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第七話 スラグ

 涼夏の番号を叩き、呼び出しが途切れるのを待つ。


『なに?』


 重いため息に続けて、発せられた言葉。


 久我は既に後悔し始めていた。五年という夫婦生活が終わりに近づいた頃、涼夏は完璧に久我をヒトとして見ることを止めていた。頭が悪くて、ノロマで、稼ぎの悪い亭主。それをエリート・サラリーマンに改造することを諦めた彼女は、さっさと久我を捨てることを選んだ。


 そんな具合だ。事、ここに至って、久我も良い元亭主を演じるつもりは、更々なかった。


「湯島のエグゾアについて、内部情報がある。買う気はあるか?」


 ゴミ野郎と思われてるなら、徹底的にゴミ野郎になりきってやる。

 そう自虐的な気分で云った久我に、涼夏は僅かに戸惑った風だった。


『なに? ウチはそんな違法な取引に関わる会社じゃ』


「ハッ、いまさら優良企業を気取ろうったって。無駄だぜ。オマエらが湯島でやろうとしてることは知ってる。いいのか? オレの情報がなきゃ、全部ご破産だぜ?」


 沈黙。恐らく上司か何かと話しているのだろう。間もなく彼女の声が戻ってきたが、その調子は酷く、固くなっていた。


『湯島に来れる?』


「あ? 今向かってる所だ」


『なら、ここに来て』


 メッセンジャーに送られてくる住所。久我はその位置をだいたい掴んでから、地下鉄の階段を降りた。


 湯島天神の裏手、ゴミゴミとした雑居ビルが連なる路地を進むと、不意に空が広くなる。クォンタムの湯島オフィスの痕跡。未だにそこはエグゾア発生後から手付かずのままで、科学班も、解体班も、活動出来ていない。


 久我は見知った警備員に手帳を示し、封鎖線の中に入っていく。

 そして、巨大なクレーターの外縁に立つ。


 半径五十メートルほど。科学班の計測によると、空間異常の中心は、上空二十メートルほどらしい。そこから完璧な球形に、空間が〈抉り取られて〉いる。


 しかしエグゾアは、抉り取られるだけの現象ではない。跡に残る、灰とスラグ。一メートルほどの厚さで残る瓦礫状の物質は、やはり溶鉱炉で出る不純物、スラグと組成が良く似ているという。酸化鉄、酸化アルミニウム、二酸化ケイ素。久我は製鉄所で働いたことはなかったが、この灰と金属が広がる光景は、よく知っていた。


 戦場だ。高温で焼き尽くされ、建物も、アスファルトも、ヒトも、武器も、溶けてグシャグシャになった痕跡。


 工兵の久我は治安維持部隊業務の一環として、その廃墟を何度も再生させようと試みた。しかし一度死んだ土地は、一度更地にしなければ蘇らない。傾いたビル、汚染された土地は、綺麗さっぱり捨て去らなければ、新しい芽は生えてこないのだ。


 ヒトと同じだ。暴走した腫瘍は切り取り、歪んだ骨は人工関節に取り替え、崩壊した人間関係は捨て去らなければ。前に進めない。


「イルカ」スラグの野を眺めながら呟くと、京香の姿をした彼女が現れる。「オマエの姿は、他人には見えないんだよな。当然だよな?」


『当然』


 何を馬鹿な、というように応える彼女。それでも久我は軽く辺りを気にして、エグゾアの痕跡に背を向けながら云った。


「オマエは何者だ」云ってすぐ、その答えに期待できないことを思い出した。「いや、取り消し。オマエの製造者は誰だ?」


『そんな情報、ヘルプファイル内にないよ』


「ハッ、クソみたいなヘルプだな」久我は舌打ちした。「ところで、どうしてオマエは、その、オレの娘の姿をしてるんだ?」


『この格好?』少し驚いたように、彼女は自分の姿を改めた。『コンシェルジュの姿は、初期設定の時に装着者の好みで生成される仕組みなんだけど。気に入らない?』


「好みだって? 否応なくくっついて来て、勝手にその姿になったんじゃねーか」


『仕方がないじゃん、そういう仕組みなんだから。何でか聞かれてもわかんない』


「まぁいい。じゃあ、次だ。オマエはエグゾアって知ってるのか」


 イルカは僅かに瞳を閉じる。またしても久我の記憶を探っているのだろう、軽い頭痛を感じた直後、彼女は瞳を開いた。


『空間異常現象。その原因は不明なまま。そこで私は発見された。ふぅん』考えるように、顎に手を置く。『少なくとも、そうした現象に対する How to的な情報はないな。役に立てなくてゴメンね。私はあくまで、私の機能に関する情報しか持ってなくてさ』


「そういえばオマエは、〈この世界〉のような所での稼働テンプレートがない、と云っていたな。具体的には、何が、どう違う?」


『色々あるけど、これだけエントロピーが低い世界での稼働は、あまり考えられないっぽいね』


 エントロピーが、低い。


「エントロピーは、複雑さを示す値だ。熱力学第二法則」大学の頃の授業を思い出し、呟く。「エントロピーが高いってのは、つまり、色々な物質の状態が均一だということ。つまりオマエはもっと、空虚な世界での稼働を前提とされているのか?」

