第六話 スパイ
「おっ、オマエ!」
あまりな出来事に、思わず声が裏がえってしまった。久我が咳込んでいると、涼夏は大口を開けて笑う。
「何よそんな、幽霊でも見たみたいに」
「幽霊の方が、まだマシだ。オマエ、こんなとこで、何やってんだ!」
「それは私の台詞よ。どうして予防局が、こんなとこに?」
久我は眉間に皺を寄せ、涼夏の顔をのぞき込んだ。
「知らないのか? 桜井の事。ヤツは事故で死んだ」
涼夏は再び口を開け放ち、当惑したように俯き、考え込んだ。
「それって、ひょっとして、マーブルになったってこと?」
今度は久我が当惑する番だった。
「何でオマエがそれを知ってる! オマエ、勝手に何か探ってるんじゃないだろうな!」
「勝手にって何よ相変わらず。別に私は貴方の部下でも何でもないのよ?」
「そうは云うが、オマエはまだクォンタムの残党に狙われてるかもしれないんだぞ? そのカメレオン装置だって、ヤツらから身を守るために必要だから柚木も持ち出しを許可したんであって、オマエがスパイの真似事をするための物じゃあ」
「何? 久々に会ったってのに、また口論ばかりするつもり?」口を尖らせながら黙り込んだ久我に、彼女は深いため息を吐いた。「だいたい私だって、遊びでやってるんじゃないわ。全ては京香のためよ。医療型、何か進展は?」これにも久我は、答えようがない。「でしょう? 貴方は予防局に、いいように使われてるだけなのよ」
「オレだって、やれることはやってる。とにかく、オマエまで危ない事をする必要はない。オレに任せておけ」
「ハッ、出たわねお得意のヒーロー気質。そんな台詞聞いたの、何年ぶりかしら? シリアの事があって以来?」反論しようとした久我を遮り、彼女は続けた。「待って。悪かったわ。あの件で茶化すなんて。あの件があって以来、貴方はすっかりダメ人間になっちゃって。周りに八つ当たりばかりして。あの時も私は若かった。もう少し辛抱強く、貴方に付き合ってあげれば良かった。そうすればこんな事には」
まるで涼夏らしくない台詞に、久我は慎重に尋ねた。
「何が云いたい」
「元気そうでなにより、ってことよ」そう笑みを浮かべ、彼女は続けた。「それより、桜井について。予防局は、何を何処まで掴んでるの?」
「まだ何も。これからだ。そっちは」
彼女は僅かに考え込み、軽く辺りを見渡してから云った。
「私は今、八木の元で働いてる」
「八木だと?」予防局を翻弄し、何か重要と思われている異物を盗み去った男。「どういうことだ! 何だってまた、あんなヤツと!」
「確かに彼は得体が知れない。でもそれだけ情報は持ってるわ。だからよ。彼に近づくことが、医療型を手に入れる別の道だと思った。貴方は予防局から。私は八木から、互いに探る。効果的な方法だと思うけど?」
「それはそうかもしれんが。それにしたって。危険すぎる」
「私にはコレがある」そう、ブレスレットをクルクルと回して見せる。「大丈夫よ。いざとなったら、消えて帰ってくる。とにかく八木は、何かを探している。詳しくは教えてくれないけれど、それにはエグゾアや異物に関わる全ての謎が隠されているそうよ。彼はそれを、〈インターセクション〉と呼んでるわ」
久我は僅かに、口元を歪めた。
「その名はオレも知ってる。どうもエグゾアの根幹に関わる何からしいが」
久我はそう、以前の事件、マックスに関わる騒動を話すと、涼夏は腕を組みながら何度も頷いた。
「その件に関しては、八木も興味を示してた。〈シャード〉と呼ばれる異物。それはインターセクションに至るための鍵だと」
「マックスも似たような事を云っていた。何のことかは、わからんが。柚木は何か知っている風だった」そこで久我は、思い当たった。「まさか、八木が予防局から盗んでった異物って。まさか」
「そう、シャードよ。ただ彼は、それをどう使えばいいのか、まだわからないみたい。だから彼は今、必死にマックスの事を探ってるわ。どうすればシャードを、自らに取り込めるのか。それを知りたがってる」
あの、自らの親の敵討ちに執念を燃やすマフィアのボス。彼女は確かに瞬間移動という異物の中でも最も強力な能力を持っているが、果たしてそれが、エグゾアの謎とどう繋がるのか。
「それで? 何か掴んだのか」
「そう焦らないで。とにかくマックスは、あの通りの能力を持っているでしょう? まるでその行動を掴むことが出来なかったんだけれど、ようやく八木はマックスが何者かと取引をするっていう情報を掴んだの。でも彼は日本に入国するのも難しいから、代わりに私が来たってワケ」
「取引? 異物か」
「八木もそう睨んでたんだけど、事実は違ったわ。まるで逆」
「逆?」
「そ。取引現場に現れたのは、マックスと赤星って腹心。もう一方は、誰だと思う?」
「誰だ」勘が鈍いヤツだな、というように見つめるだけの涼夏に、久我はやっと閃いた。「まさか」
「そ。桜井。貴方の古いお友だち」
どうなってる?
