第十三話 マックス
柚木は銃声や破裂音が響き続ける中、久我と妹尾が潜伏しているだろう団地の裏手に周る。裏口は開け放たれていたが、非常階段の側に足跡はない。二人を襲っている連中は、その存在に気づいていないようだ。
首と背中が、酷く痛む。それでも息を切らせながら非常階段を登っていく。マンションは六階建てだ。意表を突きたがる久我の性格からして、最上階にいるとは思えない。恐らくそれより下、四階か五階辺りに潜伏しているはず。
そう推理し、柚木は四階の廊下に出て、様子を窺う。柄の悪い男が一人倒れ、携帯や財布が奪われている。恐らく久我の仕業だ。
「携帯を持ってる? なら通話出来るか? しかし番号がわからない」
数分あれば基地局情報を探って突き止めることも可能だが、果たしてそんなことをしている暇があるか。
迷いながら先に進むと、不意に目の前に断崖が広がった。元はロビーから続く大階段があった所だろう、それが完全に焼灼され、進路が絶たれている。
見上げると、五階から上は無傷だった。となれば、久我は五階に潜伏している。
続けて見下ろすと、断崖の下、一階のロビーに、無数の男が倒れていた。ある者は瓦礫の下敷きになり、ある者は腕を、頭を焼灼されている。
唯一立つのは、髪を綺麗に整えた、眼光鋭い男。赤星だった。
柚木は慌てて断崖から覗かせていた顔を隠したが、気づかれていた様子はない。それで再び下を覗き込んで様子を窺うと、赤星は忌々しげに断崖を見上げ、次いで大きく息を吐き、両腕をまるで背伸びするよう、天に掲げる。
そして、まるで自らをとりまいた大気を掻くようにして、振り下ろす。途端、彼の身体は宙に弾け飛んだ。反発力。そう、何かの反発力を利用したような動きに見えた。驚きに口を開け放っている柚木の目前を赤星は過り、辛うじて五階のフロアに手をかけ、身を引き上げていく。加えて柚木が拾っていた携帯にも、異常が起きていた。赤星が両腕を振り下ろした瞬間にバッテリーが弾け飛び、ポケットの中で白煙を上げていたのだ。
柚木は当惑し、混乱しながら、とにかくオーダーメイドの上着を脱ぎ捨て、非常階段へと戻っていく。
「アレはなんだ。多目的型に、あんな機能が?」どうしても柚木は、久我や妹尾の安否より、そうした方向に頭が向かってしまう。「まるで磁力の反発力のようだった。磁力? そうだ、多目的型はプラズマの動きを磁力で制御している。その機能を利用し、自身を浮上させているのか? しかしそんな事をするには、数十テスラ以上の強力な磁場が必要だ」そして、あっ、と気づく。「そうか、それで携帯が破裂したのか。きっと私の推理が正しいに違いない」
いや、違う。
柚木は慌てて頭を振った。
そうだ、あの時も、この調子だった。私は目の前で引き起こされた事態の理解に頭が向かってしまい、彼女を、助ける手段を講じるのを怠った。
「駄目だ、駄目だ」柚木は呟きつつ、必死で非常階段を登った。「赤星は明らかに、久我くんよりも多目的型の扱いに長けている。危険だ。危険すぎる」
息を切らせながら五階にたどり着き、廊下に出る。
すると既に、久我と赤星が相対していた。久我はこちらに背を向け、身構えつつ、目前に立つ赤星に対し、言葉を投げかけた。
「おっと、来やがったか。金に目が眩んで、柚木の五億だけじゃ飽きたらなくなったか?」
皮肉に云った久我に対し、赤星は無表情で答えた。
「妹尾さんを渡せ。そうしたら見逃してやる」
「見逃す? 逆だろ。オマエを追い詰めてるのは、オレの方だ。下手な事をしたら、彼女は終わりだ。わかるか? 彼女を死なせたくなかったら、オマエの多目的型のエネルギーを全部放出しろ」
「久我くん、何を云っている」
柚木は思わず呟き、辺りを見渡す。
妹尾は、何処だ?
