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第三話 圧縮

 小一時間でたどり着いたのは、山里を見下ろす高台だった。どうやら城跡らしい。僅かに台地状に開けた一帯にはテントが幾つも建てられ、災害予防局と警察消防の臨時指揮所になっていた。


 柚木はキャブコンを降りるなり、右足を引きずりながら責任者を捜し、状況を確認している。久我は遅れてたどり着いたツアーコンダクターの車に向かい、京香を連れて高台の端に立った。


 田や、畑が、狭い盆地にちらほらとある。小さな集落もあったが、元々廃村のようなものだったのだろう。見るからに荒れ果てていて、生活感があまりない。


「エグゾア発生予想時刻まで、あと十五分ってとこだ。見たことなかったか」


 柚木との会話を思い出して云った久我に、京香は小さく頷いた。


「テレビでは、見たことあるけど。だいたい昼間だし、学校行ってるし」


「そりゃそうだ。そうだ、せっかくだし、オレが普段、何してるか教えてやろう」


 正確に云えば特務班に配属される前、エグゾア対策の主任をしていた頃の仕事だが、それでも京香は聞き慣れない言葉がポンポンと出てくるのに興味を惹かれたらしく、その大きな猫目を更に見開かせて、様々な計測機器や重機などを眺めていた。


「つまりエグゾアってのは、ある一帯が〈消える〉っていう風に理解されてるが。正確には、本当に〈消える〉んだ。ビルや地面だけじゃない。元々そこにあった空気までだ。おかげでエグゾアが発生した直後には、真空に対して一気に空気が流れ込み、小規模な雷や竜巻、雲や霧が発生する事もある。さすがに直径三キロってのは、オレも見たことがないが、さぞ壮観だろう」


 里山から道を下りつつ説明する久我に、京香は少し困惑したように云っていた。


「へぇ、知らなかった。学校でもニュースでも、全然そんな所まで云ってない」


「ふぅん、理科くらいで教えてると思ったが」久我が学校にいた頃には、エグゾアだなんて現象はなかった。「ま、知ってて得する事もないっちゃないしな。一般市民にとっちゃ、エグゾアなんて、不意にポンと起きて、それで終わりだ」


「でも、怖いね、なんだか」


 よく知らなければ天変地異で諦められるが、詳しく知れば怖くなる、という現象は。確かにあるだろう。


 ちょっと言い過ぎたかな、と思いつつ頭を掻いていると、不意に耳に刺していたインナー・イヤホンに柚木の声が響いた。


『久我くん、何処だ? もうカウントダウンが始まってるぞ』


「あぁ、もう少し近くで見ようかと思ってな。そこから少し下った所にいる」苦言を口にする柚木を、すぐに遮る。「大丈夫だ。影響はだいたいわかってる。この距離だと、せいぜい風速三十メートル程度だ。大木の影にいれば大丈夫」


 云った途端、脇にキャブコンが乗り付けられた。すぐに後部ハッチが開いて、柚木が顔を出す。


「キミはいいかもしれないが、京香さんに何かあったら困る。さぁ、入るんだ」


「何なんだ。まるでオマエの方が親みたいだな。大丈夫だって」


「そうはいかない。私は京香さんの安全に責任が」


 云っている間に、キャブコン内から漏れる無線の声が、何か混乱している様子に気づいた。柚木も気づいて、口を噤む。そして奥に向かっていき、すぐに再び後部ハッチから顔を出した。彼は慌てた様子で辺りを見渡し、鬱蒼と木々が生い茂る藪の中を指し示す。


「何者かが警戒線を突破した! あれだ!」


 久我は無意識にガードレールを飛び越え、崖に足を滑らせながら叫んだ。


「柚木! 京香を頼む!」


「わかった!」


 崖の先には、獣道があった。木漏れ日の中に人影を見つけ、久我が駆けた時。柚木は携帯回線で話しかけてきた。


『男は三分前に警戒線を突破し、バイクを乗り捨てて藪に駆け込んだ。目的は不明。マスコミや野次馬ではなさそうだ。何か意味不明なことを叫んでいたらしい』


「クソッ、エグゾア教のキチガイか?」エグゾアには何か神秘があるとする、小規模な新興宗教が幾つかあるのは知っている。「おい! 予想時間まで、あとどれくらいだ!」


『一分もない! その地点は〈境界〉まで五百メートル! 久我くん、そこまでだ! 危険すぎる!』


 体格のいい男は、まるでラグビーボールでも抱えているかのように、獣道を突進していく。彼の一歩一歩で、地が揺れているようだ。久我は木の根を飛び越え、張り出した枝を凪ぎ、男を追う。


