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第一話 シリア

 久我はジープから埃っぽい地に降り立つと、大きく背伸びをしながら左右を見渡した。


 シリアの気温は日本とそう変わらなかったが、常に乾燥している。そのおかげで肌寒く感じる時も多々あって、砂漠に囲まれているというのに少し妙な気分がする土地だった。ダマスカスの街は、首都だけあって広大だ。その半分は茶色い土だか煉瓦だかで出来た旧市街で、もう半分は近代的なビルが並ぶ新市街。


「ありがとう」


 久我が振り向いてジープの運転手に云うと、平和維持軍の青いベレー帽を被った彼はニヤリとしてハンドルを叩いた。


「休暇だからって、羽目を外しすぎないでくださいよ大尉。忘れないで? 三時間後、ここに集合」


「わかってる軍曹」苦笑いして応じている間に、座席の奥から大柄な男が身を捩らせながら降りようとする。「桜井、オマエまたデカくなったんじゃねぇか? プロテインも程々にしとけよ」


「工兵さんと違って、こっちは身体が資本なんでね」桜井はようやく狭い座席から降り立ち、思い切り背伸びした。「ありがとう軍曹。帰りも気をつけてな」


「桜井大尉も。久我大尉のお守り、お願いします」


「軍曹!」


 久我が叫んだ時、彼は笑いながらジープを発進させていた。苦々しく見送る久我の肩に、桜井は大きな手を乗せる。


「相変わらず、工兵さんはフリーダムだな。上官をネタにするとは」


「まぁな。だが悪くない」久我は苦笑いしつつ、桜井と並んで足を進めた。「オレだって平気で上官に食ってかかってた口だ。こっちの方が性に合ってる」そして旧市街と新市街の狭間に立ち、携帯で地図を眺めた。「で? どうする。今日はオマエのシリア赴任記念だ。行きたい所は?」


「あぁ、ダマスカスといえばダマスカス鋼だろ。ナイフとか売ってる所は?」


「さすが歩兵さん、目の付け所が違う。ナイフか。売ってはいるが、それ持ち出せるのか?」


「さぁな。まぁ何とかなるだろう。安全のために武器を携帯しろと命令されてるんだ、ナイフくらい」


 ニヤリとして腰の拳銃を指し示した桜井を促し、久我は旧市街へ足を踏み出した。


 PKO部隊の駐屯地には、娯楽と呼べるようなものは何もない。市街から離れた空き地にプレハブが並べられ、部隊の売店以外には時折行商が来る程度だ。別に久我はそれほど苦ではなかったが、日本から来たばかりの桜井はやはり、多少ストレスが溜まっていたらしい。一通りナイフ類を眺め、幾つかある史跡を案内し、市場脇のカフェに腰を降ろすと、桜井は随分解れた表情で買ったばかりのナイフを喜々として眺めた。


「いいね! 本場物のダマスカス・ナイフ。見ろこの波紋。日本刀に通じる物がある!」


 久我はトルコ風の珈琲を口にしながら、苦笑いする。


「相変わらず武器オタだな、オマエは。防衛大の頃から、ちっとも変わってない」


「そうか? オマエは?」


「相変わらずメカオタだがな。ここじゃ珍しい機械なんて何もない。他国部隊の装備を眺めさせてもらうのがせいぜいだ」


「そうじゃない」不意に桜井は表情を鋭くし、テーブルに身を乗り出させた。「どうして工兵なんだ。聞いたときは驚いたぞ。レンジャーからFGp(特殊部隊)まで行ったエリートのオマエが、何で工兵に」


「それか」いずれ聞かれると思っていた。これにも苦笑いで、久我は珈琲をすする。「いいだろ。そもそもオレは元々施設系だし、工兵だって立派な仕事だ。それが何の因果か、無理矢理レンジャーに行かされて」


「特性があったんだ。射撃の腕から何から、オマエは常にトップクラスで」


「特性があるのと、好きなのは別だ。見ろ! 平和維持部隊で歩兵が活躍する場は? 警備活動? 汚職まみれの高官や、独裁者を護衛する?」苦い表情を浮かべる桜井に、久我は口元を歪めて見せた。「いつ来るかわからん敵に備えるのもいいが、オレはもっと結果に残る仕事をしたかった。それだけさ。おっと、悪く取るなよ? 有事に備え続ける辛抱強さが、オレにはなかっただけだ。いわば、精神的な落ちこぼれだ」


「本当か?」と、桜井は久我の瞳をのぞき込んだ。「オレは涼夏さんに反対されたと聞いたが。娘さんが生まれたばかりで、オマエに何かあったらどうすると」


「だれがそんな事を」相変わらず、噂というのは恐ろしい。だが部分的には事実だった。「そりゃあ娘の事を考えてないと云ったら嘘になるが。別に涼夏に何か云われたワケじゃない。オマエも知ってるだろ? アイツはオレに何かあっても、一人で娘を育てられるだけの稼ぎがある」


「ま、オマエから東大の才女と付き合ってると聞いた時は、頭がどうかしちまったんじゃないかと思ったが。軍人の嫁にはいいのかもしれん。けど、勿体ないぞ! そうは思わないか?」


「何を」


「オマエはオレたち同期の、ヒーローだった。理不尽な教官先輩たち相手に一歩も譲らなかったし、弱い物虐めは絶対に許さなかった」


「止せよ。オレは単に」


「だからオマエが特殊部隊に行くのは当然だと思っていたし、オレもオマエを目指して頑張って。なんとかレンジャーになれたんだ。だってのにオマエは誰にも何も云わず、いきなり工兵に転科しちまって」


