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第一話 ラトビア

 ラトビアの首都リガから、ダウガヴァ川に沿って東行すること数十キロ。真っ直ぐに延びる道路の左右は、北欧らしく針葉樹に覆われている。後部座席に座る柚木はGoogleMapを眺めるのにも飽きてきたが、隣の織原は笑みを浮かべつつ変わらぬ風景を見つめ続けていた。


「やはりキミはリガのホテルに残っているべきだった。これほど何もない所だとは」


 緋色のワンピースの上に紺色のロングコートを羽織っている彼女は、驚いたように柚木に目を向けた。


「何もない? そんなことないわ。見てよこの、果てしなく続く木々を。これだけ沢山、似たような木々が並んでいるのに、どれとして同じ物がないというのを考えると。少し恐ろしくなってこない?」


「それはそうだけど。もう何時間も、同じ所を走ってるようだ。多少はアクセントが欲しくなる。田畑や、朽ちかけた民家や。なんでもいい」


「あら、それがいいんじゃない。変わってるはずなのに、何も変わってない。でも本当は変わってる。緊張して気が抜けないわ」


「ボレロのように?」


「いえ、ボレロもこうあるべきなのよ。アレじゃあ、盛り上げようとする気が見え見えで。萎えちゃうわ」


 楽しげに笑い、再び代わり映えしない風景に目を戻す。


 思いの外楽しんでくれているようで柚木は多少胸を撫で下ろしたが、それでも心配事は尽きない。


 久しぶりに帰国した織原と、穏やかな日々を送っていた柚木。その元に、北欧の調査に出向いていた天羽から連絡が入ったのだ。


「休暇の所申し訳ないけれど、やっぱり来てくれないかしら。もう私じゃあ先生を抑えられないの」


 彼女がこんな弱音を吐くなんて、まるで記憶にないことだ。それで柚木は詳細を確認しようとしたが、まるで話してくれようとしない。


 車は速度を緩め、針葉樹林の中に向かう道へと入っていった。まるで舗装もされていない道。そこを数十分ほど走ったところで、ようやく変化が現れ始めた。


 数台のトラックとすれ違う。朽ちたフェンスが現れ、門構えの間を抜けていく。そして小さく開けた荒れ地にたどり着くと、そこでは数台のトラックと数十名の作業員が右往左往していて、何かの工事が行われていた。


 数本の照明が掲げられ、塹壕らしきものが掘られ、観測装置が設えられる。周囲には土嚢が積まれ、部分的には新しくトーチカのような設備が作られ、まるで野外の大規模実験場のような様相だ。


 柚木は半ば口を開け放ちながら、施設の中心部に向かう。人員の半数はただの人足のようだったが、残る半数はいかにも学者風で、何人か見た覚えのある顔もある。ロシア科学アカデミーの研究員だ。旧ソ連崩壊後、職を失って在野の学者となってしまった者も多いと聞く。きっとそうした類の科学者たちだろう。


 こんな外国で、こんな実験設備を、こんな短期間で設営するなんて。


 政府には許可を得ているのだろうか? 予算はどうしている? 一体そもそも、何の実験設備なんだ?


 当惑しながら向かった先には、小高い丘のような灰色のドームがあった。表面は半ば朽ち、モルタルが剥がれ、雑草が生えている所もある。そこも何か応急処置が行われているところらしく、数本のクレーンが並び立ち、足場のような物が組み上げられつつあった。


