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第九話 交渉

「眼鏡が」


 辛うじて呟いた柚木の耳元に、天羽の深いため息が響いた。


『やっと気がついた。大丈夫?』


「何とか」そして身体の状態を探る。「しかし、椅子に縛り付けられている。そう、私は赤星に攫われたのか。ここは何処だ」


『わかるでしょう。私にも知りようがない』


 それはそうだろうと思いつつ、目を細める。暗くてよくわからないが、何処かの倉庫らしい。コンクリートの床に壁。空気は冷たく、湿っている。


「スリー」云うと、美鈴の姿をした立体映像が脇に現れた。「私の記憶を探ってくれ。私がここに連れてこられる間に、無意識に見たもの、感じたもの」


『残念ながら、マスクか何かを被せられたようです。有意な情報は見つけられません』


「参ったな」呟き、再度室内を見渡す。「まさか赤星が、あんな異物を持っていたなんて」


『異物?』天羽が耳元で問い返した。『転移能力を持った異物なんて、記録にない。彼が持っているものは、より、重要なものよ』


「より、重要なもの?」


『そう。わからない? 彼は特定の〈場〉を、別の〈場〉に転移させる。そんなこと、時間と空間に干渉出来る技術がないと不可能。そして時間と空間の異常場には、必ず重力の異常も伴う』


 はっとして、柚木は宙に視線を集中させた。


「まさか、赤星が使っているのは、〈シャード〉だというんですか? 八木が盗んでいった?」


『それそのものなのか、別のシャードなのか。それはわからない。けれどもシャードを使った場合に起き得る現象として、一番納得できる現象を、赤星は利用している』


「確かに我々は、未だにシャードが引き起こせる現象について、何一つ実例を確認できていない。仮にそれが〈転移〉なのだとしたら、それは非常に画期的な事に」


『とにかく柚木くん、何とかしてそこから、逃げなければ』


「それはそうですが、私には久我くんと違って、そうした技術は何も」


『私も今は、この部屋から出ることは出来ない』あの、埃っぽい会議室。『何とか彼の回線に繋ぐ。それで助けを仰いで』


「いや、しかし。そうすると彼に、我々の事を知られてしまう可能性が」


『今はそんなことを云ってる場合じゃない。でしょう?』


 確かに、そうかもしれない。


 渋々頷いた柚木。次の瞬間、プツリ、と回線の繋がる音が耳元に響いた。


『はい?』


 久我の声。


 あの、少し単細胞のきらいはあるが、酷く柔軟な頭を持った男の声。


 柚木はそれに、僅かに不安を取り除かれ、心持ち気軽になりながら口を開いた。


「久我くん、私だ」


『柚木? 無事なのか!』


「なんとか無事だ。だが、今、自分が何処にいるのかもわからない。なんとか助けてくれると、ありがたい」


 僅かな沈黙の後、彼は焦ったようにまくし立てた。


『とにかく、周囲を観察しろ。何がある。何が見える』


「残念だが、眼鏡を奪われてしまった。何も見えない」


 とにかく把握していること全てを伝えると、久我は小さく舌打ちし、唸り声を上げた。


『クソッ、探すにしても厳しいなそれ。赤星は。ヤツはどうしてる』


「先ほど気がついたばかりで、姿は見ていない。彼については、何かわかったか」


 久我は独自で、それなりに調査を進めていたようだった。どうやら特務班の活動を快く思っていない〈マックス〉が、柚木と久我に賞金をかけているらしいこと。赤星は自らのミスで死なせてしまった同僚の家族のため、動いているらしいこと。


「ふむ。つまり私は、すぐには殺される心配はないということか」


 云った柚木に、久我は再び舌打ちした。


『呑気に云ってる場合じゃないぜ。とにかくマックスの線と転移の痕跡は洗ってるが、時間がかかりそうだ。それよりこの通信を辿って、オマエの居場所はわからないのか』


「残念ながら不可能だ。今は、やや特殊な方法を使ってキミと連絡を取っている」


『特殊? それって』


「今は説明している時間がない。それよりキミは、その妹尾という女性をガードしてくれ。その人が無事で済むとは、とても思えない」


『何でだ。そりゃあいつか、赤星が現れるんじゃないかと思って、張り込んではいるが』


「キミも金の力は知っているだろう。五億だ。私が攫われたことは、既に裏社会には知られているだろう。そしてその金を、赤星が手にするだろうことも。宝くじが当たった人のところには、必ず親類縁者詐欺師その他、魑魅魍魎が集まってくるものだ。場合によっては、マックス自身が、金を渋って彼女を赤星に対する盾にするかもしれない。私も彼の噂は知っているが、それくらいの事はすると聞いている」


