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第二話 刺客

 クソッ、なんてことだ。最低、最悪だ。


 京香が負った傷。そこに流し込んだ万能細胞ジェルが崩壊するまで、あと一年。


 そう聞いたのが、半年前のことだ。それは時間がないのは理解していたが、これほど早く状態が悪化するなんて。考えてもいなかった。


 クソッ、なんてことだ。最低、最悪だ。


 久我が胸の内で何度も毒づいていると、ようやく柚木が検査室に通じる扉から現れ、云った。


「大丈夫。問題ない」


 久我はすぐ立ち上がり、何か微妙な表情を浮かべている彼に詰め寄った。


「大丈夫? 問題ない? 血を吐いたんだぞ? 何がどうなってる!」


「万能細胞ジェルの劣化が始まっている。それは確かだ」激情のあまり問いつめようとした久我を遮り、彼は続けた。「だが、それはほんの、極一部だ。激しい運動を避ければ、日常生活に影響は出ないはずだ。当面は」


「はず? はず、だと? 当面?」


 だがそれ以上、何を問いつめていいのかもわからない。ただ苛立ちが募り、柚木にこの怒りをぶつけずにはいられなかった。


「クソッ! どうしろって云うんだ! そうだ、その劣化が始まった所に、もう一回ジェルを流し込めば。それで解決なんじゃないのか?」


「いや、それは無理だ。再度ジェルで患部を復元させるには、一度全ての再生部位を取り除かなければならない。でないとガン化する」


「いいじゃないか。やろう。プラズマで再生部分を全部消し去って、すぐにジェルを流し込む。それでまた一年、余裕が出来るんだろう?」


「待ちたまえ。患部は広範囲にわたっている。キミが彼女を救った際も、非常に危険な状況だった。再びあのような状況になった時、彼女が組織の再生が済むまで耐えられるかわからない。危険すぎる」


「危険でも、やるしかないだろう!」


 叫んだ久我。柚木は僅かに床に目を落とし、静かに云った。


「まだ時間はある」


「時間? 時間だと? そういって、どれだけになる! 半年だ!」ついに苛立ちを抑えきれなくなり、久我は傍らの長椅子を蹴り、すぐに柚木に人差し指を突きつけた。「アンタは知ってるはずだ。医療型を手に入れるための最短距離を。だが、それを隠してる」何か云いかけた彼を遮り、続けた。「アンタが微妙な立場にいるのも、なんとなく理解してる。それでもアンタなら、京香を第一に考えてくれるんじゃないかと。オレも堪えてた。だがな、もう待ってられない。教えろ。どうすれば医療型を手に入れられる」


 柚木は再び床に目を落とし、黙り込み。

 そしてようやく、久我に目を戻した。


「知らないんだ。本当に」


 久我は舌打ちし、踵を返した。


「何処に行くつもりだ」


 問われ、久我は小さく、怒りに声を震わせながら云った。


「京香を連れて帰る。後は好きにさせてもらう」


 まるで何も、考えられない。診察室から現れた京香に笑みを浮かべるのも一苦労だ。それでも、半年前の事故の傷が少し開いただけとか何とか、そんな適当な説明をして、旅行の終了を納得させる。京香は多少不満そうだったが、遊び疲れてしまっていたのも確からしい。新幹線に乗った途端に眠り込んでしまい、久我は彼女の横顔を眺めつつ考える。


 とにかく、必要なのは情報だ。


 久我の推理では、恐らく医療型は異物の中でも特異な物だ。単純に異物狩りをしているだけで見つけられる物ではなく、何らかの鍵が必要になる。


 何らかの鍵、とは?


 久我はデジタル・パッドを取り出し、予防局の記録、そしてマックスから手に入れた局内の秘密資料を開いた。


 医療型に関する記録は、極限られる。ウェアラブル・デバイスの種類を記した資料に僅か数行現れる程度。その殆ども柚木が彼のコンシェルジュから聞き取った内容らしく、単に『特異な医療能力を持つ』という程度の事しか書かれていない。


