ暗になる。
辛うじてドアの隙間から差し込むのは、赤い炎の揺らぎらしきものだった。
「まさか、このまま焼き殺す気か?」
声を震わせつつ呟いた新川。
冗談じゃない。
今村は焦りにうながされるよう、更に強く扉を叩き、叫ぶ。すると何者かが近づいてくる足音がした。
「ちょっと! 助けて!」
足音は扉の前で止まり、扉の鍵が弄られる。
そして開いた扉の先にいたのは、あの警備員たちのリーダーだった。彼は酷く疲労困憊していて、顔中を煤だらけにしている。彼と共に煙も漂ってきて、今村は口元を抑えつつ、数歩あとずさった。
彼は荒い息を吐きつつ、拳銃の銃口を向けてきたのだ。
一体何が、どうなってる。
焼殺するつもりじゃないのか? 誰かに襲われているのか?
考えられずにいる間に、彼は銃口を、今村の額に向けた。
殺される――
ただ、そう思った時だ。目の前の男は、唐突に炎に覆われた。叫び、蹌踉めきながら、今村に覆い被さって来ようとする。
完全に頭の中が空っぽで、身動きすることも出来なかった。しかし新川に身体を引っ張られ、辛うじて助かった。倒れ込んだリーダーの男は僅かに蠢いたが、すぐに勢いを増した炎に包まれた。
投げかけられる火線の元には、一人の男がいた。
痩せた長髪の男で、鋭い瞳を床に転がった男に向けている。突き出された右手からは、まるで魔法のように炎が放射され、倒れた男を消し炭にしようとしている。
ついに警備員は、身動きしなくなるどころか、元の形すら失っていた。男はそれを冷たく見下ろすと、驚愕の視線を向ける今村を無視し、通路の先へと歩み去っていく。
酷い臭いで我に返った。見渡すと新川は部屋の隅に縮こまり、身を震わせていた。
「今のうちに、逃げましょう」
辛うじて言ったが、もはやそれしか考えられなくなっていた。完全に自失している新川を引っ張り、もうもうとした煙に包まれる施設を、どうにかして抜け出す。そして愛車のセローに跨がってエンジンをかけて振り返ると、施設全体が業火に包まれていた。