 その時、久我の背景に、何かが破裂する音が響いた。途端に久我は息を詰め、駆け出したようだった。


『クソッ、相変わらずアンタの読みは鋭いな! 妹尾の部屋に何人かが押し込んでいった!』


「私の事は後回しでいい、とにかく、その人を守ってくれ」


『そうもいかねぇだろ! いいか、下手に交渉を試そうとするな! 人質の鉄則は、完璧な弱者を演じることだ、わかったか!』


 そして不意に、銃声らしい音、そして金属と電子が弾ける音がして、柚木はビクリと身を震わせた。


「久我くん? 久我くん!」


『携帯を撃たれるか何かしたみたい。参ったわね』


 天羽の声に当惑している間に、柚木は別の音に気づいた。


「黙って」


 柚木が囁いた時、確かに金属製の扉の奥から、カツカツと踵を鳴らす音が近づいてきた。そして厳重らしい鍵が開かれると、暗がりに男が顔を現す。


 眼鏡がないおかげで、良くは見えない。だがその面長な顔、髪を綺麗に整えている様子は、赤星の特徴と一致していた。じっと見つめる柚木に対し、赤星は何かを手にして近づいてくる。僅かに煌めく刃。バタフライ・ナイフだ。彼はそれを器用に操り、カチャカチャと鳴らしながら、椅子に縛られた柚木の周囲を巡る。


 完璧な、弱者を演じること。


 久我のアドバイスが頭に過ぎった。彼の経験に基づくアドバイスは、確かに理解できる。相手はこちらを支配下に置きたい。だというのにこちらが偉そうに主導権を握ろうとすれば、反発したくなるのが当然だ。


 だが柚木には、そうした無知で無力な人間の真似は、出来そうになかった。恐怖のために否応なく頭に回転は速くなり、思いついた様々な手を、講じたくなってくる。


「赤星さん」思いきって、柚木は口を開いた。「推測するに、貴方は私を〈マックス〉に引き渡し、賞金を得ようとしている。条件は無傷で、と聞いている。ここで私に危害を加えるのは、賢いとは思えませんね」


 自分でも声が震えているのがわかる。だが何とか最後まで云い終えた時、男は小さく鼻を鳴らし、立ち止まった。


「条件は〈生きて〉だ。無傷じゃあない」


 思わず寒気を感じ、柚木は身を震わせた。


「しかし、私を傷つけて、何かメリットがありますか」


「何もないな、そりゃ」


 云った途端、彼はナイフを翻させた。無意識に目を固く閉じたが、感じたのは身体を縛る縄が切られる感触だった。すぐに大きく息を吐く柚木。その脇を赤星は掴み、椅子から無理に立ち上がらせた。


「ほら、さっさと歩け」


 後ろ手に縛られたまま、柚木は云われた通り足を進めた。


 かなり広い、捨てられた倉庫のようだ。その廃墟のような通路を歩きつつ、柚木は口を開いた。


「貴方の目的は、金、ですね? 私にかけられた、五億の賞金」答えない赤星を軽く顧みつつ、柚木は足を止めた。「ならば、私は私を買いましょう。十億だ」


 至近距離で、ようやく相手の表情がわかる。彼は彫りの深い顔に深い皺を刻み、首をかしげた。


「十億?」


「あぁ。自分で云うのもなんですが、私にはそれだけの価値があります。加えて貴方は知らないかもしれないが、マックスは平気で貴方との約束を反故にする。現に、貴方が親しくしている女性だが。どうやら彼に襲われているようだ」


「あ? 誰のことだ」


「妹尾さん。貴方が罪滅ぼしのために生活費を渡している女性」


 本当だろうか。


 そんな表情を浮かべつつ、ジャケットの懐から携帯を取りだし、軽く操作を加えて耳に当てる。恐らく彼女の事は久我が守っているだろうが、混乱の中だ。応答はなかったようで、赤星は舌打ちして混乱したように宙を仰いだ。


