第十話 娘について
「畜生! アイツら、何者だ!」
久我は罵りつつ、汚れたガラスの隙間から外を覗いた。
陽は既に陰りはじめていたが、そうした中に堂々と銃を持つ柄の悪い男数人がいて、更には複数のヘッドライトが近づいてくる。
何とか妹尾を連れて逃げ込んだのはいいが、これでは袋のネズミだ。
思いつつ、周囲の様子を探る。ここは、何年も前に閉鎖された公営団地らしい。周囲には何棟かの似たようなコンクリート・ビルが並び、小さな公園や遊歩道は雑草にまみれている。外も中も至る所がバリケードや板材で封鎖されていて、まるで全体が巨大な迷路のようだ。
そう、全体が迷路状なのは救いだ。一直線に見つかる可能性が低くなる。
だが一方で、別の問題が出てくる。久我が妹尾を守りつつ、ここから脱出して助けを呼ぶのも、酷く困難だということだ。
「大丈夫か? 怪我は?」
軽く振り向いて尋ねる。
妹尾、少し視界に問題があるらしい整体師の彼女は、息を切らせながら汚れた壁に寄りかかっていた。そして久我の声を受けると、頷きつつ瞳を上げる。
「え。えぇ。でも、どうして最上組が、私を」
「何? 最上組?」泣く子も黙る、国内最大の指定暴力団だ。「連中、知ってるのか」
彼女は無理に息を飲み込みながら答えた。
「良く、事務所に出張整体を。そこで見たことある人が、何人か」
「そうか。確かにヤーさんは好きそうだもんな、整体とかマッサージとか」
「お得意様です」
何故か生真面目に云った妹尾に、久我は思わず笑い声を上げた。さすが暴力団事務所に出張しているだけあって、彼女は肝が座ってる。
「お得意様に狙われちゃあ、世話がない。ま、簡単に云えば、アンタは面倒事に巻き込まれちまっただけだ」苦々しく吐き捨てつつ、ちらりと右手甲のイルカに目を落とした。大きめのプラズマ・バリアーを張るのに、結構なエネルギーを使ってしまった。残り半分といったところか。「赤星の件で問題があってな。ちょっとややこしくなってる」
「赤星さん?」そこで気づいたように、彼女は口元に手を当てた。「娘は? ひょっとしてあの人たち、娘も」
「それは心配ない。オレの同僚が保護してるはずだ」
だよな、古海。
そう胸の内で祈りつつ、再び外を眺める。組員の数は十数人に増えてしまっていた。彼らは手に手に短銃や突撃銃を携え、上役の指示を受けると、ゆらゆらとした足取りで散っていく。
「まったく、最上組だって? 敵対事務所にダンプカー突っ込ませるくらいが精々だった連中が、いつの間にこんなアクティブになったんだ。どうしてAKやトカレフを揃えてる」
「ロシアン・マフィアから手に入れてるそうです。対価は国内で盗んだ宝石とかだそうで」
これも生真面目に答えた妹尾。久我はまるで彼女の事がわからなくなり、まじまじと見つめた。
「いやぁ。単に愚痴っただけなんだがな。具体的な入手方法が出てくると思わなかった」
「え? あ、すいません」困惑した風で俯く妹尾。「整体師とか、あの人たちにとってみれば存在しないようなもので。施術している間にも、皆さんで普通に内部の話をしてるので、私はそれを聞いてただけで」
「いや、別に責めちゃいない」
連中の一部は久我と妹尾が篭もる団地に向かってるだろうが、部屋数は無数にある。そう簡単には見つからないだろう。
とにかく、多少の余裕はありそうだ。そう久我は大きく息を吐いて、破棄されてホコリまみれになっているソファーに腰を下ろし、懐を探る。
とはいえ、何度探っても、ないものはない。
「なぁ、アンタ、携帯持ってないか。どうも落としちまったみたいで」
妹尾は頭を振った。
「急だったので。何も」
「だよな」
「つまり、助けを呼べないっていう事ですか」
それを悟られるのが嫌だった。仕方がなく久我は頷き、それでも無理に笑みを浮かべてみせた。
「なに。大丈夫! ウチの連中は、皆優秀だ。すぐにここに辿り着く。少しの辛抱だ」
妹尾は僅かに表情を曇らせつつも、頷いた。
「はい。何だかわかりませんが、ご迷惑をお掛けします」
「止せよ! アンタは何も悪くない!」黙り込んだ妹尾。久我は少しでも彼女の緊張を解そうと、話を続けた。「娘さん? 何歳?」
