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第十二話 機転

 上から眺めると、核サイロの底には既に一つの〈ヴォイド〉が露わに置かれていた。


 この距離から見下ろすと、本当にただの穴か影にしか見えない。下にいた先生や作業員たちは続々と地上に待避し、地下には観測装置だけが残された。


 もう一つの〈ヴォイド〉。地上に置かれたそれも梱包を解かれ、黒々とした姿を晒している。〈ヴォイド〉自体を素手で触った者は、未だに誰もいなかった。しかし棒や軍手越しに触れる分には異常はなく、今も先生は傍にしゃがみ込み、軍手でその表面を撫でている。


 次いで、クレーンの先に備え付けられたロボットアームのような物で、〈ヴォイド〉は掴まれた。複数の〈ヴォイド〉が周囲に集まっていることで、一つあたりの重量も指数関数的に増加していた。今、吊り下げられようとしている物は、既に一トン近い重さになっている。クレーンの性能的には二十トンまで耐えられるはずだったが、鋼のワイヤーは既にピンと張り、操縦手が心配そうに加重計を睨んでいた。


 先生の合図で、ロボットアームはサイロの中に沈んでいく。それを見届けると先生は計測機器の設えられた野外テントに駆けてきて、顎髭を撫でながら各種数値を確かめた。


 満足そうに頷く。そしてトランシーバーで、引き続き〈ヴォイド〉を下げていくよう指示を出した。


 サイロ内カメラでも、次第に降りてくる暗黒が捕らえられた。真下にある〈ヴォイド〉に対し、ゆっくりと近づいていく〈ヴォイド〉。次第に計器類の針がピリピリと震え、時に異常な数値を指し示すこともあった。


「先生」


 顔を上げて云った柚木。先生は満面の笑みのまま、トランシーバーでクレーン操縦手に伝えた。


「いいよ。離して」


 ゆっくりと、開いていくロボットアーム。中から現れた〈ヴォイド〉は、まるで強力な磁石に引かれる金属のような動きを示していた。ぶるぶると震え、自らの質量と磁力線のバランスを取るように揺らぎ。


 そしてその時、予想外の事が起きた。未だアームに掴まれていたはずの〈ヴォイド〉は、不意に形を失ったのだ。


 思わず椅子から立ち上がる柚木。先生も笑みを潜め、半ば口を開けはなって映像を凝視する。ドロドロと。いや、不意に粘性を失った流体のように、アームの隙間から流れ出す〈ヴォイド〉。


 完全に、制御不能な状況だ。


 そう柚木は危機を感じたが、しかし流れ出した〈ヴォイド流〉は、完璧に制御された流体のように、サイロ中央に鎮座する〈ヴォイド〉に吸い寄せられていた。


 何とも形容のしようがない。黒々とした流れは、不思議で、かつ美しい流線を描きながら、球形を保ったままの〈ヴォイド〉にするすると注ぎ込まれていく。曲線、波線。〈ヴォイド流〉は様々な流れを作りつつも、相互に完璧なバランスが取られていた。まるで、そう、完璧に計算し尽くされた、アールヌーボー風の曲線。その流れを受けた球体は次第に大きくなっていき、その直径が当初の倍ほどの物になった時、最後の滴が、ぽつん、と垂れた。


 表面に波紋を作り、それすら吸収してしまう〈ヴォイド〉。


 柚木、天羽、そして先生は、揃って黙り込んだまま映像を見つめていた。しかし映像にそれ以上の変化は起きず、先生は思いだしたようにテントから駆けだして行き、天羽もそれを追って消えた。


 柚木は今の現象を、なんと表現していいのか、まるでわからなかった。


 きっと冷静に考えれば、理論上ありえる流体の流れなのだろう。しかし普通、理論と実際の現象には誤差が生じる。滝が美しく流れ落ちる事はないし、噴水が水飛沫を上げずに水柱を作ることもない。そう、現実世界では、もっと荒い、誤差のある動きになるのが普通なのだ。


 だというのに先ほどの暗黒の動きは、何から何まで、完璧で美しい動きだった。


「アレは、良くないモノよ」


 不意に呟いた織原に、柚木は問い返した。


「何だって?」


「見たでしょう、今の。恐ろしいほどに完璧な姿を」


 どうやら彼女も、柚木と同じ感触を得ていたらしい。


「あ。あぁ。暗黒だというのに、酷く、美しかった」


 呆然として呟いた柚木に、織原は怒りに似た声を上げた。


「美しい? いえ、あれほど醜くて歪んだ姿は。これまでに一度も見たことがないわ」そこで、いえ、と自らに反論し、頭を振った。「いえ、見たことがあるわ。CGで人物から何から、完璧に美しいつもりで描かれた映画。あとテクノ・ミュージック。私アレ、大嫌い」


