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第六話 支配

 はじめまして?

 久我は柚木の発した言葉に、酷い危機を感じた。


 それとなく、辺りを見渡す。この制御室はそう広くない。恐らく数人の人員が、あの〈穴〉を監視するための設備なのだろう。大立ち回りは出来そうもないし、第一プラズマなんか発したら、あっという間に得体の知れない〈穴〉が蠢く格納庫に転がり落ちてしまう。


 一方で、柚木。


 彼は相変わらずきっちりしたスーツに身を包んでいて、ポケットからはネッカチーフが、袖にはカフスボタンが覗いている。


 いつもの柚木。少なくとも外観は。

 しかし、丸眼鏡の奥の瞳は、少し違うように見えた。


 普段の柚木は、決して感情がないワケではない。ないワケではないが、笑みを浮かべるのは機嫌がいい時に限られていて、それも酷く僅かな時間だった。それ以外は何かを思い悩むような表情を続けていて、まるで冗談を口にするような雰囲気にはならない。


 だが、この柚木。先ほどからずっと穏やかな笑みを続けている。とてもリラックスした様子で、楽しげに久我を見つめていた。


 何だ、この状況は。

 そう久我が必死で考えている間に、柚木は軽く息を吸い込み、言葉を発した。


「ご明察、と云っておきましょう。私は柚木クンではないわ。じゃあ、誰か?」


 ぎこちなく立ち上がり、右足をひきずりながら、ゆっくりと歩く柚木。だがその中身は、どうやら女、らしかった。しかも柚木を、クン付けで呼ぶ。


 すると、該当しそうな名前は。


「オマエが天羽、か?」


 ようやく云った久我に、彼は。彼女は、満面の笑みを浮かべた。


「その通り。私が天羽。正確に云うなら、その成れの果て、だけれど」


「成れの果て? どういうことだ。オマエは輿水と、同じ能力を持ってるのか?」


 他人を操作することが出来る〈異物〉。そこに思いが至って云った久我に、彼女は軽く鼻で笑った。


「あれは便利よね。そう、私にも、あんな力があったら良かったんでしょうけど。でもそれを手に入れる前に、私はこう、なってしまった」


「こう?」


「貴方は散々、私を捜してきた。正確に云うなら、私の存在を、ね。柚木クンの裏に、一体誰がいるのか。彼を操作しているのは誰なのか。でも見つけられなかった。何故? それは私は常に、彼と共にあったから」


「多重人格?」


「まさか!」彼女はすぐに声を上げた。「貴方も見たでしょう? レッド、そしてマーブルを。レッドは一人の人間を圧縮し、その存在を凝縮体へと変えてしまう。マーブルは柚木クンや輿水さんのような情報戦型の子機となりうるけれども、それが主の役割ではないの。つまり」


「情報戦型は、濃縮体を稼働できる?」


 不意に浮かんだ推理を口にした久我に、彼女は笑顔で両腕を広げて見せた。


「その通り。恐ろしい技術よね。ヒト一人を圧縮し、単なる情報の固まりにしてしまう。更にそれは、情報戦型と呼ばれるウェアラブル・デバイス内で駆動されうる〈回路〉となる」彼女は僅かに俯き、ゆっくりと足を進めながら続けた。「つまり、私。天羽という存在の肉体は、もう既に存在しない。あるのはただ、その肉体はどういう構造をしていて、脳の神経回路網がどういう物だったかという〈情報〉だけ。幽霊みたいなものよ。精神体、と云った方がいいかしら。よくわからないけれど。そして私は、柚木クンのウェアラブル・デバイス内で考え、助言することが出来るだけの存在になってしまった」


