第五話 隠滅
「これで、冷静にいろ、だって? 不可能だ。畜生!」そして冷たい目を向けてくるだけの京香に、云った。「オーケーわかった、受け入れよう。クソみたいな状況だが、それは変えようがない。じゃあ次の質問だ」
だが、何を聞けばいい? どうしてオマエが京香の姿をしているか? オマエを作ったヤツは誰だ? ソイツがどうしてエグゾアの痕跡に残っていた? そもそもエグゾアとは何だ? どうして八重樫に反応せず、オレにくっついた?
聞きたいことが山ほどありすぎて、まるで思いつかない。
だが、そう、そんな時は。最優先事項を決めるんだ。
そう久我は次第に本来の自分を取り戻してきて、目まぐるしく考えた。
「そうだ。今の最優先事項は、オレがここに来て八重樫を殺しちまったって現実を、消し去ることだ」そう、それが重要だ。「それには、オマエにどんな機能があるのか、知る必要がある。多目的なんだろ? この状況を乗り越えるための機能は、何かないか?」
『もう少し、絞り込んだ質問をしてくれる?』
マニュアル的な対応だ。久我は苛つく自分を押し留め、再び頭を回転させた。
「オマエの、全機能は?」
『基本的な機能としては、磁気制御を行ったプラズマの放出』
「プラズマ? アレはプラズマなのか」あの青白い刃。「他には?」
『セ・イスン・アラの多方面展開』
「何だって?」
『セ・イスン・アラの多方面展開』云って、彼女は僅かに首を傾げた。『理解できない?』
「セ・イスン・アラなんて聞いたことがない。何語だ?」
『理解できないとしたら、貴方はその概念を知らないということ』
「どういうことだ?」
『私は貴方の理解できる言語を話しているように聞こえるだろうけど、実際は貴方の脳内に直接概念を送り込んでるの。そして貴方の脳内の言語野にある同一概念と結びつき、その言葉に変換される。でも貴方が知らない概念は、言葉に変換出来ない。だから無意味な言葉としてしか、聞こえなくなっちゃうの』
彼女の言葉を何度か脳内で繰り返し、ようやく、なんとなく、理解した。
「テレパシーか」
『そう。その概念に当てはまる』
「その、セ・イスン・アラとかいうのは、具体的にはどういう」いや、そんなことを聞いている暇はない。「他には? オレに理解できそうな機能は?」
『セ・イスン・アラを理解できないなら、それ以外も無駄だと思う』舌打ちする久我に構わず、彼女は続けた。『多目的型ウェアラブル・デバイス六型は、五つの基本機能をもっているの。それを組み合わせることによって、ほぼ無限大の機能を有する。特に磁気制御を行ったプラズマの放出は応用が効くから、その使い方をしっかりマスターしてね』
「わかったよ、イルカちゃん」
苦々しく呟き、そしてようやく、再び八重樫の遺体を見つめられるほど、冷静になってきた。
「じゃあ、逆引き機能辞典だ。オマエの機能で、この死体を消し去ることが出来るか?」
『それはプラズマで出来るよ』
「そりゃそうだ」苦笑いし、不意に吹き出してきた汗を拭った。「プラズマで焼き尽くせば、灰も残らない」
喉に絡んだ唾を飲み込む。
八重樫の死体を消し去る。それに何か意味はあるか? そう、ある。とりあえず死体さえ見つからなければ、殺人の発覚が難しくなる。そしてそれだけ、久我に時間が生まれる。
しかし、何のための時間だ? このクソ忌々しい、得体の知れない〈異物〉を取り外すための時間か?
だが今は、優先順位。それが重要だ。
とにかく、殺人なんかで。捕まるワケにはいかない。
「やってくれ」
云った久我に、京香は首を傾げた。
『残念だけど、この容積を跡形もなく消し去るには、エネルギーが足りないよ。残り三%しかないから』
「エネルギー?」
手の甲を見つめる。水色の硝子体。そう、確かに水色だったはずだ。だが今はその色が酷く薄れ、殆ど乳白色に近くなっている。
『そう』と、京香は久我の視線を辿り、云った。『残存エネルギー量は私も警告するけど、すぐ知りたいなら色を見ればいいよ。満充足で青、空に近くなると白くなるよ』
「充電方法は。コイツのエネルギー源は何だ? 電気か? それともオレの命か?」
『多目的型ウェアラブル・デバイス六型のエネルギー源は、〈情報〉だよ』
咄嗟に久我は、反応出来なかった。
情報、だって?