『ま、そんなとこだろうね。だからエネルギー源は〈情報〉なんじゃないかな。荒れ果てた世界じゃ、電気も熱も光も、エネルギー源として欠乏してる。一番確保が容易なのが、情報ってワケ』


 スラグ。灰色の世界。


「しかし、生命体は存在していた」


『だろうね。でないとそこから情報を吸い出す機能なんて、備わってないだろうから』


「なんだ。随分、かな、とか、だろう、とか連発するな。全部推測か?」


 苦々しく云った久我に、彼女は口を尖らせた。


『だから私はベータ版なんだって。私には、ヘルプファイルの内容を、ある程度柔軟に説明する能力しかないよ。多分さ、私のことは、それなりに訓練を受けた生命体が使うのが前提だったんじゃないの? だから一から説明する機能なんて必要なくて、私だってベータ版で放り出されてた。でしょ?』


「かもな。その生命体ってのは、ヒト、なのか? オマエはオレに簡単に貼り付いた。ヒトのための装置なのか、オマエは」


 その答え次第で、イルカの世界の姿が、随分狭まる。だが彼女の解答は、やはり曖昧だった。


『どうかなぁ。装着プロセスは、かなり柔軟なロジックが組み込まれてる。どんな相手なら装着プロセスを開始させるかは、色々なパラメータを元に決定することになってるけど』


「具体的には? どんな相手ならプロセスを開始させるんだ」


『簡単には説明できないよ。パラメータを見てみる?』


「あぁ」


 途端、視界の半分に半透明のレイヤーが現れ、ズラズラと数字や文字列が流れていく。当惑すると、すぐにイルカが解説を加えた。


『グーグルグラスみたいなもんだよ。手で移動させられるし、スライドも出来るよ』


 試みに、指先で流れる文字列を触れる。ピタリと流れは止まり、下にスライドさせると流れ去った文字列が戻ってくる。多少、理解できる文字列もある。体温や、血中成分、遺伝子のようなもの。だが殆どは意味不明で、久我はため息を吐きつつレイヤーを脇に放り投げた。


「クソッ。じゃあ、オレに反応して、八重樫に反応しなかった理由は?」


『それも一概に云えないなぁ。適合しなかったパラメータなら出せるけど?』


「もういい。消えろ」


 約束の時間が迫っていた。久我はクレーターに背を向け、路地の一角に足を踏み入れていく。


 彼女が指定したのは、路地の只中にある隠れ家的な喫茶店だった。涼夏のお得意技だ。洒落た物、上品な物を追い求めるのに、酷く時間とエネルギーを注ぎ込む。


 珈琲一杯八百円、という異常な値段に舌打ちしながら扉を開けると、数席しかない客席には彼女の痩せた後ろ姿があった。回り込んで、ドスンと腰を降ろす。そして寄ってきたボーイを片手て追い払うと、涼夏は蔑むような瞳を送ってきた。


「止して頂戴。何か注文して」


「残念ながら、オレの稼ぎじゃ不可能だ。全部誰かさんに持ってかれてるんでね」


 彼女は深いため息を吐いた。


「何? また裁判する?」反論しかけた久我を、彼女は鋭く遮った。「忙しいのよ。今日は京香を舞台に連れてく約束だし。さっさと要件を済ませましょう」


 久我は軽く舌打ちし、軽く辺りを見渡し、誰もこちらに意識を向けていないのを確認してから、云った。


「で? 幾ら出すんだ」


 涼夏は薄い唇を尖らせた。この唇が京香に遺伝してくれなくて、本当に良かった。その尖らせた唇は、完璧と云っていい涼夏の容貌の中で唯一バランスを欠いていて、異常に久我の神経に障る。


「内容による」


 ため息混じりに、その唇から吐かれた言葉。久我は懐から書類を取り出し、掲げて見せた。


「オマエは頭がいいから、わかってると思うが。コレを見たらもう、オマエは共犯だ」


 そして、机上に投げ出す。彼女は僅かに躊躇ったが、結局はそれを手にし、開く。

 途端に小さく開かれる唇。それを見て、久我は確信した。

 クォンタムが〈異物〉を保持している。それは確かなのだ。


 涼夏は無言で懐から封筒を取り出し、差し出す。中身を改めている間に彼女は立ち上がり、酷く当惑した様子で立ち去ろうとした。


「おい。たったこれだけか?」


 云った久我に、彼女は醒めた瞳を向ける。


「贅沢云わないで」


「ふざけんな。少なくとも倍の価値はある情報だろ」


「調子に乗らないで。事を荒立たせたら、貴方も終わりでしょ」


「どうかな」久我は自虐的な気分で笑った。「オレには失う物はない。局をクビになったら、外人部隊にでも行くだけさ。オマエは?」


 苛立たしげな瞳で久我を見据え、彼女は重いため息を吐いた。


「残りは後で。でもわかってるんでしょうね? これからウチに関わる情報は、全部流して貰わないと困る」


「あぁ。任せろ」


 皮肉に云った久我に、彼女は口元を歪め、踵を返した。

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