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第七話 虚空の目

 相変わらず小柄で、筋肉などまるで感じさせない外見の柚木。だが彼は今では、本来下僕であるはずの情報体に反逆を起こされ、代わる代わるその肉体を支配されてしまっている。


 最初は予防局の黒幕、天羽。そして今は、桜井だ。


 彼は自由にならない右足も巧みに扱い、楽しげに拳を繰り出してくる。所詮は柚木の小さな細い身体だ、殺す心配はあっても、殺される心配はない。そう最初は思ったが、実際の所はまるでハンデを感じさせない俊敏な動きで、次第に久我は本気でかかっても勝てるかどうか怪しく思えてきた。


「待て桜井、ちょっと待てって! せっかく助けてやったってのに。それはないだろう! なんでオレとオマエが戦わなきゃならない!」


 何とか口先で翻弄出来ないかと、後ずさりながら云った久我。途端に桜井は戦闘態勢を解き、呆れたようにため息を吐きつつ肩を落とした。


「助けた? これが? 冗談じゃない。何の解決にもなってないだろ、これ!」


「オレが知るかよ! オレは出来ることをやった。全てはオマエが、輿水なんかにホイホイ付いてったから起きた事だろ? 自業自得だ!」


 困惑した風で、反論しようとする桜井。

 そこに久我は隙を見た。

 彼は輿水や天羽ほど、狂っていない。


 逆に云えば桜井は、昔から素直な質だった。久我の口にする冗談をすぐ真に受けたり、少し捻ったフェイントにすぐ引っかかったりした。


 それは変わっていない。


 対する今の久我には肉弾戦をする力が僅かしか残っておらず、何か障害がありそうな柚木に対してどれだけダメージを与えても大丈夫なのかもわからない。


 だとして今は、何か名案が浮かぶまで、口先で時間を稼がなければ。


 久我は辛うじてそこまでは計算し、とにかく昔ながらの仲間という体を強調し、叫んだ。


「オレは云ったはずだ! 輿水は胡散臭いと! だってのにオマエは。何なんだ! 軍を止めて、輿水を追ってPSIにまでついて行って。駄目駄目に決まってんだろ、そんなの!」


「駄目? 何が駄目なんだ! オマエだって、実のある事がしたいからって工兵になったんだろ? オレも同じだ! 訓練ばかりじゃなく、それを役立てたかった!」


「それならそれで、他にやりようがあったろう! 結局輿水にスパイの真似事させられて、マックスの真意も見抜けずに、してやられた。向いてないんだ、オマエには。そういうの。だいたいオマエは、オレが左遷された理由を知ってたんだろう? 知ってたどころか、その片棒を担いでた! 何なんだそれは!」


 宙を仰ぐ桜井。


「それは悪かった。悪かったが、他に仕様がなかった」


「仕様がなかった。ハッ、まぁ昔のことだ、今更どうでもいいがな。今、ここで、同じような事をしようってんなら。容赦しない」


 桜井は迷うよう、再び宙に瞳を泳がす。結果そこから何かを得たように、丸眼鏡の奥の瞳を久我に向け、云った。


「悪いが久我、オレはまた、やらなきゃならない」


「何でだ! オマエもあの天羽ってヤツの胡散臭い話を信じてるのか? エグゾアの向こう側から、異星人が攻めてくる? あり得るかそんなの!」


 彼は躊躇うよう、僅かに俯き。

 そして再び、瞳を久我に向けた。


「信じるもなにも、本当の事だ」


「本当の事?」久我は慎重に、彼の表情を読もうとした。「どうしてわかる。オマエ、疲れてるんじゃねぇのか?」


「茶化すな久我。オレがレッドに囚われた時の話だ。オレは確かに、何者かの存在を感じた。得体の知れない、何者かの存在を」


「灰色の宇宙人か? それともスライムみたいなドロドロタイプか?」


「だから真面目に聞け! これは嘘でも冗談でもない!」


「じゃあ、云え。説明しろ。それは一体、何なんだ」


「言葉で説明しろと云われても無理だ」顔を拭おうとしたが、彼は眼鏡の存在を忘れていた。手を引っかけ、渋い顔で舌打ちしつつ元に戻す。「オマエも夢で、得体の知れない存在に恐怖したことはないか? まさにそれだ。オレの場合は、いつも迷路だ。巨大な迷路の中を、オレは何かに急かされるようにして駆けている。よくわからんが、何かに追われているような気がしている。だが、オレは前に進んでいるのか、それとも後戻りしているのか、さっぱりわからない。そして混乱の中で見上げると、そこには、巨大な目がある。虚空の中の瞳。それがじっと、オレを見つめてくる」


 まるでそこにあるかのよう、桜井は唇を震わせつつ、宙を見上げた。


 そしてその瞳を、すっ、と泳がせ、ガラスの向こうで蠢いている巨大な暗黒に向ける。


「それは、アレ、なのかもしれない。わからない。だがあの恐ろしい瞳の姿を借りて、〈彼ら〉はオレを急かすんだ。『急げ、急げ』、ってな」


 恐怖。

 それを使役するのが、〈彼ら〉の姿?

