第六話 今村塔子
近場から順に、ミカミインダストリーという謎の企業が借りている不動産を巡る。殆どが雑居ビルの一室で、一件は倉庫とも呼べない古びた民家だった。そのどれにも保安部の人員が先着していて様子を窺っていたが、人の出入りもなければ電気メーターも回っていないという。恐らく関連施設がスニッカーズの襲撃を受けたため、引き払ってしまったのだろう。
久我が一番気になっていたのは、横須賀にあるという拠点だった。残る九件は都内近郊にあるが、ここだけ遠く離れている。
緩く曲がる道路の両脇は、二階建ての民家が軒を連ねている。知らずに通りかかると、民家の背後に自衛隊の艦隊司令部があるとは思いもしないだろう。さらに進むと海が現れ、ようやく係留されている護衛艦の姿が見えてくる。近辺にはアメリカ海軍の広大な基地もあり、軍用車両や外国人も散見された。
問題の住所は、そこからやや内陸に入った里山の麓にあった。小さな倉庫件事務所といった外見で、左隣は似たような物産会社で右隣は小さな鉄工場だった。トラックから直接搬入できる高床の荷受けが設えられているが、シャッターは閉じられ人の気配はない。
しかしここにも、最新式の監視カメラが据え付けてあった。赤外線を照射して暗視が出来るタイプで、こんな小さな倉庫には不釣り合いな装備だ。
まだ保安部は到着していないが、あたりには身を紛らわせられる物陰もなければ人通りもない。久我は諦めて、馬鹿正直にバイクを駐車場に入れてみた。
他の拠点の様子からして、きっともぬけの殻だろう。
ヘルメットを取って監視カメラを見上げてみたが、やはり通電していない。無駄足だったかと思いつつ、シャッターの脇にあるアルミの扉に手をかけてみる。そこで違和感を覚えた。鍵がかかっていない。鍵穴を改めると、ピッキングされた時特有の傷が付いていた。
誰かが先に、侵入している。
久我は右手のグローブを外してレンズを露出させ、慎重にノブを回した。
内部は薄暗い。脇は外から見えるシャッターの内側で、それなりのスペースがあった。パレットに段ボールや何かの装置が山と積まれたままで、夜逃げしたとしても相当急いでいたらしい。
と、その奥で、何かが動く気配がした。久我はすぐに電磁波レーダーを入れてみたが、金属類が多く役に立たない。代わりに赤外線モードに切り替えると、やはり荷物の奥に人の頭らしきものが窺えた。
「毎度!」
声を出してみると、影はさっと動いて奥の通路に逃げ込んでいく。久我はいつでもシールドを張れるようにしつつ、あとを追った。
短い通路の先を覗き込む。暗くてよくわからないが、何かの研究施設らしい。中央のテーブルには電子機器のような物が置かれ、奥の方にはガラス壁で隔てられた作業エリアがある。隔離スペースのようだ。歯医者の施術台のような物が置かれていて、手首足首の場所には拘束具が装備されている。
それを遠目に確かめていると、やはりキャビネットの影から人影が走り出て、奥の扉から飛び出していく。
髪がなびく。スニッカーズだ。
久我はそう察すると、躊躇するのを止めてマグライトを灯し、影を追った。
「待て!」
叫んだところで、待ってもらえた試しなどない。短い廊下の先は小さな事務室だったようだが、ゴミ箱にはコンビニ弁当やペットボトルの殻が詰め込まれ、脇には簡易ベッドが設えられていた。
久我はそれを目にした瞬間、すっかり当初の目的を忘れ、立ちすくんでしまっていた。
「なんだ、こりゃ」
誰に尋ねる必要もない。死体だ。ベッドの上には白衣姿の男が倒れ込んでいる。白髪で痩せた初老の男で、欧米人らしい顔立ちだ。その広い額には、二カ所、黒々とした穴が穿たれ、マットレスは血で黒々と色づいている。
久我が我に返ったのは、聞き覚えのあるエンジン音が響いてからだった。慌てて部屋の奥にある扉を押し開く。裏口だ。スニッカーズはここに乗り付けていたらしく、マウンテンバイクは砂埃を上げつつ建屋の隅を曲がり、公道に向かう。