「だけ? だけだと? 思い切り、柚木を乗っ取ってるじゃねぇか!」


 叫んだ久我に、彼女は口を引き延ばした笑みを浮かべた。


「他に手がなかったの。彼は私と決別しようとした。そうなったら、どうなる? 私は永遠に囚われの存在になってしまう」


「出て行け」云いつつ右手のレンズを突きだした久我に、彼女は軽く首を傾げた。「出て行けって云ってるんだ! 柚木の身体は、オマエの物じゃねぇ!」


「そう焦らないで。話くらい、聞いてくれてもいいでしょう?」


「話だと? フザケるな! PSI、それに最上を使ってオレを襲わせたのは、そっちが先じゃねぇか!」


「そうね。でもまさか、こんな所に来られるとは。思ってなかったんですもの!」


 悪びれた風もなく云う天羽に、久我は苛立つと同時に呆れた思いがした。


「おい、マジでオマエ、フザケてんのか? 殺すのに失敗して自分がヤバくなった途端、今度は話し合おうだって?」


「そうよ? 悪い?」そしてトスンと椅子に座り、対面の椅子を指し示した。「さ、どうぞ? かけて」


「断る。ついでにオマエは、致命的なミスをした。オマエは自分自身で、自分が劣勢な立場にあるってことを認めた。つまりオレがどうにかすれば、オマエを追い出して柚木の目を覚まさせる事は可能だって事だ」


「そう誇らしげに云う事はないわ。研究者の私じゃあ、貴方なんかに敵うはずがないもの。だから話し合いましょう。そう云ってるの」


「何を話し合おうってんだ。オマエにオレを懐柔するだけの何かが、あるってのか?」


「あるわ」簡単に云って、彼女は久我を見つめた。「医療型を手に入れる方法を、私は知ってる」


 そう、来たか。

 だが久我はもう、その手にはウンザリしていた。


「クソッ、どいつもこいつも、それを云えばオレの首根っこを掴めると思い込んでやがる!」


「でも、それが事実。貴方にとって一番大切なのは、世界平和でも自分の命でもない。娘さんの、命」楽しげに首を傾げ、彼女は再度椅子を指し示した。「さぁ、かけて」


 本当に、頭に来る。かといって久我には、その言葉に対する反撃手段が何一つない。結局天羽が指し示す椅子に、舌打ちしながら座り込むしかなかった。


「オーケー、いいだろう。聞いてやろうじゃねぇか、その話ってのを。さぁ、話せ。今すぐ」


 天羽は小さく息を付き、足を組み、腹の前で両手を組んだ。


「私の提案は、こうよ。あなたは今まで通り、予防局の異物捜査特務班での活動を続ける。当然、指示をするのは、柚木クンではなく私。代わりに私は貴方に、医療型を手に入れる機会を提供する」


「機会だと? ふざけんな、オマエが医療型を手に入れて、オレに寄越せばいい」


「そう簡単にはいかないの。医療型を手に入れるには、非常な困難を伴う。私は今、その準備をしているところなのよ」


「曖昧な話なんていらない。具体的な話をしろ」


 彼女はクスリと笑った。


「余程、今まで苦い思いをしてきたようね。いいわ。具体的な話をしましょう。医療型のウェアラブル・デバイスを手に入れる方法。それは大変だけれど、考え方としては簡単。ウェアラブル・デバイスは〈エグゾアの向こう側〉から現れる。そこにはウェアラブル・デバイスをはじめとした、超テクノロジーが普通に存在している。じゃあ、それをごっそり手に入れるには?」


「まさか」


 呟いた久我に、彼女は瞳を向けた。


「そう驚くことはないでしょう。貴方も考えたことがあるんじゃあ? エグゾア発生地点にいたなら、私たちはどうなってしまうのか」


「エグゾアは、マックスの〈転移〉と同じような仕組みで。〈向こう側〉と〈こちら側〉を、入れ替えてる?」


 頷く天羽。


 久我もエグゾア現象が何なのかについては、実に様々な説があるのを知ってはいた。有力なのはマイクロブラックホールによる圧縮だ。それが本当だった場合、エグゾアの発生地点にあったものは全て超圧縮され、引き裂かれ、跡に残るスラグに変化する。


 だがそれでは、跡にウェアラブル・デバイスが現れる理由を説明できない。


 すると当然と思える別の説は、こうだ。


 異世界、あるいは異次元。そんな所の空間と、この地球の空間が、入れ替わっている。


 だがその説についても、久我は怪しいと思っていた。何しろエグゾアが発生した直後、その空間には何一つ存在しない。空気すらもだ。だとしてその〈入れ替わる空間〉というのは、大気のない惑星上の一地点だというのか? そんな所に、ウェアラブル・デバイスのような物を作れる知的生命体が存在するとでも?