「え? えぇと。四歳です」
「名前は?」
「えっと。朝日です」
「いい名前だ。オレにも娘がいる。京香っていってな。十一だ。とはいっても、あんまり親らしいこと、してやれないでいるが」
そして財布を取り出し、挟んでいる写真を差し出して見せる。受け取った彼女は大きく目を見開き、云った。
「わぁ、美人さんですねぇ」
「おまけに賢い! 今は中学受験で猛勉強中。オレなんざ相手にもしてくれない」
妹尾は微笑み、久我に写真を返しつつ云った。
「勉強は大事ですよ。私なんて子供の頃、全然勉強しなかったから。今でもこんなですし」
「こんな? 整体師さん。立派な仕事だろう」
「女って、若い頃は。親も周りもチヤホヤするでしょう? 多少ブサイクでも。それでいい気になって、馬鹿なまま大人になっちゃうんです。私みたいに。心当たり、ありません?」
女性相手には、地雷過ぎる話題だ。それで口元を歪めて見せただけの久我に、彼女も苦笑いした。
「女にも知恵が必要ですよ。特にこんな状況になった時、自分の身を守れるくらいの知恵はないと。中学受験? 応援してあげてください」
「別に否定はしてないが。もう少し、好きなことをやらせてやりたくてね」
「好きなこと?」
「音楽だ。吹奏楽。餓鬼の頃は玩具のラッパを始終プープー云わせてた。ホントに一日中だぜ? 今でも耳にその音がこびりついてる」笑う妹尾。「ま、そっからは色々あって、あんまり一緒にいてやれなくて。誕生日に奮発して本物のラッパを買ってやったらな。凄い喜ばれて。嫁には怒られたが。それから吹奏楽始めたって聞いて、嬉しかったね」
「いいですね、そういうの。私が子供の頃は、そういう優しい環境って、あんまり周りになかったから」
「優しい、環境?」
「何か、真面目になれる環境、っていうのかな」そして、ちらり、と廊下に通じる錆びついたドアに視線を向けた。「あぁいう感じの人たちしか、周りにはいなかった。適当に、馬鹿騒ぎ出来ればいいって感じの人たち。でも父親だけは、私が遊び歩いてると、凄い真面目に叱ってくれたな。凄い不器用な人で、くれるのはお金だけで、ラッパなんか買ってくれなかったけど。でも、そのままじゃ駄目になるぞ、って。一度だけ真面目に云われて。でも私、全然意味がわからなかった。父親も、それ以上は説明出来ないみたいだった。馬鹿だったんでしょうね、私も、父も」
「いい親父さんだ」
云った久我に、彼女はクスリと笑った。
「そう。いいお父さんだったと思う。ただ環境が悪かっただけ。久我さんも、そういうお父さんにならないと」
「ま、努力はしてる」
その時、久我の視界に動くものがあった。
イルカの機能の一つ、電磁波による透視機能。それは金属の存在くらいしか探知出来なかったが、確かにこの棟の下の階に、突撃銃を構えた三人ほどの男が近づいているのがわかった。
「行こう」立ち上がってドアに寄った久我に、妹尾は僅かに身を震わせた。「敵が近づいてる。移動した方がいい」
ホコリまみれの廊下に出て、静かに、足音を忍ばせつつ、階下に見える男たちの影とは反対方向に向かう。
「クソッ、なんだってまた、全員こんな重武装なんだ。ここは日本だろ? 可笑しいだろこれ」
銃の他に手榴弾らしい影も見咎めて云った久我に、妹尾は囁き返した。
「マックス」
「何?」
「マックスって呼ばれる人の勢力が、今じゃ警察に締め上げられてる暴力団に代わる勢いなんだそうです。凄い統制が取れてて、まるで尻尾も掴めないって。云ってました。それであの人たちも、だんだん必死になってて」
「対マックスの武装ってワケか。こりゃ参ったね」
云った瞬間、チラリ、と階下に歪な金属片が見えた。
透視している黒い背景の中にある、歪んだ金属。最初はただのガラクタかと思ったが、それが移動し、静止し、何かこちらに向けるような動きをするのを見て、久我は咄嗟に妹尾を突き飛ばしていた。
「何だってんだ! ドライバーまでいるのかよ!」
叫び、身を翻した瞬間、目の前の通路が白い閃光と共に消失した。
焼け焦げた臭い。オゾンの臭い。
それは酷く馴染みがある。
久我が何度も使ってきた機能。プラズマによる焼灼を受けたとしか思えなかった。