「だからオレは」


「待て。聞け。そりゃあ今の時代、歩兵なんて活躍の場は少ないかもしれん。だが、見ろ、この国を。日本も対テロや世界平和から逃げられなくなりつつある。活動の幅は、これからも広がっていく。そんな時、最前線に立つのは特殊部隊だ。オマエはヒーロー願望がある。弱い者、虐げられている者を放っとけない。違うか?」


「否定はしない。だから工兵やって、道路を直したり家を建てたりしてる」


「それでいいのか?」


「何なんだ」遂に呆れ、久我は両腕を投げ出した。「どうした。誰かにオレを説得しろと云われてきたのか?」


「あぁ。輿水大佐にな」久我の元上官、特殊部隊の隊長だ。「だが命令されたからだけじゃない。オレだって勿体ないと思ってる」


「買いかぶりだ」


 それでも桜井は納得せず、いかに陸軍で特殊部隊が重要視されているかを懇々と説明し始めた。そんなことは説明されなくても知っている。日本も大使館が襲われたりテロの標的にされることも増えてきた。そんな時に真っ先に派遣されるのは特殊部隊なのだ。久我としても、そんな前線で悪者をやっつけたいというヒーロー願望は確かにあったが、今は生まれたばかりの京香がいる。


 そこでふと、久我は目の隅に、一人の少女を捉えていた。何か酷く疲れた風で、眼孔が黒々としていて、何か酷く怯えた風に立ちすくんでいる。厚手の汚れたコートに身を包んだ彼女は、いつからそこにいたのだろう。ただ市場の中央付近に立ちすくみ、虚ろな瞳で、外国人の商人や、久我たちの同僚である多国籍軍の兵士たちを眺めている。


「だいたいにして」と、次第に議論が白熱してきて、久我も本音を口にしていた。「俺たちの国は中途半端だ。そうは思わないか? 未だに専守防衛だなんて絵空事の呪縛から逃れられないでいる。この銃は何だ? おい、この銃は、あくまで自分の身を守るための物だ。しかも、一発撃たれてからじゃないと引き金を引けない。その辺の市民が何者かに襲われていても、米軍がテロリストに背中を狙われていても、使えない代物だ。そんな物が、一体何の役に立つ!」


「それはそうだが、オレたちの国も変わりつつある。輿水大佐はその先頭に立って頑張ってる。オマエにも力を貸してほしいんだよ!」


「ちょっと待て」


 久我は堪えきれなくなり、椅子から腰を浮かせた。


「何だ」黙って店から足を踏み出させていく久我を追い、桜井は云った。「何だ、どうした!」


「あの少女」と、久我は影に身を潜めながら、痩せた少女を指し示した。「どうも妙だ。いつの間にか現れていた」


「一体、何の話だ」


「あそこで何をしてる? 誰かを待ってるのか?」


 すぐ、桜井は何事かを想像したらしい。彼は広場に歩み出ようとした久我の腕を掴み、頭を振った。


「そこにベルギーの治安維持部隊がいる。彼らに云おう」


 今まで一体、何の話をしていたと思っているのだろう。久我は苛立ち、彼の腕を振り解き、少女に向かって足を進めていった。


 厚いコートの上からでも、彼女の胸が非常な速度で上下しているのがわかる。久我が無意識に腰の銃に手をかけながら、彼女までの距離を半分にした頃だった。


 不意に少女はコートを脱ぎ捨て、大声で、金切り声で、何事かを叫んだ。


 久我が目に捉えたのは、彼女の薄いシャツの上に着せ込まされた、ゴテゴテとしたベストだった。無数の固形物が結いつけられ、配線が走り、その先は少女の手元に伸び。


 少女が何かのスイッチを手にしていて、それに力が込められるのを見取った瞬間、久我はいつの間にか構えていた銃の引き金を引いていた。


 ざわめく市場。響いた少女の叫び声。更に続いた一発の銃声に、広場は一瞬だけ静けさに包まれた。


 しかし少女が地に崩れ落ちた直後、人々は一斉に悲鳴を上げ、逃げまどい始めた。治安維持部隊の人員は、素早く久我にアサルトライフルの銃口を向ける。それに対しても、久我は無意識に反応していた。両手を掲げ、手にした銃をゆっくりと地に起き、血溜まりの中に倒れる少女に歩み寄っていく。


 側頭部を銃弾に破壊され、横倒しになっている少女の顔。

 それをのぞき込んだとき、ようやく久我は我に返り、叫び声を挙げていた。


 少女の顔は、京香の物、だったのだ。


 一体、何だこれは。一体何が、どうなって。

 そう混乱する久我の肩に、手が置かれた。


 無意識に振り返ると、そこには柚木の顔があった。


「仕方がなかったんだ」


 相変わらず、訳知り顔で呟く柚木。


 何だ。これは何なんだ。夢だ。こんなものは、夢に違いない。だいたい京香は生まれたばかりじゃない、もう十一で。


 そう辛うじて閃いた時、久我は確かに、生暖かいベッドの中にいた。


 夢だ。やっぱり夢だ。


 大きく胸をなで下ろしたが、それでも鼓動は収まらない。汗でベットリしている布団を震える手で払いのけ、ベッドに座り込んで両手に顔を埋める。


「クソッ、いい加減にしろ」


 同じ夢を、何度見れば気が済むんだ。


 数秒で、多少落ち着きを取り戻してくる。そして携帯がけたたましく呼び出し音を鳴らしているのに気が付いて、未だ僅かに震える手で取り上げた。


 相手はパートナーの柚木。彼は久我がシリアでやらかした事、そしてその後のグダグダとした経緯も知っているらしいが、直接話した事はない。お互い、今更不毛な事だと理解しているからだろう。

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