「待て待て。情報が、エネルギー?」
『そう。この多目的型ウェアラブル・デバイス六型は、情報をエネルギー源として動作するの。より正確な説明を聞く?』
「いや、今はいい。知りたいのは、具体的に、どうやって、〈情報〉をオマエに与えるかだ」
『それは情報の種類によるよ』
「例えば? どんな情報なら、オマエは食えるんだ?」
『大気中の分子運動も情報だから、多目的型ウェアラブル・デバイス六型はそれを食べて、コンシェルジュを稼働させるくらいのエネルギーは常に確保してるよ。でも基本五機能を活用するには、もっとエントロピーの低い情報が必要だよ。例えばと云われても、それはこれを稼働させるオニセポ・アーイェやウォルド・ベェによって確保の仕方が違うから』
「待て待て! またワケわからん言葉が出てる!」
京香はため息を吐き、軽く辺りを見渡した。
『困ったな。この程度の概念も理解できないとなると、このコンシェルジュの機能的に対応が難しい』
「そりゃオレが馬鹿ってことか!」
『端的に云うとね。より柔軟な対応が可能なベータ版の〈ノービス〉モードに切り替える? ちょっと消費エネルギーが上がっちゃうけど、今の状況だと、それをおすすめするしかない』
「オーケー、何でもいい。やってくれ」
腕組みしつつ京香に向き合い云った久我。途端に京香の姿は僅かにチラつき、それまで能面のようだった顔に、僅かに感情らしき物が窺えるようになった。
だが、それは、酷く呆れた風な表情だ。
『全く、ここは何処? こんな光速やオニセポ・イバカンでの稼働なんて、テンプレートにないよ!』彼女は苛立たしげに頭を掻きむしり、呆気にとられる久我を睨みつけた。『ちょっと、そんな馬鹿面晒してないで、アンタも考えてよ! とにかくエネルギーが必要なの! ほら、もう残り二%しかない!』
「そ、そんな事いわれても」そして戸惑いつつ、辺りを見渡した。「情報、だろう? そりゃ例えば、本とか、ネットとか。そういうのでもいいのか?」
『本? 本なんてたかだか、一メガバイトでしょ? 足りない足りない。ネット? ネットって?』僅かに瞳を閉じ、彼女は云った。『情報の水道みたいなもんか。でもそれにインターフェイスする仕組みは、私にはないよ』そして急に、彼女はパチンと手を打ち合わせた。『そうだ、私が稼働してるってことは、ここにも生命体がいるってことよね。そして貴方自身。貴方の記憶を少し貰えれば、結構回復出来るよ!』
「オレの記憶? ちょっと待て。貰う、って何だ。その記憶をオマエにやったら、オレの記憶は、どうなる?」
ハッ、と叫び、京香は両腕を宙に投げ出した。
『情報をエネルギーに変換するには、それを消去しなきゃならない。こんなことも知らないなんて。オポジュ・ティオドラ・エスティすら知らない生命体が、どうして私を使おうだなんて』
「待て待て。愚痴は止せ。つまりアレか? オレの記憶をオマエにくれてやったら、オレが記憶喪失になるって?」
『そうなる。でも緊急事態のテンプレート的には、そうするように、ってなってる。だって私が動かなくなったら、貴方が記憶を残してたって無駄なんだから。でしょ?』
「でしょ? でしょ、って何だ! オマエが動かなくたって、オレは何も困らない!」
京香は呆気にとられたように口を開け放ち、眉間に皺を寄せ、困惑したように爪を噛んだ。
『参ったな。ここはホント、不思議な世界。テンプレートが全然役に立たない状況だし。もう少し自由度を上げないと駄目だな』そして見つめる久我に、彼女は不意に笑みを浮かべた。卑屈な笑みだ。『えっと、へへ、私は凄い、役に立つんだけど。それでも止まっても平気? 凄い、ホント、色々出来るよ? あと、そう! 一回充電切れちゃったら、もう充電出来なくなるよ? それ困るじゃない! 今は私を動かしておいた方が、いいんじゃない? いつ、何があるか。わかんないよ? あ、保険。そう、保険って仕組みがあるんだ。それ。私、それ』