咄嗟に右手を振りかぶり、プラズマでタイヤを焼き切ろうとした時だ。突然黒塗りのSRV車が現れ、タイヤを軋ませながら大きく車体を滑らせ、狭い道を塞いだ。行き先を失ったバイクは姿勢を失って転倒し、火花を上げながら滑っていく。そしてスニッカーズは投げ出され、アスファルトに叩きつけられた。
一体、何事だ。
とにかく駆け寄ろうとした久我は、車の窓が下げられ、そこから銃口が覗くのを捉えていた。
サイレンサー装備の銃口は、路上に倒れるスニッカーズを、真っ直ぐに狙う。
「おい!」
叫んだが、照準は変わらない。プラズマで銃を焼灼するにも、角度が悪すぎた。車の内部にいる人間を殺す気でなければプラズマは使えない。しかし相手が何者か、何が目的なのかもわからないこの状況で、そこまでやっていいのか。
久我は迷った挙げ句、ふと閃いていた。
ウェアラブル・デバイスは電磁波でプラズマを生成するが、それを球形や刃という形に保つのは磁力の力だ。つまり久我の異物は電磁波と磁力を使ってプラズマを制御している。電磁波照射機能はレーダーやセンサー代わりとして用いることも出来るが、磁場生成機能は単体で使ったことがない。いや、使い道を思いつかなかったというのが正しいだろう。
しかし、この時、この場面では、どうだろう。
最近の銃は強化プラスチック製も増えているが、部品には必ず金属が用いられている。そして弾丸自体もまた、まず間違いなく金属だ。
だとしてそうしたものに、久我の生成した磁場で影響を与えられたら。
誘導電流、マグレブと呼ばれる力だ。
「えぇい、やってみろ!」
とにかく猶予はない。久我は思い切って右腕を振りかぶり、プラズマを照射する時とはまた違ったイメージを頭の中に描いた。
プラズマは生成しない。代わりに磁場だけ生成する。しかし普段より強力に。その目に見えない波は空間を伝播し、あのRV車に対して力を――
しかし強烈な力が加わったのは、久我に対してだった。それはそうだ、質量をすっかり忘れていた。車は数百キロあるが、久我はせいぜい七十キロだ。物理の力で殴りつけても、磁場の力で殴りつけても、動くのは久我の側に決まっている。車はサスペンションを軋ませただけで、久我は背後に吹き飛ばされる。
だが、それでも敵が構える拳銃くらいは潰せたらしい。呻きながら久我が立ち上がった時、RV車は襲撃を諦め、再びタイヤを鳴らしながら急加速し、去って行く。
「ったく、オレはアホか」
土埃を払いながら呟き、路上に転がったままのスニッカーズに歩み寄る。どうやら強かに腰を打ち付けたようで、立ち上がれそうもない様子だった。
「おい、余計な事はすんなよ?」
警告し、それでも用心しつつ近寄る。
しかし相手がこちらに顔を向け、ヘルメット備え付けのゴーグルをずり下ろした時、一度に警戒心は薄れてしまっていた。
相手はスニッカーズではない。見知らぬ女だった。
すぐに古海が調査部を引き連れ、横須賀の倉庫に現れる。
「ドライバーではない。少なくとも、見た目上は」
古海による身体検査の結果、ウェアラブル・デバイスらしい物は身につけていなかったらしい。促されて椅子に座る女は、年の頃三十くらいだろう。丸顔で丸い目の幼げな感じのする外見だったが、眉と瞳に力があり、相当に意志が強そうだった。
その彼女は表情を強ばらせ、机上にある雑多な装置や機械類に目を泳がせる。久我は鑑識官と共に眺めていた死体の脇から腰を上げ、机の縁に寄りかかった。
「で? オタクはどちらさんで?」答えはない。「まぁいい、実は知ってる。財団法人、宇宙基礎物理学研究センターの所員さんだ。名前は今村塔子」
最初は気づかなかったが、古海の洗い出していたノーベル賞受賞者須藤の関係者リストに記載されていた。本当に女性の顔写真はあてにならない。こちらはほっそりした顔立ちだというのに、目の前の彼女はふっくらしている。彼女と須藤の関係度は非常に低く、彼は彼女の所属する研究チームの顧問をしているだけだった。普通、この手の顧問というのは名ばかりなケースが殆どだ。
「オタクは全焼した幕張の倉庫にもいたな。そしてここにも。一体全体、こんな所で何をしていた?」
軽く脇の死体に目をやった久我に気づき、ようやく彼女は声を発した。