とても久我が民間人を危険に晒す取引をするとは思えなかったが、しかし彼には、何処か非情な所がある。追い詰められ、博打に出てしまっている可能性も。
そして、気づいた。久我の足跡。それは柚木の足元を過ぎ、背後の一つの扉から出てきていた。
久我と赤星の間では、緊迫したやり取りが続いている。柚木は踵を返し、久我の足跡が出てきている扉を、慎重に開いた。
いた。妹尾だ。彼女は真っ青な顔でホコリまみれのソファーに身を倒し、項垂れている。
「妹尾さん、起きてください」慎重に彼女の肩を揺すると、驚いたように瞳を見開く。「落ち着いて。私は久我くんの同僚です。非常階段があります。そこから逃げましょう」
まるで状況がわからないが、民間人である彼女の身柄を保護するのが、再優先事項だ。
そう考えて云った柚木に、彼女は多少混乱しているようだったが、それでも気丈に頷き、よろよろと立ち上がった。
「でも、久我さんは?」
「彼なら大丈夫。さぁ、行きましょう」
慎重に、静かに、再び扉を開く。
そして妹尾に肩を貸して廊下に出た時、強烈な熱を持った青白い球体が二人の脇を掠め、壁にぶち当たり、完璧な球形の穴を穿った。
悲鳴を上げる妹尾。それで二人の存在は、戦闘を始めていた久我と赤星に知られてしまった。
「なっ、柚木、何やってる!」
振り向き、必死の表情で叫ぶ久我。その隙を赤星は逃さなかった。久我が展開していたプラズマ・シールドで覆い切れていない隙間、足元を素早く薙ぐと、もんどり打って転がる久我を飛び越え、二人に向かって駆けてくる。
「マックス! 無事ですか!」
赤星の叫び。
柚木はまるで理解できなかった。
マックス? 一体、誰の事だ? 私は何か、重大なミスを犯したのか?
途端、その思考は、後頭部に受けた衝撃で遮られた。
視界が揺れ、壁に手を付き、床に崩れ落ちる。
それでも辛うじて意識は繋ぎ止めた。見上げると妹尾がコンクリート片を手に、忌々しげな瞳を向けている。次いでそれは駆け寄ってきた赤星に向けられ、怒声となって現れた。
「まったく、何をしてるの?」
「すいません、重吉から情報が漏れて、貴方がマックスらしいと、最上の連中に知られてしまったようで」
「何? なんでアイツが私のことを」
「異物取引を予防局にチクろうとした妹尾を片付けたのは、不味かったです。それで何か感づかれたらしい。それにコイツを攫った事で、ヤツは完全にビビってしまって」
まるで見違えた醜い表情になっている妹尾は、マックスは、苛立たしげにため息を吐いた。
「ちょっと急ぎすぎたか。妹尾の嫁って身分は、結構使いやすかったのに。まぁ最上の情報も一通り仕入れ終わったし、整体師稼業は終わりにしよう」
「キミは。キミたちは」
辛うじて云った柚木。それを二人は見下ろし、皮肉な笑みを浮かべた。
「天才さんだって聞いてたけど、意外と馬鹿だねアンタ」
妹尾はしゃがみ込み、柚木に瞳を近づけた。僅かに焦点が合っていない、不思議な視線。
そこで柚木は気がついた。彼女の瞳。そこには無数に、まるで電気回路のような模様が描かれていたのだ。
「それは、シャード、なのか?」
妹尾はニヤリとして、瞳を指し示した。
「そ。赤星の商売道具が、急に破裂してね。目に入ったら、こうなった。おかげでまるで視界が効かなくなったけど、瞬間移動出来るようになった。便利だよ、うん」
「危険だ。キミは非情な危機にある。キミが得た物は、赤星さんのウェアラブル・デバイスなどとは次元が違う。そう、言葉通り、次元が違う物だ。そのままキミがそれを使い続けたならば、この世界がどうなってしまうか」