 恐ろしそうに身震いし、彼女はテントから出て行った。


 残る〈ヴォイド〉は、三つ。いつ、それを統合していくかは、まだ計画が立てられていなかった。しかし最初の統合が、不可思議な現象を引き起こしつつも安全に終わったことで、先生は早々に次の統合を行おうとするだろう。


 三つ目の〈ヴォイド〉は、既に到着している。残る二つは、今日明日にでも届いてしまう予定だ。


 何とか、しなければ。


 柚木は必死に、目の前のデータに取り組んだ。今までに天羽が取得していた、各種データ。それに先ほどの統合で得られたデータ。その中に何か、〈ヴォイド〉の性質に迫るヒントがないか。それも単に、性質を明らかにするだけの物では駄目だ。〈ヴォイド〉という存在を作り上げている〈何か〉。その〈何か〉に対し、破壊的な影響を及ぼす方法。それを突き止められなければ、更に恐るべき何事かが起きてしまう。


 柚木は様々な視点から検討しようとしたが、とにかく〈ヴォイド〉の性質は異常としか云いようがなく、まるで何も考えつかなかった。集積されると次元に穴が開くという推理は、単に重力エネルギーがあれほど集中したならばどうなるかを考えただけで、そもそもどうして重力という存在が一カ所に集積し、それでどうして周囲の環境への影響がほとんど及んでいないのかすらわからなかった。


 結局柚木は、三つ目の〈ヴォイド〉が統合された時点で、〈ヴォイド〉の本質を探るという筋を諦めた。そして次に考えたのは、通常、物質を破壊する手段として用いられる方法で、〈ヴォイド〉を消失させられないかという筋だ。


 ざっと考えつくのは、爆弾か何かで吹き飛ばすという手。あとは、火、だろうか。ガソリンを撒いて爆破し、燃やし尽くす。


 だが柚木には、そういう物理的な衝撃が〈ヴォイド〉に影響を与えられるとは、とても思えなかった。


「だって、考えてもみてくれ。これは〈ドーナツの穴〉を壊す方法だよ。ドーナツの穴、即ち〈ヴォイド〉を消し去るためには、現実世界を消し去るしかない。馬鹿馬鹿しい考えだよ」


 行き詰まった柚木のぼやきに、織原は首を傾げて見せた。


「普通、そうは考えないんじゃないかしら。ドーナツの穴を壊すには、穴にアンコを詰めてしまえばいいのよ」


「いや、その例えでいくと、我々は新たな空間を生みだし、あの〈ヴォイド〉に詰め込まなきゃならない。我々の科学技術では、空間を作ることも、破壊することも出来ないんだ。それは理論的には次元障壁を破壊するためのエネルギー値が計算されたりしているが、それは途方もない」そこで織原が困った表情を浮かべるのを見て、柚木は笑った。「あぁ、冗談か」


 軽く口元を歪めて、肯定する織原。


「それより私、前から思っていたんだけれど。気を悪くしないでね?」


「何をだい」


「貴方って、機転が利かないって。云われない?」


 散々言われてきた。何事も計画を立てないと、上手く事を運べない。


「それはキミも知ってるだろう。ボクには閃きとかいうものを欠如してるんだ。でもそれが一体」


「貴方、散々〈ヴォイド〉を壊す方法を考えているけれど。やっぱり他の手を使った方が、手っ取り早いんじゃない?」


 柚木は渋い表情を浮かべて見せた。


「先生に危害を加える? 前にも云ったけど、ボクにそれは出来ない。無理だ」


「いえ。そうじゃなく。例えば、だけれど。〈ヴォイド〉を破壊するよりも、あの核サイロを潰す方が、楽なんじゃないかしら」


 確かに、そういう発想はまるでなかった。

 しかし。


「核サイロというのは、敵の核ミサイルが直撃しても機能を失わず、反撃出来るようにするために作られてるんだ。同じくらい困難な事だと思うよ」


「じゃあ、水を流し込むとか」


「排水設備くらいは機能してるだろう。先生も大雨くらいは想定済みなはずだ」更に何かを云おうとする織原を、柚木は苦い顔で遮った。「云っただろう、先生は天才だと。その程度の障害は想定済みなんだよ。天羽さんの手が頼みの綱だったけれど、それも簡単に失敗してしまった」


 そう、天羽の政治的な手腕で、先ほど軍の調査隊らしき一同が現れたが。先生の笑顔での対応、それに土産と称して手渡された札束で、早々に撤収してしまった。


「参ったよ。とにかく時間が足りなすぎる」柚木は酷い疲れを感じ、眼鏡を外して目を擦った。「そもそも〈ヴォイド〉は物質とは思えない。物質とは思えないのに、物質同様の特性を持っている。そんな物を消失させる方法を、たかだか一日二日で考えつけるはずがない」