「だからって、オレの記憶をくれてやるなんて。論外だ!」久我は云って、ふと、八重樫の遺体を見下ろした。「そうだ。生命体の記憶、と云ったな? それは例えば、死体でも構わないのか」
僅かに口を尖らせ、久我の脇に寄り、八重樫の遺体を見下ろす京香。
『生命体の構造によるけど。ちょっと待って?』
そして目を瞑り、何かを探るようにする京香。
「何をしてる」
『貴方の記憶を探ってるの』そして、パチリと目を開いた。『心停止から数分であれば、記憶が残ってるのね。オーケー、なら使えるはず。私を近づけて?』
久我は恐る恐る、右手を八重樫の後頭部に近づける。
すると不意に、乳白色の硝子体を縁取っていた金属が、ゆっくりと、そして高速に回転しはじめた。まるでモーターが回転するような音。久我は困惑し、云った。
「何が起きてる」
『だから、このヒトの記憶を確保してるの。ちょっと待ってね?』そして彼女は、関心したように云った。『へぇ、このヒト、知的階級のヒト? ちょっと劣化しかかってるけど、凄い情報量。かなりのエネルギーを確保できるわ』
なんとも云えない気分だった。だが最悪には違いない。コイツはイカれていたとはいえ、なんの罪もない。事故だとはいえ、久我はソイツを殺してしまい、さらにはその記憶を吸い出している。
「なんでもいいから、さっさとやってくれ」
辛うじて久我が云った時、右手金属の回転は収まり、京香は満足そうに頷いた。
『オーケー、確保した。あとはこれをエネルギーに変換すれば、八十%くらいまでは復活するよ』
「そのオーケーっての、止めろ。オレの口癖だ」
『仕方ないでしょ。勝手に貴方の概念に変換されるんだから』そこで、ぽん、と、彼女は両手を打ち合わせた。『そういえば念のため。貴方にはまるで情報エネルギー変換の概念がないようだから説明しておくと、このヒトの記憶を消去したら、このヒトの脳細胞も滅茶苦茶になっちゃうよ。もう二度と、その情報を復元出来なくなる。いい?』
それに何の問題があるのか、久我には良くわからなかった。
だが今は、とにかくこの場を、片付けなければ。
「いい。やってくれ」
久我が見つめるうち、右手の金属は、先ほどとは逆に回転しはじめた。そして次第に乳白色だったレンズは深い青に染まっていき、京香は満足そうに息を吐いた。
『オーケー、エネルギー七十七%。これなら結構、プラズマを放出出来るよ』
そう、それが目的だった。
八重樫の死体を、消滅させる。
「どうすればいい」
固く尋ねた久我に、京香は楽しげに答えた。
『だいたい、どんな形状で放出するか念じてくれる? だいたいでいいよ、細かい所は私がアジャストするから。ほら、フォトショップの自動選択ツールみたいなもん。で、あとは、ゴーでもなんでもいいから、口に出して云って? 慣れれば念じるだけで出せるけど、今はお互い慣れてないし。またさっきみたいな事故があったら困るでしょ?』
「最初から、その慎重さを発揮して欲しかったね」
『アンタもしつこいね! この状況は私の持ってるテンプレートから、色々外れてるって云ってるじゃない!』
「まぁいい」久我は云って、僅かに八重樫から離れ、その得体の知れない〈異物〉が埋め込まれた右手を、遺体に向けた。「オーケー、いいぞ、やってくれ」
突如、レンズから青白いプラズマが放出された。その眩く輝くエネルギーは一瞬だけ八重樫の遺体を包み込み、そして一瞬で、消える。
『ほら! 私凄いでしょ? 今のでもエネルギーを三%しか使わなかったし、放射時間は、ジャスト三ミリセカンド! 炭素型生命体をプラズマ化するのが、こんな簡単だなんて! 活用しないと損だよ?』
嬉々とした、京香の姿をした謎の存在の声。
久我にはまるで、その声は耳に入らなかった。
一瞬前まで八重樫の遺体が転がっていた床。そこからはもう、流れ出た血の痕すら、完璧に消え去っていた。