第五話 営倉
他国ならば久我は、自爆テロを防いだ英雄、となるはずだった。少女の背負っていた爆弾は相当の威力があり、もし起爆されていたら市場の大半は吹き飛び、数百人近い死傷者が出ていたはずだ。
だというのに久我は、営倉の中にいる。ろくに尋問もされず、まるで腫れ物かのように放置されていた。
「クソッ! どうなってんだ! 誰か状況を説明しろ!」久我は無駄だと思いながらも、営倉の扉を叩き続けていた。「何で尋問すらされないんだ! おい! 暇で暇で仕方がない! 本か何かくらい、持ってきてくれ!」
その時、通路に足音が響き、覗き窓から桜井が顔を覗かせた。彼は少し焦ったように辺りを見渡し、扉に顔を付けるようにして囁く。
「静かに聞いてくれ。オマエは凄く、ヤバい状況にある」
そんなことだろうとは思った。久我は口元を歪め、ため息混じりに応じた。
「何なんだ。テロを防いだヤツを、殺人犯扱いか?」
「それより悪い。わかってるのか? オマエは近代日本で、ヒトを殺した最初の軍人になったんだ。しかも作戦任務中ならまだしも、命令外の行動の結果だ。下手をしたら国防相から統合幕僚長のクビが飛ぶレベルの話だぞ」
「なんだそれ。いずれ誰かがやったことだろ! それがタマタマ、オレになったってだけで」
桜井は呆れたように、扉から身を離した。
「オマエ、相変わらずそうやって後先考えずに!」
「考えてるさ。オレがやらなきゃ、何十人と死んでた」
「そういう問題じゃあ」桜井は諦め、頭を振った。「とにかく、大人しくしてろ。今、輿水大佐が上手く片づけようとされている」
「大佐が? 何でだ。どうして大佐が関係ある。おれは施設科だ」
「関係、おおありだ。あの自爆テロを企てた少女だが、何者だったか聞いたか?」
「いや、まだだ」
「IS支配下の領域で起きたエグゾア、知ってるだろ」
飛躍した話題に、久我は首を傾げた。
「あ。あぁ。去年だったか? 村が一つ、飲み込まれたとか。それがどうした」
「彼女はその時に行方不明になっていた娘らしい。どうやらエグゾアの混乱にかこつけて、ISが拉致、洗脳していたようだ」
「つまり、彼女はISの?」
「あぁ。爆弾ベストの特徴が、ISの物と一致した」渋い顔をする久我に、桜井はため息を吐いた。「わかるだろう。これでISとの停戦は終わりだ。国連軍は早速、IS支配領域への空爆を検討してる。そして空爆の次は?」
「オマエらの出番、か」
呟いた久我。桜井は首筋を掻いた。
「わかるだろう、これはオレたちにとって、格好の機会なんだ。オレたちは特殊部隊といったって、未だ本格的な戦闘なんて未経験だ。ビビりの政府のおかげで、いつもギリギリで投入がストップされる。だから輿水大佐は、これを機に特殊部隊群を真の軍隊として活動させたがってる。わかるか? ここで、オマエの行動の如何を騒ぎ立てられて、邪魔されたくないんだよ」
邪魔されたく、ない?
