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第六話 囮

 まったく、最低、最悪だ。


 久我は何度も胸の内で罵りながら、中野にあるワンルームの自宅へ戻る。


 クソッ、これまでの人生もろくな物じゃなかったが、とにかく今回のこれは、最低、最悪だ。


 興奮していて気づかなかったのか、次第に身体中の重さが感じられ、右手から頭に至る痛みも酷くなっていた。


 とにかく一度家に帰ってから、徹底的にコイツを問い詰めよう。


 そう考えていたが、自宅のボロアパートに戻った途端、風呂に入る気力すら失われていた。そのままベッドに倒れ込み、意識を失う。


 そして鳴り響く携帯の音に、気がつく。朦朧としたまま手に取り、画面を眺める。


 十時、三十分。完璧に遅刻だ。


「クソッ!」久我は叫び、軽く顔を拭ってから受話ボタンを押した。「はい久我」


『あぁ、私だ。柚木だ。今、何処だ?』


「えっと、湯島の現場の工事業者と、打ち合わせを」


 咄嗟に口にする。久我は災害予防局のオフィスに出てる方が稀だ。だから柚木は特に疑念を持たなかったようで、普段通りのロボットのような口調で云った。


『そうか。実はちょっと、湯島の件で相談したい事が出来てね。戻って来られるかな』


「了解。午後には行きます」


 一々裏は取らないだろうが、あまりサボってると危険だ。久我は酷い怠さを堪えつつベッドから起き上がり、朦朧としたまま洗面台に向かう。顔を洗い、普段通りシェービング・フォームを塗りたくってる所で、全てを思い出した。


 右手甲の、〈異物〉。


「イルカ」


 云った途端、鏡の中に、京香の姿が現れた。


『はいよ』


 特段変わった風もなく云う彼女を、呆然と眺める。


「何か、変わりはないか」


 漠然と云った久我に、彼女は僅かに猫目を細めた。


『うぅん、ちょっと血中のGOT値が高いけど。まぁ正常値かな。ちょっと疲れてるんじゃない? もう少し休んだら?』


 舌打ちし、髭を剃り、歯を磨き。そしてタオルで顔を拭いながら云った。


「オマエには、何か変哲もない物を金に変える機能とか。ないのか?」


『元素変換は無茶苦茶エネルギー必要なんだけど。私じゃ無理。そうだ、雑多な物から、タンパク質とかアミノ酸を作る機能はあるけど?』


「わかった。消えろ」


 ふっ、と消え去るイルカ。


 どうもコイツは、完璧にオレを主人としているようだ。

 それは確からしい。この忌々しい状況で、唯一の救いだ。


 久我は電車を乗り継ぎ、災害予防局のオフィスに向かいつつ、携帯でニュースを確かめる。新聞社サイトの一覧、ニュース掲示板の情報、グーグルの時系列サーチ。そのどれにも、新宿で起きた科学者失踪事件を扱っている物はなかった。


 未だに信じられない。オレがヒトを殺しただなんて。

 考える度に、血の気が引いてくる。


 ひょっとしたら、既に久我の仕出かしたことは、全て警察なり公安なりに知られているのかもしれない。そして久我が得体の知れない〈異物〉を装備していることも掴んでいて、危険を避けるため、罠を張っているのかも。


 久我は僅かに、包帯で隠した右手甲を左手で掴み、災害予防局のビルに足を踏み入れていく。


 誰もが、久我を遠目で監視しているような気がしてならない。それでも必死に、知らぬ素振りでエレベータに足を踏み入れ、七階のボタンを押す。


『ちょっと、自律神経が変だけど? 大丈夫?』


 不意に脇に京香が。イルカが現れ、久我はビクリと身を震わせた。


「クソッ! 急に出てくるな!」


『それは慣れてもらわないと。緊急事態にサポート出来ないからさ。ビタミン剤を投与しようか? エチゾラムの方が即効性があるけれども、あんまり使い過ぎは良くないし』


「何なんだ。オマエは医者の機能もあるのか?」


『どっちかってーと、そっちがメインだよ。アンタがちゃんと機能してくれないと意味ないからさ』


「機能、ね」苦々しく笑う。「その薬は? 予め内蔵してたのか?」


『いや? アンタの身体の成分を使って合成してる。あ、体調悪くなるような使い方はしてないから大丈夫。安心して? 必要そうなのはストックしておいてるからさ、いつでも云ってよ』


「いいから消えろ」


 扉が開くと同時に、イルカは消え去る。そして幾つかのゲートを潜ってオフィスに向かうと、途端にガラスに囲まれた局長エリアにいた柚木が片手を挙げ、手招きする。


 相変わらずの、きっちりとしたスーツ姿。丸眼鏡に、短い髪を頭頂部に向けて尖らせている。まるでラッキョウだ。


「久我クン、悪いね忙しいところ」ジャケットのポケットに両手を突っ込みつつ足を踏み入れた久我に、彼は普段通りの穏やかな口調で云った。「さ、掛けて」


 特に、不審な様子はない。それでも神経を尖らせながら腰を下ろした久我に、彼は僅かに声を高めた。


「どうした、その手は」


 包帯を巻いた右手。久我はそれを軽く左手で抑え、云った。


「別に。ちょっと現場で切っちまっただけです」


「労災の申請をするといい。フォーマットはこれ」そう、ずらりと並んだ書類棚から、一枚の紙片を取り出す。「医師の診断書が必要だ。忘れないで。そうだ、これは別に専門医でなくとも良いから、局の産業医にでも書いてもらえば」