「私じゃない」
意外と低い声で、はっきりした物言いだった。久我は口元を歪めて見せて、死体に歩み寄りつつ言う。
「んなことはわかってる。9mm、38口径」それくらいの銃創だ。「プロの仕業だな。頭に二発。確実にやってる」
彼女の顔色は、次第に青白くなっていた。その様子からしても、あまりこの手の問題に免疫がない事がわかる。
「この死体も誰か知ってる。宇宙基礎物理学研究センターの主任、由利茂樹。オタクの上司だ」
そこで今村塔子は言葉を遮り、感情を高ぶらせ言った。
「貴方たち、何なの? 警察じゃないのよね?」
「あぁ、違う。オレたちに法律は通じない」
「んな訳ない。悪乗りしすぎ」
呆れ顔の古海に遮られた。確かに少し、調子に乗っていた。久我が頭を掻いている間に、彼女が歩み出て今村に対した。
「私たちは災害予防局」
「予防局? エグゾア対策の? どうして予防局が、この件に」
「この件?」さすがに元検事だけあって、古海は今村の失言を逃さなかった。途端に黙り込む彼女に、古海は静かに続ける。「確かに予防局には、超法規的なところがある。なにしろ、〈異物によって引き起こされた何事にも責任を負わない〉だなんて、普通ではあり得ない無責任条項が存在するんだもん。でも私たちはそれを盾に好き放題している訳じゃあ」
「待って、待って」今村は混乱したように両手を突き出した。「一体、何の話? 異物って、エグゾアの痕跡で見つかるガラクタの事? それとこれと、どういう関係が?」そしてグローブを填めた久我の右手を見つめる。「貴方のさっきのエネルギー放射みたいなの、何? 新型の武器か何か? どうして予防局がそんな物を?」
久我は古海と顔を見合わせた。そのまま久我は彼女の袖を捉え、部屋の隅に寄る。
「彼女はウェアラブル・デバイスの事を何も知らない? 異物の事も? エグゾアも?」
「どうやら嘘は言ってなさそうだけど」
「これじゃあ埒があかないな」久我は振り返り、今村に歩み寄った。「まぁいい。とにかく、オタクの事情を話してくれ。事によっちゃ、協力出来るかもしれん」
「事情、って言われても」今村にとって、予防局の登場は完全に想定外の事だったらしい。考えをまとめるよう、瞳を泳がせる。「私はただ、諸冨さんがどうなったか、知りたくて」
「諸冨?」
「だってここ半月で、諸冨さんがいなくなって、須藤さんが焼き殺されて、幕張の施設が襲われて、由利さんとも連絡が取れなくなっちゃうし。なのに新川さんは危険だからって震えてるだけだし――」
「ちょっと待て」
ぽんぽんと出てくる名前に混乱しかけ、久我は遮って古海のリストに目を落とす。
須藤は焼殺されたノーベル賞学者。
由利はベッドに横たわる死体。
諸冨、という名前を探すと、今村塔子の隣にあった。太り気味で長い髭を生やしているが若い男で、やはり彼女と同じ研究グループに属していた。
「貴方の研究グループは、四人で編成されていたのね。貴方、由利さん、諸冨さん、そして新川さん」古海が名前を読み上げる。「諸冨さんがどうなったか、って? どういうこと?」
「いるなら多分、由利さんと一緒にここにいただろうから、見てくるようにって」
「その、新川さんの居所は?」
「わからないの。教えてくれない。危険だからって」
警戒したように俯く今村に、古海が顔を近づけた。
「私たちは敵じゃない。少なくともそちらが、敵意を持ってない限りはね。わかるでしょ? このオッサン、貴方が何者なのかわからないまま、銃を撃ってくる敵から守ったんだから」
「オッサン言うな」苦笑いしつつ、古海の隣に並んだ。「だが、コイツの言うとおりだ。明らかにオタクも非常に危険な立場にある。相手は銃を平気で使ってくる連中だ。オレたちなら、オタクを守れる。全て話してくれ」
今村塔子は大きなため息を吐いたが、ぽつぽつと事情を話し始めた。それは逆説的に言えば、彼女が主導的立場ではなかったことを意味している。軽々しく口を開いて予防局に事態を説明することが、彼女の不利にはならないということだ。