「何なんだ、これは」


 呟きつつ足を止めたとき、ファイル片手に現場指揮を執っていた人物が駆け寄ってきた。天羽だ。汚れたブルゾンに身を包んでいた彼女は、酷く疲れた表情をしている。


「良かった柚木くん、間に合って」そして柚木の後ろにも目を向ける。「あら、美鈴ちゃん? どうして」


「実は、婚約しました。それで、婚前旅行的な感じで」


 この微妙な状況で報告するか悩んだが、結局それを話さなければ説明が無理だ。中途半端な笑みを浮かべつつ云った柚木に、天羽も半端な笑みを浮かべる。


「へぇ、そう! それはおめでとう、と祝福したい所だけど。見ての通り、今はあんまりいい状況じゃないの」


「そう、どうしたんですかこれは。ここは何ですか」


「旧ソ連の核サイロ。それを買い取って改造中」


 核、と呟きつつ、灰色のドームに目をやる。云われてみれば確かに、核ミサイルの地下発射施設のような様相だ。


「一体どうして。何が目的です」


「目的なんかないわ。先生は、何が起きるか知りたいだけなのよ」


「何が、起きるか?」そして柚木は、天羽の背後にある貨物コンテナを見咎めた。「アレは何です。どうして兵隊が」


 迷彩服を纏い銃を携えた、どう見ても兵隊としか見えない数名の男たち。天羽は小さくため息を吐き、柚木と織原をコンテナへと促した。


「貴方が突き止めた五カ所の重力異常。そこの発掘で見つかった〈異物〉の一つよ」


 ガラリ、とコンテナの扉を開く天羽。外見はコンテナだが内部は小型実験室のようになっていて、その中央には何か、黒々とした〈穴〉が開いていた。


 まるで不思議な光景だった。架台があり、中央の何かを守るよう、数本のアームで支えているように見える。だがそこにあるのは、宙に開いた黒々とした穴、なのだ。


 穴? いや、違う。

 柚木は目を見張りながら、静かに〈穴〉へと歩み寄っていった。


 ボーリング玉ほどの大きさだろうか。それは確かに、そこに存在する。だが。


「あるのよ、そこに。ただ、光のほとんどを吸収してしまうから、穴が開いているように見えるだけ」天羽は苦笑いしながら云った。「光の吸収率、99.9999%。ほぼ完全な球形。こんな物質、今までに発見されたことはないわ」


 見つめていると、まるで吸い込まれてしまいそうな黒だ。


 柚木は次第に目が回ってきて、軽く頭を振りながら天羽に振り返った。


「話には聞いていたが、恐ろしい物体だ。質量は?」


「五十キロと少し」そこで困惑したように、彼女は胸を抱いた。「最初はね」


「最初?」


「今では二百キロ近くある」


「どういうことです」


「それが問題なのよ」天羽は深いため息を吐き、脇のコンソールを操作した。「あなたの発見した五つの重力異常点。そこの発掘で、五つの、全く同じ形状をした〈異物〉を発見した。でもね、それを運んでいる時、異常が起きたの。トラックの底が抜けてしまったのよ。それで調べてみると、〈異物〉の質量が増えていることがわかった」


「どうして」当惑し、呟くのが精一杯だった。「そんな話し、聞いてない!」


「あまりに異常だから。先生が伏せておくようにって。とにかく質量が増えた理由は、すぐにわかった。〈異物〉間の距離が近づけば近づくほど、互いの質量が増していくのよ。指数関数的な勢いでね」


「まさか。どういうことです。だいたいこの大きさで、二百キロ? プルトニウムより。いや、現在想定されているどんな元素よりも重い計算になる! そうだ、放射線は? これだけの物、放射線を発しているのが当然」


「それがないのよ。不思議な事にね」更に問いを重ねようとした柚木を、彼女は遮った。「とにかく未知なのよ。未知の物質。それ以上、何も説明しようがないわ」


 異常な物だと聞いてはいたが、まさかこれほどとは。


 柚木は再び〈異物〉に目を戻し、その吸い込まれるような黒を見つめた。


「それで先生は、これで何をしようと」黙り込んだ天羽に振り向き、尋ねた。「まさか」


「そのまさかよ。先生は、この五つの〈異物〉を一カ所に集めたらどうなるのか。知りたがってる」


 なんてことだ。


 柚木は完全に混乱し、口を開け放った。

 異常な密度を持つ、五つの物体。それは互いに近づけば近づくほど、質量を増す。

 そんなものを、一カ所に集めたら。

 一体、何が起こる?


 柚木は必死に考えようとしたが、思いついたのはただ、何か最悪の事態が起きてしまうだろうということだけだった。

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