 すぐに二人の距離は縮まってきたが、柚木の警告は激しくなり、久我も恐怖を感じ始め、とてもエグゾア圏内までには捕まえられないと判断した。


「イルカ! 地面を消すぞ! 一メートル!」


『あいよ』


 久我は素早く、異物が寄生した右手を振り下ろす。甲のレンズが一瞬煌めき、同時に男が足を置いた地面が一メートルほど焼灼された。


 男はうわずった悲鳴を上げつつ、穴の中に転がり落ちる。久我もすぐに穴の中に飛び込み、もがき、汗くさい男の頭を押さえ、自らも身を伏せた。


『来るぞ!』


 柚木が叫んだ途端、パチン、と空気が裂けた。


 パチン、パチン。それは幾度か繰り返され、一斉に木々の中に隠れていた鳥たちが飛び立つ。


 その騒ぎが収まらない内に、まるで耳元で発砲されたかのような強烈な音が響き、ほんの数十メートル先の空間が消失した。


 途端に空気が、枯れ葉が、枯れ木が、一斉にエグゾアが発生した空間に向かって押し寄せていく。ビリビリと空気が震え、摩擦し、空電が走る。久我は息を詰め、とにかく頭を下げ、暴れる男を抱え、この恐ろしい轟音と暴風が収まるのを待つしかなかった。辺りの気温は急激に低下し、晴れ渡っていたはずの空には雲が広がり、靄がかかって薄暗くなる。


 どれだけ久我は、息を詰めていただろう。


『久我くん! 大丈夫か久我くん!』


 これも、聞き慣れた叫び声になってしまった。


 未だに風は収まらず、空気も何か妙な臭いがし、上空に急な積乱雲が出来始めているようだったが。とにかく無事らしい。


「大丈夫だ」


 云いながら、身体中に降りかかった土や枯れ葉を払いつつ立ち上がる。


 一方の暴走男は、身を縮め、頭を抱え、ガクガクと全身を震わせていた。カーキ色のパンツ。デニムのシャツ。そのどちらも泥と汗にまみれ、酷い有様だった。


「おい、大丈夫か? おい?」


 ため息を吐きつつ、男の肩に手を置く。

 途端、男は右手で久我の腕を掴み、必死の形相を向けてきた。


「何だ! 何なんだ! どうしてオレを止めた! 何てこった、オレはもう終わりだ!」


 何事かを叫び、きつく久我の腕を掴む男。それを見て久我は、一度に何もかもわからなくなっていた。


 一つ。男の右手には、久我と同じように。レンズの埋め込まれた異物、ウェアラブル・デバイスらしい物が張り付いていたこと。


 そして、もう一つ。久我は男の顔に、見覚えがあった。


「桜井?」


 尋ねた久我の声は、まるで彼の耳に入っていないようだった。あの、シリアで久我が問題を起こしたとき、必死になって弁護してくれた旧友。


 その彼が、どうしてここに?

 どうして桜井が、異物のドライバーになっているんだ?

 そもそも彼は、まだ陸軍にいたはずじゃあ?


「久我くん! 久我くん!」


 無応答に痺れを切らしたらしい柚木が、急な崖に四苦八苦しつつ、久我に近づいてきていた。それでも久我は震える男から、目を反らせなかった。


 終わりだ、もう終わりだ。どうしてこんなことに。どうして。


 彼の言葉は判然としなかったが、何か非常な危機を感じている事だけはわかる。


「久我くん、彼は」


 息を切らせながら、ようやく久我の脇に立つ柚木。彼は何も言えないでいる久我に代わってしゃがみ込み、桜井の様子を困惑したように眺め、右手の異物を眺め。


 そして不意に何かに気づいた様子で、久我の肩を掴んだ。


「不味い」


「あ?」


 柚木は片足を引きずりながら、久我の腕を引いた。


「離れるんだ」


「あ? 一体何が」


「いいから離れて!」


 柚木が叫んだ途端、何かが起きた。


 それはあまりに一瞬の出来事で、正確にはわからない。だが桜井の右手に張り付いていた異物が、不意に無数の、触手とも針ともつかない何かを飛び出させたのだけはわかった。それは瞬く間に桜井の全身を包み込み、悲鳴を上げ身を捩る男を縛り上げ、次第に小さく、小さく収縮していく。骨格が無視され、体積が無視され、悲鳴までもが縛り上げられ、小さく、小さく、凝縮され。


 きっと、ブラック・ホールに吸い込まれる男というのは。こんな風なんだろう。


 久我が場違いな想像をしていた時、遂に男は一点に凝縮され、黒々としたビー玉のような物体と化し、最後にそれは、コロン、と地に転がり落ちた。

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