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第八話 再会

 繁華街のただ中にある地下のジャズバーは、久我の予想通り高級な佇まいはなく、ただ音楽好きなオッサンオバサンが集まって飲もう、という程度の店だった。実際京香程度かもう少し上くらいの子供も数人いて、その中の一人は飛び込みで強烈なドラムを叩いたりするから驚いた。バイクも小学生くらいからポケバイレースに参戦する子供もいるから、きっとそういう類の少年少女たちなのだろう。京香は心底その様子に心打たれたようで、目を輝かせながらステージを眺めていた。


 子供連れというのもあって、気のいいオバサンが話しかけてくる。当然音楽的な話題ばかりだが、そこは京香に振ったり巧みな話術で誤魔化し、久我はビールを口にしながらそろそろと切り込んでいった。


「そういやここ、織原美鈴の本拠地だったんでしょう? 結構来てたの?」


 髪を脳天で結い上げた浴衣姿のオバサンは、いかにもオバサンといった風に片手を振りながら答えた。


「来てた来てた! 偉くなっちゃうと、こんな田舎には戻りたがらない子が多いけど。あの子はマメに来てたわよ?」そしてふと、宙を見上げる。「あれから、もう十年? 早いわよねぇ」


「惜しい人を亡くした。まだまだこれからだったってのに」


「そうよねぇ。今度ハンコックやチック・コリアと共演するんだって凄い楽しみにしてたのに」


 久我でも名前くらいは聞いたことのある、超有名ジャズ・ミュージシャンだ。ワールドツアーをするほどだ、それなりに知られた存在だろうとは思っていたが、まさかそれほど有名だとは思ってもみなかった。


「それは凄い。本人が、そう云ってた?」


「そうなのよ。でもそのすぐ後、アレでしょう? エグゾアなんかに巻き込まれて」


「エグゾア? 織原さんはエグゾア絡みで亡くなったって?」


 不意な言葉に、思わず身を跳ねさせながら詰め寄る。オバサンは困惑した様子で、再び片手を振った。


「あら、そういう噂よ? なにしろご実家には遺体も戻らなかったって」


「それは初めて聞いた。でもどのページを見ても、ツアー中の交通事故だって」


「あの時、ツアーなんか組まれてなかったわよ」嫌そうに、片手を振る。「私、あの子の大ファンだったから、ツアーの情報は全部押さえてるの」


「じゃあ、なんでそんな発表を。十年前のあの頃じゃ、エグゾアが発生し始めた頃で。予防システムもなかったから、飲み込まれちまう人もそれなりにいたのに」


「そう、隠す必要ないでしょ? でもね、実はそれ、噂じゃ男の人と二人だったみたいで」


 すぐさま、柚木の顔が頭に浮かんでくる。渋く口元を歪めた久我に、オバサンは呆れた風で続けた。


「ほら、美鈴ちゃんはもう三十だったから。別にいいのよ、そういうの。でもね、お相手の人がそれなりの人だったみたいで、スキャンダルが嫌で隠蔽したんだって」


 うぅん、と久我は唸らざるをえなかった。


「それ、本当なの? どうも胡散臭いけど」


「本当よ! 私、その人と話したことあるのよ。眼鏡かけた、インテリっぽい人。ここにもよく来てたけど、あれからパッタリと現れなくなった。薄情よね、そう思わない?」そうだ、と彼女は携帯を取り出し、操作を加えてから画面を向けてきた。「この人。なんでも図書館司書とか云ってたけど、違うわよ。政治家か何かだったんだわ」


 カウンターに腰掛け、横顔を向けている男。その視線の先には織原がいて、互いに楽しげな笑みを浮かべていた。


 柚木。彼は織原と共に北欧に旅に出て、その先でエグゾアに飲まれたというのか?


 だとして、どうして彼は無事なのだ? 織原は一瞬のうちにエグゾアで無に帰され、一方で彼女の隣にいたはずの柚木は、奇跡的な確率で無事だったというのか?


 とてもあり得ない。

 そこでふと思いつき、久我は尋ねた。


「こいつって、ひょっとして。右足を引きずってなかった?」


 オバサンはすぐに頭を振った。


「いえ。そんなことなかったけど?」


 柚木の怪我は、その時の事件が原因なのだろうか。


 当然、予防局には今までに発生した全エグゾア、そしてその被害について完全に記録されたデータベースがある。久我は織原とエグゾアの関連を疑って彼女の名を検索してみたこともあったが、被害者としても、関係者としても、全くヒットしなかった。どころか、十年前のエグゾア発生当初期、北欧でエグゾアが発生したという記録も見た覚えがない。


 つまり、北欧で発生したエグゾア現象そのものが、隠された物なのだろうか。


 しかし、記憶は曖昧だ。もう一度、局のデータベースを洗い直してみなければ。


 京香は様々な音楽を沢山聞けて、十分満足したようだった。店を出てタクシーを探している間も、興奮してあのピアノの人が凄かったとか、サックスが変な演奏をしていたとか、一人で話し続けている。久我はまるで話がわからなかったが、京香が楽しくしていてくれて、笑顔を向けてくれるだけで、こちらも楽しくなってくる。ただ笑みを浮かべながら相づちを打っていると、不意に彼女は口ごもり、久我のことを見上げた。


