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第二話 結晶体

「ロウ、回り込め! 文化センター方面に向かった!」


 久我は蝋山に指示を送りつつ、枝道に逃げ込んでいった男の影を追った。金曜の夜だ、路上は酔っ払いや買い物客で混雑していて、真っ直ぐに歩くことすらできない。久我は構わずに人混みを掻き分けていたが、相手もかなり俊敏で追いつけなかった。


『私、あまりこの辺は詳しくないんですよ! どっちですか!』


 喘ぐ蝋山の声がインナーイヤホンに響き、久我はすぐに応じた。


「左手の大通りを渡って、ファミマの脇を奥に!」


『了解!』久我の目論見は当たった。まもなく蝋山が叫ぶ。『いた! そっちに戻っていきます!』


「オーケー、袋のネズミだ!」


 久我がブーツの踵をを滑らせながら雑居ビルの狭間に飛び込んでいくと、人影を挟んだ向こう側に蝋山の姿があった。軽装の久我と違い、彼の全身は黒ずくめの戦闘服に覆われていた。防弾、防刃、防火防電素材だ。加えて頭には、ジェットタイプのヘルメット付き。


 仕方がない。他に人手がないから協力してもらっているが、蝋山は屈強とはいえ、結局は普通の人間だ。異能を持ったドライバーを相手にするには、それくらいの装備でも不安がある。


「ロウ、下手に動くなよ」そう注意しつつ、久我は二人に挟まれた人影に歩み寄った。「毎度! オタク何者だ! どうして逃げる!」


 男は、荒く息を吐きながら顔を上げる。


 痩せた男だった。長髪はボサボサで、頬はこげ、垢染みたシャツから窺える腕は骨張っている。ともするとホームレスに見紛うような不健康さだったが、その鋭く光る瞳と強い意志の籠もった顔つきによって、辛うじて人間社会に繋ぎ止められている。


 彼が捜査線上に浮かんだのは、ノーベル賞受賞者須藤彰の死亡が確認されてから、わずか一時間後だった。


「見てくれ。彼だ」


 異物捜査特務班の移動オフィスであるキャブコンで会見場のホテルに向かい、自らの異物〈スリー〉でホテル内のネットワークを探り始めてすぐ、柚木は決定的な映像を見つけ出していた。会見場に据え付けられている監視カメラは、テレビカメラとは違った画角で全体を捕らえていた。


 ひな壇に問題の須藤が現れ、頭を下げる。居並ぶ報道陣は百名近くいるだろうか。前方には記者たちが座り、後方にはおびただしい数の撮影スタッフがいる。まばゆい照明が投げかけられ、カメラのフラッシュが炊かれてはいたが、それが照らし出しているのは須藤の姿だけだ。後方は薄暗く、人の蠢く影しか窺えない。


 火の手が上がったのは、会見開始から数分経ち、投げかけられた質問に須藤が言葉を探している時だった。会見場の袖で会場スタッフと何者かとの悶着が起き、男がスタッフを押しのけてひな壇に駆け寄る。そして男が右手を須藤に突き出した途端、火線が走った。テーブル、クロス、椅子といったものごと須藤は炎に包まれ、またたくまに三メートルほどの火柱が上がる。中心にあった須藤の塊は最初混乱したようにのたうち回ったが、すぐに床に崩れ落ち、その形すらも失っていく。最終的に炎は十秒ほど照射され、男は混乱に紛れて逃げ去っていた。


「相当な火力だ」


 呟き、久我は柚木のノートパソコンから顔を上げる。


 会見場は未だ、異様な匂いに包まれていた。焦げ臭いのは焦げ臭いが、何か独特の油のような匂いがする。警察の人員数十人が緊迫した様子で右往左往し、ひな壇にある黒焦げの塊には数人の鑑識が寄り集まり、何かの分析をしていた。


「見たまえ。スチール製のテーブルが溶けている」


 消化剤と水が散々まかれて無残な有様になっているが、確かに元はテーブルだったらしい形状が残っている。


「千度以上だな。火炎放射型か」そこで久我は眉間に皺を寄せ、記憶を辿った。「しかしそんなウェアラブル・デバイス、あったか?」


「私の知る限り、ないな」


 久我の思案で自動的にコンシェルジュのイルカが現れ、素っ気なく答えた。


『私のデータベースにもないよ。知らない』


「じゃあ携帯型の火炎放射器を使った犯行か? ドライバーじゃない?」


「さぁね」と、柚木。「残念ながら彼の手元は隠れていて、何らかの装置を手にしていたのか、デバイスが埋め込まれているのか、判然としない。キミの言う携帯型火炎放射器というのは、どういった物があるんだ?」