「クソッ、マックス、何をやってるんだ!」


「彼女は心配ない。彼女は私の同僚が守っているはずです」


「何?」


 柚木は答えず、様子を窺う。間もなく彼は大きくため息を吐き、柚木を元の部屋に押し戻し、再び椅子に縛り付ける。されるがままになりながらも、慎重に言葉を探り、柚木は云った。


「さて、どうしますか。マックスは信用ならない相手だとわかったはずです。ならば大人しく、私に私を売った方が得策だと思いますが」


 困惑した様子ながらも、彼は、フン、と鼻で笑い、柚木の顔を覗き込んだ。


「それで、予防局は約束を守る? ハッ、信じられないね、あんな資料を見た後じゃあ。人権無視、法律無視の違法捜査。ドライバー、っていうのか? 使える機能を持ったヤツを捕まえては、人体実験の繰り返し。まるでナチスだ。金を払うと見せかけて、オレも切り刻もうって腹なんだろ?」


「それは全て、出鱈目です。予防局はそんな組織ではない。現に私もドライバーの一人ですが、解剖なんてされていない」


 拘束されたままながら、なんとか身を捩って左腕に食い込んだ金属片を赤星に向ける。彼は酷く混乱している風で、ウロウロと柚木の前を歩き回り、額に汗を浮かべている。その瞳が僅かにスリーに注がれると、彼は不意に閃いたように身をかがめ、スリーを見つめた。


「そうだ。アンタも特殊能力持ちなんだったな。情報戦型。だがそいつは、地球じゃあ殆ど無力なはずだ」


「何処から、あの情報を?」僅かに口元を痙攣させる赤星。「確かにエグゾア文明。私は異物をもたらした知的生命体による文明を、そう呼んでいますが。情報戦型はあくまでエグゾア文明の情報処理アーキテクチャに対処するよう作られているため、そのままでは殆ど何も出来ません。例えば異物の技術は、明らかに六進数をベースに作られている。ですが私は色々と研究を続け、ある程度、現在地球で主流の十六進数とノイマン型アーキテクチャと適合させることが出来ました」


「そんな事はどうでもいい。とにかくオマエ、どうやって真紀さんが危ないと知った。オマエは単体でインターネット接続が出来るのか?」


 真紀。妹尾真紀だ。柚木は僅かに思案した後、頷いた。


「残念ながら、これ単体では無理です。しかし貴方が携帯を貸してくれれば、彼女を護衛している同僚経由で、すぐにでも話せます」


 久我も、意外と鋭い所がある。あまり天羽を通して接触を試みると、何か感づくかもしれない。


 それを恐れて云った柚木に、赤星は顔を顰め、何度か目の前を歩き回り、そしてようやく意を決したかのように携帯を掲げた。


「番号は」


 柚木は整然と、久我の番号を口にする。赤星はすぐにそれを叩き、柚木の耳元に携帯を押し付けた。


 僅かな空電。何度かプチプチとした音が響いた後、ようやく回線は繋がった。


「久我くん」


 云った途端、スピーカーは無機質な声を返してきた。


『お客様がおかけになった電話番号は、現在電源が切られているか、電波の届かない所に』


 やはり、駄目か。


「別の番号を」


 云った柚木に、赤星は苛立たしく詰め寄った。


「下手なことを考えるなよ?」


「わかってます。いいですか?」


 読み上げた番号を叩く赤星。今度は問題なく回線は繋がり、怪訝そうな女性の声が響いてきた。


『はい?』


「私だ。柚木だ」


『局長!』


 調査部の古海だ。何事かをまくしたてようとする彼女を遮り、柚木は尋ねた。


「久我くんは今、何処に?」


『それが、わかんなくて! どうも妹尾の家がヤーさん連中に襲われたみたいで、ウチの下っ端も撃たれちゃって! 久我さんは妹尾と逃げたらしいんですけど、行方不明なんですよ! あ、行方不明って云っても、まだ私も現場に戻れてないし、全然辺りも調べられていないし』


「わかった。ありがとう」


 途端、回線を切る赤星。彼は苛立たしげに、柚木の胸ぐらを掴んだ。


「ったく、どうなってんだ! アンタら予防局ぐるみで、何か企んでるんじゃないだろうな!」


 柚木は率直に云った。


「貴方は予防局を過大評価しすぎです。すいません、どうやら予想外の事態が起きているようです。妹尾さんを助けるために、貴方の力が必要かもしれません」

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