久我は頭を掻きながら、僅かに考え込む。だが、何もかもわからないことばかりだ。
「それで? マックスと桜井は、何の取引を?」
「よくわかんない。あっという間だったんだもん!」彼女は興奮した様子で、両腕を広げながらまくし立てた。「どうもマックスは端から取引をするつもりなんてなくて、桜井を捕まえようとしてたみたいなの。赤星が、こう、あっという間に桜井を組み伏せて、それにマックスが近寄って。何をしたと思う?」
「レッド」
呟いた久我に、涼夏はパチンと指を鳴らした。
「そう! もうおぞましいなんてもんじゃなかったわ! ゴツゴツした金属が急にバリバリーッ! って電気出して、桜井の手にくっついて、ウネウネ動きながら大きくなって、埋まっていくんだもん! キモすぎでしょあれ!」そこで気づいたように、涼夏はグローブに覆われた久我の右手に目を落とした。「そういえば貴方のも、あんな感じだったの? 痛くないのそれ?」
「とにかく」ため息を吐きつつ、久我は先を促した。「マックスが桜井に、あのレッドのウェアラブル・デバイスを寄生させた。何でだ」
涼夏はつまらなそうに、口を尖らせる。
「知らない。それで桜井は車に放り込まれちゃって、どこかに連れ去られそうになったんだけど。私も彼のことは知らないワケじゃないし、不味いな、これじゃあ殺されちゃうなと思って。こう、上手いことやって逃がしてあげたの」
久我はすぐ、寒気を感じた。
「またあの急所蹴りか。オマエあれ止めた方がいいぞ? 地獄に堕ちるぞマジで」反論しようとする涼夏を遮り、久我は続けた。「まぁいい。それで桜井は逃げて、どうなった?」
「いやぁ、それがね。車はひっくり返っちゃうし、赤星にレーダーで見つけられてプラズマで焼かれそうになっちゃうし。桜井は見失っちゃって。私は必死に彼の足取りを辿って、ようやくここまで来たってワケなの」
なるほど。
「無茶苦茶だ!」久我は両腕を投げ出した。「オマエ、完璧にスパイごっこを楽しんでるだろ? いい加減にしとけって! 付け焼き刃の護身術程度じゃ、死ぬぞマジで!」
「その前に、こっちは殺せるのよ?」
苛立ったように言い放ち、ブレスレットを装着して消え去る涼夏。久我は慌てて股間をガードした。
「待て待て! わかったから!」口を尖らせながら姿を現した涼夏に、久我は大きくため息を吐いた。「とにかく、こういうことだな? 桜井は何処かの組織に属していて、マックスと何かの取引をしようとしていた。しかしマックスはヤツを裏切り、無理矢理レッドを装着させ、連れ去ろうとした」
「そういうこと。それを八木に報告したら、ふぅんって感じで。とりたてて興味を惹かれてる風じゃなかったわ。ただ、とりあえず桜井の背後関係を調べてくれって事で。レッドを付けられた彼がマーブルになっちゃうだろうとは云っていた。その意味は教えてくれなかったけど」
何か、焦臭いのは確かだ。
「桜井の背後に誰がいるのか、知ってるんじゃない?」
涼夏に問われ、久我は考え込んだ。
果たして彼女に輿水のPSI社の存在を明かす事で、八木を利する事には。なりはしないか?
「大丈夫」まるで久我の考えを読んだかのように、彼女は云った。「私が彼に協力しているのは、あくまで医療型の在処を見つけるためよ。それは信頼させないといけないから全部は隠せないけど、上手くやる」
「そうは云うが、ヤツが何を企んでるのか、まるでわかってないだろ」
「大丈夫だって。相変わらず他人を信用しない人ね。常に自分が正義で、完璧に正しいと思い込んでる」
「んなことない」
「んなことあるわ。自分が少女を殺したのは完璧に正しくて、それを認めて英雄扱いしない軍は腐ってる。ヘボの腰抜けばっか。辞めてやる! って飛び出したのはいいけど、その後はどう? 何をしたって長続きしないで。愚痴ばっかで。あんな父親がいて、京香のためになると思う?」
「思わないよ! 思わない。悪かったと思ってる。だがな、これとそれとは、話が別だ」
「同じよ。貴方は私が。いえ、自分以外の全員がか弱い存在で、自分が守り導かなきゃならないと思い込んでる。でもね、私は一人の存在なのよ。貴方の僕でもなければ、子供でも」
「わかったわかった!」
久我は痛いところを突き続ける彼女の言葉に我慢ならず、遂に大声で遮った。
「確かにオマエは、オレなんかより何倍も凄いヤツだよ。だからヒステリーを起こすのは止してくれ!」更に何かを云おうとする涼夏に、久我は軽く言い放った。「PSIだ」
彼女はその意味を悟ったらしく、僅かに口ごもった。
「輿水大佐の?」
「あぁ。だから云いたくなかったんだ!」そして久我は、鋭く彼女に人差し指を突きつけた。「だからな、この件は、オレが、片を付けなきゃならない。わかるか?」
涼夏は再び黙り込み、じっと久我を見つめ、そしてポケットに手を突っ込むと、一本の記憶スティックを差し出した。
「何だ?」
「やっと私を認めてくれたご褒美」
「だから何なんだ」
云ったとき、涼夏の姿は掻き消えていた。当惑して宙に視線を漂わせる久我に、何処からともなく声だけが投げかけられた。
『桜井がマックスに渡そうとしていた物よ』
「これが? 中身はなんだ」
『見ればわかる。でも、一人で見て。決して柚木さんに知られては駄目よ』
そして、涼夏の気配は消え去った。
久我は当惑しつつ、すぐにデジタル・パッドを取り出し、手渡された記憶スティックをスロットに差し込む。そして現れたデータに、久我は思わず、口を開けはなっていた。
「なんじゃ、こりゃあ」
それはここ一月にわたる、久我と柚木の、詳細な行動記録だった。