「イルカ」小さく呟き、脇に現れた立体映像コンシェルジュに画面を指し示す。「オマエの中にある医療型の情報は、これと同じか?」


 京香と全く同じ姿形をした彼女は、うぅん、と唸って目を凝らす。


『殆ど同じ。でも肝心な点が抜けてるね』


「肝心な点? 何だそれは」


『知ってるとおり、私たちウェアラブル・デバイスは、無から有を作り出せる訳じゃない。必ず何かしらのリソース(資源)を必要とする』


「あぁ。それで?」


 察しろよ、というような表情を続けるイルカ。まさか、と思い、久我は尋ねた。


「ひょっとして、医療型で瀕死のヤツを治療すると。ドライバー側の負担も大きいのか?」


『ビンゴ』


 云って、彼女は消えた。


 それはそうだ、と考える。久我でさえ万能細胞ジェルを使うと、酷い貧血状態に陥る。それより更に性能を出そうとすると、ドライバーには相当な負担になるに違いない。


「だが、どうしてその記載が抜けてる?」ウェアラブル・デバイスの特性として、重要な点だ。「わざと伏せているのか? だとして、何でだ?」


 医療型の存在が確認されたのは一度だけ、と柚木は云っていた。それがはたして何時なのか、どういった状況だったのか。それさえわかれば何か手がかりになりそうだが、しかし久我の手元の資料には何もない。


「いや、それだけ何も書かれていないってのは、それほど秘された状況だったということじゃないか?」


 久我は思いついて、資料の全体を改める。


 久我の知る限り、異物がらみで一番際どい事件、クォンタムとの人体実験。しかしそこには、医療型が関わっている気配が全くない。


 だが、資料の中に、海坊主ことジョン・山下の名を見つけたとき、久我は一つの言葉を思い出していた。


 久我が特務班に加わることになった事件の際、柚木はこんなことを、云っていた。


『もし、医療型があったのなら。私もこの足を治している』


 それに、どうして多目的型の万能細胞ジェルが不完全なのを知っているのかと尋ねた久我に対し、こんなことも。


『過去にも似たような事があってね』


 そうだ、久我は未だに、柚木が足と首に傷を負っている理由を知らない。


 少なくとも広島のジャズバーで仕入れた情報からすると、十年前の彼は普通に歩いていたらしい。


 そして織原美鈴がエグゾアの犠牲になったのも、十年前。


「加えてエグゾアが発生し始めたのも、十年前。こりゃ偶然か?」


 とても偶然とは思えなくなってきた。


 そもそもエグゾアとは何なのか?


 久我はただ、異常気象や何かと同じく、諸々の要因が複雑に絡み合い、十年前から発生し始めた異常現象だとしか考えていなかった。しかし今になってみると、〈異物〉の存在からして、エグゾアは単なる自然現象ではない。確実に、何かしらの意志があり、起きている現象だ。


 だとしてその発端となった出来事は、何なのか?


 それも自然現象が原因とは思えない。何かしら、誰かしらの意志により、全ては始まった。だとして、あるいはそれに柚木自身が関わっていて、結果的に織原を失う事になった可能性は?


『何かが起きているよ、久我さん。貴方が医療型を探すのはいい。だが事はそれだけでは済まない。確実にね』


 マックスの言葉。

 そして彼女が示したヒント。


「天羽」


 久我は呟き、腕を組み、考え込んだ。


 確かに天羽という名は、何度か聞いたことがある。だがそれは予防局の初代局長だというだけで、彼女が一体何をし、どういう経緯で予防局を設立することになったのか、まるで知らない。


 柚木の様子からして、彼は何者かに首根っこを掴まれている状態らしい。彼の理想とする所、目指すところがありつつも、その何者かに行く手を阻まれている。


 その相手が、天羽、なのだろうか。

 とにかく今の手がかりは、その名前しかない。


 ひょっとすると予防局内に何か記録が残っているかもしれない。久我はそう考え、多少心配だったが品川駅で京香をタクシーに乗せ、家政婦に電話をして後を任せ、自らはJRで新宿へ向かい、そこから市ヶ谷の予防局舎に向かって歩いた。


 すっかり夜になっている。相変わらず新宿は人で溢れ、どの道を進んでも進路を塞がれ、肩をぶつけそうになる。


 気ばかり逸り、久我は小走りで横断歩道を渡り、多少人通りの少ないだろう裏通りに向かった。次第に人影は絶え、予防局局舎の明かりも見えてくる。更に車も入れないような裏路地からショートカットしようと角を曲がった、その時だ。不意に男と正面からぶつかりそうになり、慌てて身を交わそうとする。だが男は躊躇なく久我の肩を掴むと、自らの身体に引き寄せ、胸を付けた。


 軽い衝撃が走り、何だろう、と思った時には、既に足腰から力が失せていた。体重を支えられず、アスファルトの上に崩れ落ちる。無意識に、衝撃を感じた腹に当てていた手を、眺める。


 血だ。大量の血。

 誰かに刺された。


 ようやくそこに意識が達し、見上げると、久我を刺したらしい男がナイフを大きく振りかぶり、久我の首筋に突き立てようとしていた。

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