あまりな台詞に、久我は眉間に皺を寄せた。それは命令でも任務でもない、休暇中の少女テロリスト殺害だ、ただでは済まないだろうと思ってはいたが、こっちには民間人数百名の命を救ったという功績がある。勲章など貰えないだろうが、最終的には不問に付されるだろうとたかをくくっていた。
けれども。
「待て。大佐はオレを、どうしようとしてるんだ」
桜井は僅かに戸惑い、言葉を探す。そして彼が口を開きかけたその時、別の足音が営倉に近づいてきた。
すぐに扉から身を離し、直立不動になる桜井。
そして彼の視線の先には、黒々とした瞳を持つ、面長な顔の男がいた。
特殊作戦群隊長、輿水大佐だ。彼は相変わらず無表情なまま、桜井に軽く敬礼する。そして追従してきた守衛に扉の鍵を開けさせ、薄暗い営倉の中に入ってきた。
敬礼する久我に、煌めきのない瞳を向けてくる輿水。彼はそうして数秒久我を見下ろすと、ようやく硬質な唇を開き、声を発した。
「私はオマエの育成に失敗していたようだ、久我大尉」
苛立つなというのは無理な話だ。久我はすぐさま口元を歪め、輿水の瞳を睨みつけた。
「十四、五歳の女の子を躊躇なく条件反射で撃ち殺すようオレを訓練したのは、間違いだったってことですか?」
「馬鹿を云うな。それは訓練の結果じゃない。オマエの本能だ。だから私はオマエに、その本能を抑えられるよう訓練したつもりだったんだがな」
「意味がわからない。オレは好き好んで、少女を射殺したっていいたいんですか」
「違うか?」
反論しようとした久我を遮り、彼は続けた。
「自分は常に正しい。オマエには、そういう思いこみがある。自分こそ正義で、自分の為すことは常に、世のため人のためになる事だとな。
そして精神分析の結果、オマエの倫理観に際どい所はなかった。
確かにオマエは〈良い人間〉、〈ヒーロー〉的な資質を持っている。
だがそんなもの、軍隊には不要だ。むしろ害悪だ。そのヒーロー願望を持ち続ければ、上官の命令に反抗したり、不本意な命令を無理強いされたと思いこみ、PTSDになってリタイアしてしまう。だから私はオマエに、劣等感を植え付けようとした。自分の判断は酷くあてにならないもので、常に何者かの助言が必要だとする謙虚さも。しかしそれは、全て失敗していた。だからオマエは、ここにいる。私としては、詫びるべきなんだろうな。申し訳ない、私はオマエを、まっとうな軍人にすることが出来なかった」
あまりの云いように、久我は混乱して苦笑いするしかなかった。
「待ってください。オレが何をしたって云うんです! オレは何百人って市民の命を、救ったんですよ? そりゃあ勝手な事をしたかもしれませんが、そこまで云われる筋合いは」
「もちろん、私は投げ出すような事はしない」そう、輿水はまるで久我の言葉を幼児の戯言のように聞き流し、続けた。「オマエには、もっと過酷な人生が必要だ。でなければ、その〈何もかも自分が正しい〉と思い込む本質を変える事は出来ない」
「待ってください! オレをどうするつもりなんです!」
輿水は節くれ立った大きな手を、久我の肩に置いた。
「心配するな。これはオマエが、まっとうな人間になるための試練だと思え。世の中は、正義と悪なんて薄っぺらい二元論で片づけられない物だ。それを知らなければ、オマエは軍人どころか、人としても不完全だ。わかったな?」
そして輿水は不意に苦笑いし、背を伸ばした。
「んなこと云っても、わかんねぇだろうな、オマエみたいな馬鹿には」
そう、輿水が初めて素の表情を見せた時以来、彼とは会っていない。まるで弁明の機会も与えられないまま日本に送り返され、補給統制本部の施設課という事務職に回されたからだ。周囲から腫れ物扱いされ、この頃から、涼夏との仲も険悪になり、別居することになり、離婚という結果に終わった。
久我がそんなことを思い出していたのは、桜井が一昨日から泊まっていたというホテルの部屋に、輿水を臭わせる痕跡があったからだった。
エグゾア発生現場での桜井は、久我がみた限り手ぶらに近かった。何か携えていたとしても、今はビー玉、あの黒々とした謎の物体、マーブルの中だ。果たしてホテルの部屋は、まるで桜井が急に熱病にかかって飛び出してしまったかのように、生活感に溢れていた。汚れた服が袋に詰められ、コンビニ弁当の残骸がゴミ箱に突っ込まれ、机上にはノートパソコンが開かれたまま。
「このPCで彼は、幾つかメッセージのやりとりを行っていたようだ」例によって物理的痕跡を探る久我に対し、論理的情報を探る柚木。「ふむ、ダークネットを使っているようだ。加えて情報は閲覧直後に削除されるアプリを利用している。やけに慎重だな」
