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第九話 ドーナツの穴

 天羽の去ったガレージ。柚木は〈異物〉に対し、ありとあらゆる想像力を働かせてみた。


 この物体について判明していること。


 ほぼ完璧に、光を吸収する。正確に云うならば電磁波だ。極長波からX線まで吸収してしまう。おかげでレントゲンで内部構造を確かめることも出来なければ、赤外線で表面温度を測る事も出来ない。測定できるのは質量だけで、それも定量的な物はない。


 それがどういう意味なのか、考えれば考えるほど混乱する。ヒトは外から測定出来る物と〈その実質〉は、別の物だと考えがちだ。それはおそらく、往々にして外見と中身が異なるヒトという存在に対した経験に基づくのだろう。しかし事、物理的な存在に対した場合、〈測定結果とその実体はイコール〉であることが殆どだ。


 つまり、こういうことだ。


「この物質は、光学的に測定出来ない存在である。即ちこれは、この時空間には存在しない存在だということ」


 呟いた柚木に、興味深そうに〈異物〉を凝視していた織原が目を向けた。


「どういうこと?」


「そう考えるのが、当然なんだ。この物体は、光によっては観測されない。しかし光というものは、この世のありとあらゆる物の存在を決めている定規のようなものなんだ。それが届かないということは、その存在はこの時空間とは別の所にある物だということ」


「でも、これは確かに、ここに存在しているでしょう? 大きさもわかる」


「果たして本当に、そうなんだろうか。これは〈ドーナツの穴〉なんじゃあ?」


「ドーナツの、穴?」


「有名なトンチがあるんだ。〈ドーナツの穴を残して食べる方法は〉?」


 織原は眉間に皺を寄せて、考え込んだ。


「ドーナツがなければ、穴は存在しないわ」


「つまり〈穴〉というのは、周囲を取り囲む何かの存在によって現れる物だと定義づけられる。それそのものは、どうやっても測定出来ない。けれども周囲の状況が、それを成立させている」


「この〈異物〉も、本当は存在しないけれども、この世界にあるから存在しているように見えるだけだ、といいたいの?」


 本当にこの織原という女性は、学者でもないのに論理的な思考が得意だ。でなければあんな音楽は作れないのだろうが。


「その通り。この物体は、この時空間に空いた穴。だから光学的な測定が不可能。そう考えるより他にない」


「でも穴に重さなんてあるの? それに形は? イメージだけのお話だけど、本当にこれがそんなに怪しげな存在なら、どうしてこんな丸い形を保てていられるの?」


「確かに、キミの云う通り。これが本当に〈穴〉なのだとしたら、どうして外形と呼べるような物があるのか。どうして質量計の上に据え付けられるのか」柚木は考え込み、〈異物〉の間際に目を寄せた。「何かが、そう保てるようにしているとしか思えない」


「何かって、何?」


 この時空間の定理? いや、とてもそんなことは考えられない。この時空間の定理が通用しないからこそ、この存在は〈異物〉なのだ。


 だとして。


「誰かそこに、いるのか?」


 思わず、呟いた柚木。不意に織原は柚木の顔に顔を近づけ、一緒になって〈異物〉を見つめた。


「異星人?」


 問われ、柚木は笑いながら身を起こした。


「どうかな。突拍子もない考えとしか思えないけど」


「でも、自然ではありえない物、なんでしょう? ならこれには、何かしらの〈意志〉が働いているのよ」


 織原には、こういう所があった。論理を優先するあまり、多少スピリチュアルな面を真に受けてしまう。


 だが柚木は、それに躊躇があった。世の中の奇跡と呼ばれる事柄。その全ては〈確率的にはゼロではない〉恐ろしい偶然の産物なのであって、それに未だ知られぬ何がしかの〈意志〉が働いているとは、とても思えない。


 だからこの時も笑って誤魔化そうとしたが、彼女は真に迫った様子で、柚木に云った。


「否定する材料があるなら、構わないわ。でもそれもなしに頭から決めつけているのなら、それは酷く愚かな事よ」


 確かに、それも正しい。

 だが。


「仮にこの〈穴〉が、何かしらの知的存在が作り出し保っている物だとして。その存在の目的は何だ? どうやって交信すればいいんだい」


 織原は不意に、満面の笑みを浮かべた。


「メランコリー・ブルースでも演奏しましょうか」


 面白い冗談だ。いつの日か地球外知的生命体に拾われることを願ってボイジャーに搭載された、ゴールデン・レコード。それに収録されたジャズの一曲。


 だが柚木には、それが冗談に思えなくなってきた。真顔に戻り、考え込む柚木。織原は苦笑いしつつ、脇に寄ってきた。


「どうしたの。まさか本気で、音楽でコミュニケーションしようとでも?」


「いや、そうじゃないんだ」答えつつ、傍らのコンソールに指を走らせる。「そもそもこの〈異物〉を発見したのは、五つのこれが発する異質な重力波が原因だ。それは一体、どうなった?」


「近づけると、重さが変わるんでしょう? それが原因じゃあ?」


「いや、重力波というのは、そう小さなものじゃあない。たかだか数十グラムの変異は、衛星からじゃあ観測されない。あの重力異常は、今、どうなってる?」


 間もなく、最近の測定データが現れる。北欧を中心に、等高線によって表される重力異常。それをぱっと見ただけでは、柚木が発見した異常はわからない。すぐに解析用のスーパーコンピュータに投入し、じりじりと結果が出るのを待つ。


 そして、現れた座標。

 柚木は大きく口を開け放ち、呟いた。


「なんて事だ。変わってない」


「どういうこと?」


 尋ねた織原の肩を掴み、立ち上がり、柚木は慌てて核サイロの深部に向かうエレベータに駆けた。


「あの〈異物〉を掘り出した後でも、重力異常に変化はないんだ!」


「だからそれ、どういうこと?」


「わからない。わからないけど、最悪の想像では」エレベータが上がってくるのを待ちつつ、柚木は彼女に顔を向けた。「あの重力異常が、〈異物〉の存在を保っていた。あるいは〈異物〉そのものを作り出した可能性も」


 彼女も悟り、はっと、大きな口を開いた。


「じゃあ、そこから移動させちゃった今は?」


「酷く不安定な状態。先生の実験を行わなくとも。何もしなくとも、遠からず崩壊し、得体の知れない何かが起きてしまうかもしれない」

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