 久我はよくわからなかったが、それでも何か酷い恐怖を感じ、無理に頬を緩めた。


「ただの妄想だろう」


「妄想で、東京から広島まで行くってのか?」桜井は叫び、片手を久我に振り下ろした。「妄想で、次に何処でエグゾアが発生するか知れるとでも? フザケるな。オマエはいつもそうやって、事の本質から逸れ、脇道に逃れようとする。だが今は、そうやって韜晦してる時じゃないんだ。〈彼ら〉は確かに、存在する。〈インターセクション〉は、そのための場所なんだ。そして〈彼ら〉は、オレたちを使役しようとしている。使役? いや、それならまだマシだ。オレたちは〈彼ら〉に食い尽くされてしまう運命なのかも知れない。酷い話だ。冗談じゃない! これは冗談なんかじゃないんだ久我! 危機は、もうすぐ、そこまで来てるんだ!」


「だから? 犯罪も人体実験もやむなし、ってか? それがオマエの答えか?」


 もう十分だ。

 思って、久我は吐き捨てた。


「おかげでオレの娘は、死にかけてる。よくよく考えてみりゃあ、京香がヤバい事になってんのも。オレが死にそうな目にあってるのも。全部その天羽ってヤツの所為じゃねぇか。それでもオマエ、自分が正義だって云うのか?」


 彼は。柚木の姿をした桜井は、青白くした顔を歪め、額の汗を拭き、云った。


「オレの正義と、オマエの正義は違う」


「だろうな」


 久我は素早く、桜井に拳を放った。


 桜井は当然のように、それをスウィープして避ける。そう、当然、桜井なら避けられるだろうと思っていた。更に繰り出す拳。桜井はそれも容易く避けると、不意にバックステップで距離を置くと、身を低くし、四肢で床を掴み、久我の下半身に飛びかかってきた。


 避けようと思えば、避けられたかもしれない。だが久我はあえてそうせず、タックルを食らって背中をつく。


『忘れてんのか腹はヤバいって云ってんだろーが!』


 すっかり忘れていた。イルカの叫び声で一瞬焦ったが、桜井は案の定、ボディーブローなんて素人臭い真似はしなかった。素早く久我に馬乗りになり、顔面に拳を叩きつけようとする。


 だが、この寝技の姿勢こそ、久我の狙いだった。


 動きはどうにか出来るかもしれないが、筋肉は変えられない。桜井は巧みに重心を動かして馬乗りの状態を維持したが、柚木の腕力では久我に決定的な打撃を与えることは不可能だ。繰り出される両拳を久我は両手で掴み、力勝負の状態になる。


「無駄だ、元のオマエの馬鹿力ならわからんが、柚木の力じゃ、オレは潰せない」


 押し返そうとしながら云った久我に、桜井は顔を紅潮させながら云った。


「オレが馬鹿力? 冗談云うな、外人相手じゃチビ扱いだったんだよ!」


 叫んだかと思うと、ぐるりと身を捻って久我の腕を取り、腕ひしぎ十字固めに持って行った。さすがに全身でもって押さえられると、久我の片腕ではあらがいようがない。肩が、腕の関節が、筋肉が、ミシミシと嫌な音を立てる。


「やっぱり鈍ったな久我! こんな簡単に腕を取られるなんて!」


 渾身の力を込め、叫ぶ桜井。久我は痛みに声を歪めながら、叫び返した。


「だからオマエは単純だって云うんだ!」


「何?」


 僅かに力を抜いた久我に対し、釣られて力を緩めてしまう桜井。


 そこで久我は僅かに腕を、手を、指を伸ばし、彼の鼻先に人差し指をつっこんだ。


 そして眼鏡を、はね飛ばす。


 途端に桜井は混乱し、目を細め、何事をも見逃すまいとする。だが柚木の眼鏡の度数からして、裸眼ではほぼ盲目の状態に近いはずだった。久我はすぐにグルリと身を捩って腕の自由を取り戻すと、当惑する彼の背後に回り、左腕をねじ上げ、右腕を首に巻き付け、頸動脈を締め上げる。桜井は右腕を振り上げ、久我の顔に爪を立てたが、その力は急激に失せ、最後にはだらり、と垂れ下がった。

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