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第十話 強行

 PSI社。その動きをキャブコンの中で探るうちに、柚木は次第に奇妙な感覚に包まれ始めていた。


「どういうことだ」


 思わず呟く。


 柚木はPSI社に関する、ありとあらゆる情報を集めた。ネット上の情報、会社登記、信用情報、本社ビルの構造図。何でもだ。だというのにPSI社が何らかの業務を行い、報酬を得ている形跡がまるでない。日本初の民間軍事企業、そして元特殊部隊長が設立した企業としてPSI社の名は通っていたが、その実体が、まるで見えない。


 果たしてどうやって利益を得ているのか? この要塞のようなオフィスビルの家賃は、どうやって支払っているのか? 百名いるという従業員の名前は?


「これではまるで、幽霊企業のようじゃないか」再び呟き、柚木は回線を開いた。「古海さん、その後の状況は?」


 予防局調査部の古海は、すぐに応じた。


『色々当たってはみたんですがねぇ。よくわからないとしか云いようがないですよ。お台場の本社に行って桜井との関係も尋ねてみたんですが、輿水は除隊以来会っていないって』


「わかった。ありがとう」


 回線を切断させ、再びキーボードに手を走らせる。こうなったら違法ではあるが、PSI社のネットワークに侵入してみるしかない。とはいえさすが民間軍事企業だけある、PSI社の社内ネットワークが何処にあるかも掴めず、結局柚木は桜井に宛にメッセージを送信していたダークネット上のサーバを洗うしかなくなった。


 未だにそこが柚木にハッキングされていることは、感づかれていないようだった。散発的に何かの暗号化されたメッセージが発信され、受信されている。メッセージのログは多少残されていて、柚木は何かヒントでもありはしないかと解読を試みた。


 そして、発見した。比較的長いやりとりが残されているログ。過去の物は既に消去されつつあったが、辛うじて雰囲気だけは読みとれる。



A:どうやら私も貴方も、マックスを侮っていたようね。彼女があそこまで気概のある人だったとは。


B:どうします。潰しますか。


A:待って。彼女が何を何処まで理解しているのか、興味がある。どうにかして彼女を捕らえたい。


B:しかしあの〈転移〉能力がある限り、難しいと思いますが。


A:いっそのこと、レッドの正体を明かしましょうか。そうすれば元の協力体制に戻れるんじゃあ?


B:そんなことをしたら、彼らの組織がどれだけ脅威になるか。わかりません。私は反対です。彼女は私たちの見込み以上に、多くの異物を手にしている。


A:だからよ。彼女は惜しい人材だわ。上手く味方につけられたら


B:貴方は彼女を過大評価している。彼女は所詮、マフィアです。我々ほど大きな視点で物を捉えられない。無駄です。


A:でも、手駒は必要よ。そして〈試料〉も。貴方の会社は優秀だけど、市井に紛れるような事は出来ない。


B:では、こういうのはどうでしょう。最上です。彼らを新たな手駒にする。


A:それは一度、諦めたでしょう。彼らには上手く異物を扱うだけの知能がない。


B:部下の一人を送り込みます。そうすれば問題ありません。


A:どうかしら。少し考えさせて。


B:今回、桜井の帰還を予防局が止めてくれたのはラッキーだった。もし彼らに更に情報が渡るようなことになったら


A:時間がないのはわかってる。



 柚木は当惑し、口を開けはなっていた。

 AとBが何者なのか、その通信経路を辿る必要もない。Bは明らかに輿水。そしてAは。


 不意にコンソールに新たな窓が開き、柚木は身を震わせていた。

 久我からの着信。しかし不思議なことに、発信地は東京になっている。


『柚木? ちょっといいか?』


 酷く緊張した口調。柚木は軽く咳込んでから応じた。


「どうした久我くん。キミの発信元が東京になっているが」


『それなんだが、ちょっと面倒な事になっちまってな。今、PSIの本社内にいる』


「何だって?」


『マックスだ。ヤツに無理矢理、協力させられてる』


 手短に状況を説明する久我。まるで状況を理解できないでいる柚木に、彼は早口でまくし立てた。


『とにかく、入っちまったものは仕方がない。誘導してくれ。壁が厚すぎて、オレの透視も効かないんだ』答えられないでいる柚木に、彼は重ねた。『柚木? 大丈夫か?』


「あ、あぁ、待ってくれ。本社ビルの図面は手に入れている」素早くキーを叩き、図面と久我の位置情報を重ね合わせる。「しかし、マックス? 彼女は一体、何を考えている」


『意外と可愛いヤツでな。輿水に裏切られて、ブチ切れてる』背後から、マックスの物らしい含み笑いが聞こえる。『で? 何処かから何か、情報を盗めそうか』


「待ってくれ。そのビルは酷く警戒厳重だ。複数の監視システムが稼働していて、厳密にセキュリティエリアが隔離されている。キミが今いる場所は機密レベル3。当然レベルの高い所に何かがあると見て間違いないだろう。最高レベルは5、三時の方向、十メートル先」図面上を動く久我の点。「扉があるだろう。そこから先がレベル4だ」


『まるで金庫扉みたいだな。で? そっからは? 開けてくれていいんだぜ?』


「残念だがPSI社の内部ネットワークに侵入できずにいる。近くにデータポートは見あたらないか?」


『ないな』


「では諦めて引き返すのが得策だ。逆方向に向かってくれ。レベルの低い方へプラズマで穴を空けていき逃げるくらいならば、キミの力で可能だろう」


『待てよ。せっかく来てるんだぜ? オレは桜井に何があったのか知りたい』


「桜井に何かをしたのは、マックスだ。違ったかな?」


『オレの考え方は違う。桜井を危機に追い込んだのは輿水だ』


「それはキミの過去の体験を元にしているんじゃないのかね?」黙り込む久我に、柚木は続けた。「それに私も輿水について探っているが、どうも彼は非常に深い何事かに関わっているようだ。行き当たりばったりで攻めて勝てる相手ではない。出直してくれ」


『って、云ってるが?』マックスに振り、久我は答えを得た。『断固拒否するそうだ。オレも同感』


「どうしたと云うんだ久我くん! わかってるのか? キミはマックスに踊らされてるんだぞ?」


『今までだってオレは、アンタに踊らされてきた。だが同じ踊るなら、世のため人のため、娘のため旧友のため。その方が格好いい。違うか? それがヒーローってもんだ』


「ヒーロー?」柚木が呟いた途端、マイクに何かが破裂する甲高い音が響いた。次いで久我を示す点は、何事もなく扉の向こうに移動していく。「久我くん、一体何をした!」


『金庫扉をプラズマで消し去った。今のところ、特に警報が上がってる様子もないな』混乱する柚木に、久我は楽しげに尋ねた。『で? レベル5はどっちだ?』


「直進方向、十メートル」


 云ってから、後悔した。

 彼がレベル5で、このAとBの会話を目にしたら。どうなる?

 もはや彼への隠し事は、不可能になる。

 いや、もっと悪い。彼は柚木の元を、離れてしまうかもしれなかった。

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