「そういえばお父さん、あの浴衣のオバサンと話してたの。柚木さんのこと?」


 聞かれていないと思っていた。久我は苦笑いし、咄嗟に話をでっち上げる。


「いやぁ。容貌が似てたんで、まさかと思って聞いてみただけさ」


「織原美鈴と柚木さんって、知り合いだったの?」


 参ったな、と思いつつ辺りを見渡す。丁度よく空車のタクシーが停まっていて、久我は片手を挙げてドアを開かせた。


「まさか。あのオッサンに女っ気があるはずないだろう」


「えー。凄いモテそうだけど」


 京香が柚木みたいなインテリを連れてきて結婚したいだなんて言い出したらと考えると、途端に寒気がしてくる。


「馬鹿な! あんなの駄目だぞ? さぁ乗れ」


 口を尖らせながら、後部座席に乗り込む京香。そして久我も続こうとしたところで、不意にこちらを見つめている視線に気がついた。


 街灯の下。一人のスーツ姿の男が、口元に笑みを浮かべながら久我に視線を送っている。髪はきっちりとリーゼント風に撫でつけ、この暑い中でも細身のスーツを着込んでいる。


 久我が硬直している間に、男の影から一人の女が現れた。丸い輪郭に沿うようにショートカットの髪を流し、少し視線の怪しい瞳には薄い色のサングラスをかけている。


 その彼女も口元をニヤリとさせると、軽く顎をしゃくって背を向けた。


「京香、先に帰っていてくれ。ちょっと土産を買っていく」


「お土産? 何処で?」


 困惑する京香。久我は運転手に十分な金を渡し、とにかくホテルに向けて走り出させる。そして酔っぱらいたちが右往左往する道を渡り、二人が消えた路地に足を踏み込ませていった。


 路地の先には、狭い公園がある。その街灯の灯りが落ちているベンチの一つに、彼女は座っていた。


「やぁ久我さん。まさかこんな所で会うとはね」


 云って、サングラスを外す。

 まるで電子回路のように、不思議な虹彩が走る薄茶色の瞳。


「マックス」


 久我は呟き、彼の前に立った。

 久我がそうとは知らず助けてしまった、新興マフィアのボス。


「オマエこそ、堂々とオレの前に現れるなんて。何を企んでる。こんな所で何をしてる」


 一方的にまくしたてた久我に、彼女は軽やかな笑い声を挙げた。


「そう嫌わなくてもいいじゃないか。私が貴方に、何をしたって云うんだ?」


「オレと柚木に、賞金をかけた」


「だから? 別に傷つけるつもりはなかった。現に予防局の人員に被害を与えたのは、全部最上組の連中じゃないか」


「ふざけんな。何なんだ? 言い訳したくて、オレの前に現れたっていうのか?」


「いや、逆だよ久我さん。出会ったのは偶然だけど、お礼を言っていなかったと思ってね。久我さんは私の命を救ってくれた。本当に感謝している」


 酷い皮肉だ。久我は思わず舌打ちした。


「馬鹿云うな。オマエは逃げようとおもえば、いつだって〈転移〉できたはずだ。単にオレがどういうヤツか、知りたかっただけだろう」


「そんなことない。私のシャードは」と、自らの瞳を二本の指で指し示す。「何時でも何処でも〈転移〉出来るワケじゃないんだ。充電が必要なんだよ。私が最上に襲われた時は、まだ充電が完了していなかった」


「ホントかよ。そんな弱点、わざわざ自分で口にするとは思えない」


「それだよ久我さん」重要な点だ、というように、彼女は少し丸みを帯びた指先を久我に向けた。「確かに充電時間については重要な秘密にしている。組織内でも、知っているのは彼、赤星だけだ。それを私は、久我さんに明かした。その意味は?」


 久我は口ごもり、慎重に、言葉を探した。


「オレに、局を裏切れってのか」


「そこまで云ってないな」マックスは笑った。「でもね、知っての通り、我々は貴重な情報源を失ってしまった」


「PSIか」頷くマックス。「変だな。こっちの調べじゃ、オマエらが向こうを裏切った事になってるんだが」


「まさか! 我々は信用を重んじている。その辺のヤクザ共、それこそ最上組の連中みたいに、自分たちの利益のためなら簡単に裏切るようなことは、決してしない」


「じゃあどうして、桜井を浚おうとした」


「浚う? どうして我々が彼を浚わなきゃならない」


「しらばっくれんな。目撃証言も、監視カメラ映像もある」


 マックスは呆れたように、ため息を吐いた。


「人は目に見えた事を、すぐに信じようとする。百聞は一見にしかずというが、私はその一見という物が一番信用ならないと思っている」


 一体、何の話しだ?

 そう首をかしげた久我に、彼女はニヤリと笑った。


「私に〈見えている〉物に比べたら、貴方たちが見ている物なんて、ほんの上っ面にすぎないってことさ。だというのに我々は、目に見えた物を唯一無二の証拠のようにして信じてしまう。いいかい久我さん、貴方は良く、見なければならない。でないと予防局に騙され続けるだけだよ?」


 久我はその得体の知れない言葉に、思わず息を飲んでいた。

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