「そうだな。ライトセイバーのようなサイズの筒状の物があるが。しかしここまでの火力はない」


 そこでふと柚木は立ち上がり、会見場から廊下に向かう。ここも警察やホテルの従業員で一杯だったが、警戒線から出ると途端にマスコミばかりになる。彼らを押しのけてロビーに出ると、柚木は軽く辺りを見渡し、傍らにあるゴミ箱に歩み寄った。


「会見場に行く前、彼はここで何かを捨てている」


 パソコンを久我に渡し、自らはゴミ箱の中を改め始める。たいした物は入っていなかった。ティッシュや、ビラや、ペットボトル。久我は柚木が見ていた監視カメラ映像を巻き戻して見てみたが、すぐに見当が付いて指し示す。


「それだ」


 柚木は普段、こうした物を食べないからわからないのだろう。火炎を発した犯人は、見るからにチョコバーを口にしながらホテルに入ってきてる。


「スニッカーズ?」呟きながら、柚木は包装を拾い上げる。「まぁ指紋やDNAが検出できるかもしれない。これは警察に渡しておこう」


 キャブコンに戻り、念のためもう一度監視カメラ映像をチェックする。しかしそれ以上の収穫がないとわかると、柚木は炎を発した人物の横顔にカーソルを合わせ、画像を拡大し、ノイズを除去し、鮮明化させていた。久我はそれを眺めつつ、腰を上げる。


「とにかく、異物絡みの可能性がある以上、調べた方がいいただろう。柚木はこいつの身元を探ってくれ。オレは警察さんたちから話しを聞いてくる」


 それがいつものやり方だ。だが久我が再びホテル内に向かおうとした所で、柚木は何か迷うように言葉を発した。


「すまないが久我くん、この問題はキミに一任したい」


「あ? どうしてだ」


 また、何かを隠している。それがありありとわかる様子だった。僅かに俯き、考え、意を決したように顔を上げる。


「須藤氏が死亡した今、他にやるべき事が出来た。悪いが私は、これからそちらにかかりきりになる。特務班の活動は、当面キミ一人で何とかしてくれ」


「待てよ。急にそんなことを言われても。理由を聞かせろ」


「キミには関係のない事だ。私に出来るのは、ここまで」


 言って、鮮明化処理を終えた画像を久我の携帯に送りつける。


 それで現れたのが、目の前の男だ。


 ああいう風に柚木が殻に閉じこもってしまうと、久我が何を言おうと梃子でも動かない。それは経験から学んでいたが、今度ばかりは不審すぎた。いや、不審なのがわかるほど、久我も色々と知り得るようになっていた、というのが正しいか。柚木は焼殺された須藤の力を借りたいと言っていた。そしてそれは天羽がらみであることも匂わせている。そうなるときっと、学問の話しだ。であれば久我の力は及ばないだろうから、柚木の言うように知らないでいた方が下手に悩まずに済むのかもしれない。


 そして運のいいことに、目の前の男、須藤を焼殺した男が、たまたま調査部が張っていた監視カメラ網に引っかかった。いまだ男が何者で、何が目的なのかも不明なままだ。こいつを捕らえられれば柚木の問題を少しは解消させられるかもしれないし、それが久我が出来る、最大の働きなのかもしれない。


 だが、釈然としないのは確かだ。


 久我は慎重に、男に歩み寄る。挟み込む蝋山は特殊警棒を取り出すと、振り下ろして伸長させる。一方の男は、久我、そして蝋山と交互に視線を送り、じりじりと路地の隅に後ずさっていく。


 見る限り軽装で、どんな携帯型の火炎放射装置も持っている様子はない。ぎっしりと荷物の詰まったデイパックを背負ってはいたが、薄汚れて傷だらけになっている。相当の金欠らしい。男の目的が何にせよ、何かの組織に属しているということはなさそうだ。


 加えて、かなり警戒心をむき出しにしている。久我は構えをといて力を抜き、なるべく気軽に話しかけてみた。


「なんだか知らんが、腹が減ってるんじゃないか? 何か食わないか? 牛丼とか、カツ丼とか」様子は変わらない。「わかった! ここは奮発して経費を使おう。寿司はどうだ? ステーキとか! オマエの懐柔のためなら、オレもご相伴に」


 唐突に男は、右手を突き出した。


 久我は彼の手のひらに、何かのきらめきがあるのを見て取った。やはりドライバーか、と身構えたが、どうにもその形状は今までに見てきた異物とは異なっていた。輝いたのはレンズではなく、水晶のような結晶体に見える。加えて周囲に金属は見受けられず、ただ直接手のひらに食い込んでいる。


 あれは、と思ったのも一瞬だった。直後に結晶体は炎を発し、一直線に久我に向かってきた。

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