「そうやって問題のハードルを高くして見せなくてもいいぜ? どうせわかるんだろ?」
「まぁね」云って、高速でキーを叩く柚木。「幾つかのサーバを経由しているが、どうやらメッセージはPSIインターナショナルという企業から受け取っていたようだ」
「PSI?」
ゴミ箱を漁る手を止めて尋ねた久我に、柚木は丸眼鏡の奥の瞳を細めつつ振り向いた。
「知ってるのか?」
「アンタが知らない方が驚きだ。日本初の、実体のある民間軍事企業だぜ?」
「あぁ、PSI、パシフィック・セキュリティー・インク・インターナショナルか。それならば知っている。しかし、確かそこの代表は」
「あぁ。輿水。元、オレの上官」
「そしてシリアの件で、キミを閑職に追いやった張本人でもある」
軽く口元を歪め、久我はまじまじと見つめてくる柚木から視線をはずし、ゴミ箱あさりに戻った。
「アンタはヤツについて、何処まで知ってるんだ?」
「公表されている経歴以上の事は知らない」
「簡単に云うと、現代のサムライさ。ニホンヒノモト一番って感じで、あまりに右翼臭くて嫌う上官も多かったが、実際有能だもんで長く特殊部隊の隊長を勤めた」
「そしてシリアで、現代日本初の海外戦闘を指揮。多大な成果を上げる。その後、軍を退役し、PSIインターナショナルを設立。政府や企業の相談役を務める」
「実際は海外派兵で作った伝手を利用して、政府にちょっかい出されない自分の意のままになる兵隊を作ったのさ。ヤツは自分の傭兵を〈御親兵〉だなんて呼んで、日本の国益を守ることを第一としているとかなんとか」久我はゴミ箱から数枚のレシートを取り上げ、眺めながら腰を上げた。「それで? 桜井は軍を辞めて輿水についていったのか?」
「さぁね。可能性は?」
「ある。桜井は輿水に心酔していた。PSIから桜井に送られてたメッセージって、どんな内容だ?」
「それを探るには、PSI社が確保しているダークネット上のサーバを調べなければ。ここはこの辺にして、キャブコンに戻ろう」
「オレは少し気になることがあるから、もう少し調べていく」
「気になること?」
「ども妙でな」そう、ゴミ箱から取り上げたレシートに鼻を近づける。「男のホテル住まいなんて、臭くて当然なのに。さっきから何か、女の香水のような臭いがする。気づかなかったか?」
柚木は宙に視線を向け、鼻をひくつかせた。
「さぁね。私はあまり、五感が良くないものだから。しかし実は私も、他に気にかかってる点があってね。どうも我々より先に、何者かがこのパソコンを操作していた形跡があるようなんだ」
「桜井がホテルを出た後か」
「あぁ。だが確実ではないから、詳しく調べて報告する」
柚木が桜井のパソコンを抱えて出て行ってから、久我は部屋の内部をくまなく改める。ビジネスホテルとはいえ、都心と違って結構広々としている。その床に鼻を擦り付けて臭いの元を探ったが、まるで辿れない。
「桜井がホテトル嬢を呼ぶとも思えないが」腰を上げ、ため息を吐きつつ見渡す。「残り香ってレベルじゃないんだが。何なんだ。イルカ?」
『はいよ』
現れた立体映像のヘルプAIに、久我は部屋中を指し示して見せた。
「何か、こう、臭いを視覚化するような機能はないか? 多目的だろ?」
『多目的っても、臭いってのは化学物質が鼻の神経に触れて感じるもんでしょ。空気中の化学物質を視覚化しろって? 私のセンサーにそんな解像度あるワケないじゃん。無理に決まってんじゃん』
「おいオマエ、そうやっていつもヒトを小馬鹿にする癖を何とかしろ。そもそもオマエの機能はオーバーテクノロジーなんだ、無理と思えることが出来るかもしれないと思って聞いてんだ、こっちは」
『それにしたって限度があるに決まってんじゃん。私は神様じゃないんだよ?』
「誰もそんなこと思ってねーっての」
そこでふと、久我は何か含み笑いのような声を聞いた気がした。
そして不意に、過去にも同じような事があったのを思い出す。
あの時も、最初は匂いがした。香水の匂い。次いでヒトの気配が感じられるようになり、声がして。
「涼夏?」
呟いた途端、久我の目の前に、七分丈のジーンズにTシャツという姿の女が現れた。
相変わらず痩せぎすだが、久我の中のイメージになってしまっている不機嫌な表情は消え失せ、酷く健康そうで、明るそうな笑みを浮かべていた。
「はぁい。元気にしてる?」
指先で銀色のブレスレットをクルクルと回しつつ、涼夏は云った。