 疑問はまだある。ウェアラブル・デバイスは、明らかな武器だ。だとしてそれが放置されている場所は、戦場であったはず。だというのにウェアラブル・デバイスを使っていた異星人だかなんだかの痕跡が一切現れないのは、何故なんだ?


「そうね、色々と理解できない点があるのはわかるわ」久我の困惑を見て取り、天羽は続けた。「でも、それは全て理論的に説明できるの。〈エグゾアの向こう側〉には、異質な知的生命体の支配する土地が広がっている。私はそこに向かうための準備を進めているの」


 何か、妙だ。


 思ったのは、ただの直感だった。

 妙。もしくは何か、裏がある。

 そんな感じがしてならない。


「そのためにオマエは、クォンタムと組んで人体実験までして、異物の能力のコピーを試みた?」


「そう。簡単に云うなら、〈エグゾアの向こう側〉に向かう兵士を作るため」


「どうして、そんなことを企んでる。何が目的だ」


「エグゾアよ。〈エグゾアの向こう側〉に存在する知的生命体。私はそれをエグゾア文明と呼んでいるけれど。彼らの目的は何なの? どうして地球と、彼らの土地を入れ替えているの? どうしてレッドなんかを紛れ込ませ、情報を持ち帰らせようとしているの? 答は簡単。侵略よ。いつになるかわからない。わからないけれども、彼らは十分に情報を得たなら、エグゾアを使って未知なる能力を大量に備えた軍隊を送り込んでくるに違いない。私はそれを防ぎたいだけ」


 彼女の〈侵略〉という言葉を聞いた途端、久我の中で何かが切れた。


 何か。集中力だろうか。それとも考える力だろうか。とにかく瞬時に久我は、彼女の言葉の全てを信じられなくなった。不意に力が抜けて大きく息を吐くと、椅子から立ち上がって彼女の前に立った。


「悪い。信じられないな」


 意外そうな表情を浮かべる天羽。


「何故。どうして」


「オレはな、そういう話は懲りてるんだよ。そういう悪びれない顔で人類のためだとか何とか云うヤツはな、大抵ろくなもんじゃない」そして彼女に、レンズを向ける。「さぁ、立て。そして後ろを向け」


「待って。よく考えて。それは貴方は輿水さんのお陰で大変な目に遭ったかもしれないけれど、私も彼を利用していただけよ。全ては人類の未来のため」


「はいはい、わかったわかった。とにかく一度、柚木と話させてもらおう。それで裏が取れたら、また呼び出してやる」


「彼は間違ってる。困難な目的だというのに、そこに至る手段を選ぼうとしている」


「そういうの、オレも嫌いじゃないんでな」


「京香さんの事があっても?」


 久我は軽く首を傾げ、天羽を促した。


「さぁな。だがまだ時間はある」


 不意にデジャヴュを感じて、久我は思い出していた。


 そう、柚木もそう、云っていた。久我はそれが日和見にしか思えなくなっていたが、この得体の知れない女の話を聞いた今となっては、判断の先送りもしたくなる。


 表情を渋くし、それでも立ち上がり、背を向ける天羽。そして頭の上で手を組ませた所で、久我はザイルの残りを使って縛ろうとする。


 そこでふと、柚木のウェアラブル・デバイス。スリーが目に入った。カフスボタンのはめられた袖が縮み、六つのレンズが露わになっている。


 六つ?


 いや、スリーのレンズは、五つだったはず。


 久我が思った瞬間、彼は不意に久我の手首を掴み、流れるような所作で指を捻り、その骨と間接を砕こうとしてきた。


 条件反射はだいぶ鈍ってはいたが、久我は特殊部隊時代の格闘訓練のおかげで、それをなんとか逃れる。力を入れて彼の手を払い、距離を置く。そして身構えた時、柚木の瞳は、また別の物に代わっていた。


「桜井、か?」


 呟いた久我に、彼はニヤリと口元を歪めた。


「久しぶりだな、久我。だいぶ鈍ったんじゃないか? オレらのヒーローも、さすがに年はとるってワケだ。これならオレでも勝てそうだ」


 とても勝負にならない。向こうは容赦する必要はなく、こちらは柚木の身体を、盾に取られている。

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