「そんな大した怪我じゃない。別にいいですよ。それより何です」


 尋ねた久我。柚木は僅かに顔を上げ、ガラス壁の向こうのオフィスを眺め、手元のパネルを操作した。


 ふっ、と透明度が低くなり、曇るガラス。柚木はそれを確かめ、僅かに久我に身を寄せた。


「キミの奥さんは、クォンタムの部長さんだったね?」


 久我は僅かに、表情を歪める。


 〈異物〉の横領。それに八重樫の事とは無関係だと知って安心したが、それでも愉快な話題じゃあない。


「元、嫁です。元」


 繰り返した久我に、柚木は僅かに、気の毒そうに口籠る。


「それは悪かった。人事の怠慢だな。あとで資料を修正させる」


「それより何です。クォンタムが、どうかしましたか」


「実は、彼らが〈異物〉を。横領している可能性が高い」途端、久我の心臓が激しく鼓動した。しかし柚木はまるで気づかぬ様子で、話を続ける。「湯島の現場の件だよ。どうもあそこで起きたエグゾアに関して、彼らが頑なに現場保存を望んだのは。我々より先に〈異物〉を手に入れようとしたためらしい」


「へ。へぇ」辛うじて久我は云って、何とか冷静に頭を働かせようとした。「だが、どうしてそんな事がわかるんです。あの現場に〈異物〉があったかどうかなんて。わからないでしょう」


「それに関しては、確たる証拠がある」


 それは、と尋ねかけた久我を、柚木は否応なく遮った。


「〈異物〉の横領は犯罪だ。〈異物〉は全て、国家の財産となる。そう、法で定められている。そこでキミに、協力してもらいたくてね」


 何か、嫌な予感がする。だいたい柚木が〈横領された〉と断じた〈異物〉は、久我が八重樫の元に持っていった物である可能性が高い。


 それで久我が膝の上で両手を遊ばせていると、様子を察した柚木が静かに云った。


「気が乗らないのはわかる。だがキミも災害予防局の職員だ。この任務の重要性は理解してくれるだろう?」


「何をしろってんです。云っておきますが、オレと元嫁の仲は最悪です。間を取り持ってくれ、なんて任務は不可能だ」


「いや、そんな事は望んでない。事はもっと、能動的な物だ」


 能動的。

 その言葉に僅かに、引っかかる所を感じた。


「噂に聞いたことがある。横領された〈異物〉を奪還するための、強行組織があると。なんでも非合法な手段も厭わないとか。ホントなのか?」


 慎重に云った久我。しかし柚木の表情は微動だにしなかった。


「そんな物はない。私は法に従って行動する」そして彼は、一枚の書類を目前に置いた。「クォンタム、湯島オフィス別館の、強制解体命令書だ。おっと待ち給え。そんな物があるのなら、どうしてさっさと寄越さないのかとキミは不思議がるだろう。だがこれにはカラクリがある」ポン、と彼は、押印欄を叩いた。「総務大臣の押印がまだだ。だからこの命令書は効力を発揮しない。実際現時点では、クォンタムは資産保全確認のための裁判を起こす構えだ。この状況で大臣に押印してもらうのは不可能だろう」


 そこまで説明されても、久我は不思議に思わざるを得ない。


「そんな物を、何に使おうってんで?」


「キミにはコレを、クォンタムに流してもらいたい。『別れたといえ、元妻だ。急に解体が強制執行されたら大変だろうと思って』とか何とか、そこは適当に理由付けを頼む」


 ははぁ、と久我は呟き、髭の剃り残しを指で掻いた。


「何かブラフをかまそう、って話しか」


「端的に云えば、その通りだ」


「目的は?」


「〈異物〉だ。仮に彼らが〈異物〉を発見していたとしても、今の警戒下、それを外に持ち出している可能性は低い。つまり今でも〈異物〉は、半壊した別館の中にある。だがそこに踏み込む権限が、我々にはない」


「それでこの書類でブラフをかけ、外に持ち出させる」


「その通り。公道に出てしまえばこちらのものだ。検問にかけ、車内を改める。そのための執行書類は準備済みだ」


 時々久我には、この柚木というインテリ眼鏡がわからなくなる。法や正義という物に対して酷く敏感かと思えば、こうした思い切った手段を平気で打とうとする。


「ま、その程度の事なら。やりますがね」云って、久我は柚木の顔を見つめた。「ですが、何なんです? どうしてクォンタムが〈異物〉を隠してるって。わかったんです?」


「それはキミは、知る必要がない」苦々しく口元を歪めた久我に、彼は続けた。「しかし知りたいというのなら、キミの職務層をMM(中間管理職)からHS(上級専門職)、もしくはHM(上級管理職)に変更する必要がある。キミにその能力は十分にあると私は思っているが、キミにその気は、あるのかな」


 それは上級になれば給料は上がるだろう。しかし柚木や他の上級連中を見ていると、とてもそれに見合った仕事とは思えない。残業代も付かなければ、休日出勤の手当だってナシだ。


「オレにそこまでの、熱意はない」


 そう頭を振った久我に、柚木は書類を差し出しながら云う。


「だろうと思った。とにかくクォンタムの件は、すぐに取り掛かってくれ。関係部署を待機させる。終わったら連絡を」


 促され、久我は彼の執務エリアを後にする。

 とりあえず柚木には、久我の抱えている問題は気づかれていないらしい。

 しかし、と思う。


 クォンタムが〈異物〉を確保しているという話。最初それは久我が横領した物の事だろうと考えていたが、どうも柚木の様子を見る限り、違うようだ。彼は確かにクォンタムが〈異物〉を横領していると信じ、それが別館に隠されていると断言した。


「つまり、オレが八重樫の所に持ってった物以外にも。あの現場には、〈異物〉があったってことか」


 思わず呟きつつ、右手甲をまさぐる。

 そしてオフィスを出た久我は、足を湯島の現場に向けつつ、携帯を取り出した。

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