「でも、それをやらないと。何が起きるかわからない」


 諭すように云われ、柚木は僅かに口ごもった。


「それはそうだけれど。ボクには荷が重すぎる」そして彼女に、正面から向き合った。「やっぱりキミは、リガに戻った方がいい」


「止めて。その話は終わったでしょう?」


「いや、だが。ボクにはまるで、対応策が思いつかない。事が最悪に至る可能性が高まってるんだ」


「その話は、終わったの」鋭く彼女は云って、傍らのタブレットを手に取った。「発想の転換が必要よ。デスメタルでも聞く?」


「あぁ、止してくれ。そんな物を聞いたら、頭がどうにかなってしまう」


「今は、どうにかなったほうが、いいんじゃないかしら?」


「得策とは思えないね」そして不意に、柚木は遙か昔の事を思い出していた。「話したことあったかな。大学時代、ジャズ研究会の音響をやらせてもらっていて。その関係で学園祭のステージの音響も担当させられたんだけど、そこに現れたのが軽音楽部のメタルバンド」ハッ、と笑い声を上げる織原。「死ぬかと思ったね。何しろ彼らの音は、エフェクターで楽器の波形を加工しまくっている。それをどう集約していいのか全然わからないし、おまけに爆音だし。酷いハウリングを起こして、不味いと思った途端、アンプが火を吹いたんだ。さすがにボクも、本当にアンプが火を吹くのを見たのは初めてだった」


「それ、弁償したの?」


「まさか! そもそもそれ、軽音楽部が仕込んだパフォーマンスだったんだ」爆笑する織原。「笑い事じゃないよ。本気で死んだと思ったね。貧乏学生が、何十万もするアンプを爆発させるだなんて。払えるはずがない!」


「貴方の、呆然とした顔が目に浮かぶわ」


 顔を真っ赤にし、笑い続ける織原。


 柚木も僅かに気持ちが軽くなり、笑みを浮かべていたが。不意に引っかかる所を感じ、表情を固めた。


 まさか。いや、でも。そんなことが、可能だろうか。


「どうしたの?」


 涙を拭いながら尋ねた織原。柚木は次第にその可能性が夢想だとは思えなくなってきて、傍らの紙を取り上げてペンを走らせはじめた。


「いや、わからない。わからないけど、一番可能性がありそうな手だと思う」


「え? 何か思いついたの? デスメタルで?」


「いや、ハウリングだよ!」ざっと紙に記した挙動を眺め、矛盾がないと直感する。「ボクはあれを、物理的な方法で破壊することばかり考えていた。何か衝撃を加えるとかね。でも、その衝撃というのが〈ヴォイド〉を形作っている存在と次元が異なっている。効果があるはずがないんだ。けれども、〈ヴォイド〉を形作っているのが何かわからなくとも、その何かは確実に重力を基底に持っている。そして重力というのは、そのエネルギーを重力波という形で現実世界に影響を及ぼす」


「そもそも貴方が、〈ヴォイド〉の位置を特定したきっかけね」


「そう。逆に云うならば、〈ヴォイド〉が現実に影響を与えているのは、重力だけなんだ。なら同じ重力を使えば、〈ヴォイド〉に影響を与えられるんじゃあ? そこで〈ハウリング〉だよ。ハウリングは、複数の音の周波が合体することで、エネルギーが増幅されてしまう現象。共振現象だ。海の波と波が重なり合い、高い波が出来るような現象。同じ事は重力波でも起きる。だからつまり、あの〈ヴォイド〉の固有振動数。重力に対する固有振動数だ。そんな物がわかれば、外部から重力波を与えることにより、発振、破壊することが可能かも」


 例えるなら、ガラスコップに高周波を浴びせ、破壊するような方法だ。音波という物を生業にする織原は、すぐに柚木の説明で理解したようだったが、ふと表情を暗くして首を傾げて見せた。


「確かに、それならばあの良くわからない物に影響を与えられるかもしれないけれど。でもそれって、逆に〈ヴォイド〉を大きくしてしまうことにならない? 火に油を注ぐような物でしょう、それ」


 それは柚木も考えた。〈ヴォイド〉にエネルギーを与えることは、逆に次元の穴が開くのを早めてしまうだけではと。


「そう。その通り。けれどもボクの狙いは、そこなんだ」


「そこ?」


 ワケがわからない、というように眉間に皺を寄せた彼女に、柚木は笑みを向けた。


「あぁ。今の計算ならば、五つの〈ヴォイド〉が統合されることで発生する次元の穴は、恐らく直径十メートル程度の物が、最低、数十分は持続する。けれどもそこに共振を起こさせれば? 穴は巨大になり、エネルギーを一度に消費し。穴は一瞬で、閉じる」


「つまり〈彼ら〉が気づく前に?」


 すらり、と柚木は、人指し指を織原に向けてみせる。

 乱暴な方法かも知れない。火事を消すのに、爆弾を投下するようなものだ。

 けれども柚木には、これ以外の手段があるとは、到底思えなかった。

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