「知ってるよ。これって、〈インターセクション〉と〈この世〉を繋ぐ、鍵なんだろう?」口籠る柚木に、彼女は続けた。「だけど私には、そんな事はどうでもいい。この力を最上を潰すのに使えればね。だからもっと使える異物が欲しくて、アンタをおびき出したんだけど。色々とミスってしまった。ま、仕方がない。アンタと久我さんと知り合えただけで、収穫としよう」
立ち上がり、赤星の脇に手を回すマックス。それを追うよう、柚木は云った。
「待ってくれ。キミは一体、何者だ?」
マックスはニヤリと笑い、片手を上げた。
「また会おう、柚木さん、それに久我さんも。今度は本当に、異物をもらいに行くよ」
パチン、と目の前が弾けた。赤星とマックスは消え去り、コンクリートの床には、何処か別の風景にあったアスファルトが埋め込まれていた。
まるで思考が麻痺し、立ち上がることも出来ない。その柚木に、久我が忌々しげな表情で歩み寄ってきた。
「大丈夫か? 大失敗だな」
柚木は久我を見上げた。
「一体、何が、どうなってる。彼女は何者だ」
「聞いた覚えがある。最上組の直系。今の分派系と争って殺された印南って会長には、娘がいるってな」そして大きくため息を吐きつつ、彼は柚木に異物が埋め込まれた右手を差し出した。「どうも妙だと思ったんだ。マックスがオレたちに賞金をかけて、赤星が一番乗りした。ヤツが得るだろう賞金目当て、あるいは賞金をケチって、マックスや他の連中が、赤星の親しい人物である妹尾を襲う。アンタはそういう推理だったな?」
「あ、あぁ」
「けどな、襲ってきてるのが最上だと知って、妙だと思ったんだ。マックスは最上の天敵だ。そいつらが、マックスが払うだろう賞金を掠め取ろうとするか?」
「確かに」
当惑しつつ立ち上がった柚木に、彼は再びため息を吐きつつ続けた。
「それで妹尾が襲われるのには、別の理由があると思った。ひょっとしたらヤツがマックスなんじゃないかとも思った。古海から妹尾の娘が見つからないと聞いて、それは確信に変わったね。
マックスは妹尾の旦那を殺し、嫁と娘はどこかに消えた。マックスは妹尾の嫁が整体師免許を持っていたのを利用し、彼女に成り代わり、最上組に潜り込み、情報を集めていた。すべては復讐のため。そんな所だろう。
そうなったら、最上にも、赤星にも渡すのは不味い。そう思ってオレは時間稼ぎしてたんだが、すっかりアンタにぶち壊された」
「そうか、そういうことだったのか。赤星はマックスの手下で、賞金を得ようとしていたんじゃない。賞金をかけていた側だった。私を攫ったのはマックスで、赤星は私の見張りをしていた。だが思いの外はやくマックスにキミがたどり着き、彼女は身動きが出来なくなった」
「そして最上に襲われた。さっさと転移で逃げれば良かったんだろうが、きっとオレたちの内情を知ろうとしたんだろうな。従順にオレの指示に従って、一緒に逃げた」
「キミは何か、話したのか」
「ヤバイ事は何も。当然だろ? だが赤星が助けに来た事で、演技も破綻した。オレたちも、連中も、今回は色々とグダグダだった」
深い息を吐いて、汚れた床に座り込む久我。
柚木は数秒、言葉を探し、そして辛うじて云った。
「すまない。簡単に攫われてしまったのも私のミスだし、妹尾。印南。マックスを逃がしてしまったのも、私のミスだ。申し訳ない」
久我は苦笑いし、ぴょんと立ち上がった。
「まぁな。だがあのテレポート能力を塞ぐ方法がなきゃ、どうせ逃げられてたさ」そして柚木の肩に腕を載せ、促した。「最上に手を引かせる手は打ってる。帰って反省会だな。飲みに行くぞ」
「あ。あぁ」そしてホコリまみれになっていた服を見下ろし、柚木は云った。「だがその前に、着替えさせてもらえると。ありがたい」